第644話 「世界が相手だ③」

 世界各国へ襲い掛かる白い空は、ある意味ではかなり平等であった。東西南北、国力や民族の別なく、白い光は人知を超えた武力を振りかざし、世界各国へと攻撃にかかった。

 その中には、フラウゼに隣接するシュタッド自治領も含まれている。長きにわたり、まともな国家機関や政治機構を持つことなく、そのために魔人側から陰で利用されてきた領域である。

 自治領最大の都市であるサヴェンにも、白き槍の雨は容赦なく降り注いだが、他国の都市とのつながりを得た防御膜により、どうにか事なきを得ている。

 そして、他の都市同様に、槍の雨の後には白い光の天人が降臨し――それを迎え撃つ男が一人。人類社会から見捨てられていたこの都市を守ろうと立ち塞がるのは、もはや属するべき国を持たない、一人の魔人であった。



 街並みの上空、青い防御膜の内側で、マナが激しく衝突して閃光が走る。ぶつかり合うのは、煌々たる光を放つ白い槍と、赫々かくかくたる輝きを放つ赤い剣。

 何度か打ち合った後、赤い剣を振るうユリウスは、敵から少し間合いを取った。その間を埋めるように地上からマナの援護射撃が始まり、標的を包む白い泡膜バブルコートを銃火が揺らす。

 武装の配備よりはむしろ、訓練の方に遅れがあった。他国の兵に比べれば、この都市の銃士はかなり不慣れである。狙いも甘く、即応性にも乏しい。

 しかしながら、それでも武器を手に取り立ち向かおうという民の有り様に、ユリウスは励まされる物を確かに覚えた。国が滅び、見て見ぬふりをされてきた土地の民にも、守るべきものはある。守ろうとするだけの気概がある。


 そうした民草の抵抗は、ささやかながらも、白き光の天人の心をも動かしたようだ。地上からの銃火は大した脅威にはなり得ないだろうが、彼はまずそちらを黙らせようと、白い翼の輝きを威圧的に見せつけて降下に入る。

 すると、機先を制すようにユリウスが動き、降下の動きに割って入った。雪に覆われた街並みを背に、赤い剣を構えた彼が行く手を阻む。

 彼に対し、降下を始めたその勢いを活かすように、白い槍が襲い掛かった。それを剣で受け、再びマナの奔流が宙を鮮烈に照らし出す。


 銃撃によるささやかな加勢も含め、現時点での攻防はかなり控えめなものである。時折緩急をつけた攻撃が繰り出されるものの、決着をつけようというほどの領域にまでは踏み込んでいない。あくまで、相手の武器や力量を確かめるかのように、軽く手合わせするに留める程度のやり取りだ。

 敵側の思考は読めないながらも、ユリウスには激しい攻撃を手控えるだけに理由があった。なにも、かつて同胞だったと思われる相手だからと、過去のよしみで加減しているというわけではない。

 ユリウスは、相手が本当に太師なのかを確かめたかった。確かめた上で、相手が何を考え、目的としているのかも。互いの存亡を賭けるのは、せめて何らかの情報を引き出してから――彼はそう考えていた。


 しかし、向こうは一向に口を開こうとはしない。一切の情報を与えまいと、挑発のたぐいも控えているのだろうか。過去に卓を囲んだ頃の、かの者の徹底した秘密主義を思い出し、ユリウスは内心で苦笑いした。

 事前の予想通り、思う通りには動いてくれない敵だ。だが、彼には打つ手があった。左手を軽く動かすと、複雑怪奇な赤い魔法陣が瞬時にして現れ、瞬く間に宙へと還っていく。

 それからすぐに、街の地面に変化が生じた。街路という街路にほのかな赤い輝線が走っていく。上空で戦う二人の目であれば、街に赤い魔法陣が現れたのを確認できるだろう。

 そして、都市という器に呼応させ、規模を拡大させて使うこの魔法は、ユリウスの代名詞と言えるものだ。彼は戦闘が始まって以来初めて口を開いた。静かな声で問いかける。


「お前は、あの大師なのか?」


 無論、正直に答える相手ではない。かといって、返事代わりに槍を振るうようなかわいげもなく、彼は静かに槍を携えたままだ。

 だが、ここで終わる魔法ではない。あの大師でも、実際にユリウスが使う場面に出くわしたことはなく……虚言を焼き払い、真偽を問いただすこの魔法には、実は続きの成句があった。


「沈黙は否定とみなす」


 すると、口を閉ざし続ける白き天人に、赤い炎がまとわりついた。

 泡膜の守りをも超えて直接その身を害する炎は、実のところ、”大師”を即座に滅するものではない。だが、彼は十分な脅威と捉えたようだ。今度の問いに、彼は閃光のごとき一突きで応じた。

 しかし、ユリウスはそれを剣で容易にいなした。大昔、督戦の長として鳴らし、時には同朋と切り結んだ過去から、戦闘は手慣れたものであった。

 そうした過去の経験がいまだに息づいている感覚を味わい、苦い感慨を覚えながらも、ユリウスは思考を巡らせていく。


 対峙する男の顔は、あの大師よりもずっと若々しい。しかし、どこかそれらしき面影はある。血の気のない、冷たく乾いた印象の顔だ。

 虚偽を焼く魔法の手にかかったことを思えば、彼の自己認識が大師であることは疑いない。その大前提を得て、ユリウスは問いかけを進めた。


「お前にとっては、他の魔人たちもまた、このための踏み台に過ぎなかったのか?」

「……そうだ、と言ったら?」


 大師は槍の連撃を繰り出しつつも、口では変化球を投げてきた。この魔法について、この場で理解しようというのだろうか。認めるようでいて、はぐらかすようにも取れる言葉を口にした彼だが、まとわりつく炎はいまだ消えないでいる。

 この魔法とユリウスは、大師の言を、問いに対する回答とは認めなかった。おそらく、正解は「はい」なのだろう。これまでの経験から、ユリウスはそのように判断した。

 しかし、念のために追加の問いを投げようとするも、大師は別の言葉をねじ込んできた。


「居場所を求め、必死になっているのか?」


 再会して早々、心中を言い当ててきた彼に対し、ユリウスは自嘲も込めた笑みを浮かべて「ああ」と端的に答えた。

 魔人たちが利用されていたとの言質を得れば、少なくともこの件に関しては、生き残りたちにまで嫌疑が及ぶことはないだろう。もとより魔人への追及の姿勢を見せず、事態の改善に邁進した人間社会ではあったが……同族と、彼らを率いるルーシアへの、せめてもの手助けをという考えがあっての問いだ。

 それを、居場所を求めてと言えば、そういう面は確かにある。


 そして、自身に一度火がついたことで、大師は口を働かせ始めた。もともと饒舌な性質ではないが、必要を認めれば口を動かすタイプだ。同じく寡黙なユリウスは、頭の回転では大使に及ばない。息つく間もない槍の乱撃を繰り出しつつ、大師は問いを投げかけた。


「お前はなぜここにいる? 大方、結ばれたあの女への義理を果たそうと、今更ながらに立ち上がったのであろうが」

「……義理じゃない」

「では何だと?」

「彼女が守ろうとして、それが叶わなかった国だ。今度は私の手で守る」

「稚気じみたことを。政略によりあてがわれた女にほだされ、真に受けたとでも?」

「……ああ、そうだ」


 口にしたのが誰であれ、虚偽を見境なく焼いていく魔法の中にあって、ユリウスの身には火の粉一つ生じない。ただただ正直に答える彼に、大使は哀れむような目を向けた。

 一方の大師も、火の手が沈静化した。問答の主導権を握り、問いかける側に回ったことで、魔法の追及から逃れたのだろう。

 しかし、槍撃を打ち払いつつ、再びユリウスが問いかけていく。


「まだ見せていない手はあるか? 沈黙は否定とみなす」


 問いに大師の顔がわずかながら歪む。そして、一度着いた火の手が上がることはない。

 つまり――見せていない手はない。これ以上のものはない。

 だが、軽々しく推断に飛びつくユリウスではなかった。ほんの僅かに強まる攻勢をさばきつつ、彼は尋問の方向性を変えた。


「お前自身について、掴みきれていないものはあるか? 沈黙は否定とみなす」


 当然、大使は答えない。代わりに答えるのは赤い炎だ。

 もしやと考えて投げかけた問いの答えを受け、ユリウスは端正な顔を少し歪めた。今、大師が操る力について、自身でも掌握しきれていない部分がある。

 そのため、問いかけによっては曖昧な部分が生じかねない。ユリウスの経験上、意図的な虚偽に対してしか、魔法は反応しない。あくまで、口にした言葉の真偽を問うものであり、それが真実に沿うかどうかまでは求めない。


 そして……先の質問について答えなかった大使は、ユリウスが事情を悟ったと感づいたようだ。彼にしては珍しく、強い感情をその顔に現せる。

 それは憎悪だった。冷淡な口調はそのままに毒気を盛って、彼はユリウスへ怒気を吐いた。


「人にも魔人にも成り切れぬ半端者が……都合の良い方に転がり込んでは、魔法で以って他者を断ずるとはな。焼かれるべきは、お前自身の生き様ではないか?」

「……そうかもしれないな」


 ユリウスは剣を強く握りしめ、力任せに薙ぎ払った。これまでのやり取りが比にならないほどの閃光がほとばしる。


「真偽を問う魔法など、私には過ぎた力だ。私にそれだけの器などない。しかし……お前相手にこの魔法を使うことに、一切の躊躇ちゅうちょを感じない。覚悟しろ。お前の全てを、白日の下に晒してやる」

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