第582話 「歴史の闇を裂く光」
アシュフォード候から武器を託された後、特に話すことはなくなったようで、俺たちは陽動のための最終準備に入った。これから順番に
そこで、盗録担当の俺とアイリスさんが横並びになり、俺たちの前に順番待ちの行列ができ上がった。この行列の行けるところまで、盗録を使っていくことになる。
できるところまで使うという都合上、行列の後ろの方ほど、陽動に関わる確率は低い。この順番については、消耗の度合いや各人の戦闘力を考慮し、合理的に決定したとのことだ。
それにしても……今回は安全のため、盗録は対象の腕に撃つことになっている。順番にやってくる方々の腕に、チクリと刺す魔法を撃っていくわけで、なんだか集団予防接種みたいだ。
前世の記憶に今の光景が重なり合い、一人妙な気分になっていく。すると、列の最初に並ばれたお方が、俺に尋ねてこられた。
「リッツ、何か?」
「いえ、何でもありません」
最初の方は、ウチの殿下だ。俺が発案した作戦ではあるものの、これを認めて公のものとされたのは殿下だ。そうした責任を感じておられるのだろう。城内での戦闘では指揮に寄っていたため、さほど消耗されなかったということもある。
俺の考え事に対し、殿下は深く追及なさることはなかった。
この方に魔法を撃つことに、やはり抵抗感はあるものの、やるべきことを邪魔するほどではない。淀みなく刻まれたマナが形を成し、殿下に魔法が撃ち込まれた。
それから順繰りに作業が進んでいく。予防接種みたいだと最初思ったけど、案外的は外れていないかもしれない。マナを吸われる状況に対し、前もって同じような効能の魔法を使って、症状をコントロールしようってわけだから。
そうして接種を進めていくと、貴族の方がアイリスさんに向かって口を開かれた。
「ご両人ともフラウゼの方でしたね」
「はい。そうですが……どうかなさいましたか?」
「いえ、フラウゼは進んでいるなと」
「いや、国がどうこうというより……」
横から殿下が口を挟まれたものの、言葉は続かない。たぶん、不要だと思われたのだろう。俺に向けた視線がそう語っている。この話を切り出された方も、「なるほど」と仰って笑うばかり。
それで、アイリスさんとも視線が合い……俺はすぐ、盗録待ちの方に視線を戻した。茶化されはしないとわかっていても、照れくさいのには変わりない。
結局、盗録を使用できたのは、最初の検証とほぼ変わらず総勢26名。念のためにと多めに用意された方々は、どこか複雑な面持ちでいらっしゃる。こちらの方々は、射撃部隊に回られることになっている。
能力限界まで盗録をバラ撒いた俺はというと、かなりキツい。疲労感はないものの、いくつもの魔法を同時に操り続ける負荷というものは確実にあって、頭がふらついて思考が妨げられる。
この渾身の魔法を仕込み終え、各自が配置へと動いていく。配置が終われば、いよいよ天文院からの魔法だ。時が近づきつつあるのを感じ、胸の高鳴りを覚えた。
魔法を植え付けた方々を見送り、場が静かになっていく。事が始まってから即応するため、ここから現場まではさほど離れてはいない。それでも、遠ざかっていく背は実際よりも遥かな隔たりを感じさせる。
この場に残ったのは、盗録の維持に専念する俺とアイリスさん。それに、指揮や伝達関係を務めるラックスと、彼女を補佐する武官の数名ってところだ。
事態が動くまで、まだ多少の時間はある。そこで俺は、一つ思い出したことがあってラックスに声を掛けた。
「ラックス、ちょっと」
「何?」
「ホウキとコレ、ひもで括り付けてほしいんだけど」
そう言って俺は、砂の海に寝かせたホウキと戟を指差した。俺の頼みごとに、彼女は少し
「……もしかして、上から直接ホウキごと叩きつける気?」
「うん……安全には配慮するけど」
「……ま、約束したからね」
そう、俺は多くの証人の前で約束をした。何か明言した覚えはないけど、期待や願いは裏切らない。危険極まりないことをしようとしている自覚はあるけど、最後まで諦めずに生き抜いてみせる。
俺の要望に対し、ラックスは応えてくれた。ひもで二本の柄を数カ所、手早く丁寧に括り付けていく。
この間、アイリスさんからは特に何も話されなかった。魔法の維持でそれどころじゃないのかもしれない。一方、人の心配するだけの余裕がある自分に気づき、驚きと妙な安堵を覚えた。
大一番を前にして、意外と調子がいいかもしれない。
ラックスが俺の注文通りにしつらえてくれてから少しして、伝達が入った。射撃及び陽動の各員が配置についたとのこと。
いよいよだ。ここから天文院が動いて、数十年に一度しか撃てないという魔法が放たれる。史実における使用例が無い、禁呪の中の禁呪が。
戦闘の段取りは、俺たちでなく、軍全体にも周知されている。そのためか、今から放たれる魔法を待つばかりになって、辺りは完全に静まり返った。前方の包囲網も、俺たちがいる中継地点も、後方の本陣も。
すると、夜に変わりつつある紺色の空に、変化が現れた。紫の輝線が空に刻まれていく――俺たちが手で書くのを鼻で笑うような規模で。奴の直上を中心とし、端は軍本陣まで届こうかというほどの巨大な円ができあがる。
その中にいくつもの線が走り、魔法陣の形を成していく。やがて、それは赤く染まり、俺には見覚えのある魔法陣になった。天が震え、地に令が下る。
『この地に集いし全ての勇者へ。私は天文院総帥だ。これより、魔人軍頭目の聖女に対し、我が方から攻撃を開始する』
総帥閣下にしては似つかわしくない、物々しい言い回しだ。こういう場には相応しいとは思う。
ただ、ご本人としては、しっくり来なかったようだ。空気がどことなく優しく揺れ、それが閣下のため息のように感じられた。
そして、後に続くお言葉は、だいぶ”素”に近いものだった。
『僕らの世代が遺した負の遺産が、今の時代にまで残って皆を苦しめてきたことを、本当に申し訳なく思う。この期に及んで君たちの手を借りなければならないことを、心より恥じる』
やはり……世の中を陰ながら見守り、密かに手を出す程度の干渉に留めてきたことに、思うところはあったのだろう。天文院が下手に動けば、出回った禁呪が人間へ向けられかねない――そんな危惧があるとしても。
あるいは、今日のこの瞬間を、誰よりも待ち望んでいたのかも知れない。天を震わせる声は、それ自体がやや震えているようで、声の主の心情を思わせるものだった。
『これで終わりにしょう。僕らみたいな、歴史以前の世代がもたらした世の歪みを、今ここで正す。そのために僕は、忌むべき世に封じられた魔法を使う』
宣言が終わると、空に刻まれた赤い魔法陣は、粒子になって飛散した。しかし、魔法陣から解かれたマナがすぐさま紫に戻り、別の魔法陣へと再構築されていく。
そうして紺色の空に刻まれた紫の魔法陣は、やがて白へと色が変わった。その内側には、この場の誰にも読めない字が刻まれている。歴史の闇に葬られたはずの、本物の禁呪だ。
その時俺は、手にした砂の感触にゾッとするものを覚えた。魔人の居城を取り囲む、一面の白い大砂海。その砂がかつては魔人だったのなら――今目にするその魔法が、この地を作り出したのかも知れない。
天から声は降りなくなった。しかし、今もなお天は震えている。魔法陣が放つ輝きが、少しずつ強くなり、満ち満ちる力に耐えかねるように大気が鳴動する。
すると、魔法陣が動いた。円の内側に刻まれた全てが端へと追いやられ、外殻と重なり合ってより激しく輝き出す。その輝く円に沿って、茨のようなマナの奔流が、暴れるように駆け回る。周回を重ねるほどに、その輝きが一層強くなっていき、視界に入る全てを光が照らし出す。まるで昼に戻ったように。
すると、空に輝く白い円が、今度は内側へと収縮し始めた。円が縮み、力の密度が高まるにつれ、天に轟く音が強くなる。あまりの音に、地面も揺れているんじゃないかと錯覚するほどに。
やがて、縮みゆく円の中で、紺色のはずの空に異変が生じた。迫りくる円の光によるものか、はたまた別の原因によるものか、円の中の空が波打つように歪み、白く染まりだす。
そして――円の内側が決壊したように見えた。力に耐えられなくなった空が割れて砕け、円の内側に白い滝が生じた。それは一瞬のうちに奴に降り注ぎ、溢れる光があの闇すらも塗りつぶし、何もかもが白に染まる。閃光の向こうでは轟音が大気を満たす。
これが、最後の戦いの号砲だ。光の向こうで何がおきているのかはわからないけど、今歴史が刻まれる瞬間に立ち会っていることが肌でわかる。
その行く末のいくらかが、この手にかかっているということも。
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