第604話 「サミット③」
追加の出席者二名の姿を認め、議長のトリスト殿下は、張り詰めた空気を破るように仰った。
「イスがもう一つ必要だね」
「……ああ、なるほど。すまない」
殿下がこちらへ目を向けられると、すぐに何の話かお察しがついたようだ。途中参加するにしても殿下お一人だろうということで、俺とティナさんの間にはイス一つの空きしかない。
そこでトリスト殿下は、
「遅れて申し訳ありません。まずは、ここまでの流れを」
すると、どこからともなく、議事録が流れてきた。どこかの国の、俺たちみたいなお付きの方が、取っていて下さったのだろう。そのご厚意に感謝しつつ、殿下はアーチェさんにも見えるように書類を広げられた。
ここだけ見れば微笑ましい光景なんだけど、あいにくとそういう状況ではない。殿下の表情には深刻なものがあるし、アーチェさんもそうだ。
やがて一通り読み終えられたと見える殿下は、この場の多くの方が疑問に思われていることを口になさった――つまり、アーチェさんのことを。
彼女についてのお話は、とてもじゃないけど、あの場の当事者でもなければ受け入れがたい与太話にしか聞こえない。
しかし、昨今の情報公開で民草にまで知られるようになった、太古の王侯による数々の愚行と封じられた歴史。その情報の発信源がフラウゼ王国であるという事実が、アーチェさんにまつわる殿下の説明に、相当な説得力を持たせた。
やがて、徐々にではあるものの、彼女という存在を受け入れる――受け入れざるを得ない空気が醸成されていく。
殿下からのご紹介の後、事態の改善に何かしら役立てばと、トリスト殿下はアーチェさんにお尋ねになった。
「もしよろしければ、ティナ女史の見解について、あなたの所見を伺えればと思うのですが」
すると、アーチェさんは戸惑いを見せた後、静かに話し始めた。
「口伝でしか知りませんが……私よりも一世代ほど前に、都市の防御機構は休眠状態に入ったと」
「その理由は?」
「維持コストの問題と……地表を掃滅しかねない魔法を封じることに、同意が成されたとのことで」
「同意? 魔人と人間で?」
「……いえ」
そこで質問が止まった。今の文脈であれば、同意に踏み切ったのは人間同士ってことになる。そして、同意に至ったのは、それまでそういう破壊行為に手を染めていた連中ってことだ。
つまり――大昔の連中は、数日前にアル・シャーディーンを襲った攻撃を、人間同士で撃ち合っていたんじゃないか?
次の質問こそないものの、うつむき加減のアーチェさんの様子と、その深刻な表情は、憶測を認めるように思われる。質問なさっていたトリスト殿下も、あえて聞き出して尋ねようとはなさらなかった。
どういった過去があろうと、今重要なのは、王都にはそういう防護機能があったということだ。「そういった機能を、復活させられるものですか?」と殿下がお尋ねになると、アーチェさんは黙りこくった。
それから少しして、彼女は口を開く。
「その復旧のための知識は、私には与えられませんでした。ですが……」
「何か、心当たりが?」
「私を、この時代に蘇らせて下さった、こちらの方々のお力があれば……私に託された知識も、お役に立てるかもしれません」
ああ、そういえば……アーチェさん以外に出席しているフラウゼの三人は、あの時遺跡に潜ったメンバーだ。口幅ったいようだけど、あの発掘作業の中核というか……特に貢献したメンバーでもある。
これでおぼろげながらも、道は見えてきたのかもしれない。あるかどうかもわからない道だけど……行けるんじゃないかって気はする。というか、やらねば。
そこでトリスト殿下は、俺たちフラウゼの面々に向き直って仰った。
「では、フラウゼ王都フラウ・ファリアから手を付けるということで。仮に防護機能が復旧するようであれば、根本的な事態解決までの時間稼ぎになるでしょう。フラウゼで得られた知見を、他国にも広められればと思います」
そのお言葉に、ウチの殿下は力強くうなずかれた。ここで一つ、今やるべきこと、方針が示された。議論としては前進に違いない。
しかし、話がまとまるや否や、アーチェさんが動き出した。議場を見回した末に、どこかへ小走りに駆け出していく。
そうして向かった先は……ナーシアス殿下のところだった。彼女は殿下に向かって平伏し、悲痛な声を上げた。
「申し訳ございません! 私がもっと早くに、この件をお伝え申し上げていれば、お国がこのようなことには……!」
彼女は声を震わせて陳謝した。きっと、本気でそう思っているのだろう。こんな事態に陥った責のいくらかが、自身にあるのだと。
すると、ウチの殿下が彼女の元へと静かに歩み寄られ、片膝をついて彼女の背に手を置かれた。そして、口を開かれる。
「ナッシュ、彼女を恨まないでやってくれ。彼女がこの件を口にしなかったのは」
「そんなのが必要な世だって、思わなかったから?」
この会議始まって以来、ナーシアス殿下は初めて口を利かれた。そのお声は、わずかに震えていた。そして殿下は、言葉を続けられる。
「聞けば、維持するのも大変そうだね。それに、復旧できるかどうかもわからない。直しに行くのに危険が伴う可能性すらあるよね? だったら……」
殿下は、理屈の上では納得なさっている。そう思えたけど、ご心情までもがそうだとは、この耳が認めなかった。言葉を重ねるごとに少しずつ、声の震えが増していった殿下は、今にも泣きだしそうなのをこらえながら仰った。
「アーチェさんは、悪くない。だけどさ……それでも僕は、もしかしたらって、そう思っちゃうんだ」
それから殿下は……声を抑えて
ただ、涙はいつまでも続かなかった。せいぜい2、3分ってところだろうか。ナーシアス殿下は目元を拭われた後、「ごめんなさい」と仰った。
「でも、もう大丈夫だから」
「あまり無理しなくても」
「いや、僕は泣くためにここまできたわけじゃないんだ。務めは果たさないと」
カラ元気って感じでもなく、確かに気を持ち直されたように見える。もう少し軽い場であれば、「泣いてスッキリ」とでも口にされそうだ。
すると、トリスト殿下が俺の方に向き直られた。
「アンダーソン氏からは、何か?」
「私ですか」
「少し、場の空気を換えてみたいなと」
人のことを、まるで箸休めみたいに仰る。ただ、仰せの通り、話を切り替えるにはちょうどいいタイミングかもしれない。そこで俺は、「突拍子もないことを申し上げますが」と前置きした。
おそらくは、これこそが俺に望まれたことだったのだろう。皆様方が、視線で関心を寄せてこられる。そんな中、俺は多少のためらいを覚えつつも自説を口にした。
「昨今の寒冷な気候と、今回の攻撃に関連性があるのではと」
「たまたま重なったというのではなく?」
「はい……寒くなったのは、空を何かで覆われ、陽光を奪われたから。そうして奪った光を、今回の攻撃に用いられたのではと」
この考えは、やはり多くの方にとっては論理の飛躍であるように感じ取られたようだ。信じられないという反応が見て取れる。
しかし、心当たりがありそうな方も、確かにおられる。あの、魔人との大決戦における、最終段階。光という光を食い尽くし、マナのビームを吐き出してきた怪物。奴との戦いについて言及した後、ナーシアス殿下が俺の論を肯定なさった。
「僕の国では雪が降らず、だいたい晴れてた。だからこそわかるんだけど、寒いというよりは、日差しが遠くなっているような感じだった。薄ぼんやりって感じでね。何者かが天に割り込んで、光を搾取したと言うなら、すごくしっくり来る」
これで完全に納得とはならないまでも、「そういう可能性もありえるのでは」という空気にはなった。少なくとも、あの攻撃のみならず、昨今の寒冷化も念頭に置くべき事象だ。この気候が、単なる自然現象でないのなら、なんとかして解決しなければならない。
現在マスキアの方で行われている、メインのサミットの議論がどうなっているか、それはわからない。ただ、こちら側としては、上申すべき内容がある程度定まった。
まず第一に、天から降り注いだ破壊が、何者かの意志による攻撃ではないかという推論。それを前提とし、次なる攻撃に備えるべく、フラウゼ王都フラウ・ファリアに存在したと思われる
そうした、天からの破壊への対応とはまた別に、昨今の寒冷化についても対策を行う。こちらも、意図的なものではないかという疑いを捨てず、各国で連携を取り合い、真相究明に向かって動く。
話はまとまったものの、まだ気になる部分もある。メインの会議とは別に、どうしてこういう形で招集されたのだろう。というか、誰のご提案なのだろう。
そこで俺は、その点について尋ねてみた。すると、会のホストであらせられるトリスト殿下が、「私の発案です」とお答えになられた。
「上の世代は……私たちよりも長く、戦乱に向き合ってきました。そうしてやっと得た平和が、こんな形で崩されて……もしかすると、意気消沈のあまり諦めてしまうかもしれないと思いました。いや、この中にも、そういう気持ちは当然あり得べきものでしょう」
それを認める声こそ上がらないものの、否定の声もない。こんな状況だから、諦めない方も、そうでない方も両方いて当然だ。
そして……あの殿下はきっと、諦めの悪い方であらせられるのだろう。殿下は言葉を続けられる。
「もし、上の世代が諦めようものならば、私たちが何かしら道を提示しなければと思います。説得材料もないままにやる気だけ出させようというのでは、あまりに酷ですから。そのため、こうして皆々の知恵を借りることとしました」
「成果はあったかな」
ウチの殿下が問われると、トリスト殿下は少し苦笑いしてお答えになられた。
「フラウゼにいい所を持っていかれてる感じだけど」
そのお言葉に、ちょっとした笑い声が巻き起こる。
すると、ウチの殿下は「まだまだこれからだよ」と仰った。
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