第625話 「棄てられし亡国の民②」
俺からの直訴を受け、殿下は予想通りに頭を悩ませられた。
さすがに、大それたご相談か。探索作業自体は一段落って感じの待機中だから、作業スケジュールに問題はないと思う。
憂慮すべきは、やはり土地柄か。
「無理を申し上げて申し訳ありません」
「いや……そうすることの意義は、私も認めるところなんだ。それに、実を言うと君以外からも、そういう話は持ち掛けられた」
「私以外にも?」
「ああ。ただ、国として動くとなると、少し厄介でね」
それはそうだろうと思う。できることなら自分の国に集中したい状況だろう。他国と互いに手を取り合っているのは、あくまで互恵的な関係を構築できているからだ。
ただ、殿下が仰るには、以前よりはシュタッド自治領に手を差し伸べやすい状況ではあるとのことだ。
「あの自治領に手を出し、併呑もしくは庇護下に置いた場合、流入する民に混ざって魔人の侵入を許すのではないかという懸念があってね。今はそうした心配もないだろう。問題は……養い続けなければならない民か、守ってやらねばどうしようもない領地かどうかということなんだ」
「つまり、自ら治めようという気概が民にないのなら、手を出しづらいと」
「あまり余裕はないんだ、上にも下にも。だから、誰もがあまり目を合わせないようにしてきた」
それだけ仰って、殿下は目を閉じられた。考え込まれているようで、部屋の中が急に静かになる。
今日は、部屋には他に誰もいない。ラックスは呼んできていないし……アーチェさんもいらっしゃらない。
「アーチェさんは、今日も工廠に?」
「ああ。たまには休めばと言っているけど……彼らといると楽しそうだし、これもいいかなとは思っているよ。お互いに影響を与え合っているのか、進捗も好ましいそうだしね」
そういえば……数日前、久しぶりに工廠に顔を出してみたところ、地下中枢部分でアーチェさんの代行となるための鍵の試作ができたとか言っていた。さすがに安全保障上の問題から、現物を拝んだり詳細まで話してもらったり、そういうのはなかったけど。
加えて、防御機構全体についての整備や理解も進んでいるようだった。ちゃんと寝ているみたいだけど、休日返上でやってるだけのことはある。彼らの働きぶりには、国どころか国際的にも関心を寄せるところだ。技術的な普及って面もあることだし。
そういった工廠についての話題が切れ、また少し静かになる。それから少し経って、殿下は仰った。
「シュタッド自治領の件だけど、国の審議にかけようと思う」、
「あ、ありがとございます!」
「君が礼を言う事でもないと思うけどね。結局のところ、君にも手伝ってもらう案件だし」
「いえ、自分で心に決めて上申した件ですから……ご理解を示してくださり、ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。私にも思うところはあるんだ」
その思うところって奴が……聞いて良い物かどうか。とりあえず、思い切って尋ねてみたところ「決議が通ってから話すよ」と、殿下は仰った。
☆
俺が殿下にご相談してから3日後、国としての決議がなされ、自治領への関与を行うこととなった。議会の決断が早いのは、こういう時勢だからだろう。
もしかすると……今回の案件に対し、もともと積極的な考えをお持ちの方々が多かったのかもしれない。
待ち合わせの場所は王都北区の公会堂だ。雪が降りしきる中、俺は歩を進めていく。
最近になって俺は、雪に覆われた世のあり様に対し、危機とか焦燥よりも、苛立ちを強く覚えるようになっていた。空を操っていると思われる、あの野郎への敵愾心が、そう感じさせているんだろう。単に雪のわずらわしさもあるけど。
そんな中で王都の人々はというと、結構強気だ。やまない雪に負けじと雪かきを率先する、雪専用の自警団みたいなのが現れている。少しでも人心を盛り上げようと、行政やギルドが手を尽くしてきた成果が、形になって表れているのだと思う。
あるいは、王都襲撃から内戦に至り、トラブルに振り回され続けてきたおかげで、この街の人々がタフになったってのもあるかもしれない。
いずれにしても、こういう世の中に負けない気概があることは、俺たちにとっても大きな支えになってくれている。今日も道ですれ違う方に、何度か激励の言葉をいただいた。俺たちが色々と駆け回って頑張ってるのは、世間一般に知れ渡っているからだ。
そうして、ちょっとした声援を受けながら公会堂に着くと、先に殿下がいらしていた。それと、思わぬ人物も。
「ユリウスさん……」
「久しぶりだな。君の活躍ぶりは、私の耳にも届いているよ」
気さくに声をかけていただいたものの、俺はちょっと困惑して、微妙な笑みしか返せなかった。
彼は、随分と前からこの国が世話をしているとはいえ、かつては魔人六星の一角だった。そうした方が、王都で殿下の隣におられるってのは一大事だ。
しかし……お忍びってわけでもないだろう。俺は殿下にお尋ねした。
「卿がこうしてこちらにおられるのも、議会は承認済みということでしょうか?」
「もちろん」
ああ、やっぱり。気になるのは、そのように決まった経緯だけど、それはおいおいお話しいただけることだろう。
なんせ、まだ人員が揃っていないんだから。
それから少しして、今回の探索要員が集まり始めた。集合時間にはまだ早いけど、みんなやる気があるのだろう。
メンバーとしては、王都探索時とほとんど変わりない。違いといえば、アーチェさんが留守番することと、自治領を故郷とする例の六人が加わるってことだ。
アーチェさんがいないのは、治安を考慮してのこともあるけど、中枢部分を制御するための鍵となる魔道具を実地利用する意図もある。
例の六人については、現場での案内と住民との折衝のため――というのは、ぶっちゃけると連れ出す口実みたいなものだ。出身者を同行させることで、向こうの理解や協力を引き出そうという打算がある。あと、言い出した彼らを留守番させるのも……という考えも。
問題提起したこの六人は、さすがに殿下の御前ということで、ものすごく硬くなっている。今回の案件について果敢にも提起したことで、殿下がお褒めの言葉を口にされても、みんなしどろもどろってところだ。
そういう様子を、他のみんなは温かな目で見守っているけど……ユリウスさんについては、まだ知らされていない。知ってそうなのは、アイリスさんは当然として、ハルトルージュ伯もご存知のようだ。ユリウスさんに向けたお顔が硬い。
後は……せいぜいティナさんとメルぐらいか。やや困惑した様子から、それがわかる。
事情を知らないみんなにとっては、何やら知らない貴族の方がいらっしゃるというぐらいの認識か。どうなることやらと一人で少し緊張していると、メンバーが揃ったということで、殿下が話を切り出された。
「探索は一時休暇という事だったけど、呼び出して済まないね。すでに話が行っていることと思うけど、今日はシュタッド自治領の中心都市サヴェンへ出向いて、防御機構を復旧させる」
そこまではすでに通達済みだ。驚くようなことは何もなく、みんな意気のある目をしている。それから殿下は、今回の取り組みを決行するに至った経緯をお話しされた。
国としては、隣接する領域を見て見ぬふりすることに、抵抗と懸念があったそうだ。信条だとか倫理的な問題ばかりでなく、実際的な憂慮もある。
というのも、これまで政治や治安上の理由から、あちらには手を出しづらい状況が長く続いていた。それを知らぬ敵ではないだろう。儀式により、何らかの″徳″の力を得たと思われる敵が、どう動いてくるのかは不確かながら、あの自治領を使ってこないと考えるのは楽観だ。今までだって、魔人を増やすための苗床のように扱われてきたのだから。
「……といった具合に、あの一帯を利用されないようにと干渉しようというのが、国としての実利的な理由だ。ただ、それはもっともらしい建前みたいなものでもあってね」
「建前、ですか。本音が別にあると?」
俺が問い返すと、殿下は「上の世代の何人かが、打ち明けてくれてね」と前置きなさって、言葉を続けられた。
「あの自治領を放っておいたのは、下手に干渉して民の流入を招くことが、敵の侵入につながる恐れがあったからだ。併合して養おうにも、懸案事項はいくらでもある――そう言って長いこと、国は問題を先送りにしてきた。そうした負の遺産を清算したい。それが、上の世代の想いだよ」
そうしたお言葉は、上の方々の代弁としてのものなのだろうけど、殿下ご自身もそういったお考えを持たれているように感じた。
結局のところ、魔人との戦いだって、発端は大昔の連中の愚行だ。そういった故人の行いに向き合い、今まで戦い続けてきた。自治領のことも、実際にはそれらの延長上の事象でしかないのだろう。
殿下が口にされたお言葉は、みんなにとっても腑に落ち、共感できるものだったようだ。
しかし……殿下がユリウスさんのご紹介をなさる段に至ると、場は大きくざわめくこととなった。
「彼は、アスファレート伯爵家が世話をしている魔人で……かつては魔人六星の一角だった」
包み隠さない暴露に、みんな驚きを隠せない。平然としていると逆に浮いてしまって仕方ない位だ。
ただ、俺以外にも落ち着きを保っているのが数人いることが、初耳だったみんなには平静を取り戻すきっかけになったようだ。俺が思っていたよりも早くに、場のざわつきが収まっていく。
それに……同じくかつての六星の一角であらせられるウィンストン卿は、今では敗残者をうまく取りまとめておられる。そうした前例があってか、ユリウスさんの存在もどうにか受け入れられたようだ。
しかし、そんな人物がなぜここにという疑念は残る。ここにいるってことは、自治領入りをお考えなのだろうけど、なぜ同行を?
すると、殿下がユリウスさんに向かってお尋ねになった。
「言い出しづらければ、私から説明するけど」
「ありがとう。ただ、こればかりは私の口から言うべきだと思う」
そのご返答に、殿下はどこか哀しそうな表情になられた。そして、ユリウスさんの口から、今回の件について語られる。
「大昔、魔人と人間の間で政略結婚がなされた。私はその時の当事者で、相手はシュタッド王国の王女だった」
そういう話は、俺も聞いた記憶がある。歴史に明るいティナさんやメルは、なるほどといった感じの顔をしている。
他のみんなはというと、またも驚いていたけど、同時に察しが付く話でもあったようだ。すぐにどよめきが収まり、静けさに先を促されるようにして、ユリウスさんは言葉を続けられた。
「一度結ばれはしたものの、双方の謀略の結果、程なくしてシュタッド側に内紛が生じた。王家は打ち倒され、成り上がった者たちも長くは続かず……以降の政治的空白が、今に至っている」
そこで彼は言葉を切って一息つかれた。今まで戦ってきた魔人たちが見せたことのない、悲哀に満ちたお顔をしている。そして、彼は再び口を開かれた。
「そんな結末になったとはいえ、彼女は自分なりに国を想い、覚悟を決めて私に嫁いだのだと思う。だから私は……彼女の故国に、手を差し伸べたい。それが、せめてもの手向けだと思うから」
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