第583話 「突撃」

 全てが白く染まった視界の中に、少しずつ印影と輪郭が戻ってくる。

 そうして少しずつ浮かび上がってきたのは、あの七首の大蛇に対し、天から注ぐ白い激流が叩きつけられる光景だ。奴の胴体、その正中に向かって降り注ぐ破滅的なマナの滝に対し、奴は七本の首を使って威力を受け止めている。

 必死にこらえるその様に、奴にも核があるのではないかという予見が、現実のものになったように感じられる。

 禁断の魔法の威力を一身に受ける奴の七つの口から、叫びは聞こえない。聞こえてくるのは、あの光が届くところ全てを揺るがす轟音だ。あまりの威力に天地が鳴動し、巨大なガラスが割れて砕けるような、激しい破断音が耳を突く。


 しかし、魔法はいつまでも続かない。目もくらむ白さが徐々に引いて、空に紺が戻り始める。奴を取り巻く印影がよりくっきりとしていき、光とせめぎ合った末、あの闇が再び姿を現していく。

 天から注ぐ光の滝の出所である白く輝く円は、中心に向かって少しずつ収縮していく。攻撃は今も続くものの、円の収縮とともに絞られつつある光度は、じきに魔法が解けることを予感させる。

 やがて周囲に夕闇が戻ると、奴がまとう闇の中に、白くきらめく星屑のようなものを見た。あまりの威力に、砕けた奴の破片と、巻き上げられた砂が舞い踊っているのだろう。スノードームみたいに。

 そうした光も、禁呪が放つ光の終焉とともに見えなくなった。奴の白い巨体を覆う闇に、小さな光が飲まれていく。


 天文院からの初撃は、奴を仕留めるには至らなかった。

 しかし、それでも絶大な効果があったように思われる。胴体ないし基部の上方は、首で防いだとはいえ、受け止めきれなかった力を受けて、焼けただれたように見える。

 そして、あの威力を受け続けた七本の首は、いずれも先端部が原形を留めないほどに損壊している。奴を覆う闇も、少し小さくなったようだ。


 あの魔法は、確かに効果があった。後は、俺たちの番だ。攻撃が止んでからすぐ、外連環エクスブレスから、「後は頼んだよ」とかすれた声が聞こえた。握りこぶしに力が入る。

 その直後、前方で激しい雄叫びとともに、連合軍が動き出した。痛めつけられた首へと、白く染めた砲弾の集中砲火が繰り出され、陸では陽動要員が奴の元へと駆け出していく。

 すると、奴は反応を示した。七本の首をのたうち回らせた後、それぞれがあらぬ方向へ向かって、七色のビームを吐き出す。最初、狙いが定まらずに暴れていたビームは、やがて直進して空を裂いた。

 これは、誰かを狙ったものではない。おそらく、あの魔法を食らって使い物にならなくなった首の先端部を吹き飛ばすため、ああやって空撃ちしたのだろう。潰され、ひしゃげていた先端部は、今やほとんど管のようになった。

 正確に狙い定めるには、きっと不可欠な行為だったのだろう。しかし、自身の一部を害してでもそれを断行した、あの物言わぬ怪物の中に、俺は底知れない憎悪が宿っているように感じた。

 その憎悪があと少しで、奴に迫っていく戦友たちに向く。付き合いの長短はあっても、仲間だと信じられるみんなに。


 すると、すぐそばでラックスの「解除!」という鋭い声が聞こえた。指示に合わせ、ここまで維持してきた全ての盗録レジスティールを解き放つ。それと同時に、魔法に割かれていた意識が手元に戻り、世界の全てがより一層澄明になる。

 ここから時間との勝負だ。一息つく間も惜しく、俺は行動に移る。異刻ゼノクロックを使った後、自分自身に盗録を撃ち込み、戟を括りつけたホウキにまたがった。

 それから、俺は右手に色選器カラーセレクタを展開。白に染めたそれを経由して、魔法陣を二つ刻んだ。ホウキの先端から飛び出る刃先に触れる形で一つ、その手前にまた一つ。決戦前の準備段階で試行した奴だ。

 ものの数秒で突撃の支度を終え、俺はこの場のみんなに声をかけた。


「行ってきます」


 我ながら意外なほど、気負いのない声が出た。緊張感は程よい感じで、引き締まる心身の中、力が躍動しているのを感じる。

 そうして、もう発つばかりになった俺に、アイリスさんが声をかけてきた。


「リッツさん……頑張って!」


 真剣な眼差しで俺を送り出す彼女は、きっと言いたいことを色々、短い言葉に押し込めたのだろう。その短い言葉だけで十分だ。俺は彼女に笑顔で答えた。

 そして俺は、地面を蹴って空へと舞い上がっていく。誰もいない、俺だけの空へ。


 眼下での戦闘は、陽動部隊に対して奴が攻撃を始める段に移行するところだった。可能な限り盗録を引き付けるタイミングはドンピシャだったようだ。不要な遺漏なく、各自のマナを保全できている。

 しかし、長引けば――陰鬱なイメージが脳裏に浮かび上がる。

 奴の首を狙い続ける白い砲火も、やはり致命打には遠いようだ。再生と拮抗しているように見える。このままでは、きっとジリ貧だ。本当に、俺の一撃に全てが掛かってるかもしれない。普段より柄が太いホウキを握る力が強くなる。

 強い力と想いが背を押すのを感じながら、俺はどんどん高度を上げて行く。高峰ほどの高さのある、あの闇の領域のさらに上へと。

 その間にも、奴の七首から放たれるマナの激流が、闇を裂いて白い海を染めるのを幾度も見た。事前検証では、ある程度距離があれば、見てから避けられるって話だった。そういうレベルの方々をかき集め、俺たちは事に臨んでいる。

 信頼していないわけじゃない。それでも……心に急き立てるものはある。みんなで無事に終わらせたい。一緒に勝利を祝したい。帰るべきところへ、みんなで帰りたい――。


 祈りながらホウキを操り、普段よりも時間を長く感じる中、ついに俺は奴の直上を取った。ここから一度動き出せば、もう引き返せない。

 しかし、それは総帥閣下が魔法を放たれてからもそうだ。肌で恐れは感じつつも、俺を止まらせるには至らない。

 夕闇広がる空から、俺は地面に目を向けた。直下に広がる、半径キロメートル級の漆黒の穴、その中央に鎮座する白いサンゴのような怪物。


 その中央目掛け――俺は急降下した。視界の中で闇が少しずつ広がっていく。スピードを上げるほどに、闇の侵食も速くなる。

 そして、あっという間に視界が闇に覆われた。俺は、黒い球体の中に突入した。

 しかし、これまでの練習通り、ホウキをきちんと操れている――つっても、落ちているだけだけど。俺の手からホウキへ、マナが伝わっていく感覚が確かにある。

 俺とホウキの接点からわずかにマナを奪われる感覚はあるものの、盗録もきちんと機能している。闇に吸い出されることなく、この身にマナを留め、それを意のままに操れている。


 すると、上空から接近する俺に、奴が反応した。異刻で首の動きを見極め、ホウキを操り、放たれるビームを回避。闇を裂いて飛んだのは、黄色の一本だけ。

 しかし……予想以上に、俺への反応が早い。陸から包囲しつつある陽動部隊よりも、俺に対して首が動きつつある。

 ただ、陽動が無意味だったとは思わない。陽動部隊よりも俺の排除を優先しているように見えるという事実は、奴が上からの攻撃を忌避していること、そして弱点の存在を示唆しているように思われる。

 それに……こういうパターンも想定してきた。奴が全力で俺に構ってくるなら、俺もそれに応えてやるだけだ。俺がしっかりしてれば、陽動部隊も安泰だ。だったら、やるしかない。

 度々襲い掛かるビームの嵐の間を縫うように、俺は飛んでいく。奴の首を狙っていた外からの砲火は、気がつけばなくなっていた。誤射の懸念からストップしたんだろう。俺のこの手に全てが委ねられている。

 友軍ばかりでなく、奴からの注視も俺に集中し、今や七つの首の全てが空に向いている。バラバラに攻撃されたのでは飛び込めない。タイミングを見計らって攻め込まなければ。


 そうして回避を繰り返すうちに、何か直感めいたものがあって、俺は一度闇の中で高度を上げた。それから急反転、奴の正中目掛けて急降下を敢行する。

 すると、七本の首がこちらに向いた。同士討ちにならないようにしているのか、首そのもので進路を阻もうという動きはない。

 空いた進路の先には、奴の中心部が見える。総帥閣下からの初撃が癒え切らない、荒れた月面みたいな中心が。


 そして――中央を狙う俺に対し、七本の首の先端がそれぞれのマナで染まり始める。

 このまま突っ込めば、マナの七角錐に身を投げ出す形になって蒸発するだけだ。しかし、逃げたり避けようとすれば、それぞれの首が動いて撃墜するだろう。

 全ての首が俺に向いている。絶体絶命であり――絶好のチャンスだ。ここから俺は、全ての攻撃を切り抜けて、奴の懐へと飛び込む。この思い付きを形にするため、一人で何度も練習してきた。

 それを今、現実のものにする。


 異刻の力で時の流れを緩め、俺は少しずつ奴に近づいていく。

 やがて、奴の首から放つ光が強くなり、俺の目の前に向かって七本の光が伸びてきた。ついに攻撃が放たれた。もう、軌道修正はできない。俺も、奴も。


 俺は右手に力を込めた。離陸前から出しっぱなしの色選器を通り、白く染まったマナがホウキの柄を伝い、括りつけられた戟の刃へ。瞬間的にマナを注がれた刃は、闇にマナを食いつくされることなく、白い輝きを放つ。

 そして、発つ前仕込んでおいた白い魔法陣へ、刃からマナが注がれる。その魔法陣は、瞬間的に流れ込むマナに耐えきれず、外殻が割れた。

 外層が解け、今度は内側の構造が力を発揮する。これまで封印され続けていたそれは、俺の目の前で空間を歪め、俺はその中へと飛び込んだ。何もない虚空へと。

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