第630話 「空が落ちる日①」

 2月13日。マスキア王国王都セーヴェス、中央政庁府。庁舎の講堂には、大勢の関係者が詰めかけている。今日は、この街の防御膜を復旧させる。今回の集まりは、そのためのものだ。

 空を操っていると目される敵が、地上の様子を確認できるとした場合、この街が一番攻撃目標としての価値が高いと考えられている。そして、防御膜が復旧したその時を狙われ……守り切ること叶わず街が壊滅したのなら、人類の抵抗はここで潰えることになりかねない。

 そんな大きなものが、この一日にかかっている。

 もっとも、この街が標的になるってのは、俺たち人間側の勝手な推測にすぎない。相手には相手の論法や思惑があるかも……という声は、やはりある。相手に意志があるのなら、読み合いになっている可能性もあるだろう。

 しかしそれでも、ここが狙われるんじゃないかという懸念は強い。その時を待つこの講堂に、張り詰めた緊迫感が漂う。


 俺がここにいるのは、復旧のためにと地下探索に加わるためじゃない。というのも、実は探索はほぼ完了している。後は最深部で休眠した機能を起こすだけだ。

 今回の俺の役割は、防御膜が復旧した後、懸念した通りの事態が本当に起きた場合にある。攻撃される街をこの目で見て、今後の備えや……あの空を攻略するための糸口をつかむ。もちろん、街が何かしらの窮地に陥った場合、防衛のために何か役立てることがあれば、そちらにも手を尽くす。

 しかし、より期待されている役回りは、観察と思索の方だ。

 この講堂に集まっておられる方々も、実際に見て確認するためにと、ここへと足を運ばれている方が多い。

中には、戦闘とは縁遠い感じの文官らしき方も。

 この街が襲われなければ、それはそれで何よりだけど……逆に、準備を整えて待ち構えている時に、敵に仕掛けてほしくもある。これで、相手の攻撃を耐えきれたなら、世界中にとって大きな希望になる。


 探索は終了済みということだけど、復旧前に事前の用意を行ったり、懸念される攻撃に備えて人員配置したりと、その時を迎えるまではまだまだ時間がある。

 そこで、街の様子が気になった俺は、外へ出て様子をうかがうことにした。


 マンパワーに優れるこの国の王都は、街路も広くて悠然としている。

 しかし、今は街中に民間人の姿が見当たらない。今後のことを考え、街に戒厳令が敷かれているからだ。外を出歩いているのは、俺たちみたいな関係者と、街の衛兵の方々ぐらいだ。見回りに出ている方もいれば、そこら中を駆け回る工廠職員の姿も。

 今回、マスキア王都で防御膜を復旧させるにあたり、フラウゼの工廠から大勢が現地入りしている。万全の状況で迎え撃つため、先駆者の手で準備を整えようということらしい。

 工廠のメンバー以外には、武装した者の存在も目立つ。ちょうどそういう姿の、見慣れた顔が近づいてきた。


「よっす」

「お疲れ」


 やってきたのは、見回りに参加しているラウルとサニーたち、近衛部隊の隊員だ。

 仮に空から攻撃されたとして、魔獣まで繰り出される可能性は否定できない。そこで、街中でも十全に戦える戦力として、フラウゼからは彼らを派遣している。リーヴェルムからは銃士隊の方々も。魔獣が出てこなければ、救助関係に動くことになるけど……防御膜だけで事が済めば、それが一番だ。

 雪降る空ヘ一人が顔を上げると、みんなそれにならって顔を上げていく。すると、「こうなると、春が心配ですね」とサニーがつぶやいた。

 あまり公然と口にしない問題だけど……春が来るのかどうかという心配は、やっぱりある。天体の運行まで支配できるとは思えないけど、日差しの何割かは奪われている。それだけの相手だ。まともな舂が来るのかどうか。

 そういうのも解決するため、何かを見つけて考えるというのも俺の仕事の一つだけど……厚い雪雲に阻まれ、空の向こうのことは見えてこない。まったくもって忌々しい空に、俺は毒づいた。


「雲隠れしやがって」

「うまいこと言ったつもりか~?」

「別に」


 こういう空の下で、重要な一日を迎えながらも、交わす言葉は軽い。敵はあまりにも強大で、それでいて全貌をつかませないほど謎に包まれてもいる。

 それでも、みんなは絶望や諦めではなく、闘志や反骨心を抱いているようだ。彼らは空をにらみつけた。


「どうにかならんの、教授~」

「あんま期待すんな~」


 軽い調子でそうは答えたものの……実際、どうにかしないといけないとは思う。

 人類がここまで持ちこたえられているのは、これが初年度だからというのもたぶんある。世界規模で兵糧攻めを食らっているようなもんだ。長引けば、不利は目に見えている。

 だからこそ……虫のいい話だけど、今日は相手に動いてもらわないと。攻撃を誘った上で、無事に済ませなければ。



 みんなと別れてから講堂に戻り、各国の方々と言葉を交わしつつ、俺たちは作業の進捗に耳を傾けた。何をやってるかわからないけど、工廠職員たち作業員によれば、順調とのことだ。

 今回の地下作業について、この国の王家は地下の探索班に全てを委任なさっている。

 つまり、この国の最高権力は、国家防衛の中枢を他国の人間含む余人に任せることを是とした。加えて、安全な地下にこもることを是としなかった。

 実際、こちらの講堂には王侯の方々がおられる。前に勲章を授けてくださった陛下に、王子王女の皆様方が。

 こうした王家の方々は、街に被害が及ぶようであれば、御身の安全を考慮した上で陣頭指揮を執られるとのことだ。各国から王侯貴族を招いておいて、自国だけ安置というわけにもいかないという事情もあるのだろう。

 リーヴェルムからも、そうした貴族のお方がお越しになっている。その内のお一人が、銃士隊の一つを率いられるスペンサー卿だ。卿は俺の姿を認め、こちらへと寄って来られた。俺からも近づき、声をかける。


「お久しぶりです」

「元気そうだね。大変な事態だけど、君がいると心強いよ」


 意図したおつもりはないのだろうけど、ごく自然にプレッシャーがかけられたような感じだ。心強いという評自体は気休めや世辞ではなくて、素のお言葉なのだろうけど。「光栄です」と答えた後、俺は卿にお尋ねした。


「卿は、やはり将玉コマンドオーブで支援を?」

「うん。雪でも兵を作って動かせるようになったからね」

「では、場所を選ばずに動けますね」

「これで救助しようとすると、相当嫌がられそうだけどね」


 卿は気負いや気後れのようなものを見せず、朗らかに話してくださった。自信に満ち満ちているというほどではないけど、不足感もない。こうした卿の自然体な有り様について、俺の方も心強く感じた。


 それからも、いつの間にか知り合った方々と話し合い……地下の準備の方も、順調に進んでいった。

 しかし、一つ気がかりだったのは、そこまで準備しなければ防御膜を展開できないのかということだ。フラウゼ王都の場合は、ぶつつけ本番でどうにかなったものだけど。

 その辺りの疑念が心に引っかかる中、外連環エクスブレスをつけた伝令の方が、向こうの様子を逐一伝えてくる。定時連絡から実況解説みたいに頻度を増し、高まる報告の密度が、場のボルテージを増していく。


 そして――大昔の防御機構が、この街でも息を吹き返した。講堂の窓からも、城壁上端から上に覆いかぶさる黄色の半球を視認できた。

 しかし、それに対して歓声の類は上がらない。これまでにいくつも展開してきたものだし……何より、どこまで信頼できるものなのか、結局のところわかっていない。それを確かめるために、俺たちはここにいて、その時を待っている。


――この街で防御膜を巡って一戦を交える。そのことについて申し合わせたわけではないものの、俺たちの見立てや予想は、的外れなものではなかったようだ。何かしら利害の一致があったのか、復旧後少ししてから、空の様子に変化が現れた。

 重く暗い灰色の雲が、徐々に白んでいく。窓から見える外は、次第に明るくなっていき、俺は講堂を飛び出した。いちいち振り向きはしないけど、同じように動き出した方が少なくない。

 依然として、空は雲に覆われていて、日の光は届かない。にもかかわらず、周囲は昼のように明るくなっていく。辺りを照らし出すのは、取り戻した日光などではなく、ずっと不自然なマナの光だ。

 まさに今、俺たちは敵の掌中にある。


 すると、周囲から会話の声が聞こえた。といっても、それはこの場の人間が互いに言葉を交わすものではなく、それぞれが遠地と連絡するためのものだ。

 どうやら、こんなことになっているのは、この街だけらしい。今の所、陽動の気配は特になく、他の都市に異常はないと。つまり、相手の意図が何であれ、こちらに乗ってくれたように思われる。

 空の白さは、いよいよ光度を増していき、気温よりもよほど強い寒気を感じさせる。大気が鳴動し始め、地面から見上げる俺たちを空が威圧する。俺たちの目論見と希望もろとも、この街を押し潰さんとして。


 そして――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る