第618話 「重なる空の覆い」

 事態の進行は予想を超え、まるで怒涛の流れのようだった。少し遅めの昼食の後、今後のための会合が、すぐに執り行われることとなった。

 人を集めるために時間が少しかかるという話だったけど、王都に詰めておられる方々は、すぐにでも参集できる。召集に少し時間を要する可能性があったのは、国内他都市の統治者の方々だ。

 ただ、そういった方々も、迅速な情報伝達と転移門の働きで、王都へ間を置かずに呼び寄せることができたようだ。事前に今回の探索の件が方々ほうぼうに伝わっていて、並々ならぬ関心を寄せられていたというのもある。


 そうした会議に、もちろん殿下とアーチェさんはご出席なされた。

 ただ、俺たちはというと、会議には出ずに報告書の作成に取り掛かった。こちらへやってこられた他都市の方々にとっては、この報告書も、王都への来訪目的の一つだろうからだ。手早く取りまとめる必要がある。それに、記憶が新しいうちに仕上げたいという事情も。

 そこで、昼食会からそのままの流れで、報告書作成に取り掛かる形となった。

 お店の方は突然貸し切り状態になってしまって、迷惑だろうとは思ったけど……あまり気にされていない様子だった。「このところ、客足がめっきり」とのことで、今みたいに賑やかに使ってもらえている方が、むしろ好ましいのだとか。エリーさんが懇意にしているということで、気を許されているのもあるかもしれない。

 それに、昼食の後もなんやかんやで、みんなで報告書を書きつつ何かをつまんでいる。だから、お店としてもちょうどいいのだろう。


 会議の進行は俺たちの予想を超えて迅速だった。国から遣わされた連絡係の方から、会議で目立った動きがあれば、逐一報告がなされた。

 あちらの会議では、国と各都市、そして関係諸機関の中枢の方々が参加している。まずは大筋について速やかに決定し、そこでの決断をすぐさま関係機関へと下ろして、事の対応に当たらせるという形を取っているらしい。

 そうして真っ先に動かされたのは、魔法庁と工廠だ。今回の探索で到達した王都最深部について、更なる調査と、今後のための運用計画を練ることとなる。また、最深部までの行き来を助けるためにということで、人手を投じて通路の整備も行うことに。

 そういう決定が下ったのが、俺たちが昼食を取り終えて一時間も経たないぐらいのことだ。さっそく駆り出されることになった工廠メンバーだけど、むしろお呼びの声を待ち構えていたようで、みんな意気揚々と駆け出していった。


 そして、工廠のみんなが呼び出されてから程なくして、俺にもお呼びの声がかかった。単体で呼ばれたから何事かと思えば、防御膜の機能検証を行いたいとのことだ。

 そこで俺は、報告書作成を切り上げ、最後に小皿料理を頬張って店外へ出た。

 王都を包み込む膜の力は、防御には留まらなかったようだ。アレが何なのか、気になる人は多いようで、俺たちが帰還した当初よりも人通りが増えている。

 こうした街の変化には、雪かきだとか市民との触れ合いという、事前の積み重ねも活きているようだ。すでに外へ出ている人がいなければ、窓から眺める程度で済ませていたことだろう。

 こうして人々が外に出るようになったのは、良い傾向ではある。

 しかし……これでもし、あの防御膜に何かしらの不具合があったり、見た目ほどの物ではなかったりしたら……またこの街がお通夜みたいになってしまうだろうか。そんなことを考えながら、俺は中央広場へと歩を進めた。


 広場で待っていたのは、サニーとラックスだった。二人でホウキを三本持っていて、うち一つを俺に手渡してくる。この検証では、ラックスが会議との通信係を、サニーが検証の助手を務める。

 ただ、サニーを目にした街の人々が、だいぶ不安そうにざわついている。もちろん、彼自身に問題があるのではなくて、彼が担いでいる魔力の矢投射装置ボルトキャスターが原因だろう。王都の中で、こういう武器を堂々と表に晒すことはそうそうないことだ。ものものしく思われているのかもしれない。

 まぁ……これから王都に対し、見た目上は弓引くことになるけども。


 多くの気遣わしげな視線を背に受けつつ、俺たちは空へと舞い上がった。

 王都の防御膜に近づいていくにつれ、それが放つ淡い光が強く感じられる。目を凝らしてみると、薄い青系に色づいた様々な模様が多層化しているのがわかった。重なり合う半透明のこれらの模様が揺れ動くことで、地表から見た時の光の揺らぎとなっているのだろう。

 そうした観察を軽く済ませ、さっそく実験――の前に、ラックスに尋ねることがある。


「上からの指示は?」

「まず、”銃”で撃ってみてほしいとしか」


 上からの指示は最低限って感じだ。向こうも向こうで相当忙しいのだろうけど。とりあえず、射撃はサニーに任せ、俺とラックスは観察に徹することに。

 王都内で銃をぶっ放すことについて、やはりサニーは抵抗感を覚えているようだった。しかし、止むを得ない状況だけに、彼も腹を括った。真剣な表情の彼が、斜め上方十数メートルほど離れている防御膜へと一射。

 すると、放たれたマナのボルトは、膜表面で着弾。軽い破裂音と、ごく小規模な閃光を生じて霧散した。間違いなく、防御機構としては機能している。この様子をもう少し探りたい。

 そこで俺は、防御膜にさらに近づいて観察を行うことにした。ラックスはサニーの側でそのままだ。

 再びサニーに一発撃ってみてもらったところ、撃たれた膜が損耗しているようには見受けられなかった。ただ、反応の詳細までは目で追いきれない。もう少し、しっかり確かめたい。淡い青の色彩に揺らぐ防御膜と、その先に広がる暗い色の雲を眺め……俺の脳裏に、一つの考えが浮かんだ。


「ラックス~。上からの指示以外で、勝手に動くのは?」

「それは大丈夫。というか、そのためにあなたが呼ばれたようなものだし」


 ああ、なるほど。人づてながらも承認を受け、俺はさっそく行動に移った。

 まずは、防御膜を物理的に抜けられるかどうか。さすがに自分の手でやる気は起きず、防御膜ギリギリまで近づいて、俺はマナペンを突き刺してみた。

 しかし、特に反応は起きない。この防御膜は、物理的な実体に対しては干渉しないようだ。

 そこで俺は、手にしたマナペンにマナを通してみた。これも無反応だ。多層化した膜に突き刺したペン先で、俺の青緑のマナが放たれる。

 ただ、そこで何か書こうと思っても、膜内を巡るように見える模様の流れにかき乱されるようだ。書いていく端から淡くにじんで、結局は消えていく。

 とはいえ、書けないながらも、ペン自体に悪影響はないようだ。膜から引き上げてみると、ペンはいつも通りしっかりと使えた。これならたぶん……俺は下の二人に告げた。


「膜の外に出てみる」

「大丈夫ですか?」


 まぁ、そう言うよな。かなり心配した様子のサニーが問いかけてくる。一方、ラックスはさほど心配した感じではない。彼女は普段の調子で「命綱は?」と聞いてきた。

 大丈夫だろうとは思うけど、念のためだ。さっそく下に降りて綱を調達、サニーと俺を括りつけて、もしもの備えにする。


 そうして準備が整い、俺は防御膜へ向き直った。ゆっくりと高度を上げていき、手を上にかざす。問題ないだろうとは思っていても、さすがに強い緊張感がある。

 しかし、膜に触れても指が突き抜けても、それらしい感触はまったくない。多分、問題なく通り抜けられる。俺はさらに高度を上げていき――上半身が防御膜を完全に通過した。


 残る懸念は、ホウキの方だ。しかし……これもたぶん、大丈夫のはず。心配事は、ホウキと手の間でのマナのやり取りが阻害されることだ。そこで、ホウキと手を強く密着させるように意識し、少し勢いをつけて俺は上昇した。

 結果、俺は何事もなく、防御膜の外側に出た。膜の外へ出ても、変わりなく北風が吹きつけ雪が舞い降りてくる。やはり、こういう物理的な存在には不干渉なのだろう。

 ただ……王都を守るはずの膜を抜けた先で直に目にする、塗りつぶしたような鈍色にびいろの曇天は、なおさら威圧的に感じられる。


 まぁ、雲はさておき、まずは膜についてだ。ここまでの感触では、人体や魔道具に対して直接の干渉を行うものではないといったところ。

 そこで試しに、俺は宙にマナを走らせてみた。一つ目は、可動型を使ったただの器。もう一つは、可動型を合わせた光球ライトボール。それぞれを、防御膜の内側へと向かわせる。

 すると、器の方は原形を留めたまま膜を通り抜けた。一方で光球は、膜に触れた表面からすりおろされるようになってマナへと還っていく。

 これは予想通りだ。器の状態なら、他から干渉を受けずに安定する。この特性は、下の防御膜相手でも揺るがないようだ。他方で、文を合わせて魔法陣となった光球は、他との相互作用を受けるようになって破壊された。

 しかし――器を通過させることができたってのは、魔法庁以外には伏せた方がいい情報かもしれない。


 ともあれ、他に一つ判明したこともある。この防御膜の外で、俺は光球の魔法陣を普通に書くことができた。膜の外であっても、王都の上空には違いない。

 つまり、王都の中では魔法を使えないという制約は、この防御膜の存在によって影響範囲が可視化されたと考えていいだろう。

 そこで俺はもう一つ魔法を使ってから、再び膜を通り抜けて内側へ戻った。すると、「大丈夫ですか?」とのサニーの声。


「大丈夫。具合が悪くなった感じはないよ」

「ならいいんですけど、次はどうします?」

「もう一回、撃ってみてもらえないかな」


 彼は言われたとおりに、もう一発撃ってくれた。その着弾時の反応を、俺は異刻ゼノクロックでこの目に収めていく。

 一見すると、この防御膜は泡膜バブルコートのようだ。単に、その規模が規格外というだけで。

 しかし、泡膜と明らかに違うのは、着弾によって全体が割れないってところだ。その違いがどこから来るのか。異刻の助けも借りて見てみたところ、なんとなく理解できた。

 この膜自体はかなり多層化した魔法陣の集積体らしく、しかも、それぞれの薄層が独立して動いている。最初は、あまりにも多層化しているものだから、一枚割れても全体が無事に見えるものと考えていた。

 実際には、もっと上等な仕掛けのようだ。着弾時の様子をよく見てみると、割られているのは着弾した層のごく一部。周囲の模様から、着弾点を含む円形に損傷が発生するようだ。少なくとも、矢を受けた層全体が割られたような感じはない。

 また、破壊された着弾点は、マナの霞の中ですぐさま直っていき、やがて何事もなかったかのように元通りになった。


 それからもサニーに何発か撃ってみてもらったところ、おおよそではあるものの、この防御膜の構造がわかってきた。

 この防御膜を構成する各層の膜は、どうやら光盾シールドに近いものを敷き詰めているようだ。弾を受けた光盾一枚が割れても、よほどの規模の攻撃でもなければ、被害が大きく拡大することはない。

 また、それぞれの層が流動性を持って動いているおかげで、同じところが割られ続けないようになっている。たぶん、流動性を持たせることでマナを送り出し、破損箇所の修復を促す意図もあると思う。

 これらの効果により、一度割られた箇所も、放っておけばすぐに回復して元通りになる。それまでの間は膜全体が流れるように巡ることで、敵の前には無事な箇所が立ちふさがる、と。

 一つ言えるのは、よほどタイミングを合わせた集中砲火でもなければ、人の手でこの膜を打ち破るのは困難だろうということだ。

 ただ、これがアル・シャーディーンを襲ったという一撃に耐え得るものかというと……さすがに、何とも言えない。


 とりあえず、俺が観察した所見をラックスに伝え、彼女の口から上へと報告してもらった。

 それで……上としては、防御膜が機能しているかどうかがわかれば、それでよかったらしい。その性能の限界まで試そうという腹は、今のところはないようだ。

 実際、それを確かめるだけの手段は、相当限られる。それに、衆目の前じゃできないだろう。検証で頑張りすぎて、防御膜が全損しても困る。石橋を叩いてぶっ壊れたんじゃ……ってわけだ。非破壊検査で強度測定ってのも難しいだろうし。


 ひとまずの検証が終わったところで、撤収しようということになった。しかし……俺はまた一つ思いついたことがあり、二人に「少し待ってて」と告げた。

 それから、俺は膜の外に躍り出て、右手に色選器カラーセレクタを展開した。調整する色は青。指から青いマナの線を伸ばし、防御膜へと侵入させる。

 しかし、いくら色を変化させても、俺のマナは膜を透過することなく阻まれ、かき乱されて散っていく。

 やはりというべきか、多層化した防御膜は、双盾ダブルシールド的な考えもあるのだろう。一色で構成するのではなく、多色の防御を重ね合わせることで、同色の攻撃による貫通を防いでいる。


 色合わせによって抜けられないとなると――後は出力勝負だ。俺は鈍い色の雲をにらみつけた。

 上に何か、悪意や敵意を持つ存在がいるとして、この王都の変化は目にしているのだろうか。そいつにとって、この防御膜は障害足り得るのだろうか。

 探索は成功した。防御機構も復活した。しかし、厚い雲に覆われるように、先の見通しは不明瞭だ。

 ただ、それでも……俺たちはできる限りのことをやっていくしかない。

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