第631話 「空が落ちる日②」

 いくつもの目が見守る中、まばゆい白光を放つ空が割れて砕けた。空を覆っていた光が無数の断片になり、槍となってこの街に降り注ぐ。

 ほんの少ししてから、槍が黄色い防御膜に触れた。街を覆う天幕のあちこちで、激しい蒸発音と閃光が生じる。人知を超えた力と力のぶつかり合いだ。とてもこの中に干渉できるものではない。


 それでも俺は、務めを果たそうと空を注視した。

 空の色が違うのは、街の直上を中心とする広範囲だけだ。だいぶ遠くの空は、鈍い灰色のまま。

 また、白い槍は色を変えようともせず、ひたすらに防御膜を打ち付けている。”徳の力”とやらを得て白くなっているというのなら、あの潜入者みたいに別の色へと変化させることも可能なはずだけど、それをしない。その理由や原因までは不明ながら、色を合わせて突破しようという構えではないのは事実だ。

 奴が色を変えられないのか、それをしないだけなのかは、今後の検証が必要だろうけど。


 しかし、いつまでも観察を続けられるものではないのかもしれない。降り注ぐ槍の雨は一向にやむ気配がなく、一方で防御膜の色合いは、揺らぎが生じてきているように見える。空の白さに飲まれるように、街を覆う黄色の膜のそこかしこで、薄くなっている部分が見受けられる。

――耐えきれず、打ち破られるんじゃないか。

 周囲からは悲鳴も怒号も上がらない。破滅がそこまで迫っているようだけど、街中が必死にこらえているようだった。

 でも、このままでは……この寒さの中、俺は前身に嫌な汗をかく感じを覚えた。


 まともな時間感覚がない自覚はあるけど、攻勢が始まってから、たぶん一分ぐらい経っただろうか。

 空からの攻撃は止まる様子がなく、怒涛この攻撃を打ち付けられる防御膜には、見る者を心配にさせる濃淡が現れている。その薄い箇所は、まさに防御が崩されて決壊する、その前兆のように見えた。

 しかし、言葉もなく見守る俺たちの心配をよそに、防御膜は崩れることなく持ちこたえている。

 いや、そればかりか――出現当初の色を取り戻し、やがてそれ以上の濃い黄色の輝きを放つに至った。見た目の濃淡が防御に関わるのであれば、今は復旧当初よりも守りが硬くなり、つまりは回復したように思われる。相変わらず、槍の雨は止まる気配を見せないというのに。

 いつまでも続くように思われる、音と光の嵐が頭上に荒れ狂う中、俺たちがいる地上では、妙な安堵が広がっていく。やり過ごしたと言うには早すぎるけど、これなら持ちこたえられるんじゃないかと。


 すると、街路の向こうから騒がしい声が聞こえた。そちらに目を向けると、俺たちがいる中央広場へと、駆けながら声を上げている集団がいた。その先頭を進む青年に、俺は見覚えがある。


「ようリッツ!」

「ウォーレン!」


 その一団は、関連諸国から集まった工廠職員といった感じの集まりだった。彼らは頭上の恐ろしさに身をすくませるでもなく、逆に揚々とした様子でそれを眺めた。その様子を見て、俺の中で一つひらめくものが。


「もしかして、前もって何かやったから、こうやって耐えられているのか?」

「もっちろん!」


 ウォーレンは胸を張って答え、彼の同僚たちも誇らしそうにしている。空の脅威は去っていない中、非戦闘員の彼らは強い闘志みなぎる顔で空をにらみつけた。その内の一人から声が上がる。


「はは、ザマアミロって感じだぜ」

「おととい来やがれってんだ、ははは」


 勝ち誇りと義憤入り交じる喚声の大合唱は、彼ら工廠職員から広場中に伝播していき、やがてそれは街路を通じて街中へと広がっていくようにも感じた。心臓から熱い血が拍出されるように。

 そうして、この王都に闘争心の叫びがこだまするようになってから少しして、空の様子が少しずつ落ち着き始めた。降り注ぐ光の槍が次第に減っていき、やがて完全に降らなくなった。


 乗り越えたと考えて歓喜の声を上げる奴もいる。一方、俺みたいに、まだ何かあるんじゃないかと警戒心顕に身構える姿も。どちらかというと、そっちの慎重派の方が多い。勝ち誇れないのはスッキリしないけど、同じ気持ちの方が多いであろうという感じには、少し励まされる。

 空の様子は、防御膜を展開する以前と似たような感じだ。重苦しい雪雲が上空を埋め尽くしている。この街を脅かしたマナの光は、すでにどこかへ去ったのか、あるいは使い果たしたように見受けられるけど。

 俺は役回りの事もあり、大人しくなったように見えても空を見つめ続けた。すると、横の方から会話が聞こえた。


「工廠の方で、何やったんだ?」

「あ~、実は内緒でな。国際的な機密というか……」

「どこぞのリッツさんみたいなこと言いやがってー」


 わざわざ俺に聞こえるように話しているようで、俺は顔も合わせず苦笑いしてやった。

 ウォーレンたちが何をやっていたのかは気にかかるところだけど……機会があれば教えてもらえるかも知れない。というより、俺はたぶん、そういうのを知らされてもおかしくない側の立場にある。


 そんな事を思いつつ、空を見上げ続けていると――まったく期待なんてしていなかったことだけど――変化が生じた。街の上空を覆う一面の雲に、白い円形の光が生じた。円の外縁部は薄く、中心にいくほど濃い光だ。

 そして、グラデーションを持って光る円の内側へ、光がどんどん収束していく。外から集った光が凝集され、中央にはまばゆい光の光点が。

 こうした変化を受け、こちらの行動は早い。戦えない技師・研究員たちは、何かあってはということで、この街の衛兵の方々に案内されて避難していく。

 去り際、彼らは空に向かって毒づいた。直接戦闘はしないものの、彼なりの戦い方で先の攻撃を耐えしのいでみせた。そんな彼らの素朴な戦意と飾らなさに、余談を許さない状況ながら、ふと笑みが溢れる自分に気づいた。


 その後、上空で輝く白い光が、ほんのわずかにではあるものの、その大きさをゆっくりと増していった。

 いや……光は近づいてきている。先程まで降り注いだ槍の雨と違い、今度の接近には激しさも騒々しさもない。それでも、ただならぬ圧を感じ、周囲も緊迫感に満ちた。

 そして、光点が近づくにつれ、その形状がおぼろげながらにつかめてきた――人型だ。それが妙に横へ広く見えるのは、そいつに翼が生えているから。この世界にも天の遣いという概念があるとして、アレはそれに似せたのだろうか。それとも、ご自分がソレのつもりでいらっしゃるのか。そんな事を思った。


 あれが敵であることに疑いを持つ者は、誰一人としていない。戦闘要員への号令が、落ち着きを保った鋭さで放たれ、機敏に迎撃準備が整っていく。

 一方、現地で観察・確認のためにいらした、非戦闘員で立場もある方々は、部下らしき方の必死の懇願を受けて退散されることに。そうした方々が、立ち去り際に俺へと声を掛けて下さった。


「アンダーソン殿、後の事はどうか」

「お任せください、死力を尽くします」

「本当に死なれては困りますぞ」

「それは承知しております」


 俺が無茶する人間だってことは、こういった層の方々にも知れ渡っていて語り草だ。誰がお広めになったのかは知らんけど。なおも心配そうな皆様方と、微妙な笑みを交わし合って、ひとまずの別れとした。


 やがて、光そのものと言っていい翼つきのアレは、街上空の防御膜すぐそばまで下りてきたように見えた。奴が魔法的な何かだとしたら、もしかすると防御膜ではねのけられるかもしれない。

 同様の期待を抱いた者は少なくないようで、あちこちからそういった声が飛び交う。

 そして……奴は、俺たちが見守る中、それを試行してみせた。奴の体と防御膜が触れ合うと、先程の槍の雨にも劣らない、激しい衝撃音と閃光が生じた。相対するマナの激流がぶつかり合うようで、局所的な衝撃は、むしろあの槍の一本一本を軽く上回るように思われる。

 つまり、あの一体の中に、想像を絶するマナが凝縮されているのではないか。周囲も静まり返って上空を注視し、静寂を空からの激音がかき乱す。


 今の所、侵入を試みようというアレは、防御膜に阻まれている。いくら激しく、防御膜とやりあっても、状況に変化は生じない。それを受け、張り詰めた空気に、わずかながら安堵が入り混じっていく。

 しかし、その中で俺は、別の事を考えていた――間違いなく、何らかの意志を持って、アレは動いている。もしかして、防御膜の仕組みを試されているんじゃ?

 ただ、俺が懸念していたほど、奴は検証に熱意を持っていないようだった。もう少し直接的な手段で、突破を試みるらしい。奴が突破の敢行を試みて数十秒後、奴の手に何か光る円錐状の物が現れたように見えた。

 円錐状の何か? いや、相応に魔法の覚えがある者なら、それが騎槍の矢ボルトランスだってのはすぐに察しがつく。

 ありえないのは、騎槍の矢のように見えるそれが、その形状を留め続けていることだ。攻撃の距離を極端に縮め、しかも瞬間的に全ての力を開放することで、絶大な破壊力を実現させている騎槍の矢。それを出しっぱなしにしているというのが、俺たちの理解を超えている。


 そして、奴はその槍を防御膜に突き立てた。耳をつんざくような轟音が鳴り響き、突かれている部分を中心に閃光が走る。奴が自身の体の通過を試みたときよりも、反応はさらに激しい。都市全体を覆う膜の一点に、雨を撚り束ねた槍の破壊力が集中する。

 目もくらむ閃光の中、俺は上方を見つめ続けた。すると――黄色い膜越しに見えていたはずの頭上で、くっきりと白い物が見えた。全身に冷や汗をかくような感覚に襲われる。その白いものは、まさに奴が構える槍そのもので、もはや膜越しに見えてはいない。

 こちら側へ、突き抜けている。


 俺がそう感じるのとほぼ同じタイミングで、怒声のような号令が響いた。「構え!」の一言で、街中に配置された銃士が、上空の一点へと狙いをつける。

 しかし……撃てない。彼らの狙いがいくら精密でも、上空の一点でしかない槍だけを撃つのは至難だ。まかり間違って防御膜を撃とうものなら……。

 緊張感に満ちる中、俺たちはそれ以上の事ができずに、ただ空を見上げて構え続けた。防御膜を穿つ一点は、少しずつではあるものの、その威を見せつけるように白い輝きを増していく。


 そして――上方の膜に亀裂が入り、白い光が入り込んできた。

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