第639話 「世界を一つに⑤」

 2月22日。リーヴェルムの首都にある官庁や工廠の地下は、最近ではレジスタンスの秘密基地じみた様相になっている。世界各国の関係者が詰めかけ、外連環エクスブレスでしきりに連絡を取り合い、情報がめまぐるしく飛び交う。

 そんな工廠地下の射撃演習場にいる俺は、ナーシアス殿下と久々にお会いした。

 そして、殿下の右手に握られているのは、王家に代々伝わるという国宝の弓だ。とはいえ、殿下に言わせれば「大昔の量産品みたいだけどね」とのこと。近年、遺跡から同等品がいくつも出土したとか、そういう話だ。

 しかし、仮に大昔は量産品だったとしても、今では大変に貴重な品だ。満足に再現できるわけじゃない。かの国においては、この弓を儀式の際の雲除けに用いてきたそうだ。


「太陽をまつる国だからさ、儀式のときに曇ってると困るんだ。だから、そういう時はこの弓で晴れ間を作っていたらしくて」

「雲が去るのですか?」

「あくまで、晴れ間ができるぐらいかな。それでも、奇跡みたいなものだと思うけど」


 殿下が仰るとおりだ。規模の大小があろうと、人の手で天気に干渉できるのなら、人知を超えた力と技術の産物だろう。にわかには信じがたい話だ。

 ただ、実際には長いこと使われてこなかったそうだ。先々代あたりから今まで、使用記録がないのだとか。というのも、雲が出るのも結局は天意であって、人の手でそれを変えようというのは、あまりにも不遜であると。

 逆に言えば、昔の人々は空をあがめる心は持ちつつも、それを意のままにすることには抵抗を覚えなかったようだ。というより、空を操って見せることで、王権というものを誇示して見せたのか……? いずれにしても、時代とともに意識は変わるものだと思わされる。

 現世では使われなくなったというその弓だけど、過去に使われたことは、考古学に通暁したティナさんも認めた。


「そういった祭祀についての文献は、いくつか発見されておりますわ。悪天を避けるために現代では日程を順延させる儀式も、昔は日程そのままで実施していたようですわね」

「まぁ、そうやって見せつけてたんじゃないかな。それに比べれば、僕らみたいな今の世代は、だいぶ慎ましくなったと思うよ」


 冗談めかして仰る殿下は、かねてよりのイメージ通りに明るく振舞っておられる。

 あの国の王都は大変なことになってしまった。防御膜は復旧したものの、都市自体はまだまだ復興の真っ只中にある。そんな厳しい状況だけど、展開された防御膜の下で、あの国の方々はかつての生活を取り戻そうという努力を積み重ねつつ、空への反抗の機をうかがっているという。

 そして、その代表として、殿下がこちらに来られているってわけだ。


 殿下がお持ちになられた弓は、実際には矢とセットで使う。それも、専用の矢だ。ティナさんみたいな考古学者、工廠の専門家たち、そしてアーチェさんに言わせれば、矢の方にこそ国宝としての神髄がある可能性が高いという。

 まず、アル・シャーディーンからお越しの、祭司長のお方が口を開かれる。


「使われなくなって久しい祭器ですが、必要を認められた際には、矢に対して専用の儀式を施します」

「矢の方に、ですか?」

「はい。それにより、雲を払うための力を矢に与えるのだろうと」


 ただ、その辺りの真実については、正確には伝わっていないそうだ。真相がわからないながらも、形式的に作法が伝わっているという感じらしい。

 しかし、これだけ多方面の人材が集まれば……おぼろげながらも徐々に実際のところがつかめてくる。明らかに部外秘と思われる、儀式作法についての書物が提示され、それをそれぞれの道のエキスパートたちが食い入るように見つめる。


「……儀式というのは、矢に魔法陣を植え付けるためのもののようですね。魔道具を作る工程で言えば、刻み込む段階に近いでしょうか」

「青いマナに反応する魔法陣を、矢に植え付けているのでは?」

「なるほど。それで、雲の中にある青いマナに反応させ、そこで効果を発揮しようと」


……と、それぞれの方が自身の専門の見地から盛んに言葉を交わし合い、国宝の謎について少しずつ解き明かしていく。

 そんな中で一つ気になったのは、こういう議論によって、国宝としての神秘性が失われるのではないかということだ。しかし、一番気にするであろうお立場の司祭長の方は、むしろこうした議論について好意的に捉えておられるようだ。


「たとえ神秘性が損なわれ、国宝から単なる道具の座に落ちたとしても、この空を取り戻す試みの一助になれたのなら……後世に語り継ぐべき今という物語の一部として、永遠の生を得ることでしょう」


 職業柄か、あるいはご本人の人柄が為せる業か。ともあれ、血が通った託宣みたいな、ありがたいお言葉での後押しを受け、弓矢についての分析が進んでいく。


 そうして詳細を突き止めようという班とは別に、実際に弓矢を使ってみようという班も。俺はそちらに加わった。

 国宝と認定されていた物がいくつも出土されたということで、ここにも複数個の弓がある。そのうちの一つを貸し与えられたのは、セレナだ。

 地下探索で各国を巡ってその腕を披露していたおかげで、もはや国際的に通用する射手となっている彼女は、それでもやっぱり控えめだ。国宝を手渡されたとあって、かなり硬い表情になっている。


「わ、私なんかが、よろしいのでしょうか?」

「僕は構わないけどなぁ……」

「ええ、問題ありません」


 殿下も祭司長さんも、他国の人間の手に国宝を委ねることに、一切の抵抗感を示されない。国宝と思っていたものがいくつも出てきたということで、こだわりがなくなったのかもしれない。

 ただまぁ……ご本人の気質として、リアリストなのか、あるいは単におおらかなだけって雰囲気もあるけど。

 すると、殿下がセレナを励ますように仰った。


「歴代の使い手は、特に優れた弓使いって記述がなくって。むしろ、こういう場でしか弓を使わなかったみたいなんだ。弓は飛距離を出すための魔道具で、雲にまで矢を届かせるのに、特別な技量はいらなかったらしい。もしかすると、まともな射手は君が初めてかも」

「お、恐れ多いです……」

「ま、気楽に構えてよ。きっと、この弓にとっても、君に使ってもらえるのは名誉なことだと思うよ」


 そこまで言われると、セレナとしても引き下がれないだろう。この上ない称賛を受け、彼女は託された弓をじっと見つめた後、しっかりとした口調で「使わせていただきます」と言った。

 意志が定まった彼女に、アル・シャーディーンからのお二方は、優しく微笑んでうなずかれる。そして、殿下がセレナに助言を一つ。


「文献によれば、矢は真っ直ぐ飛ぶらしくて。弓なりにはならないから、そこは注意してね」

「は、はい」


 この助言に対し、セレナは逆に戸惑いを見せた。完全に真っ直ぐ飛ぶ弓矢なら、扱いやすそうなものだけど……普通の弓矢に慣れ親しんでいる彼女からすれば、違和感しかないだろう。

 ただ、一度決めたことを翻すこともなく、彼女はほんの少しして落ち着きを取り戻した。今いるのは、弓を手にしたいつもの彼女だ。


 それから実験の準備が始まった。弓はともかく、矢は現代に製法が伝わっていて、儀式まで済んだものが大量に用意されている。

 そして、セレナに狙ってもらう的というのは、青色の光球ライトボールだ。魔道具の専門家たちの意見では、矢に刻まれた力は青いマナに反応して効果を発揮するだろうとの見立てがあり、それを実際にやってみようというわけだ。

 この見立てが正しければ、矢か光球のどちらか、あるいは両方に何らかの反応が見られるはず。あてが外れれば、矢が光球を素通りして終わりだ。


 準備が整い、物静かな彼女が構えを取ると、周囲も水を打ったように静まり返った。弓矢の構造について議論していた方々も、今はセレナの方に目を奪われている。

 そうして大勢の注目を浴びるも、セレナの構えは微動だにしない。あたかも人が変わったように、達人の眼差しになって、彼女は的に相対している。


 それから、彼女は矢を放ち、当たり前のように青い光球の正中を射貫いて――矢と球の両方が消失した。主に研究班の方から大きなどよめきが生じる。コレは……もしかすると、白いマナに反応するようにできれば、それだけで奴を消滅させられるのでは? そんな声も上がる。

 ただ……殿下は、そういった楽観的な意見が広がる前に制された。


「文献においては、あくまで晴れ間を作る程度という記述だった。この矢のままでは、望むほどの効果にはならないだろうね。そこを、現代の知恵でどうにかしようってわけだけど……」


 そこで、出番がやってきたのが、俺や魔法庁の方々を含む設計班だ。空を覆う奴に対し、打ち込むべき魔法を模索する。

 各国からお越しの魔法庁の方々は、老若男女入り交じる感じで、幅広く人材を集めたという印象だ。立場のある方々が各種権限を行使しつつ、新進気鋭の若者に意見を戦わせるという考えで、こうなっているらしい。

 で……俺が天文院総帥閣下とお話した、複製術を無制限にバラまくという骨子の部分については、皆様方の了解――というか覚悟――ができているようだ。


「手をこまねいていては、守るべき法も無意味になるかも知れません」

「国際的な案件でもありますし、やむを得ますまい」


 とは言いつつ、皆様方は及び腰とか仕方なくとか、そういう感じはあまりない。むしろ、ちょっとばかり前のめり感があるというか……。

 その点について尋ねてみると、長官クラスの方々は互いに顔を向けあった後、表情を綻ばせられた。その内のお一人が仰る。


「正直に申し上げますと、血が騒ぐ物はありますな」

「何分、現場から離れて久しいもので」

「それに……魔人との戦いにおいても、我々のような層は、見送ることしかできませんでした」


 そうして少しばかり場がしんみりしたものの、検討が始まると、そんなのはどこかへ吹っ飛んでしまった。文字通り、吹っ切れたというべきか。皆様方の知識量、弁舌、熱意に圧されそうになりながらも、俺は食らいついていく。

 そして、皆様方の方からは、期待や敬意のような感情がこもった目を向けられた。俺が、複製術の実地利用における第一人者というのは、この魔法における法曹界では知れたことらしい。

 だから……圧倒される側に収まっていては、示しがつかない。そもそも、今回の集まりは、俺が発起人みたいなものだし。皆様方、特に上の世代の方々の、予想外のバイタリティを目の当たりにし、俺は闘志を新たにした。

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