第635話 「世界を一つに①」
とりあえず戦闘は終了したようだ。周囲に不穏な気配はないし、街を覆う防御膜にも、その奥の雪雲にも、目につく不審点は見当たらない。
しかし、決して全てが終わったというわけじゃない。こんなご挨拶でくたばるような奴じゃないだろう。厚い雲の覆いの向こうに、奴の本体か何かが、きっとある。
死にものぐるいの一戦を切り抜けた後ながら、思考は早くも別の方へと向かった。ここが失陥しなかったからって、別の場所が狙われてるんじゃないか? あるいは、また新機軸な攻め方を模索されるんじゃ?
ただ、そうした懸念を抱かれる方が多いのだろう。歓喜に沸く周囲には、俺がいちいち進言申し上げるまでもなく、外部と連絡を取り合っている方も見受けられる。
そうして考え事をしながら周囲を見ていると、血相を変えて駆け寄ってくるあの子に気づいて、ドキッとしてしまった。ああ……ものすごく心配させてしまったことだろう。
予感に違わず、俺の傍に膝をついた彼女は、開口一番に俺を気遣ってきた。
「リッツさん! お怪我は!?」
「大丈夫ですよ、大丈夫、ホント」
強いて言えば、気を張り過ぎて気疲れしたぐらいか。それに……奴にかかりきりになっておいてなんだけど、俺も俺でこの子が負傷していないか心配だった。奴との交戦直前、重大な負傷者はなさそうだと判断していたけども……。
結局、俺の心配も杞憂に終わり、彼女は特に負傷もなかったようでピンピンしている。そんな無事な姿と彼女の顔を見て、急に安らぎつつある自分を感じた。そして、そんな自分の現金さと使い勝手に、我ながら少し呆れるものを覚えつつ、俺は彼女に心からの笑顔を向けた。
すると、彼女は安堵のため息を漏らした。それから、悔しそうな、あるいは申し訳なさそうな苦渋の表情になっていく。
「ごめんなさい。加勢もせず、見守るばかりになってしまって」
「いや、わかってますよ。囮は一方面に限定したい状況でしたし」
さっきの戦いでは、主力は明らかに銃撃で、それを少数の魔法使いが補佐する形で攻撃を仕掛けていた。つまり、飛び道具主体だ。
そして、接近戦による普通の攻撃が通用するとは、とてもじゃないけど考えられない状況だった。なにしろ、槍の一振りでそこら中が、振るわれた一撃そのままに切り刻まれているだから。こちらから振るった武器が通用せず、逆に打ち倒される様は容易に想像できる。いや、倒れる体が残されるかどうかってレベルか。
だから、そんな接近戦を敢行するよりは、囮を一人だけに留めて誤射のリスクを減らし、火線で囲んでやる方が合理的だ。また、誤射を避けつつ囮を固めたのでは、互いの動きが邪魔になりかねない。囮に就く奴が殺されそうもない奴であれば、一人で動かしてやった方がいい。
そういうわけで、先の戦闘における、その場の即興の流れは、戦術として妥当なものだったと思う。
まぁ、そんなことは彼女も百も承知だろう。しかし、理性が納得しても、心情が完全に寄り添えるわけじゃなく、そういうのは俺にもよくわかることだった。安心と悔恨と、他にも色々割り切れない感情入り混じる表情の彼女を見ていると……こっちも色々な感情が沸き起こってくる。
一歩間違えれば死んでたかもしれない。そう思うとなおさらだった。泣かせるようなことにならなくて、本当に良かった。
こうしてほんのわずかな間、言葉もなく浸っていたけど、この状況は俺を放っておきはしない。彼女に続き、「アンダーソン卿!」と呼びかけ、こちらへ駆け寄ってくるお方が。この国の王族の一人、ファミーユ王女殿下だ。
あの大決戦の時から、殿下は俺のことを“卿”という敬称付きでお呼びになられる。そこに意図する変な含みは特にない感じで、強いて言えば敬意や親しみのような感情を込めて、そうお呼びになられている印象だ。
そして、今回の戦いにおいてはアイリスさん同様に、殿下も俺のことを案じてくださっていたようだ。
すると、殿下が俺を呼ばれたことで、アイリスさんは急に我に返ったようになって、もともと良い姿勢を正し始めた。そんな様を愛らしく思いつつ、俺も俺で表情を引き締める。親しく応じてくださるお方とはいえ、他国の王女の御前だ。
しかし、立ち上がろうと動く俺を、殿下はやんわりと手で制してこられた。
「楽にしてください。ああ、いえ、地面が冷えるかもしれません、えっと……」
「このままで失礼します」
少しテンパっていらっしゃるように見える殿下に微笑みを向けると、殿下は申し訳なさそうなお顔で仰った。
「あれだけの働きをしてもらいながら、申し訳ない話ですが……被害状況の検分の後、状況把握と共有のために会議が開かれます。その場に出席をと」
「心得ております。そのために、奴と対峙したようなものですから」
むしろ、休む暇が満足にないほど、間を置かずに会議が開かれる行動の早さには頼もしさを覚える。その場の情報共有で、俺の戦いが少しでもお役に立てるのなら。
☆
どうやら、この街が攻撃されると当て込んで、状況観察にやってこられた方が多かったことが幸いしたらしい。地位と心得のある方々の協力により、ひとまずの状況把握は驚くほど早くに終了した。
戦闘自体はごく短時間の物だった。俺の体感では数十分やりあってた気がするけど、実際にはその十分の一ってところだ。
そして、その短期間のうちに、槍に薙ぎ払われて損傷を受けた建物がいくつか。全壊した物はないけど、一部が崩落した物はある。建物内に配されていた銃士隊員のうち、そうした崩落に巻き込まれ、重傷を負ったという方が数名。
ただ……街全体を狙われた攻撃に対して、この被害状況は、よくしのいだと言える出来だ。負傷を負いながらも戦い続け、奴を追い払う立役者になった銃士隊の方々も、それを大いに認めている。
そうした状況検分が一通り終わったところで、俺は国の大講堂へと招致された。議会を最高意思決定機関とするリーヴェルムの講堂に比しても、まるで見劣りしないくらい、このマスキアの大講堂も立派なものだ。さすが、広大な版図を誇り、列強国筆頭とされる国だけはある。
そんな大講堂には、各国からやってこられた重責ある方々が幾人もおられる。この建物まるごと消し飛んだら、それだけで人類社会がたちいかなくなるんじゃないかというレベルの集いだ。まさか、ここで狙われやしないだろうな……。神出鬼没なあの男の存在に、被害妄想じみた懸念で気を揉んでしまう。
ただ、会議が始まると、そんな不安は頭の片隅へと引っ込んでしまった。こうして俺も席の一つを占めるのだから、話に集中しなければ。
今回の会議は、マスキア王都が――当初の予定通りというべきか――敵の攻撃を受け、それを退けて耐え抜いたことについての、観察と考察を取りまとめるためのものだ。
会議の進行は、今回の事象について時系列を追うように話を進めていく。まずは、空に現れた変化と、その際の攻撃について。これについては、アル・シャーディーンからお越しのナーシアス殿下が、お国を襲った攻撃と相違ないとお認めになった。
「我が国を襲った攻撃も、今回同様に空が白く輝き、そこから槍のようなマナが降り注ぐというものでした。あの攻撃しかできないと見るのは早計かもしれませんが……」
「かといって、攻撃を受けた二都市に対し、加減するのが妥当とは……」
奴がまだ何か隠し持っているのか、ちょっとした議論が始まった。心理的な駆け引きを目論んでいるのなら、攻撃した都市を壊滅にまで持っていくべきだろうとは思うけど、あえて安心させておいて……という見立てもできる。
いずれにせよ、一度防ぎきったからと言って、安心できる状況じゃない。立ち込める暗雲の向こうに秘された意図は、誰にもつかめていない。とりあえず、同時攻撃を受けた様子がないことは確かだけど、それができないとは限らないし……というか、それこそが隠し玉なんじゃないかとも思う。
まぁ、敵の考えが読めないのはともかく、攻撃を防いだというのは事実だ。防御膜の実用性が立証されたわけで、これは多くの民にとって安心感につながる朗報になる。
しかし、防御膜は一度割られかけたように見えた。そう見えた方は多いようで、追い詰められてから持ち直したように見えるとの指摘が入る。
そうして話は、今回の防御膜についてのものへ。会議を取りまとめられるこの国の宰相閣下が、一人の青年の名をお呼びになられた。「ウォーレン・ストラッタ殿」というその名を耳にして、俺は自分の耳を疑いつつ、同席するアイリスさんたちフラウゼからの出席者と目配せしてしまった。
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