第649話 「俺が相手だ④」
背中から落ちていき、ちょうどいいタイミングで地に降りた俺へ、地に触れるわずかな隙を打たんと槍撃が迫る。
しかし、読めていたタイミングではあったし、警戒していた攻撃でもあった。
今の俺にとっては地上戦の方が好都合だ。そして、奴はそれに乗ってきた。一方的に上手を取って攻め立てる選択を取ってこない。おそらく、振り下ろしや薙ぎ払いが大雑把になりすぎ、実質的に突き一辺倒になりかねないのを嫌ったのだろう。
そうして一時仕切り直しのような感じになり、さっそく奴の薙ぎ払いが迫る。夜明け前の空の下、奴が振るう白い槍の輝きを、表土を覆う雪が照り返してくる。空中戦とは勝手が違うまぶしさだ。
しかし、光に呑まれている場合じゃない。俺が選んだ地上戦で、早々に追い込まれては話にならない。光の中から迫る、槍本体の軌跡を見極め、俺は回避した。肉体とマナの合わせ技による跳躍の下で、全てを塗り潰す純白の扇が走る。
地上の感触は上々だ。これなら、剣なしでも行ける。念のためにと手には剣を携えつつ、しかしそれには頼らず、迫る攻撃を身のこなしで避けていく。
一方、地上戦は奴にとってもメリットのある話だった。自動射撃を任せていたドローンによる包囲網は、下方向からの攻撃力を失っている。これまで下に回していた分を、他のに重ね合わせることはできる。しかし、密度が増える一方、奴にとっては避けやすくもなる。トータルすれば、奴にとっては攻勢が緩んだと言える状態だ。
案外、それが目当てで、地上戦に付き合ったんじゃないか? そんな考えが脳裏によぎった。
断定するのはまだ早い。ぶっちゃけ、即死の危険があるのは俺の方だ。綱渡りを続けている状況には変わりない。
それでもきっと……決着は近づいている。
迫りくる槍の乱舞を、体一つでいなし続け、地上戦に移行してから数分経過した。盗録の拡散状況は……奴のマナの3分の2ほどを差し押さえたと思う。
それでも、槍の力強さには陰りがない。しかし一方で、槍撃の合間に放たれた魔法を、長いこと使ってきていない。その余裕がないんだろうか。盗録を通し、少しずつ優位へと傾けていけている感覚はある。
ただ、そのように思わせるためのブラフなんじゃないか。そんな疑いを捨てきることもできない。
いや、ここまで来たんだ。勝手な推論を真に受けて、変な気を起こすことはない。このまま消耗戦を続けよう。
しかし――弱まっていく一方のはずの奴の手で、白い槍は一層の輝きを見せた。振り下ろされた一閃は、宙を引きちぎって“向こう側“の虚空を一瞬垣間見せ、地面には蒸発音とともに深い傷跡を刻み込んだ。
これまでにない威力を目の当たりに、俺は恐怖よりもむしろ困惑を覚えた。ここまで威力を出さなくても、俺を殺すだけなら十分だ。それなのに、こんな力をひけらかす意味はない。怖気づく相手と思っているわけでもないだろうに。
奴の中に食い込んだ盗録は、もはや大多数と呼べる支配率だ。それでも、奴はあれだけの威力を繰り出してきた。それが俺には――奴の意地に思えた。
いや、こんなのに付き合う必要はない。これだけの威力の力を振るえば、長くは持たないだろう。無駄遣いしてくれるのなら、それに越したことはない。後はうまいことやり過ごせばいい……そんな声を脳裏に聞きつつ、俺は剣にマナを通した。まだ数回は使える。
思えば、今回の戦いで俺は、一度もこの手で奴を斬っていない。魔法で応戦はしたものの、じわじわと締め上げるような戦法ばかりで……まぁ、戦いの運び方においては、俺の方が上手だったとは思う。
しかし、余裕も何もかなぐりすて、ただただ最後の輝きを刻みつけようと振る舞う奴に対し、俺の中で何か感じるものがあった。あれを乗り越えた上で、この手で決着を付けてやる。
振るわれる槍を避けつつ、俺は距離を詰めていく。輝きの中に認めた奴の顔に、苛立たしいまでの落ち着いた無表情や、人を喰ったような冷笑はない。何かを悟ったような、神妙な顔をしている。
そして、後少しというところで、奴は白い槍を振り下ろし、俺はそれを剣で受け止めた。ほとばしるマナがぶつかり合い、揺れる大気に足元の雪が騒いで逃げ散っていく。
それから――剣が悲鳴を上げ続けた。これまでを超える威力の激突に、もう持たない。芯材から傷んで曲がりかけ、剣の形を保てなくなっていく。これではマナの通り道以上の意味をなさず、その通り道としての役も、濁流に耐えきれずに焼き潰れそうだ。
ここまでつきあってくれた相方の最期を目に、俺は悩んだ。ぶっ壊れていく様を視認する程度の、思考時間の余裕はある。奴の顔は目と鼻の先だ。ここまで来た。ここまでは来れた。
しかし、もう剣は使えない。やっぱり持久戦で自滅を待つか? そう思うと、使えなくなったる剣を握る手に、思わず力が入る。ここまで来たというのに。
力任せなマナのぶつかり合いで閃光が走る中、俺はその向こう側に目を向けた。神妙だった奴の顔が、少し笑っている。勝ち誇るでもなく、バカにするでもなく……普段目にする普通の微笑だ。余計に拳に力が入る。
そして、俺は天啓を得た。パズルのピースをつなぎ合わせ、時には捻じ曲げて整形し、思い描く絵に近づけていく。
普通の魔法は、奴にはあまり意味がない。再生成され続ける泡膜に阻まれるからだ。一方、物理的な攻撃も、奴には効果がない。奴に対してホウキを突撃させた時は、泡膜どころか奴本体まですり抜けてしまった。
そのため、奴をぶっ倒すためにということで、人類は強力な魔道具を使うことを選択した。激流のようなマナを通し続けることで、常にある泡膜を切り裂き続けて、その奥の奴本体を断ち切ろうと。あの槍に対抗するためでもあったけど、攻撃の上でも有望な選択だった。
そして……魔道具は物質的な存在だ。今回の剣は、外にマナを通している。物質的な土台の上にマナを。
その逆は誰も考えなかった。俺は、今考えた。
できるかどうか、俺は一瞬を永遠とも思えるほど引き伸ばし、検討していく。それで……結局、確信は持てないながらも、やってみようと決意した。俺は今まで、「やってみたい」を形にしてきた。今日もそれは変わらない。俺を貫いて敵を倒す。
考えはしたものの、悩みはほとんどなかった。行けるんじゃないかという、魔法使いとしての本能が背を押したのだと思う。あるいは……魔法使いとしての好奇心か。自分自身を実験台にしても、それを知りたいという。
自分でも驚くほど、静かに覚悟が決まった俺は、その魔法の準備に取り掛かった。鍔迫り合いを細心の注意で受け流し、互いの武器があらぬ方向を向く。
このわずかな間が、ラストチャンスだ。戦闘が始まる前に自分へ仕込んでおいた盗録を制御し、右手へとマナを集めていく。
そして、俺は……右手に重ね合わせたマナの器に、一つの文を書き込んだ。最初に覚えた、あの魔法の分を。
その瞬間、右半身を急激に引っ張られるような感覚に襲われた。しかし、この魔方陣には当然可動型を合わせてあって、誘導はできる。無限に引き伸ばした時の流れの中、右手は方向を操れる
そして、泡膜を超えた。割れた様子もなく、そのまま拳が素通りしていく。
これは見立て通りだ。泡膜は物理的実体と干渉するものではない。そして、俺の右拳は、魔法を内包しつつも、マナが外には出ていない。
問題はここからだ。右拳をマナの矢に変え、奴に叩きつける。マナの方は、きっと効くだろう。かなり魔法陣をスタッキングした一撃だし、盗録で弱らせているのは間違いない。
しかし、拳そのものが無事で済むかどうか。予感した痛みに、今から歯が食いしばる。
後悔の念は一切ない。罪悪感はある。彼女には悪いと思う、本当に。
しかし、この手で奴をぶん殴れると思うと、もう止められるものではなかった。この手がダメになろうと、魔法を使えなくなろうと、それは構わない。この手がそのためにあったのだとしても、俺は受け入れられる。
そして……魔法のストレートが放たれたその向こうで、奴の顔に少しばかり驚きが浮かび上がるのを、俺は見た。信じがたいものを目にしているような驚きが、そこにある。それを見て、少し溜飲が下がるような思いがして……。
俺の手が、ついに奴に届いた。
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