第642話 「世界が相手だ①」
3月21日。
全世界が空を見上げるこの日、連日のように世を包んでいた、厚い雲の覆いが取り払われた。そうして姿を現したのは、赤紫に染まる空――ではなかった。
空に赤紫の色は、かろうじて感じられる。しかし、それを圧倒的に上回る空の白さが、かつて人類を怖じさせた赤紫を呑み込み、ほんの添加物程度の存在へ追いやっている。
もはや疑いようもなく、空においては奴の力が支配的だ。日付が変わったばかりの時間帯ながら、これまでにない異常事態に、王都も慌ただしくなっている。
しかしそれでも、我を忘れて取り乱すというところまでは行っていない。防御膜へのマナ供給というお役目により、一般市民にも、この状況に抗して戦おうという意識が根付いているのだと思う。衛兵の方々は当然として民間からも、混乱を鎮めようという自発的な動きが、街のそこかしこで見られる。
そうした王都の有り様に励まされるような感慨を抱き、俺は自分の使命を果たそうと転移門へ向かった。
王都の転移門から天文院へ向かうと、総帥閣下がおられる中枢の間には、世界各国から勇士が続々と集まるところだった。
宇宙を思わせる真っ黒なこの大広間の中央には、半透明の大球体が浮かんでいる。この星を模したそれは、地表から少し離れたところが白く厚い霞に覆われている。その厚い霞から外側へ離れたところに、黒い穴と、そこから染み出す赤紫の霞。
つまり、王都から見たように、この星はあの白いのに完全包囲されているってことだ。
今のところ、どこかが攻撃を受けたという報はない。しかし、それも時間の問題といった予感がある。気を揉ませたまま何もせず、この一日を終わらせるという心理戦も、なくはないだろうけど……奴の出方について、平静を保った様子の方々がしきりに言葉を交わされる。
「どう思う?」
「空の見た目を変えるだけでも、十分な労力ではないのか? そうまでしておいて、攻撃を手控えるとも思えないが……」
「というより、仕掛けてほしくはあるな」
「無論!」
いずれ来る決戦のためにと、俺たち人類は急ピッチで備えてきた。
そのうちの一つが、転移門によるマナのネットワークで結ばれた、各都市の防御網。そこへ市民からマナを供給してもらうことで、人類一丸となって空からの攻撃に対抗する。
また、それら都市防御とは対になる物として、奴の分身が襲い掛かって来た時の対策が、この場にある。各国から集まっている、文字通り人類の上澄みの最精鋭向けの装備だ。
まず、各種装備の核となるのは、ウォーレンの研究を端緒とするマナ伝送用の腕輪だ。これを都市の防御網に接続してマナを引っ張ってくる。
そうして各自へ届けられたマナの使い道は、大きく分けて3つ。
まず、奴の槍に対抗するための剣。結局のところ、これは材質的にシビアな要求があり、各国の宝物を原料にして製造する羽目になった。こうして作られた間に合わせの宝剣に大出力のマナを投入し、奴が操るマナの槍に対抗する。
マナの使い道2つ目が、戦闘要員を保護するための
マナの使い道3つ目が、装備者本人で行使する魔法。超大容量の
これらの装備で、奴に立ち向かっていく。ついでに、各戦闘要員には国章が刻まれたマントも。これは士気高揚のためのものだ。
そんな装備を身に着けた方々が、ここにはすでに数十人規模で集まっている。敵は同時攻撃ぐらいできるだろうという見立ての元、こちらはこちらで
空に異常が生じてからしばらく、それ以上の変化は起きなかった。
これ以上何も起きなければ……解決を先延ばしにするだけだろう。こちらとしては、奴に対してカウンターを仕掛けたくある。そういう思惑があり、場には待たされていて、焦れる空気が漂っている。
だから――状況に変化が生じたとき、変な話だけど、「来たか!」という闘志の高まりが確かにあった。総帥閣下が操作される惑星規模の再現器の上で、白く輝く空の層に、少しずつ濃淡が生じていく。
そうした予兆に合わせるように、地表部でも変化が生じる。モニターだけではなく、指示器も兼ねるその球体の中、地表部で輝くマナの網を光が駆け巡る。白い輝きが強まる下では、それに対抗するように、それぞれの都市の光が高まっていく。
こうして空と地上、双方で競い合うように光が強まるのは、見たところ各国の王都・首都ってところだ。「わかりやすい相手で助かる」と誰かが仰って、即座に総帥閣下が「ほんとにね!」と応じられ、場が笑いに包まれた。
……まぁ、笑い事ではないんだけど、そういうのは言いっこなしだ。呑まれた方が負ける。そして、奴は呑まれようがない。だったら、俺たちはせいぜい、笑いながら強気に振る舞うしかない。
そして――ついに攻撃が始まった。球体上で何箇所も白い雨が生じている。俺が足を踏み入れたいくつもの街が、あの恐ろしい槍の雨に打ち付けられている。
外連環からも、そういった報が相次いだ。それでも、落ち着きを保ってもたらされる報告は、向こうも呑まれていないことを物語るものだった。情報伝達を任された方々も、怖気を跳ねのけるように気を持ち、自分の任務を果たそうと懸命になっている。そういった事実に、心強さを覚えた。
攻撃が始まり、誰にとっても歩みの遅い時間が流れていく。何秒経ったかもわからない。このまま耐えてくれと、そう祈るばかりだ。短い爪が食い込む痛みを覚えても、握る拳に入る力は収まらない。
同時攻撃を受けている都市は、20ほど――だった。緩急をつけようという腹積もりだったのか、新たに食指を伸ばされていく都市も。
しかし、総帥閣下はマナの動きを見逃しはしない。「へッタクソめ~」と吐き捨てるようなお言葉の後、奴が示した兆しを軽く追い抜くように、新たな標的らしき都市へとマナを集められる。
そうして、増やされた攻撃対象に対しても、防御膜にマナを集めることで対応していき……球体上でのマナの奔流が落ち着いた。外連環から伝わるのは、「第一波はしのいだ」との報だ。
これで終わりじゃないことは、誰もがわかっている。関係者ばかりではなく、一般市民に至るまでが。
それでも、それぞれの街が第一波を耐えしのいだことに、広間は歓声に沸いた。
そして、ここからは俺たちの出番だ。これまでの推移を喜び、これからへ向けて、戦意を高め合う。
すると、程なくして第二派の兆しを知らせる報が相次いだ。球体のモニターにも、それらしいのがいくつも示される。
奴が降りてくる。世界各地の大都市を単騎で攻め落とさんとして、天人気取りのあの野郎が。
そこで、総帥閣下は国と都市の名前を叫ばれた。
「リーヴェルム共和国首都、クリオグラス!」
「はっ!」
応じられたのは、あの国でもトップクラスの猛者であらせられる、アシュフォード侯だ。総帥閣下が生成された片道の転移門へ、侯爵閣下が歩まれる。
すると、門へ歩まれる閣下の背や頭、尻までもが、各国の戦友の手で遠慮なく叩かれる。俺も遠慮なく背を叩いた。
そして、閣下は軽く手を振り、今や戦場となる故国へと飛んでいかれた。
それからも、総帥閣下が戦場への片道切符を次々切られ、それぞれの戦場へと人類代表の勇士たちが旅立たれる。
しかし、湿っぽい別れの言葉はなどは特にない。
「キツければ、応援送るからね」
「そうならないようにしたいものですが……」
「意地張って死ぬのが一番恥ずかしいぞ~」
……とまぁ、こんな感じだ。
ぶっつけ本番になるのは確かだ。勝てる確証なんてない。しかし、それでも悲壮感をあまり覚えないのは、ここまでともに積み上げてきたもの、多くを託されている自負があるからだろう。この星に生きるみんなの意志が、マナに乗せて託されている。そうした感覚が、俺たちをただ前へ向かせている。
そして……世界各所で奴との交戦が始まる中、俺にも出番が回ってきた。矢筒を背負い、砂漠の国の国宝を携え、転移門の前へ。
現状の同時攻撃は奴の分身のみならず、他の都市への槍の雨も入り混じっている。総帥閣下は「忙しいなあ~!」とこぼすように仰りながらも、的確にマナを融通なさっている。そんな閣下に、俺は「行ってきます」と言った。
「ここから反撃だね。空がどうなるか、こっちも楽しみだよ」
「……ああ、そういうことですか」
閣下が操られている、この星を模した球体に目を向け、閣下が仰ることに合点がいった。目論見がうまくいけば、こっちにそれが表示されるはずだ。
それから、強気な笑みが浮かび上がるのを感じつつ、俺は転移門をくぐった。
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