第601話 「落日」

 1月1日朝、アル・シャーディーン王国王都、メシェフィエ。フラウゼ王国王都から見て、4時間ほど時差があるこの王都は、少し早く年始を迎えていた。

 この砂漠の国は、黄色に類するマナを持つ国民が多い。マナの気質としては地に寄った国である。

 しかし、降雨が少なく青々とした晴天と、照りつける陽光、絶えず吹きすさぶ風が、国のアイデンティティーを空に寄せた。広大な砂漠を生み出したのは、紛れもなくこの天空である。

 そのため、他国からは砂漠の国と見られるこの国は、国民にとっては天空の国とされている。

 世界各国それぞれに定められた新年の儀は、この国においても独特のものが根付いている。建造物によって遮られることなく光差す広場の中央に、国王がひざまずいて陽光を拝す。太陽の加護を受けたる王を中心とし、臣民がひざまずいて彼を拝す。

 これが、この国における新年の儀である。


 この国において、太陽と王権は分かちがたく結びついている。

 しかし、陽光に守られたこの国にも、世界各国を包み込む寒冷の波が侵食していた。雪が降るほどのものではないにしても、かつてない寒気の到来に、何やら好ましくない気配を覚える国民は多い。太陽と王権の結びつきが揺らいだのか、あるいは、長きに渡る戦に終止符を打つべく、多くの力を使ってしまったのだか……と。

 そうした不安を払拭せんと、年始の儀式は、例年にない関心を寄せられるものとなっていた。クリーム色で背が低い建造物が立ち並ぶ王都に、普段よりも厚着の国民が繰り出し、王都中央の広場へと足を向けていく。


 音もなくしめやかに、王都の民が広場に参じて場が整った頃、王城より現れた一団の姿が。先導するのは王家直属の祭司たちだ。身の丈を遥かに超える錫杖しゃくじょうを持つ彼らの後に、国王が続く。

 しかし、臣民は直立したまま、その行列を見守るばかりである。太陽と天空を祀るこの儀にあっては、その加護を受けるまで、王も臣民も変わりない存在だからだ。王が空に拝してその加護を授かり、その時初めて、民草が平伏するべき王となる。

 つまるところ、一年の始まりとともに、王と民の関係性を一新しているというわけだ。


 王都の民が取り囲む広場中央は、少し広くスペースが開けられている。まずは先導する祭司たちが、民の前に並んで輪を作り、その中央へ王が。

 そして、王がひざまずくと、祭司たちは彼の頭上へ錫杖を掲げて傘を作った。すると、錫杖が陽光を浴びて、白混じりの明るい黄金色に輝き出す。太陽が放つ光条を模したその輝きの中央に、陽光の加護を受けた王がいる。

 こうなって初めて、国民は彼に向かってひざまずき、彼を拝するのだ。


 いつになく寒冷な気候ながら、天候には恵まれて晴天であった。強いて言えば――晴天についてうるさい司祭たちには、陽光がやや遠くに感じられる、ぼんやりとした晴天だった。

 とはいえ、曇りよりはよほどいい。雲があれば、それを除けるための追加の儀が必要になるところであった。儀式自体は、つつがなく終わりそうである。

――そのはずだった。


 新年の儀において、ひざまずく者は直接天を見上げることなく、多くは目を閉じて空を拝む。そうした中にあって、立ち続ける司祭たちが、最初に異変に気づいた。空が少しずつ明るさを増し、白んできている。

 この変化をどのように解釈するべきか、司祭たちは言葉を交わし合うわけにもいかず、ただ目配せだけをして、互いの困惑を伝えあった。

 日差しは少しずつ強まっているように思われる。これは、陽光とそれにつながる王権の再誕だ……そんな楽観主義に流れるのは容易い。

 しかし、今まで続いた異様な気候の存在が、年配の司祭長の胸中を騒がせた。人の手を離れたところで――王の力すらも及ばないところで――何かが起こっているのではないか。彼女の胸中に、不安が渦巻く。

 なおも日差しは白みを増し、強い日差しが照りつけてくる。これは、儀式によるものではない。王がそのようになさっているわけでもない。部下たちは威厳を保ったまま、ただ真剣な眼差しだけを静かに送り続けている。

 そうした中、司祭長は聖職に携わる者としての義務感と誇りに揺れながらも、一大決心を行った。王の上に掲げた錫杖を戻し、彼に声をかける。


「陛下」

「司祭長か」


 この上なく神聖な儀を中断され、しかもそれが司祭長の手によるという前代未聞の事態ながら、王は彼女を糾弾するでもなく静かに話しかけた。

 場を取り巻く臣民の中で、ざわめきの波が広がっていく。しかし、王に信を寄せられていることを感じ、司祭長はひとまず安堵した。そして、彼女は毅然きぜんとした態度で、所見を口にする。


「空に異様な兆しが。一度この儀を取りやめ、様子を見られますよう」

「……貴官の進言を容れよう」


 空を見上げた王は、司祭長が予想していたよりも早くに、言葉を返した。司祭たちはその言を落ち着いて受け取ったものの、官吏たちは中々受け入れられないでいる。民草ともなればなおさらである。

 そうして狼狽ろうばいと困惑広まる中、王の決断は早い。進言を受け入れ、一度決めるや、彼はすぐさま赤い魔法陣を展開して宣言した。


「新年の儀は、我が名において一時中断とする。今日は久方ぶりに日差しが強くなるであろう。体に障らぬよう屋根の下に留まり、家族とともに一日を過ごすがいい」


 強まる日差しに、復調よりも脅威を感じていた司祭長は、王の言葉に強い感銘を受けた。「家に帰れ」「外に出るな」という命を、民草の不安を不必要にかき立てることなく下したのである。

 王命が下ったということもあり、そこからの民と官の動きはスムーズなものであった。ざわめきはまだ収まらないものの、集団が切り離されて王都へ散っていくと、波が引くように静まっていく。

 民が帰路へつくのを見守る王に、司祭長は「陛下も、城へ戻られますよう」と告げた。


 しかし、その時――さらなる異変が生じた。空を白い光が満たし、雷のように鳴動する。

 これを敵襲、あるいはその兆しと見るのに、いささかの躊躇ちゅうちょも必要なかったのであろう。王はすぐさま行動に移った。広場中央で再びひざまずき、地につけた手のひらから赤いマナを走らせる。

 そのマナは、すぐさま広場全体から、王都の街路という街路へと伸びていく。司祭と官兵の全ては、これを国防に関わる一大事と直ちに理解した。家路につく民を守りつつ、追い立てていく。

 程なくして、空を満たして強まる白い光と拮抗するように、王都全域をマナの光が走り抜けた。最初赤色であったそれは黄色に染まり、王都全域をカバーするほどの巨大な魔法陣となった。


 そして――先に、空が割れた。天を満たした白い光が割れて砕け、槍となった破片が青天から王都へ降り注ぐ。

 一方、王都に張り巡らされた黄色い魔法陣は、その輝きを増して“盛り上がった”。逃げ惑う人々の足元から砂の滝が立ち上り、一塊の巨体へと形を成していく。

 こうして、王都全体に覆いかぶさるように、砂の巨人が現れた。この都市規模の守護神に対し、天から注ぐ槍の雨が激しく打ち付ける。砂のドームに覆われ、にわかに薄暗くなった中、槍の着弾点で激しい音と閃光が走る。

 最初の防衛は、どうにか間に合った。しかし……絶え間なく降り注ぐ白い槍は、砂の覆いを間断なく打ちのめし続けている。その激しさと言ったら、薄暗くなったのも束の間、今やマナの衝突の嵐で閃光に包まれて昼と相違ないほどだ。

 白くなりつつある砂の屋根の下、王都全域で民草の悲鳴が響き渡る。それを踏みにじるように、耳をろうする炸裂音が、天地を震わせる。

 その中にあって守りの魔法を維持し続ける王のもとへ、一人の青年が駆け寄った。


「父上!」

「王子よ……お前は城に」


 息も絶え絶えの父の声に、王太子ナーシアスの顔は青ざめていく。なおもその場を離れないでいる王子に、父王は声を荒らげた。


「早く戻れ!」

「しかし!」

「ここでお前まで死んで、なんとすると言うのだ!」


 その言葉に、王子はハッとした顔になった。ここで果てる覚悟をすでに済ませている父王に、王子はかけられる言葉がないことを悟り、顔に諦念の色が浮き上がる。

 すると、訪れつつある限界を示すように、砂のドームに亀裂が入った。そこから光る槍が侵入し――石造りの建物は、一撃で瓦礫の山と化した。

 事ここに至っては、もはや言葉は不要である。今後を導く王命がないまま、王子は城へと駆け出し、目元を強く拭った。その去っていく気配を背で感じ、父王は声にならない声で、妻子への惜別を口にした。

 やがて、亀裂はそこら中に広がり、とめどなく槍の雨が降り注ぐ。


 そして、最後の最後まで力を尽くした王が地に伏した頃には、青天の下に粉塵と悲鳴が王都を満たすばかりであった。



 遠い国の王都で起きた事実を語られても、俺は中々受け入れられずにいた。しかし……ベッドで眠る国王陛下の様子を見るに、そうした激戦があったことに疑いはない。近侍の方々の憔悴ぶりもまた、そうした事実を裏付けている。

――いや、激戦というか、一方的に蹂躙されたのだろう。天そのものが敵となって。


 これを一度事実と呑み込むと、すぐさま不安とともに疑問が胸をかき乱す。たまらなくなって俺は、次の質問を投げかけた。


「王太子殿下は、ご無事であらせられますか?」

「はい。殿下は王都に残られ……残存する民の慰撫と、復興のための指揮を。王妃殿下もまた、国に残られ……」


 答えて下さった方の声は震えていて、顔は苦渋に歪んでいる。どういう思いでここにおられるのか、その心中は図りきれない。

 王都は壊滅状態という話だった。ただ、完全に全てが損なわれたというわけじゃないのだろう。詳しい被害状況まで聞き出そうという気は、まったく起きなかったけど。

 そこで気になるのは、俺が呼び出された理由だ。こればかりは、他国の方に聞くわけにはいかない。俺は近侍の方から視線を離し……少し迷った。陛下に尋ねるべきか、殿下に尋ねるべきか。

 すると、それまで消沈されていた殿下が、いつになく弱々しい声ながらもお役目を果たされた。


「この国でも……どうなるか、まったくわからない。君たち近衛は、国の直属部隊として扱う。何かしらの事態が起きた場合に即応できるよう、傍に控えておいてほしい」

「……はっ、仰せのままに」


 文字通り、藁をも掴むような思いで仰ったのだろう。拝命した俺に対し、殿下は力ない微笑みを向けられた。


 アル・シャーディーン王国といえば、精強な操兵術師ゴーレマンサーを擁する国として名高い。その部隊を率いてられた王太子殿下は、一際ひときわ秀でたお方であらせられ――国王陛下は、それ以上の使い手であらせられるのだろう。

 また、あの王太子殿下に言わせれば、ご自身は人類で2番めに強く、1番はお父上なのだとか。多少盛った部分があるとしても、あの殿下の実の力量を見るに、認識自体は現実にそう遠くないのではないかと思う。

 そんな国王陛下が、防戦に徹してなお、王都を守りきれずに蹂躙された。人類屈指の魔法使いの力をもってしても、だ。


 あの国が一体何を相手にしていたのか、見当もつかない。天そのものが敵になったとしか言いようがない。そんな状況下で、こんな空の下で、果たして俺に――俺たちに、成し得ることなんてあるんだろうか。

 しかし、暗澹あんたんとした空気立ち込める中、俺は強い不安を覚える心の奥底に、別の感情も息づいていることに気づいた。使命感だの何だのといった、様々な前向きの熱が、死に絶えることなく俺の中にある。

 そしてその源泉に、俺は強い憤怒があることを感じ取った。せっかく良くなりつつあるこの世に水を差す理不尽に対する、激しい義憤が確かにある。


 行くべき道は、まだなんの光も差さない闇の中にある。でも、諦めるわけにはいかない。自惚うぬぼれにも近い向こう見ずなこの勇気が、今はただ頼もしい。

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