第628話 「棄てられし亡国の民⑤」

 硬く封じられているという地下への入り口は、確かに言葉通りのものだった。板が雑に打ち付けてあったり、バリケードで塞がれていたり。そうした入り口の一つを、今回は特別に開放して、地下へと入っていく。

 地下通路の利用は、やはり口にするのもはばかられるタブー扱いなのだろう。殿下の存在には気をかけられない一方で、地下への封を解く作業は、人目について仕方がなかった。

 ただ、三勢力がそれぞれ協力しているという事実は、見守る人々にとってかなり大きく思い事態だと受け止められたようだ。地下へ道を開けようという行為に、多くの戸惑う視線が向けられても、一切の妨害はなかった。


 手分けして作業を進め、十数分程度でようやく地下への道ができ上がった。ここを案内できそうな方はやはり存在せず、それらしい地図もない。完全に放棄された遺構の中へ、俺たちは歩を進めていく。

 とはいえ、業界基準ってものは確かにあるようだ。地下の水路の様式は、王都のものと変わりない。国境が隣り合っていたというのもあるだろう。違和感はほとんどない。


 しかし、長年にわたって放棄されてきたツケが、俺たちに回ってくることとなった――スライムだ。水路をちょっと進むだけでも、スライムに突き当たる。水路の交差点で大体一体、それも道幅いっぱいを埋め尽くすような奴が。

 こちらの水路でも、満足に魔法は使えない。その上、後で力仕事が待っている可能性も高く、まともにやり合うのは少々骨が折れる。

 そこでエリーさんが、例の腕輪の力で魔法を記述し、スライムたちの核を射貫いて消滅させていった。


 もちろん、同行するこの街の出身者たちも、本来であれば魔法を使えないということは理解している。だからこそ、エリーさんが魔法を使ったという事実に、彼らは驚きを隠せなかった。

 ただ、上からよくよく言い含められているのか、あるいは強い使命感と忠誠に支えられているのか、同行する彼らから問題が紛糾することはなかった。いきなりやってきた他国の人間が、我が物顔で魔法を使っている……そう思われても仕方のない状況だろうに。

 そうした彼らの理解に、殿下は感謝の言葉を述べられ……彼らは逆に戸惑い、殿下はそうした反応に苦笑いなさるのだった。


 スライム退治もエリーさんのおかけでトントン拍子に進み、もはや慣れた感のある仕掛けも解いて、いよいよ水路の先へ。俺たち探索班にとっては、油断こそできないものの、さりとて目新しいものではない。

 しかし、俗世と切り離された地下の様相は、初めての者にはやはり衝撃が強いようだ。ウェイドたち6人にも、この街で加わった15人にも。

 そんな中、さすがというべきか、ユリウスさんは平然となさっている。殿下が、「前にも、こういったところへ?」とお尋ねになると、ユリウスさんは口を開かれた。


「いや、こうしたものは、私も初めてだ」

「そうか。何か知っているのなら、心強いと思ったけど」

「今では君の方が詳しいだろう」


 ユリウスさんのお言葉に、殿下は渋い顔で乾いた笑い声を上げられた。俺たちもそうだけど、必要に迫られて詳しくなっちまったって感じだ。


 通路を更に進んで行くと、慣れてしまっている俺たちの前に、お馴染みの守備兵が姿を現した。自律する鎧のゴーレムだ。普段であれば、まずはセレナが矢を放って動きを封じ、足の自由を奪ったところで腕を取る。

 今回の初遭遇においても、相手に膝周りのガードは確認できなかった。セレナはそのつもりのようで、さっそく弓を構え出す。

 しかし――彼女が矢を放つ前に、ユリウスさんが動き出された。それも、無造作に。何ら守りを構えるでもなく、四つの鎧が守る広間へと歩まれる。すると、殿下が声を上げられた。


「ユリウス」

「私にやらせてくれないか」


 普段は物静かな方だけど、今回の口調には思いつめたような悲壮感が、少しばかり感じられる。

 結局、ユリウスさんを推しとどめることは叶わず、殿下は「あまり無理はしないように」とだけ仰って、後のことを託された。


 そして、ユリウスさんが相手の間合いに入られた。無防備な彼へと、鎧たちがマナのボルトを放つ。

 しかし、彼は避けようとも剣で受けようともなさらない。直撃を受けても、その長身が揺らぐことは一切ない。攻勢の激しさとは裏腹に、事の進みはたいへん静かに感じられる。

 互いの間合いは着実に縮まっていく。やがて双方が剣を構える段になり――ユリウスさんが一閃。一体目の鎧は、頭から両断されて地に伏した。それを黙って見ている他の鎧ではなく、ユリウスさんへと三方から斬りかかっていく。

 すると……彼はそれらの攻撃を、体で受け止められた。主に女の子たちから、かなり抑えた声の悲鳴が上がる。鎧たちに斬られた傷口から、鮮血のようなものが舞い散り――それが赤い粒子へと変わっていく。

 魔人の体であれば、この程度で倒されはしない。無言の背中でそう語り掛けてくるようだ。人の身であれば深手、事によれば致命傷に近い攻撃を受けながらも、彼は剣を振るわれ、鎧たちは一体ずつ倒れていく。


 そして、場が静まり返る。勝利……と言っていいものだろうか。声も出せない俺たちの元へ、彼は戻って来られた。

 命に別状というか、ちょっとした不調すらないのだろう。立ち居振る舞いに無理しているようなところは、一切感じられない。そんな彼に、殿下はわずかに冷ややかな調子で声をおかけになった。


「あまり、感心しないね」

「しかし、これが一番確実だ」

「その服は君が縫うのか?」


 殿下の指摘に、ユリウスさんは言葉を返せず、やや苦しそうな表情で押し黙られた。そうしたご様子に、場からちょっとした含み笑いが漏れる。

 斬られまくった彼は、体こそすぐさま再生して傷一つ見当たらないけど、立派なお召し物の方はというと、結構無残だ。

 しかし、彼は表情を引き締め、強い目を殿下に向けて仰った。


「君たちに何かあれば、それが後の禍根になりかねない」

「それは理解しているとも。しかし……見ていて気持ちのいいものではないな」


 それから、殿下はセレナに顔を向け、「君からも、何か言ってやるんだ」と仰った。

 急に話を振られた彼女は、当たり前のように戸惑い始めたけど、落ち着きを取り戻すのは意外と早かった。何回か呼吸して息を整えた後、彼女はユリウスさんをまっすぐ見据えて口を開いた。


「目の前で他の人が傷つくのは、辛いです」

「……人?」


 問い返したユリウスさんの言葉に、セレナはハッとした表情になるけど、横でお聞きになっていた殿下の受け取り方はまた違う感じだ。


「まったく……あまり言葉尻を取らないことだ。彼女も困っているだろう?」

「あ、ああ……済まない。つい」


 それまで激戦を繰り広げていた方が、殿下の指摘には満足にやり返せず、ややたじろぐ様子さえ見せている。口先では殿下に敵わないといったところだ。

 それから、殿下は真剣な表情になって仰った。


「自己犠牲に頼らなくても、何かに献身を示すことはできる。それに……誰かに手を差し伸べようというのなら、君は自身に差し伸べられた手を握り返すべきだ」


 そして、殿下は表情を緩めて、言葉を結ばれた。


「そうやって人の世は回っているんだ。ご存知だったかな?」

「……久しく忘れていたよ」



 殿下とセレナの説得があってか、ユリウスさんは無理をなさらなくなった。傷つくところを見せることへの心苦しさは、元々あったのかもしれない。以降は、探索の経験者である俺たちのやり方を尊重してくださった。

 また、俺たちの中に魔人がいるという事実について、この街からの協力者の方々は……意外にも大きな困惑なしに受け入れたようだ。その辺が気になって、少しばかり勇気を出して尋ねてみた。


「ちょっといいですか」

「何だ」

「いえ……魔人の方を目にしても、あまり驚かれないんだなと」


 聞き出そうと口を開いてすぐに思ったのは、問いかけ次第ではユリウスさんに悪いなってことだ。あまり礼を失しないように心掛け、言葉を選んで尋ねてみると、今度は相手の方が黙りこくった。無視されているわけでもなく、ちょっと考え込んでいるようだ。

 それから、彼は他の方々とも目配せした。それこそ所属勢力関係なしに、同じ質問で考え込んでいるようにさえ見える。やがて、彼は仲間に「ま、いいか」と軽く確認した後、俺の質問に答えてくれた。


「俺らは逆に、あんたらの国のことをあんまり知らないんだが……そっちは、街中に魔人がいないんだよな?」

「ええ、まぁ」


 工作員はいたけど、余計なことは言わないでおこう。ただ、誰かがそのことを思い出したのか、俺たちの側の空気が若干ピリッとしたように感じた。そんなのを知ってか知らずか、彼は話を続けていく。


「こっちは、珍しいなりに、街にも魔人がいてな」

「本当ですか?」

「ま、信じられんわな」


 そう言って彼は苦笑いしつつも、この街の事情について教えてくれた。

 早い話が、この自治領からさらわれて魔人になっても、向こうになじめないのが一定数は出るってことだ。あちらを抜け出し、帰るあてがないことを承知しつつも故郷へ戻り……そして、街は受け入れてきたという。


「どうせ街中じゃ魔法は使えないしな。それに、出戻りのはほとんどが戦えない連中だ。なんなら、町の一般人よりも安全なくらいかもしれん」

「しかし……抜け出したのを連れ戻そうという動きもあるのでは?」

「ま、そう考えるわな。だが、実はほとんどないんだ」


 どうやら、あちらになじめずに逃げてくる魔人ってのは、成り立てが多いらしい。重要な情報は持たされず、同胞から目をかけられることもない。あの聖女とかいう女は、作り替えたらそれっきりだったのだろう。下は下で、同胞への面倒見が悪かったと。

 それで、脱走者については情報源としての価値は認められなかったのか、黙認されてきたようだ。


「ただ、そういう脱走者連中は、長くは生きられなくてな。なんつ一か……肉体的な意味で、生き方がわからないらしいんだわ。飯食っても戻す奴は珍しくないしな……」


 話し手の彼は、どこか哀しそうな口調でこぼすように教えてくれた。知り合いにそういう子がいるのかもと、ふと思った。

 こうした話は、殿下も初耳だったようだ。事情通のメルも。距離的には近くにあるのに、心理的な距離はずっと遠くにあったように感じられる。


 ただ……こういうお話を聞けたことで、彼らがユリウスさんの存在を受け入れたことに、なんとなく合点がいった。

 実際、立ち合いのためにと連れ出す形になった、この街の方々は、ユリウスさんの戦いぶりに奮起するものがあったようだ。守備兵との二戦目戦が終わった後、立ち合いに徹していた彼らの一人が、殿下に向かって申し出た。


「なあ、王子様……俺たちにも戦わせてもらえませんかね?」

「俺からも!」


 一瞬で火がついた戦意ある言葉の数々に、「そうは言うけど……」と殿下は尻込みをなさった。


「見ての通り、戦場の広さはさほどでもない。そんな中で連携を取るとなると、相当息を合わせる必要がある。君たちのやる気は買うけど、いきなり一緒に戦えるようなものじゃないだろう?」

「だったら、もともと仲間同士で固めてやれば」

「それも考えたけど、被害に偏りが出るかもしれないと思ってね。君たちと、それぞれのボスと……近しい配下まで、きっと理解を示すことだろう。しかし、単に庇護下にある連中までが、それぞれの勢力への扱いの差なんてものを感じずに、黙っていられるものだろうか?」


 殿下が仰ることは、きっと正当だ。この街の方々の内、この探索に関わる方には信を置けるとしても、事情を知らない部外者相手となると微妙だ。火種になり得る何かは、事前の気遣いで取り除きたい。

 そうした懸念は、街の人々も即座に否定はしなかった。申し出を蹴られた格好にはなったものの、殿下のご理解に、一定の感心を抱いているようにさえ見える。

 ただ、この件についてはユリウスさんも思うところがおありのようで、横から口を挟んでこられた。


「アルト、君は確か……人に手を貸そうというのなら、逆に差し出された手も借りるべきだと言っていた気がする。覚えているかな?」

「ああ。よく覚えてくれているみたいで嬉しいよ」


 若干の当て擦り気味に指摘をなさるユリウスさんに対し、殿下も皮肉めいた響きを含ませてお返しになった。お二方ともにケンカ腰ではなく、気心知れた仲の応酬ってところだ。

 ただ、向けられたお言葉に対し、殿下は真摯に向き合われた。口を閉ざして少し思案なさり、やがて決を下された。


「やはり、君たちにも手伝ってもらおうか。事が終わったら、『勢力問わずに協力し合った』とでも吹聴してくれ」

「そりゃ、もちろんでさぁ!」

「もちろんと来たか……あと、『フラウゼの王太子は話が通じるイイ奴だ』とも触れ回っといてくれ」


 まず間違いなく冗談だろうけど……殿下のご要望に、この街の方々は思わずといった感じで吹き出し笑いをし、それから口々に応諾した。

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