第634話 「空が落ちる日⑤」

 殺されかねない攻撃をしのぎ、どうにか今をつなぎとめたことに対して自信と安堵を覚えた一方、胸の奥底に妙な感覚が湧き出したのも感じた。単に歓迎すべき幸運という感じではなく、変な浮遊感がある。実感がわかないというべきか。


――どうして今ので、殺しきれないんだ? 絶好の機会だったろうに。


 しかし、それからも変わりなく続く致命的な攻撃を避け続け、その変わらなさに適応してきた自分に気づき、俺が生き残っている実感がようやく腹に落ちてきた。

 そして、そうなってようやく、奴とこの状況について冷静に受け止められるようになった。目と体は槍撃への対処に集中する中、思考は状況把握と考察へ移行していく。


 あの武器はやはり驚異的だ。触れるものを何の抵抗もなく消滅させる様は、武器というかそういう現象という表現の方が似つかわしいとさえ思う。

 また、あの槍に対して介入を試みようとして意識が飲まれかけた後、自分の意志とは別の何かに接続を寸断される感覚があった。

 その原因は、たぶん、奴を覆う泡膜バブルコートだ。より正確に言えば、再製し続ける泡膜。おそらく、再生術を使っているのだと思う。銃撃で破壊される端から瞬時に再生しているあたり、馬鹿げた量のマナを常時突っ込んでいるようだ。

 それで、泡膜が再生するタイミングで、俺が槍へと伸ばしたマナの線に干渉し、接続が邪魔されたのだと思う。消したい魔法に対する干渉に割って入られ、対象をそっちに取られたという感じが。意識を飲まれかけ、集中が途切れたのもあると思う。


 ただ、奴があの泡膜をどういうつもりで使っているのかは不明だ。さっきの俺みたいな干渉を防ぐ用途であれば、確かに良くできていると認めざるを得ない。

 しかし、あれだけの力の塊が、そうそう干渉を許すとは考えにくい。少なくとも、俺では干渉して消滅させるのは不可能だ。それに、つないだところで逆に意識を奪われかねないし、そうなった時に接続を泡膜で中断するのは、むしろ助け舟を出すのに等しい。だから、あえてその目的で泡膜を使う意味は薄いと思う。

 となると、あの泡膜は本来の用途で使っているのではないかと思う。間断なく続く攻撃の雨あられに、さすがの再生速度も追い付かず、奴は相当数の直撃を受けている。それでもまだ平気なあたり、あまり攻撃が効いていないようにも感じられるけど……全く効いてないってことはないだろう。

 そして、直撃をもらってマナの体が損耗するよりは、泡膜で相殺する方が収支上有利なんじゃないか。


 ただ、実態がどうであれ、確かに言えることはある。まず、奴は俺たちでは足下に及ばないほどの力を持っている。超常現象のカそのものといっていい。

 そしてもう一つ。それだけの力を持ちながら、俺を殺せていない。

 仮に、同じ力を持ったのが俺の知り合いにいたとして、本気の殺し合いになれば……もっとうまくやれそうな人はいくらでもいる。見る者を怖じさせる槍の一撃も、目と心が慣れれば、油断こそならないものの、どうということはない。

 端的に言えば……奴は一介の戦士としては二流もいいとこだ。俺よりもヘタクソなのではないかと思う。技巧を磨く必要がないからこそ、そうなっているのかもしれない。

 まぁ、魔法使いとしてはとてもかなわない。それは事実だけど、奴の力はきっと、世界中から奪い取ってきたものだ。世界中から陽の光を奪ってお寒くした上で、奴は奪った物を使って攻撃を仕掛けてきているのだと思う。街を襲った槍の雨と、いま手にしているあの槍で。

 そうした推測に確証がないことを重々承知しつつも、腹立たしい気持ちは抑えられない。一方で、これだけの力を持ちながら、俺一人殺せないでいる奴に対し、「なにやってんだ……」という気持ちも。

 気が付けば俺の口が動いていた。


「こんなド平民にかかりきりになって、恥ずかしくないのか?」


 返事はない。当たり前か。変事の代わりか、目に慣れ切った槍撃が襲ってくる。どうということはない。それをかいくぐり、俺は言葉を続けた。


「いつぞやと立場が逆転したな。許しがたい相手ができた気分はどうだ? 俺はちゃんとやり遂げたぞ」

「お前の中では、あの程度がやり遂げた内に入るのか?」


 奴が口にしたのが、ブラフの出まかせって感じはしない。きっと、あの場で完全に殺しきれず、その上こうした事態の引き金になったことをくさして、口にした言葉なのだろう。おかげでそれが、改めての自己紹介になった。

――こいつは大師だ。直感的に感じ取っていた因縁に言質のようなものも得て、血が熱くなる。


 しかし……奴の正体だかなんだかが本当に大師だとして、世界各国を策謀で苦しめたあの野郎が、こんな実を結ばない力押しに興じるものだろうか?

 いや、むしろ……それこそが目的だったのか? 前々から、こういう力だけで相手を圧倒したかったとか?

 こんなことだけが目的の全てとは思えないけど、目論見の一部としてはあり得るかもしれないと思った。RPGとかで最強データを作るノリに近い。最終段階まで積み上げていく過程は慎重で綿密でも、到達してしまえば、後は単なるパワープレイだ。

 そして、今の奴がやっているのは、まさにそのパワープレイそのものだ。残機無限と思わせるほどの耐久力に、チートじみた即死武器。追いついていないのは使い手のスキルだけ。まぁ、こっちはこっちで異刻インチキしてるけども……。


 本当に、何考えてんだ?


 かつて同僚であらせられた、ユリウスさんもウィンストン卿も、奴の胸中までは把握しきれないとのことだった。結局、奴が何を考えているのか、誰にもわかりはしない。まかり間違って奴がそれを口にしたとしても、誰も理解できないかもしれない。


 奴の思考をたどろうとして、逆に袋小路に入りそうな直観を得た俺は、雑念を振り切って今に集中した。リーフエッジを抜き放って正眼に構える。これで殺せるとは思わない。ただ、今後のために必要な情報はいくらでも欲しい。

 そして、迫りくる槍の一撃を足でかわしつつ、俺はその穂先を剣で打ち払おうとした。互いの武器がギリギリ触れ合う距離感の中、剣を構えた手に、ほんのかすかに反発の感触がある。

 あの槍の力の前に、物質的な実体は抹消され続けた。しかし、マナを通した物体であれば……その威力次第では打ち合えるかもしれない。

 もっとも、俺では力不足だ。触れ合う刃先で、俺の側だけからマナが蒸発していき、青緑の薄い煙が立ち上る。俺程度のマナの力では、この槍とまともに打ち合えない。

 しかし、生半可なマナではとても太刀打ちできないだろうけど、注ぎ込むマナをどうにか強めることができれば――使い手次第では、コイツとまともにやり合えるんじゃないか?

 いや、武装の面でさえ対等にできれば、むしろ人類有利といえるかもしれない。コイツの腕前はさほどでもない。コイツの本質は、大局を操る戦略家であって、こういう小競り合いなんかは専門外なんだろう。


 それからも俺は、迫る槍の乱撃を、避けてかわして受け流し続けた。石畳のいたる所に、槍の軌跡そのままの傷跡が刻まれている。

 依然として俺の不利は動かない。一方で、奴は世界各国を揺るがすだけの力がある。それでも、全能じゃないんだ。

 死線の上での立ち回りを続け、少しずつ敵に対して掴めてくる物がある。とても力が及ぶ相手でもなく、牙城を打ち崩すのは気が遠くなるほどの道のりだろう。それでも、少しずつ近づいている感覚はある。

 アイリスさんを助け出したあの日、途方もなく感じた報復の道も、俺はどうにか踏破してみせた。その時はすんでのところで奴を取り逃してしまったけど、それでもたどりついたんだ。今回だって変わらない。きっとコイツの喉元までくらいついて、いつの日かぶっ倒してやる。


 もっとも……今日のところは、タイムリミットが近いのかもしれない。気が付けば、奴の体が放つ光は、俺の手に宿った色選器カラーセレクタの白光よりも薄まったように感じられる。加速した思考の中、奴へのダメージの目安として、こういう指標になるものを用意するのはいい考えかもしれないと、ふと思った。

 ともあれ、無意味に思われた集中砲火も、実際には効果があったように思われる。諦めずに撃ち続けた方々の、技と努力と献身、それに俺のクソ度胸は、決して無駄ではなかったわけだ。

 そんな変化を俺以外も視認したらしく、広場のあちこちで声が上がり、集中砲火の勢いがさらに増す。

 こうして一度変化が生じ、さらに攻勢に火がついてくると、奴の見た目の変化には弾みがついた。武器の煌々とした輝き、奴を覆い続ける泡膜の見た目は変わらない。ただ、そうした強力な武装を維持し続けるために、奴自身の体をマナとして拠出し続けているのか、白光を放つ体の方は、向こうがほんの少し透けて見えるほどになった。


 そして……ついに、奴の体が消失した。先の体の方が消え、わずかに遅れて、所持者を失った光の槍が粒子となって空へ溶け込んでいく。

 これは死んだふりってわけでもないだろう。他の方々も半信半疑といったようだったけど、数秒しても次なる何かの予兆が見受けられず、控えめな歓声が火種になって、すぐに大きな勝鬨かちどきへと変わった。

 ようやく終わった。そう思った俺は、気が付けばその場にへたり込んでしまった。正直、相手のことを舐め腐ってた部分はあるけど――。


 マジで死ぬかと思った。

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