第614話 「王都最深へ④」

 俺が話をつけてから20分程度で、工廠の職員が戻ってきた。依頼の品は見つかったようで、戻ってきた彼は小脇にそれを抱えている。真っ黒な衣装だ。

 それを見て、メルが「マナ遮断手袋フィットシャットの服版ですか?」と尋ねてくる。


「うん。同じ素材で作ってもらったことがあって」

「へえ~、用途が気になりますが、聞かない方がよさそうですね」

「まぁ……そうかな」


 こいつを使ったのは、クリーガとの内戦で、向こうに忍び込んだ時だ。解決した件だし、別に構わないかと思わないでもないけど……あえて口にすることでもないか。

 それはさておき、この服はマナを遮断する素材でできていて、前は潜入における探知機構をすり抜けるのに使った。今回も同様の手口でいけないだろうか。

 それで……誰が着るのかという話になり、俺は名乗りを上げた。しかし、心配そうな仲間の一人が口を開く。


「別にさ、発案者がやる必要はないんだぜ」

「それはそうだけどさ……やっぱり心配か?」

「魔法を使えないんじゃな~」


 つまり、魔法を使える状態なら……と思ってくれてるわけだ。これはこれで評価されているようで、少し嬉しいかもしれない。

 ただ、俺だからこそできることってのもある。他に強い反対意見も出なかったので、まずは俺がこの服を試してみることに。


 通路を少し戻ったところで着替え、俺はみんなの元へ合流した。すると、仕事仲間たちの多くは、俺の見た目がそう変わっていないことに拍子抜けだったようだ。

 これは、当然といえば当然だ。潜入時に見た目で怪しまれないようにと、服はインナー向けに作ってもらっている。強いて言えば、頭部を覆うためのフードがあったり、肌の露出がほとんどなかったりというぐらいが、外見上の特徴か。

 そんな中、前に発掘作業で一緒に動いた面々は、どこか懐かしそうにしている。

 そういえば……あの時はハリーが似たような服を着て、鎧のマナ検知をごまかしていたっけか。あの時は実際、うまくいった。それに、クリーガの潜入の時だって。だったら今日も、いけるだろう。


 それでも逡巡しゅんじゅんしてしまうものを感じながらも、俺は前の通路に向かって歩を進めた。

 そして、俺は通路への第一歩を踏み出し――通路の魔法陣は、俺の存在を検知したようだ。魔法陣が青く光り出す。

 もしかすると……とは思っていた。顔の部分を隠しきれてないおかげで、そこに反応したのだろう。光球ライトボール程度の侵入でも反応するぐらいだから、当然かもしれない。残念そうなため息が背後で聞こえる。


 しかし、ここで終わりじゃない。俺は後ろ向きで通路へ侵入してみることにした。

 ある程度入り込まなければ、魔法陣は反応を示しながらも射撃まではしてこない。そうわかっていても、見ずに足を踏み入れるのは恐ろしいものがある。

 ただ、目論見はうまくいったようだ。俺が通路に踏み込んでも魔法陣は反応しなかったらしく、見守るみんなの顔と声から、それがわかる。これでいけるんじゃないかと沸き立つ仲間たち。

 とはいえ、これだけではまだまだ。後ろ向きである程度まで進めば、顔の部分から漏れ出たマナを検知されて撃たれるだけだ。

 さらにもう少し、何らかの工夫がいる。よほど検出力が強いのか、服のフードをかぶって口元を抑えても、魔法陣には見つかってしまう。何か、後一手。


――あるにはある。

 というか、それこそが、俺が名乗り出た理由だ。内心、かなりためらわれるものを覚えつつも、俺はエリーさんに腕輪の貸与を願った。


「少し、よろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ」

「すぐ返しますから」


 実際、俺はこの腕輪をつけたまま、あの通路に入っていくつもりはない。全ては入る前に済ませる。一度手袋を脱いで腕輪を装着し、俺は必要な魔法をさっさと使った。

 それから、俺はエリーさんに腕輪を返した。さすがに、彼女も俺の考えまでは読めないようで、少し怪訝けげんな顔をしている。


「もう大丈夫ですか?」

「はい」

「何したん?」

「秘密」


 横から割って入った仲間に言葉を返すと、苦笑いはされたものの、食い下がってはこなかった。言えない魔法を使うなんて、俺にはよくあることだからだ。

 ただ、言えないってことがヒントになったかもしれない。少しするとエリーさんはどことなく合点がいったような顔になった。

 いや、彼女だけじゃない。メルとアイリスさん、殿下にハリーもシエラもそういう感じで――ある時期、俺が迷惑をかけたり心配させたりしてしまった顔ぶれだ。なんとなく、察するところがあったのだろう。


 どうにも隠し事ばかりで後ろ髪を引かれつつも、俺は通路に向き直って足を踏み入れた。今度は前向きに、顔も隠しきれていない。

 しかし、魔法陣は無反応だ。「おおっ」というざわめきが背の方で聞こえる。もう少し進んでみても、やはり魔法陣は反応しない。そこで俺は、一度立ち止まってエリーさんにお願いした。


「通路に光球を出し入れしてみてください」

「わかりました」


 頼んだとおりに彼女が光球を動かすと、それが一種のスイッチみたいに働いた。光球が入れば、魔法陣が反応してONに。出ていけば、魔法陣から輝きが失われる。

 そして……こうした反応を引き出しているのは、光球の動きだ。俺という侵入者の存在を、魔法陣たちは完全に無視しているように思われる。俺は路傍の石みたいになっている。


 うまくいきそうだ。一度俺はみんなの元に戻り、渡り切った後の流れを決めることに。とりまとめはティナさんだ。彼女は俺を見つめながら言った。


「向こう側に着いたら、それらしい魔法陣を探してくださいまし。おそらく、解除用の何かがあるものと思われますわ」

「わかりました」

「暗くて探しづらいようであれば、エリーさんに光源を送ってもらいましょう」


 そうして段取りが決まると、俺は再び通路に向き直った。一度振り向くと、心配そうな――本当に心配そうなアイリスさんと目が合い、俺は彼女に……いや、みんなにも微笑みかけて「行ってきます」とだけ言った。


 それから、みんなの目を背後に感じつつ、俺は静かな通路に足を踏み入れた。

 反応を探っていた頃とは大違いだ。俺みたいなのが入り込んでも、魔法陣は待機モードで、淡い光を放つだけ。俺を排除しようという感じはない。

 本来であれば魔法陣が射撃を始めようという間合いに入っても、それは変わらなかった。わずかな反応も見逃すまいと気を張る俺は、そういった反応がないことに胸を撫で下ろした。

 これらの魔法陣から見て、俺は透明人間になっているようだ。それが確認できても、いつ動き出すか知れたものではなく、俺は気が気じゃない。駆け出したい気持ちが押し寄せる一方、静かに歩いているからこそ、うまくいっているんじゃないかという考えも。

 他に頼る者がない中、俺の心中で二つの気持ちが戦い合い、結局後者が勝利を収めた。ここまでの状況と、俺の見立てを信じ、このまま静かに歩くことに。


 通路を渡るために、俺は魔法を二つ使った。一つは異刻ゼノクロック。これは、通過中に魔法陣が妙な反応を見せた際、即応するための備えだ。

 もう一つの魔法が、盗録レジスティール。これで俺のマナを体内に留め、魔法陣に感知されないようにしようってわけだ。

 ただ、現状を見る限りうまくいっているようだけど、事前に盗録の働きに確信を持っていたわけじゃない。マナが俺の体から出ていかないとしても、今着ている服みたいな遮断効果とは、少し機能が違うんじゃないかと。

 現実にはうまくいっているようで何よりだ。マナが外部に漏れださない限り、こういった魔法陣では検出不可能なのだろう。それを服で行うか、それとも体内へ仕込んだ魔法で行うかの違いだけであって。


 しかし、何かの拍子で魔法陣たちが牙をむくかもしれない。通路の半ばまでやってきてもなお、そういう恐怖は拭いきれない。反応の瞬間を見逃さない準備はあっても、俺は基本的に無防備だ。

 それにしても……ここまでうまくいっているように思われるのに、俺はどうしてそれを信じきれないんだろう?

 それはきっと、俺の目には俺の姿がしっかり映ってるからだ。

「透明人間になったらどうする?」みたいな話があるけど、自分の目には自分の姿がしっかり映っているようであれば、思い描くほどに強気には出られないだろう。自分の目にも見えないからこそ、自分が透明になったという事実を確信できるのだと思う。

 今の俺に、それを望むことはできない。鏡を見ても、きちんと俺の姿が映る。俺が見えていないのは、四方八方を囲う魔法陣だけ。その見えていないというのも、状況からそのように解釈することしかできない。確信を持てるだけの、事の背景に対する知識は、きっと手の届かない領域にある。


 ただ、不確かさの中に身を委ねる俺にとって、一つ言えることは……こうして色々考え事をすると、だいぶ気が紛れるってことだ。向こう岸まで、あと魔法陣一個分。

 ここまで来ると、もう駆け出そうって気にもならなくなる。それよりは、今まで無事に過ごしたやり方を貫いて、予期せぬ万一を避けたい。


 そして――いよいよ向こう岸にたどりつくと、みんなの側から大きな歓声が聞こえた。

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