第609話 「王都地下水路探索③」

 通路を開け放しにするために、例の橋の仕掛けを維持しつつ、魔法陣を書けるようにする腕輪をこちらに持ってくる必要がある。

 そこでまず、外連環エクスブレスでエリーさんに連絡だ。ティナさんの口から状況が語られる。


「……というわけですので、例の腕輪を貸していただければと」

『わかりました』

「……魔法庁的に、大丈夫ですの?」


 まぁ、当然の疑問だ。もともと例の腕輪は魔法庁長官専用の備品だ。エリーさんに託されているのは、彼女が魔法庁長官補佐室室長というポストにあるから。それでも、長官専用装備という前提からすれば、拡大解釈には違いない。

 そして、本来は魔法を使えない王都でも、その縛りを脱する装備ってのは……司法的立場にある機関だからこそ持ち得る、特権的な装備だろう。その重要性を、この場の王侯貴族の方々は理解なさっている。

 そこで、誰かを使いっぱしりにして腕輪を譲渡するのではなく、貸与される本人と立会人を数名用意しようという話になった。立会人は、王太子殿下と、伯爵閣下と、別の伯爵家のご令嬢だ。


 ティナさんと、王侯貴族の方々にご足労いただく流れになり、待つこと十数分。皆様方が戻ってこられた。

 王都内の魔法陣に対する妨害は、一度書き上げてしまえば問題ない。そのため、例の腕輪を使った後に外すのは、問題なかったようだ。

 一方、腕輪にまつわる法的問題はというと……やはりティナさんも思うところはあるようだ。法的に危うい橋を渡っている認識があるようで、腕輪を装着した彼女の顔は、少し硬い。

 ただ、託された以上は足踏みするわけにもいかない。前みたいに護衛を引き連れ、ティナさんは向こう岸へと渡っていった。

 そうして数十メートルほどの通路を歩ききった後、彼女は向こう側で何か作業を始めた。殿下の外連環から、彼女の声が聞こえる。


『少々お待ちいただきたく存じます』

「どうぞ」


 彼女の言う少々は、結局五分程度のものだった。再び外連環から声が響き、「一度戻りますわ」とのこと。先行していた五人が戻ってくると、ティナさんは外連環でエリーさんに声をかけた。


「一度、魔法を解いていただけませんか?」

『では』


 そんな短いやり取りの後、虹色に染まっていた水路が、元通りの薄い緑になった。しかし、向こうへの通路は変わらず維持されている。目に見える変化は、床の色が白くなったという程度。

 とりあえず、通過はできるだろう。念のためにと、ティナさんが光球ライトボールを飛ばしてみても、不審なところは感じられなかった。

 そこで、ティナさんは、エリーさんにうまくいったことを告げた。


「あなたのおかげで、先に進めそうですわ。こちらへ来ていただけませんか?」

『了解しました』


 程なくしてメンバーが揃い、俺たちは通路の向こうへと歩き出した。

 隠し通路は、床が白く、それ以外は真っ黒だ。暗闇の中に、足場が浮かんでいるような錯覚がする。

 しかし、実際には壁も天井もある。閉鎖的な空間のわりに、妙な奥行きさえ感じさせる壁と天井に、どこか落ち着かないものを覚えてしまう。

 だから、きちんと向こう岸に着いたとき、それまでの水路に似た空間が広がっていることに、俺は強い安心を感じた。他のみんなも大方似たようなものだ。殿下を始めとする貴人の方々も、あの通路には奇妙な感じを覚えておいでのように見える。

 そんな中で一番ケロッとした感じのティナさんは、やはりさすがと言うべきか。こういう仕掛けや通路は、もう慣れっこのようだ。

 通り抜けた通路の先には、一つ目立つ物があった。おそらくはティナさんが攻略した仕掛けだろう。床に刻まれていた白い魔法陣が光を放っている。また、その魔法陣からはいくつもの線が伸び、それが周囲の床ばかりでなく、壁や天井まで這い回っている。

 こうした仕組みについて言及する前に、ティナさんは殿下に問いかけた。


「ここまでのルートを確立させるため、工廠から人員を呼びたいのですが……」

「もちろん、構わないよ。あなたの判断に従おう」


 それから殿下は、「最初からついてきてもらったほうが良かったかな?」と、困ったような笑みをこぼされた。もっとも、何が起きるかわからないからこそ、魔法を使えない非戦闘員を、あまり連れてきたくないという事情はある。

 こうして工廠の人員を待つ待機時間が発生したところで、ティナさんは仕掛けについて解説を入れてくれた。


「この通路を開けるための鍵は、あの八つの橋か、こちらの魔法陣。いずれかが機能していれば、通路か開くという仕組みのようですわ」

「こっちの鍵は、随分シンプルですね……つっても、ティナさんじゃないと開けられなかったでしょうけど」


 仲間の指摘通り、白い魔法陣は、何がどうなっているのかわからない。ただ、この魔法陣さえ理解していれば、八つ橋の仕掛けよりも面倒は少ないように思われる。

 そこで、それぞれの仕掛けの難度や位置関係を踏まえ、ティナさんが考察を述べていく。


「ここを進めば、おそらくは王城の下に着きますわ。おそらく、当時における通常時の運用や施工、あるいは変事の脱出・避難用に、こちらの鍵はシンプルにしておいたのでしょう」

「しかし、城の下に続く通路というのは初耳だね。おそらく、巧妙に偽装されているのだろうけど」

「本当に見つけてしまった場合、開通させるかどうかは……さすがに、国の判断に委ねますわ」


 そうして話していると、意外にも結構早くに工廠の面々が到着した。というのも、ホウキを駆って水路を飛んで来たからだ。

 一行の中にはシエラの姿も。リーヴェルム共和国へ、ホウキ普及の件で出向していたはずだけど……ホウキで空を飛ぶどうこうという世の中でもないし、こちらへ戻ってきたのだろう。実際にどうなのか、問いかけるのも悪い気がして、俺は口をつぐんだ。

 すると、やってきた工廠のみんなに、ティナさんがさっそく話しかけた。


「こちらの魔法陣ですが、今のところは機能を維持しているように見えます。ですが、念のためにあなた方にも見てもらえればと」


 それだけで、どうして呼ばれたのか、魔道具のプロたちは察したようだ。魔法陣や周囲の仕組みを探ろうと、静かに動き出す。

 かいつまんで言えば、ティナさんの手で通路のスイッチである魔法陣をONにしたものの、接続状態が維持され続けるか怪しい。だから、配線状況を確認してほしい……みたいな感じだ。魔法陣が機能し続けないと、また橋の仕組みを攻略しなければならない。

 ただ、工廠メンバーの調査によれば、これで問題はないようだ。


「周囲からマナを集めて、この魔法陣を機能させているようです。マナの流れは安定していて、不審な兆候は見受けられません」

「ありがとうございます。これで一安心ですわね」


 そうして一仕事終えた工廠メンバーだけど、この先も力を借りる事態になるかもしれない。そこで、殿下たってのご希望ということで、彼ら作業要員にも帯同願うことになった。

 彼らとしても、こういう遺跡攻略はロマンを刺激されるようで、願ってもない申し出に目を輝かせている。

 ただ、そんな中にあってシエラは、感情を抑え込んだようなクソ真面目な顔でつっ立っている。そんな彼女の様子に、何か思うところあったのか、心底心配そうな顔でアイリスさんが尋ねた。


「シエラ、大丈夫?」

「……そうでもないかも、です」

「何か悩みがあるのなら、もし良ければ話してもらえないかな?」


 殿下からのお言葉もあり、シエラは少し困ったような笑みを浮かべてから、口を開いた。


「ご存じかと思いますが、私はホウキ普及のために共和国の首都工廠へ出向しておりました。ですが、それどころではない状況ということで、一時帰国する事態となりまして……」


 そこまで口にした彼女は、わずかに体を振るわせた後、大きなため息をついた。


「何が相手かもわかりませんが、まるで私たちの空を奪われたようで……悔しくて、腹立たしくて。本当に、イライラします」

「そ、そっかぁ……」


 どことなく怒気をはらむ彼女の口調と態度に、殿下は予想外というか予想の上を行かれたようで、少したじろいでおられる。

 それから少し間を開け、彼女は戦意もあらわに告げた。


「この状況を打破しなければ、満足に空も飛べません。ですから、私にお役に立てることであれば、何なりとお申し付けください!」

「実際、今回の水路探索の事前調査でも、彼女は大半を一人で片づける勢いでした」


 エリーさんが微笑みながらシエラの肩に手を置くと、彼女は少しはにかんだ笑顔を見せた。真面目な顔をしたり、若干キレ気味になったり、怒りに燃えたり、照れてみせたり……今日のこの子は、表情が忙しい。

 でも、包み隠さない彼女の感情は、俺たちに好ましいものを与えてくれたようにも思う。彼女ら工廠メンバーを加えたことで、みんな発奮したものがあったのか、先を行く足取りは軽い。


 そうして俺たちは、隠し通路の先を歩いていく。壁によって道が阻まれはしたものの、水路はどこかからか引き込まれているようだ。地図にないこの未踏の空間にも、水路は続いている。

 一本道を延々と進んで行くと、突き当りに到着した。行き止まりの壁には、様々な色の円と模様が重なり合う魔法陣が。それを見て、ティナさんはエリーさんに声をかけた。


「申し訳ありません、もう一度貸していただけませんかしら?」

「ええ、どうぞ」


 特に拘泥するでもなく、エリーさんは例の腕輪をティナさんに手渡した。誰も、あえて口を挟もうとはしない。「エリーさんほどの人が許すなら……」みたいな空気だ。この探索が、国策でやっているという事情もある。

 そうして再び、超法規的に腕輪を託されたティナさんは、俺たちに向かって言った。


「少し離れていただけませんか?」

「危ない魔法陣ですか?」

「いえ、そういうわけではありませんわ。ただ、少しスペースがあった方が、作業がはかどりますので」


 そこで、俺たち観衆がゾロゾロ動いて突き当りから離れると、ティナさんも壁からいくらか離れた。

 それから、彼女は俺も良く知る魔法を使用した。連環球儀法アーミラライザーだ。内部に記述した魔法陣を機能させず、その組成を探るこの魔法で、前方を塞ぐ魔法陣の仕組みを解明しようというわけだ。

 彼女は、前を封じる魔法陣を、手際よく手元の球体内へと転写していく。かなり久しぶりに見るけど、本当にプロの技というか、ほれぼれする手際だ。

 こうして一通り移し終えたと見えるや、彼女は黙考に入った。封印する魔法陣の、どこから手を付けて解除していくか。彼女は書き写した魔法陣をバラし、こねくり回している。


 待つこと十数分。ティナさんの手元の球体が、不意に解除された。

 解法に至ったのだろう。場に期待が満ちていく中、ティナさんは前面に封に向き直り、手を伸ばした。そして、色とりどりの魔法陣からなる錠に、色選器カラーセレクタで合わせたマナを鍵として差し込み、ロックを一段ずつ解除していく。

 一度実物への対処に取り掛かると、後は流れるようだった。ものの一分程度で、封印は消えてなくなった。様々な色からなる封印が消えた後、行き止まりになっていた壁も消失し、通路の先に暗闇が現れる。

 ティナさんの技量に対する感動と、次への道が開けた興奮とで場が沸き立つ中、彼女は俺たちに軽く手を振ってみせた。


 それから彼女は、抜け目なく流れるように光球を放ち、先に広がる闇の中へ忍び込ませていく。

 この先の道は階段だ。ぼんやりとした光に照らし出された、少し広い円筒形の空間の中、壁伝いにらせん状の階段が上下に伸びている。吹き抜けの空間は、どこまで続いているのか。光球の光では先を見通せない。

 ただ、ある程度の憶測を立てることはできる。ティナさんの見立てでは、上のは城のどこかにつながるだろうとのこと。下の階段が次に進むべき道だ。

 しかし、光球は先客の存在を照らし出してもいた。下側に伸びるその空間を、柔らかな先客が埋め尽くしている。


「これはまた、厄介ですわね」


 先客ってのは――スライムだ。下にどこまで続くかもわからない階段の、おそらくは底部からここまでがスライムに埋め尽くされている。光球の光は、スライムの体を多少透過する程度で、その全容を照らすには程遠い。

 道を開けようというのなら、コイツを排除する必要がある。核まで何メートルあるかもわからない上、本来であれば魔法を満足に使えない環境下で、だ。

 プルプルしているこの防衛者に、敵意などは全くない。意地が悪い者がいるとすれば、それは彼をここに配したまま亡くなった先人だろう。思わぬ障害を前に、殿下は苦笑いで「まったく」とこぼされた。

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