第617話 「フラウ・ファリアの心臓②」

 小雪舞う外へと数時間ぶりに出てきた俺たちを、地上班が大歓声で出迎えてくれた。凱旋みたいな感じだ。攻略対象が自国都市だったけども。

 そして、俺たちがやってきたことの成果が、嫌でも視界に入ってくる。報告通りの頭上だ。王都の上空が、半透明の半球が覆われている。ごくごく薄い青系の色彩が揺らいでいて、まるでシャボン玉のようだ。

 これでうまくいくのかはわからない。今後も検証は必要だろう。ただ、俺たちがとりあえずはやり遂げたのは間違いない。無事を喜び、探索の成功を祝う歓喜の中、確かな達成感を覚えた。


 そして、うまくいったのは俺たちだけじゃないようだ。“少しは街を元気に“といった意図で、俺たちの探索に並行する形で始めた雪かきは、一定の成果を収めている。

 というのも、明らかに冒険者ではない人々が、普段よりは少ないながらも街路に繰り出しているからだ。俺の仕事仲間たちと暖を取っている人もいれば、一緒に雪かきしている人もいるし、そういう業務そっちのけで雪合戦している姿も。

 俺たちの帰還直後の、ちょっとした騒ぎが静まったところで、地上班から一人歩み出てきた。ラックスだ。彼女はまず、殿下に向き直って口を開いた。


「無事のご帰還、何よりです」

「ありがとう。そちらも、特に子細なかったようで」


 すると、彼女は「何もなかったわけではありませんが」と苦笑いしながらも、目立った事件は起きなかったことを告げた。


「防御膜と目されるものが現れてからこれまで、空に気がかりな変化は生じておりません」

「あれに対する反応がなかったと」

「今のところは、ですが」


 落ち着いて言葉を返す彼女の発言に、少し場の空気が緊張を帯びてピリッとする。すると、彼女は軽く咳払いして詫びを入れた。


「失礼しました。皆様お疲れのところ、配慮に欠ける発言を」

「私は構わないよ。もっとも、みんなもそうだろうけどね。何しろ、君の言うことだから」


 実際、ここにいるほとんどは、彼女の知人友人みたいなものだ。殿下でさえ、きっとその枠に入ることだろう。彼女が口にしたちょっとした言葉を、無思慮とそしる声はない。

 その後、これからどう動こうかという話になった。攻略のための備えはあっても、その後のことはあまり決めきれていない。とりあえず、工廠側としてはすぐにでも最深部のさらなる調査に取り掛かりたそうだけど……。

 ただ、王都全体の安全に関わる案件だけに、現場の考えだけですぐには動き出せない。まずは速やかに報告を上げ、その上で国の審議を通して正式に動いていくことになるだろう。

 ラックスによれば、そういう会合の場は、すでに整いつつあるらしい。彼女は殿下に向かって言った。


「会議のため、諸臣諸官へ招集をかけているところです。用意が整うまで、昼食を取られるとよろしいかと」

「そうだね。一度始まると長引きそうだ」


 すると、エリーさんが「あなたもどうですか?」とラックスに尋ねた。


「一緒に昼食を取りつつ、これまでの動きをまとめていけば、後がスムーズでしょう」

「そうですね。私も、昼食がまだでしたし……」


 そこで、ラックスは他の地上班に段取りを軽く引き継ぎ、俺たちと同行することに。ただ、早速と案内しようとするエリーさんをやんわり静止し、ラックスは殿下に提案した。


「まずは中央広場に向かわれませんか?」

「中央に?」

「ご帰還の報は既に入っていますが……時勢柄、凱旋で気を奮い立たせることも大切かと」

「それもそうだね」


 殿下は彼女の提案を容れられ、俺たちは昼食の前にちょっとした凱旋を行うことに。今は東区の端辺り、ここから中央広場まで向かって歩いていく。

 そうして歩いていけば、冒険者連中だとか、彼らに引き寄せられた市民の方々に出くわすことだろう。彼らが俺たちの帰還と作戦の成功を祝ってくれれば、その騒ぎが少しずつでも街中に伝播することだろう。すると、騒ぎを耳にし、家にこもっている人たちも外に出るかもしれない。

 なんだか、天の岩戸みたいな話だ――もっとも、肝心のお日様が弱々しいのが全ての元凶なんだけど。そっちの解決方法は、まだ深い霧の中ってところだ。


 凱旋は、パレードというほど勇壮なものではなかったけど、感触としては悪くなかった。

 殿下を先頭とする集団ってのは、それだけでかなり目立つ。ざわめきが街路から家へと伝わり、何事か確かめようと窓に顔を寄せる姿が、そこかしこで見られた。

 そして、こんな空の下でも街路に繰り出す人々は、殿下を直接目にしてものすごく恐縮する方が多かった。俺たちが変に慣れすぎているだけで、こういう反応の方が普通だろう。

 ただ、俺たちとしては、今こうして外に出ていてくれている方々にこそ感謝したい。俺たちの意をどこまで汲んでくれているかはわからないけど、彼らなりに思うところあって動き出しているのだろうから。そういった方々一人一人に、殿下は軽くお声がけなさった。

 そうして俺たちは、歩みは遅いながらも、いろいろな方々と触れ合いながら進んでいった。赤ら顔の冒険者やどこかのオッサンに、雪玉をぶつけられたり、そのへんのガキンチョが便乗して雪玉をぶつけてきたり。あろうことか殿下もその餌食になったけど、不敬極まるその軽挙を、殿下はとても楽しそうに受け入れられた。


 東区は王都でも一番騒がしい部分だ。中央広場が、それにかろうじて匹敵するかどうかといったところ。

 しかし、今日はどうも逆転しているらしい。前方の広場には、どういうわけかそれなりの規模の往来が見える。いや、そこそこの人数が外に出ている事自体、好ましくはあるんだけど。

 そして――広場の中央におられる人物のお姿に、俺は自分の目を疑った。国王陛下が広場の中央におられる。傍らには宰相閣下も。

 広場にいる人々は、あのお二方に平伏するでもなく、普通に街を行き来している。いや、普通ってのはちょっと違うか。やはり、広場の中心におられる方には興味を惹かれるようで、何食わぬ顔でチラ見する人が少なくない。あるいは、ひれ伏さないまでも、軽く拝むような人も。

 広場中央におられるお二方の存在は、殿下にとっても予想外だったようだ。ただ、どうしてこちらに出ておられるのか、大方の察しはつく。


 それから俺たちは、殿下を前に広場の中央へと歩いていった。それまで平静を装っていた周囲の人々も、あのお二方に殿下が加わるとなると、気が気じゃないようだ。広場中央へ歩を進めるほどに、場を満たすどよめきが強くなっていく。

 そうして御前へと近づいていくと、殿下は俺たちに向き直って仰った。


ひざまずかず、立って威儀を正せばいいよ」

「よろしいのですか?」

「相手を雪中で跪かせるような父上ではないよ」


 殿下がそう仰るなら……という空気になるけど、外から見てどうなのだろうという懸念はある。きっとかなり解消されたことと思うけど、陛下と殿下の間に何かしらの確執があったというのは、俺でも知ってるぐらいの話だし――それぞれを旗に掲げる、派閥みたいなものがあるとも。

 ただ、俺たちみたいなのの扱いについては、陛下もさすがに心得をお持ちだ。俺たちが近づいていくと、陛下は先手を打つように「楽にするといい」と声を掛けてこられた。

 しかしそれでも、御前に立つと体に力が入る。他のみんなはどんな感じだろうと、視線を横に少し動かすのも不敬に感じられ、目は前方に釘付けだ。

 それから少しして、殿下が口を開かれた。


「王都の地下探索を終え、帰還いたしました」

「ご苦労であった。しばし後に会議を執り行う。短い間ではあるが、それまで休らうが良い」

「はっ」


 ここまでは――話者を除けば――普通の会話だ。取り立てて気になる言葉も言及もない。

 そこで殿下が、俺たちが気にしていることを切り出された。


「陛下は、こちらで何を?」

「何を、というと……難しいな」


 この時の陛下のお顔は、まるで子どもの質問に対し、返答に窮している親のようで……いや、実際にそのとおりか。どうにも困ったといった感じで、少し渋くも優しげな顔をなされている。

 すると、宰相閣下が「私の方から」と断られた。陛下が「頼む」と承認なさり、閣下が代わって問に答えられることに。


「実を申しますと、特に何かしているわけではございません。強いて申せば、散歩。あるいは街の観察でしょうか」

「宰相、あなたからの提言かな」

「さすがのご慧眼ですな」


 つまり、宰相閣下もギルドと同じようなことをお考えになり……市民を家から引きずり出そうと、陛下を連れられたってところか。もしかすると、ギルドと閣下が事前に通じていたって可能性も高いか。

 ともあれ、本当に目論見がそうなのだとして、それはうまくいっているように感じられる。というより、本命はこれからか。視線は前の方々から外せないけど、周囲から注ぐ視線やざわめきの波は、一層強まっているように感じる。なんせ、陛下と宰相閣下の前に、殿下まで来られたんだから。

 すると、閣下は明るい口調で仰った。


「昼間っから、酒を何杯も頂戴いたしまして。たまにはこういうのも、いいものですな!」

「この後、会議があるんだけど……いや、宰相のことだから平気か」

「後に響くような飲み方はしておりません。私も、若くないですからな」


 そんな宰相閣下に、陛下は苦笑いなさっている。見たところ、閣下は酔っていらっしゃるようには全く見えないし……たぶん、問題はないのだろう。

 それから、陛下は空を見上げた後、殿下に向かって仰った。


「お前たちは良く働いた。早く温かいところへ入って、休みなさい」

「父上は?」

「会議までは、ここに残る」


 それだけ会話を交わされると、殿下は陛下に軽く頭を下げられ、俺たちもそれにならった。そして、殿下を先頭に、俺たちは中央広場を立ち去っていく。


 雪は相変わらず降り続けている。でも、こんな空の下でも、心の熱が消え失せてしまうということは、決してないだろう。

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