第633話 「空が落ちる日④」

 異刻ゼノクロックの力を借りて軌道修正しながら、俺は下へと突っ込んでいく。狙いは奴そのものだ。

 見たところ、奴は槍を振り回す以外の攻撃手段を持っていない。槍の他に目立つものは、特に無い。少なくとも今のところはそう見える。それ以外に何かあるのか、あるのなら引き出してみせなければ。

 眼下の戦闘では、正確無比の銃撃も、若干火勢が少し控えめになったように感じられた。奴が陸上部隊に近寄っているせいで、誤射の懸念があるからだろう。身を守れる魔法を使えるのは、人間側でもごく少数。下手に戦力を目減りさせるリスクを負うよりは、陸上部隊が十全に動ける構えを取る方が合理的だ。

 そうして銃火が少し下火になっているのは、俺にとってはありがたいことだった。誤射で迎撃されてはかなわない。


 再突入を敢行して数秒後、加速した思考の中で狙いを定め続け――俺はホウキから手を離した。俺の手を離れたホウキは、勢いが乗った一本の投射体となり、奴の頭上へと襲い掛かる。

 そして、激しい激突音が聞こえた。奴は健在だ。目立った損傷は見受けられない。あのホウキは、奴の体をすり抜けて、地面に直接ぶち当たったようだ。

 つまり……奴の体は、物理的実体を持たない。おそらく、マナの塊に近いものなのだろう。物理的な干渉を行うのは、手にした槍だけのようだ。つまり、普通の武器では殺せない。


 こうして、俺がホウキで粗相したことについて、奴はきちんと認識したようだ。交戦中――とはいえ、接近戦に置いてはこちらが防戦一方――だというのに、そちらを気にすることもなく、俺の方へと目を向けてくる。

 そうした奴の挙動に、様々な感情が胸中に沸き起こる。幸い、恐怖や畏怖は少数派だった。それよりもずっと強い覚悟や使命感、その他諸々の正の感情が俺を突き動かしてくれる。怖気のする寒さを覚えつつも、体は震えることなく、俺の意のままに動く。


 やがて俺が地に足をつけると、それを待っていたといわんばかりに、奴はこちらへ突撃してきた。その様を視界に収めつつ、異刻で状況の把握に移る。

 やはり、手動での魔法的防御は無意味のようだ。短い間の交戦で負傷したと思われる方が数名。目を覆うような大けがではないし、うっすら雪が覆う石畳の上にも、さほどの流血はない。

 一方の奴はと言うと、戦闘開始以来絶え間なく注ぐ銃撃の最中にあって、やはりそれらしい負傷も消耗も見受けられない。

 気になるのは、奴の体を覆うマナの膜の存在だ。銃撃で割られては一瞬で再展開され、また割られて……を繰り返しているのか、ものすごいスピードでまたたいているように見える。

 その正体はさておき、俺は状況を端的に振り返った。戦闘は始まったばかりで、一分も経っていない。数はこちらが圧倒的有利。それに、集まっているのは人類側の超上澄み。

 にもかかわらず、こちらばかりが一方的に手傷を負わされ、奴は無傷。戦況は芳しくない。というか、だいぶ悪いと言っていいだろう。


しかし、絶望感はまったく湧いてこない。きっと、やるべきことがあるからだ。

 奴が携えた光の槍は、触れるもの全てを無に帰すような、莫大な力の圧を感じさせる。神々しさすら覚えるほどだ。それが、ゆったりした時間感覚のなかで少しずつ確実に距離を詰めてくる。一歩誤れば即死だろう。

 そうした状況下でも、身をすくませるほどの恐れはなく、俺は自分の手綱を握れている。いつの間にやらこんなに図太くなった自分に、今は感謝するばかりだ。


 そして――最初の突きがやってきた。目で見切り、足で横に避ける。

 どうも、槍はある程度伸びるようだ。もっとも、あの方々が負傷するぐらいだから、そういう仕掛けは当然あったのだろう。

 そうして最初に思っていたよりも遠い間合いから突いた後、奴は横薙ぎに移行した。放っておけば胴体から両断される。どんな剣よりもよほど恐ろしい攻撃に対し、俺は揚術レビテックス空歩エアロステップ両方の力を使い、後方へ強く跳ね上がって避けた。

 二度の攻撃を回避した俺に、奴はさらに連撃を続ける構えだ。そんな中、広場沿い各所からの銃撃が奴に殺到する。俺なら避けると思ってもらえているのかもしれない。

 そうした攻撃は、俺の目論見にとってもありがたいものだった。突き、薙ぎ、振り下ろし。熱すら感じそうになる煌々とした白光が、俺を消し炭にしようと振るわれる。


 その全てを文字通り命がけで回避していく傍ら、俺は自分と一緒に都市内へ侵入させたドローンを、雪路に紛れさせて少しずつ動かしていった。奴の色が白で助かった。逆に、奴が雪をカモフラージュにしなくて、本当に良かった。

 今にも殺されておかしくない矢面にありながら、これでも最悪には程遠いという認識が芽生え、変な安堵まで湧き出してくる。場違い感のある心の余裕が、なんとも頼もしい。

 そうしてコッソリ動かした魔法陣は今、奴の斜め後方にある。奴の視界の外だし、銃撃が変わらず降り注ぐ中だ。この程度の新手が加わっても、たぶん気にも留めないだろう。

 配置を済ませた遠隔操作の魔法陣に、俺は慎重に自分のマナを注ぎ込んでいく。ガワさえ用意してあれば、都市内部でも魔法を使える。あまり表沙汰にできない手口だ。本当に、ごまかせる色で良かった。

 しかしながら、やっていることは遠隔操作で、しかも負荷の大きい色だ。変に勢いをつければ、思考力が乱されかねない。当たれば死ぬ攻撃の連続をかいくぐりつつ、俺は細心の注意を払って事を進めていく。


 そして、奴の死角に配した魔法陣から、追光線チェイスレイが放たれた。俺自身の回避にも気を配りつつ、異刻の力も借りてで光線を操り、俺は奴の脚を射貫くように操る。

 すると――白色の光線は、確かに奴の体をすり抜けた。

 それだけ確認して、俺は通り抜けた光線を適当な雪の塊にぶつけてかき消し、発射元の魔法陣も消滅させた。

 全身に汗ばむ感じがある。さっきからずっと、死に物狂いで避け続けているからってだけじゃない。俺が放った光線が、奴を覆う泡膜バブルコートらしき物に加え、奴の体まですり抜けた。これが意味すると思われる物に、何とも言えない興奮を覚えている。


 まず、心徹の矢ハートブレイカーでもない魔法がすり抜けたということで、やはり奴の体には物理的実体がないように思われる。

 そして、俺が放った光線は、奴と本当に同色だったようだ。光盾シールドに対して同色のボルトを放てば、互いに干渉することなくすり抜ける。それと同じことが起きたのだと思う。

 依然として、奴の生態というか正体の大半は謎に包まれている。しかしそれでも、その一部をこの手に掴んだ気がする。それに、奴のマナと同じであろう色を俺は知っていて、今まさにこの右手に握っている。そうした事実に、汗握る手が震えた。


 俺の手から出せるマナは、奴と同じ色である可能性が高い。そうとわかれば、やることは一つだ。

――あの槍の中に介入して、抹消できないか? 信じがたい破壊力を持つあの槍も、本質的には騎槍の矢ボルトランスと相違ないもののはずだ。

 そして、奴は都市の防御膜の外にいた時から、あの槍を出しっぱなしにしている。きっと、出しっぱなしだからこそ、都市内部でも機能している。一度魔法陣の記述を乱して消してやれば、王都城壁内部では再展開できないんじゃないか?


 しかし、そういった考察が成り立っても、事に及ぶには相当の勇気を要する。行きつく暇もなく繰り出される連撃は相変わらずで、これをかいくぐっての挙行になるのはもちろんのこと、別の懸念もある。

 あの、破滅的なまでの力の塊に、自分の意志をつなげて干渉できるものだろうか?

 奴が大師本人か、奴が操る分身みたいなものだとして、あんな槍を使えるのは奴が魔人の頂点クラスにあったからだろう。あるいは、そういった領域すらも超越しているからこその、奴だけの武器でさえあるのかもしれない。


 そんな超常の力に俺は結局、ためらう気持ちを振り切って白いマナを伸ばした。

 これが自殺行為かもしれないという予感は確かにあり、念には念をで力の限り、時の流れを遅滞させる。

 すると、濃密な時間の流れの中、全ての動きは蜜漬けのように緩慢としたものになった。俺の指から伸びる白いマナの線もまた、その動きを視認できるほどにゆっくりと伸びていく。


 そして、俺のマナが奴の槍に触れ――全てが白に染まった。膨大な力の海に飛び込み、精神が飲まれて塗り潰される。一瞬の内にそんな感覚に襲われ、俺は本能的にマナのつながりを遮断しようとした。

 ただ、俺側からの意志とはまた別の、何らかの力も加わったようだ。あの槍との接続がぶった切られるような感覚の後に、白塗りの世界から現実へ引き戻され……。

 まさに今、突き殺されかけている自分に気づいた。このままでは、胸の正中から一突きされる。


 しかし、現状を認識しているこの意識の裏で、俺の体と魔法使いとしての本能は、勝手に次の行動を起こしていた。

 体を宙に浮かせるはずの揚術を、俺の無意識は「体を好きな方に動かす」魔法と読み替えたようだ。魔法の力で全身が斜め下に引き寄せられ、こうした動きに並行して上体は反れていく。

 この二つの動きが合わさり、泥みたいにモッタリした時間の中、曇り空を背景に、眼前を光槍が通り抜けていった。どこぞの電脳世界のアンダーソンさんみたいになっている。

 それから、足で宙を蹴りつつ、二つの魔法で体勢を整え元通りに。九死に一生を得た心地で、ドッと汗が噴き出る。


 槍への干渉は実を結ばなかった。とはいえ、それはそれで得た情報もある。その上で死にかけつつも、俺はまだ生きている。コイツとのやり取りにおいては、俺の方が上手を取っている。

 そう思うと、不敵な笑みがこぼれた。

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