第622話 「過去からの一撃②」

 急な話に強い困惑を覚えながらも、俺はあの時のことを思い出した。

 俺は確かに、この手で奴をぶった切った。奴が外に出たという証拠はない。死に際に何かしたとして、そのまま絶命するのが関の山のはずだ。

 しかし……魔人の連中に、俺たち人間の生命観は当てはまらない。体を再生するような連中だし、死霊術師ネクロマンサーだっている。

――そう、死霊術師だ。クリーガの内戦の時に倒したあの野郎は、肉体を喪失してもなお、魔法陣にその本質を留めているようだった。結局はそれも長く続かず、露と消えたものの……奴は間違いなく、ありえない一線を超えていた。

 次から次へと様々な考えが降って湧いたけど、それは議場の他の方々も同じようだ。突然の話題に騒然となり、会の進行が少し中断された。

 とはいえ、さすがにある程度の落ち着きを取り戻すのに、長くはかからない。声の波が遠くに去っていった頃、「何らかの儀式、とは?」との問いがアシュフォード侯へと投げかけられた。

 その質問に対し、閣下に代わってウィンストン卿が答えられることに。一瞬で場が静まり返る中、卿は仰った。


「執り行われたと思われる儀式は、かつて聖女が配下の魔人に施していた儀式に近い物と思われます」

「思われる、といいますと?」

「我々大幹部に対しても、決して儀式の詳細は明かされませんでした。そのため、推測でしかありませんが、聖女が所持していた書物の存在を認められましたので」

「書物?」


 無理もないことだけど、卿が口を開かれるたびに別の疑問が湧いてくる。そうした状況に、卿は「順を追って申し上げます」と仰って言葉を続けられた。


「聖女は魔人の内で有望な者に対しては、特別な儀式を施しておりました。徳と称して、特殊な力……あるいは性質とでも言いましょうか。そうした新たな力を加える一方、下々に精神の矯正を」

「矯正?」

「徳と名付けられる力それぞれに、対象者の精神を歪める性質があります。徳と言いましたのも、あくまで魔人の間での呼称に過ぎず、相当な皮肉が込められています。あなた方の感性で言えば、悪徳に類するものが大半でしょう」

「……そのような儀式が、魔人の頂点である者に効果があると?」

「前例はありません。ですがそれは、聖女から力を与えられるということを、いずれの星も望まなかったというだけのことです。不可能を意味するものではありません」


 その発言の後、場は再び水を打ったようになった。

 彼女の言を疑おうという声はない。敗残者の扱いは確かで、魔人側に起因する抗争は生じていない。調査団がトラブルに見舞われたという話もない。彼女への信用は確かにあって、ただただその言葉だけを信じられないだけだ。

 それから少しして、彼女はウィルさんが再現したという儀式の顛末てんまつを口にした。


「徳を根付かせる儀式は、聖女が手にしていた魔導書を用いて行われます。時を遡る再現によれば、三回ほど儀式が行われました。失敗した様子もなく、それぞれ別の徳を植え付けたのではないかと」

「三つ……それは」

「与えられた徳一つで十分、精神に異常をきたし得るものです。それを意図して施すことも、ままあったようです。伝え聞いた話では、二つが限度。それも長くは持たなかったようです。ですが……星の座にあるほどの強い個性を持つものならば、精神の矯正を伴う徳ですら、逆に飲み干し得るのかもしれません」


 卿が言葉を切られ、議場は静まり返った。

 徳ってのは、俺も聞いたことがある。なんでも、魔法とはまた違う、特別な力の源泉らしい。俺がその言葉を最初に知ったのは確か……俺が現世へ飛ばされてから、こっちへ戻ってきた時のことだ。ウィルさんからその話をしてもらって、実際に徳を持つ魔人と殺し合った。白いマナを持つ、元魔法庁のアイツだ。

――白いマナ? アル・シャーディーンを襲った攻撃は、白い槍のような光線だと聞いた。単なる偶然だろうか? そうは思えない。

 そして、俺が抱いた懸念は、実際その通りのものだった。


「全ての儀式を終えた後、大師の肉体が消失し、白い粒子の集合体となって天へ上っていきました。しかしそれは、昨今の状況を見る限りでは……昇天ではなかったのでしょう。おそらく、あの者は今や空と一体化したのでは」



 衝撃的な話が俎上に上がり、会議は一時中断となった。昼時というには少し早いものの、気分転換には頃合いではある。

 いや、気分転換になるものだろうか。窓の外は真っ白で、この世の終わりという言葉を想起させる。倒したはずのあの野郎は、今や白いマナを手にしている。窓の外に覗く銀世界が、どこまでも続くように思われる奴の手のひらを思わせる。

 議場を出て俺は、窓の外を眺めて少し呆然としていた。そんなだから、殿下に声を掛けられているのに、普段の数倍の時間を要した。気づき慌てて振り向くと、殿下を始めとして同行者の方々が心配そうな顔を向けておられる。


「リッツ」

「はい」

「君が気に病むことじゃない」


 やはり、俺の考えなんて筒抜けなんだろう。しかし、向けられたお言葉にも、本心というよりはむしろお慈悲のように受け取ってしまう。いつもみたいに苦笑いを返すこともできず、俺はうなだれた。

 たぶん、さっきの話を受けて一番ショックを受けたのは、きっと俺だろう。あの時、奴を仕留めきれなかったことの責任を、俺一人が負うべきじゃないってのは理解できる。結局の所、あの場に居合わせた俺以外の方々も、まず間違いなく奴は絶命したと判断していたわけだから。

 しかし……だとしても、この手で倒してみせると心に誓った仇敵が、斬り殺したはずと思っていたのに永らえていた。それも、こんな世の中にしていると思われる、新たな力まで得て。それに確たる証拠なんてないけど、そう信じるには十分な材料だった。

 あの時、俺が――奴をきちんと殺しきれていたのなら、こんなことにはならなかったのだろうか。あの時俺は、アイリスさんの仇を討ったと思っていた。まったく、とんだ茶番じゃないか。そんな俺を、奴は笑っているんだろうか。


 するとその時、不意に背中を硬い何かで突かれる感触を覚え、俺はうつむきから跳ね上がった。

 その感触の方へ体を向けると、会の取りまとめを行っていらっしゃったお三方がおられる。ウィルさん、アシュフォード候、ウィンストン卿。

 そして、俺の背を突いてこられたのは、どうやら侯爵閣下のようだ。お身分を考えればなんとも砕けた振る舞いに感じられ、思わず面食らってしまった。こういうことをなさる感じの方だったのか。マジマジと見つめていると、閣下はにこやかに笑われた。


「いきなりで済まない。しかし、良い物を見せてもらった。君は普段、驚かす側の人間だろう?」

「それは私が保証するよ」


 俺の返答を差し置き、殿下が口を挟まれた。そのお言葉に、周囲から含み笑いが漏れる。まぁ、俺がそういう認識だってのは、今更な話ではある。

 すると、閣下は「その顔の方が好ましいな」と仰った。気が付けば、俺は苦笑いをしていた。コレがとてもいい顔とは思えない。でも、さっきうつむいていた時のに比べれば、ずっとマシだろうとは俺も思う。

 そして、閣下は言葉を続けられた。


「あの戦いにおいて君の働きがなければ、我々の戦友の多くは、何処とも知れない虚無の中でその生を終えたことだろう。その点において、君には多大な借りがある。直接助けられたわけではない私としても、だ」

「しかし……中途半端に追い詰めてしまったがゆえに、今の状況があるのではないかと」

「そのことだが、奴には最初からこうする目論見があったのではないか?」


 俺の言葉に閣下が言葉を返され、俺はハッとした。死にかけで施された儀式ということで、俺は破れかぶれの間に合わせだと認識していた。それが、奴にとっては大変うまくことが運び、世界がこんな事になっているのだと。

 しかし……最初から、こうする考えがあったとしたら? そうした懸念について、かつてあの野郎と同僚であった卿が口を開かれる。


「あなた方からすれば、私は文字通り歴史上の存在でしょう。ですが、あの者はそれよりさらに古く、ことによれば歴史以前からの存在かもしれません。私たちでは知り得ない何かを知っていて、追い詰められる以前から、着想とある程度の算段があったのでは?」

「それに、私たちに向けられた策謀の数々を思えば、決戦を前に何らかの備えはあって然るべきだろう」


 卿のお言葉に殿下が続けられた。確かに、あれだけの謀略を巡らせてきた奴が、なんの準備もなしに待ち構えていたとは思えない。罠らしい罠もなく、強いて言えばカナリアとかいう女が想定以上の脅威だったというぐらい。

 俺は奴のことを、たぶん無意識のうちに、大局重視の戦略家だと考えていた。個々の戦場や直接戦闘には、さほど重きをおかず――だからこそ、俺程度の読みでもうまくハメることができて、この手でも斬ることができたんだと。

 しかし……やられた後の準備が整っていたとするなら、もっと大きなものを見越して動いていたとするなら、全ては腑に落ちるような気がする。あの野郎が空を牛耳って日照を絞るという、あまりに巨大なスケールのバカらしさを除けば。

 そして、侯爵閣下はお考えを口にされた。


「各種の情報を総合すると、空と一体化するかそれに類するような計画を、大師はかねてより練っていたのではないかと思う。リッツ、君が追い詰めたことで、奴はそうせざるを得なくなったのだろう。確かに、それは事を早めはしたが、能動的に仕掛けられるよりは随分とマシだったのではないか? 奴が更に準備を整えた上で事に踏み切ったのなら、世界はこの程度で済まされていまい」

「それは……仰るとおりかとは思いますが」

「ならば、あまり悩まないことだ。手当たりしだいに攻撃を仕掛けないあたり、奴も慎重にならざるを得ないのだろう。勝負はこれからだ」


 こうして激励を賜り、気分はどうにか楽になった。完全に晴れたというわけでもないけど、立ち向かうだけの気力は十分にある。

 確証はないけど、きっと空を覆っているのは、あの野郎の悪意なのだろう。この事態の責任を、俺だけが負うものではないとしても、やはり残る責任感や使命感ってものはある。主に、俺自身へ向けたものが。


 俺たちに逃げ場はないけど、それは奴にしても同じことだろう。今は手が届かないとしても、きっと追い詰めて――今度こそぶっ倒してやる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る