第641話 「心の核」

 孤児院への挨拶というかお遊びの後、夕方になって俺たち先生は孤児院を後にした。

 夕方といっても、夕日はあまり見かけなくなって久しい。今日も今日とて厚い雲に覆われ、辺りは真っ暗……というわけでもない。街の明かりは力強く灯り、温かな雰囲気を醸し出している。

 街中の往来も、時間帯に比して考えれば結構ある方だ。さすがに、明後日になるとこうもいかないだろうけど。そう考えると、今のうちに……という心理が働いているのかもしれない。

 そんな街並みの中、俺たちは歩を進め、それぞれの家路へと別れていく。


 やがて、俺はアイリスさんと二人きりになった。

 幸いと言うべきか、中央広場から南区にかけては、そんなに明かりが灯っていない。外出には困らない程度の明るさだ。外出している人もそんなにいない。

 おかげで、知り合いに出くわすこともなく、俺たちは南門を抜けるところまでいった。


 王都の内側は雪かきされているけど、さすがに外まではあまり手が及ばないようだ。特に、王都から南へ続く道は、もともとの往来がさほどないせいか、雪が結構積もっている。

 そこで俺たちは空歩エアロステップを使って道を進んだ。

 いや、道って言っていいのか? 下を見ても真っ白で、本来の道が全く見えない。さすがのアイリスさんも、こんなのは初めてのことで、光球ライトボールに照らされた彼女の顔には、ちょっとした困惑が見える。


「まっすぐ帰れなかったら、どうしましょう」

「いや、さすがに大丈夫ですよ」


……とは言ったものの、家に帰るまでの道で迷ったら……ちょっとシャレにならないな、マジで。仕事仲間の連中には、末代まで笑われかねない。そんな懸念が脳裏をかすめ、俺も思わず身構えてしまった。


 そこで俺たちは、道が見えないのをいいことに、俺たちはまっさらな雪原の上を文字通りまっすぐ進んだ。道なりを再現しようとすれば、逆に変なところで曲がりかねない。

 そして、可動型と追随型を合わせた光球を用意。こいつを前方へだいぶ離した上で、位置関係を維持して追随させれば、前方の視界をだいぶ確保できる。


 そんな工夫の甲斐あってか、慣れない環境下ながらも、どうにかお屋敷が見えてきた。二人でホッと胸を撫で下ろし、顔が合って妙な笑みがこぼれる。まったく、雪のせいでとんでもないことになるところだった。

 久しぶりのお屋敷の庭は、もしかしたらと思ったけど、雪で真っ白だった。さすがのマリーさんも、こんな雪の中じゃ手入れなんてやってられないか。花が咲き誇る季節でもないし。

 ここへ来るときは庭で作業をしていることが結構ある彼女も、こんな雪の中では外に出ていない――お屋敷の入り口の扉を開けっ放しにして、彼女は安楽イスを揺らしながら読書している。

 俺たちを待っていてくれたのだとは思う。しかし、単に待つでもなく普通にくつろいでいるその姿は、なんともマイベースだ。

 ただ、そんな彼女も、俺たちの帰還に気づくとこちらへ駆け出してきた。そして、さっぱりした様子で話しかけてくる。


「おかえりなさい。もしかしたら、道に迷ってるかもと、心配で心配で」

「……ふ~ん」


 さっきまでゆったりムードだったマリーさん相手に、アイリスさんは冷ややかな目を向けている。外じゃまずお目にかけない表情だ。

 それから俺たちは、外の寒さに押されるようにして、そそくさと屋敷の中へ入り込んだ。夕食の準備はすでにできているそうで、夕食前のお呼び出しも特にないとのこと。

 案内されるままに食堂へ向かうと、閣下と奥様が席についていらっしゃった。


「ご無沙汰しております」

「ああ。元気そうで何よりだ」

「とても忙しいって聞いてたけど、ちゃんと食べてる?」

「はい。それが一番の楽しみですし」


 実際、各国を巡る忙しい毎日の中、様々な国の料理を味わえるのは役得だった。忙しいながらもエンジョイできている俺に、ご夫妻は柔らかな表情を向けてくださる。

 今日食卓を囲むのは5人で、レティシアさんはいない。というのも、さすがにこんな状況だからと、一時的に実家へ帰宅しているからだ。内乱に関わったという理由で、レティシアさんが属する侯爵家から追放されることとなった前当主閣下も、恩情によって内密にご帰宅なさっているとのことだ。

 一時的な再会に過ぎないとは思うけど……せめて安らかなひとときを過ごしてもらえればと思う。そんなことを考えていると、奥様に声を掛けられた。


「アンニュイな顔して、何考えてたの?」

「いえ、レティシアさんのご実家のことを……」

「なるようになるとは思うけど」


 奥様はあっけらかんとした感じでロを開かれ、閣下はそれとなく視線をそらしておられる。あ~……何かあるんだ。聞いちゃまずいだろうから掘らないでおくけど。

 それからすぐ、沈黙に割り込むようにマリーさんが配膳を始めた。今日の夕食は、丸っこいパンにサラダ、それと具沢山のボタージュだ。ふんわりと香ばしく、かすかに甘い香りが漂ってくる。色々な国の飯を楽しみにしていたものの……やっぱり、この家の料理が一番かもしれない。

――ああ、いや、この家の料理も二番目か。俺の中の一番はハッキリしている。



 和やかなタ食も、気がつけばあっという間に終わった。

 これから、ご一家全員で王都に向かう。あの王都も攻撃を受けるという前提の元、現場入りするためだ。閣下は国防関係に関わられる立場であらせられるし、奥様は……万一のために、治療関係の要員として控えていただくことになる。割と何でも如才なくこなすマリーさんは、ギルドから呼ばれているそうだ。

 それで、お三方は家を離れられる直前ということで、身支度の最終確認へと向かわれた。食卓に残ったのは、俺とアイリスさんだけ。

 しかし……最初に席を立たれた閣下は、本当にそういう確認目的で離席されたようだったけど……奥様とマリーさんは、示し合わせてみたいな雰囲気があったように思う。

 いや、自意識過剰か? 少しずつ心拍が高鳴るのを抑えようと、俺は何もない壁をぼんやり見つめた。それでも、何とも言えない磁力を感じて、つい視線を動かしてしまう。

 すると、アイリスさんが俺の方をじっと見ていた。何か言いたそうな、そうでもないような……少しまごまごした様子でいる。頬は少し朱に染まっていて……。

 何か話したいな。そう思い足った俺は、ほんの少し考えてから彼女に打診してみた。


「屋根の上で何か話しませんか?」

「や、屋根の上ですか?」

「さすがに、そこまでは聞き耳立てに来られないと思いますし」


 まぁ、あのおニ人は盗み聞きするようなタイプではないとは思うけど……ちょっとジョークのつもりで持ち掛けてみると、彼女は含み笑いを漏らして応諾した。


「たまにはそういうのも、いいかもしれませんね」

「じゃ、出ましょうか」

「ええ」


 そうして俺たちは、しっかり着込んで外に出た。

 しかし……屋根の上でと持ち掛けたものの、積もる雪には辟易へきえきして、さっそく後悔した。まったく、暦の上では春だってのに。ちゃんと座って話したいけど、雪の上ってのも考えものだ。

 ただ、幸いにも、屋根の上の積雪はそれほどでもなかった。下の安全を確認してから、俺たちは適当に雪を下ろして座る場所を確保した。


 二人で並んで腰を落ち着ける。周囲は真っ暗で、明かりは自前の光球だけ。ぼんやりした明かりが闇の中で、俺たちだけを浮かび上がらせる。こんな空の下だけど、最大限に好意的に考えれば、ムードがないこともない。

 それで……少しの間、二人で無言になった。誘ったのはいいものの、何を話そうか、まったく考えてなかった。まぁ、気が向くままに話せばいいか……。

 などと思っていると、彼女が先に口を開いた。


「二人でお話しするの、本当に久しぶり……普段はあんなに一緒に動いていたのに、言葉を交わす機会だけはあまりなくって」

「それでも、一緒に頑張ってる感があって、それはそれでって感じでしたけど」

「……私は、少し距離を感じちゃったりして」


 つぶやくように話す彼女にドキッとして顔を向けると、切なそうに聞こえた言葉とは裏腹に、「してやったりと」言わんばかりの笑みを浮かべる彼女がいた。なんというか、釣られた感がある。


「まったく……」

「でも、距離感みたいなものがあったのは、本当ですよ? 前向きな意味での、ですけど」

「いい意味での距離感?」

「リッツさんが加わっていた研究開発班の話が、本当に専門的で……いつの間にか遠くに行っちゃったんだなあ、って」


 遠くを眺めながら言った彼女は、それから微笑を向けてきた。


「でも、それがなんだか嬉しくって」

「ま、先生のおかげですね」

「でしょう?」


 そう言ってニッコリ微笑む彼女を、本当に愛らしく思う。

 しかし……彼女は急に表情を引き締めて、俺に話しかけてきた。


「忙しい毎日ですけど、リッツさんは本当に精力的に動いていて……」

「そう見えます?」

「ええ……その気力は、どこから来てるんですか?」


 最近、割とよく聞かれることだ。俺自身、そのエネルギーの源泉をイマイチつかめないでいたように思うけど……こんな色気も面白みもない空の下で、久しぶりに二人きりになり、ようやく自分の根底が理解できた。


「笑わずに聞いてくださいよ」

「そう言われると、逆に興味深いですね……」

「……あなたと一緒に、きちんとデートしたくて頑張ってるんだって、今わかりました」


 言い切ると、彼女は真顔で固まった。頬が上気してきている。そんな彼女をかわいらしく思うと同時に、もう少し反応を見てみたいという、少し人の悪い好奇心も湧いてきて、俺は言葉を重ねた。


「世界中どこへ行っても奴の手の上って考えると、おちおちデートもできないじゃないですか。やっぱり、憂いをきれいさっぱり消した上で、きちんと交際したいなと。あ~、世間一般に認めさせるのが先ですけど」

「も、もう十分です……」


 闇の中に照らし出された彼女の顔は、この寒さの中でも朱に染まりきっていて……しかし、かなり恥ずかしそうにしながらも、俺からは目を外していない。見ていると、ドキドキがこちらにも伝染してくる。そして……。


「手でもつなぎます? 今まで我慢してましたけど」

「……たまには、いいですよね?」


 ちゃんと結ばれるまではと、スキンシップは避けてきた俺たちだけど、たまにはいいだろう。明後日どうなるかわからないし。

――ああ、いや、どうなるかわからない明後日をどうにかするため、今は手をつなぐんだ。勇気と気力を補充するわけだ。すでに満杯って気もするけど。

 心の中で色々言い訳を並べ立てつつ、俺は手袋を取った。そして、いつぶりかわからないぐらい久々に、彼女の素肌に触れる。


「……思ってたほど、温かいものでも……」

「……も~、そんなこと言って」


 言いながら、彼女は俺の頬をつまんでくる。


「今日のリッツさん、ちょっと意地悪じゃありません?」

「……お話するの久々で、舞い上がってます、たぶん」

「……ふふっ、かわいいところあるんですから」

「鏡でも見たら?」

「……もう!」


 深く考えずに口走ると、彼女は笑いながらもふくれっ面になって……。

 やっぱり、さっき告げた言葉が俺の真実だ。きちんと結ばれたい。まともな空の下で、デートしたい。


 この子との未来がほしい。

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