第600話 「迫りくる新世界の予兆」

 宿を出るなり、情け容赦のない寒気が、全身を切りつけてきた。雪は前夜から降り続けているようで、石畳の道の上は白く染まっている。通行に支障が出るほどではないけど、踏んでその存在を実感できるぐらいには雪が積もっている。

 役人の方を前に、俺たちは雪の中を歩いた。足元では、まるで鳴き声みたいな、雪を踏む音が聞こえる。この王都では、本当に珍しいはずの音だ。

 夜明けにはまだまだあるものの、薄っすらと周囲の様子ぐらいはわかる。こんな年始の朝っぱらから出歩いているのは、俺たちだけじゃなかった。衛兵の方々が、街路に散見される。

 俺が呼ばれたことと、関係あるんだろうか? たぶん、そうだ。役人の方は何も言ってこない。彼のことを不審に思うわけではないけど、心に抱いた疑問をそのままにする気持ち悪さは、確かにある。

 そこで俺は、役人の方に一言断った。「衛兵の方と、少し話をしてみたい」と。すると、意外にもあっさり応諾してもらえた。「あまり長くならなければ」とのこと。


 わざわざ捕まえに行くのもと思い、俺はすれ違う時に衛兵の方を捕まえることにした。西区から東へ向かって中央広場へ向かい、衛兵の方が少し増えてきたところで、都合よく一人そういう方に出くわした。さっそく、軽く尋ねてみることに。


「おはようございます。朝早くお疲れさまです。何かありましたか?」

「それはですね……」


 捕まえたのは、俺と同世代ぐらいの方だ。彼は少し悩んだ後、状況について口にした。


「昨夜から、市民が足を滑らせてケガをしたという報が何度か。年末年始で飲酒の機会も多いですからね。現在、誰か出歩いていないか見張りつつ、路面の凍結を確認しているところです」

「……なるほど」


 まぁ……そういうこともあったんだろうな、という感じだ。教えてくれた彼に、俺は頭を下げ、再び役人さんの導くままに歩を進める。

 衛兵の方々が動いている理由は聞かせてもらった。しかし、これは建前というか、表向きなんじゃないかという気がする。俺自身が、本音と建前の世界に足を踏み入れつつあるから、そう感じるのかもしれないけど。


 それからも、俺たちは無言で歩いていった。中央広場を北に抜け、行政区画へ。ここまでの道のりは、最初から読めていた。問題は、北区のどこへ向かうか。

 俺たちはどんどん北へと進んでいく。とりあえず、魔法庁じゃない。王都の政庁でもない。公会堂も通り過ぎ、更に北へ。


 そして――ある程度覚悟していたことだけど――役人の方は、とある門の前で止まった。ここから先は、王城の敷地になる。依然として緊張で固まった彼は、俺に向き直って告げた。


「私はここまでです。後は、こちらの方のご案内でお進み下さい」

「わかりました」

「では……」

「お疲れさまでした」


 去っていく彼の背に、俺は振り向いて「良い一日を」と投げかけた。すると、彼は立ち止まってこちらに向き、少しだけ表情を柔らかくして「ご健闘を!」と返してくれた。俺がこれからどうなるのか、知る由もないだろうけど、大変なことになるとは感じているのだろう。

 激励を受けて、俺は門の方に向き直った。すると、門衛の方が一人、俺に深々と頭を下げてきた。

 俺が殿下と親しくさせていただいているということは、こちらの職場では周知の事実だ。こうした門衛は相当な名誉職だろうけど、彼らは俺個人に対してまで、礼節に満ちた応対をしてくれている。


 そうして仕事を引き継がれ、門衛の方が先導を始めた。後について、俺は王城の敷地内へ。王都の中でも緑が多いここも、今や雪化粧に沈んでいる。夜明け前の黒と雪の白の中、俺たちは進んでいく。

 入り込んですぐにわかったのは、城には向かってないってことだ。俺が今まで行ったことがないところへと連れてかれている。見たところ、他よりもさらに草花や木の密度があって、敷地内ではゆったりした感じがある。もっとも、それらも、今では雪に覆われてしまっているけど。

 そんな、庭園らしきところを歩いていくと、前方に明かりが見えてきた。王城敷地内だけあって、なんとも優雅な感じの建物がある。

 ただ、その建物の前には見張りの方が数名。その建物が醸し出す、落ち着いた気品ばかりでなく、物々しい雰囲気も漂っている。


 どうやら、ここが目的地のようだ。再び仕事のバトンタッチがなされ、門衛の方から、こちらの建物の使用人らしき方へ。

 勧められるままに建物へ入ってみると、魔道具による暖房機能が効いているようで、大変に快適だった。シミひとつ無い白い壁を暖色の明かりが優しく照らし出し、夜明け前の闇から、この空間自体が切り離されているようにも感じられる。

 それから、ここまで案内してくれた門衛の方と、軽く挨拶を交わした。また寒い中を戻って、謹厳実直に門を守ることになる。大変なお仕事だ。

――いや、人の心配している場合じゃないな。


 とりあえず、気になった中で聞けそうなことが一つある。そこで俺は、次にご案内してくださる方に尋ねることに。


「一点、お伺いしたいことが」

「何なりと」


 俺に応対しているのは、40代と思われる方だ。物腰落ち着き、自信と慎みが自然と備わり、まさに紳士然としている。明らかに俺よりも場馴れしていそうな彼に、俺は言葉を続けた。


「こちらへ来るのは初めてですが、こちらは一体?」

「奇妙に思われるかもしれませんが、特定の名称はございません」


 それから彼が教えてくれたところによれば、ここは貴賓館みたいなものだけど、それはあくまで表向きなものだ。実際には、訳ありの貴人を、王権の元に保護するような施設なのだとか。

 そして、こうした実情は、公人の間においてさえあまり広くは知られていないとのことだ。

……俺みたいなのが、知っちゃっていいんだろうか? 思わずそういう疑問が顔に出てしまったけど、機密を打ち明けてくれたということは、つまりはそういうことなのだろう。

 それにしても……呼びされた理由がわからないまま、謎ばかり深まる。しかし、ここまで来れば、後少しだろう。疑問の終着点は近い。


 外界から切り離されたような赤い絨毯の上を進み、ついに俺は、それらしきところへたどり着いた。暗くどっしりした色合いのドアの前で立ち止まると、使用人の方はドアをノックし、「お連れいたしました」と言った。

 すると、中からは「お疲れさまでした」との声。おそらく、中にも誰か、ここに務める方がいるのだろう。その後、使用人の方は「中でお待ちです」と、やや抑えた声で言った。

 ここから先、俺だけで入れってことだ。恭しく頭を下げてくる使用人の方に「ありがとうございました」と告げてから、俺はドアに手をかけた。実際の質量以上に重く感じられる。


 ただ、さすがにメンテナンスは行き届いているらしい。不自然なほどに音もなくドアが開くと、中の様子が目に飛び込んできた。

 まず、ドアからほんの少し離れたところには、帯剣した兵の方が二人。俺たち近衛部隊とは違う、本来の意味合いでの近衛らしき方々だ。彼らは俺の姿を認めると、直立したまま深く頭を下げてきた。

 応対にやや恐縮し、軽く頭を下げ返してから、もう少し中へと視線を向けた。部屋は広く、応接室というよりは豪華な居室ってところだ。ここに貴人が匿われるってことだから、住んで頂くための部屋なのだろう。

 目を疑ったのは、この部屋にフラウゼ以外の方が何人もいらっしゃることだ。国籍が違うと一目でわかった理由は、そうした方々の肌の色。褐色の肌は、おそらくは……。

 そして、部屋の中で一番多くの人が集まっていらっしゃる一角には、大きなベッドがあった。そちらに、殿下と――陛下がおられる。


「リッツ」

「はっ」


 あまりの事態に空白になった頭も、殿下の一声ですぐに我に返った。呼ばれるまま、殿下の傍らへと参じる。


「すまない、こんな朝早くに」

「いえ、お気になされませぬよう」


 殿下の慰労のお言葉に返答し、俺はベッドに目を向けた。大勢の気遣わしい視線の中、一人の男性が横たわっておられる。おそらくは異国のお方で、ゆったりとした白い服を着ておられる。

 こちらのお方に、目立った外傷の類はない。ただ、ひどく衰弱なさっているようではある。何かしら、大変な目に遭われたのだろう。

 また、お召し物そのものについて言えば、それらしい華美さはない。ただ、それは”あの国”の殿下も同様であらせられた。であれば、部屋の雰囲気とこの建物の役回り、さらには陛下までもがここにおられる事実を踏まえれば……。

――憶測の点がつながっていき、不穏な線が浮かび上がる。心臓が少しずつ、何かを悟ったように、その鼓動を強くする。そして俺は、殿下に答え合わせを願った。


「殿下、こちらのお方は、もしや……」

「こちらは……アル・シャーディーン王国の現国王、サディーク・エル・ラジュナ陛下。私にとっては、血のつながりがない伯父みたいなお方だよ」


 そう仰る殿下の声音は、優しげながら、弱々しい。”伯父上”のことを強く案じておられるのが、その目からも、ありありと伝わってくる。

「一体何が」と、お尋ねしたいところではあった。しかし、先ほど口を開かれて以来、殿下のお顔に不安の色が増していくように見えてならない。

 すると、質問をためらう俺に対し、サディーク陛下の近侍らしき方が口を開いた。


「状況について、申し上げます」

「……はい」


「我が国の王都メシェフィエが……ほぼ壊滅状態にあり、庇護を求めて陛下をお連れいたしました次第です」

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