第581話 「万感の思いを込めて」
作戦決行まで、俺は自分の練習に明け暮れた。ホウキで奴に近づくための、諸々の訓練だ。それが連絡で中断されることは遂になく、日は傾いてその時が近づいていった。
暗くなり始めた空に目を向けると、夕焼けはいつもどおりだ。空の高いところまでは、奴の力が及んでいない。
それでも、地に目を向けてみると、あの闇が広がっているのがわかった。遅々とした歩みではあるものの、確実に周囲を侵食していっている。黒く塗りつぶされた領域の外も、くもりガラス越しに覗く世界のようで、どこかおぼろげだ。
そして、全てを飲み込んでいく闇の中央に、奴が鎮座している。光なき世界で、奴だけが唯一光を湛えている。
あの白い巨体を睨みつけていると、
「リッツ、そろそろ集合しよう」
「はい」
「大丈夫か」みたいに問われはしなかった。短い会話を終え、俺はホウキを下へと向ける。あちらもこちらも、諦めるだけの何かにはブチ当たらなかった。
後はもう、やるだけだ。
俺が集合場所へ向かう一方、連合軍の方でも動きがあり、奴を包囲するように大勢が進んでいく。白色の染色型を習得した方々だろう。数えるのも嫌になるレベルの人数だ。
ただ……これだけの人員をもってしても、奴を殺しきれるかと言うと、微妙なところだとは思う。白く染めれば吸われにくくなるものの、威力の減衰は確かにある。それに、闇の領域が広がったことで、放った魔法を吸われる距離も伸びている。加えて、あの巨体と再生能力だ。
もっとも、天文院からの初撃次第ではある。その威力次第では、この人海戦術も大きな意味を持つだろう。初撃で追い詰め、包囲攻撃で殺しきれる可能性もある。
つまるところ、この先どうなるかなんて、誰にもわからない。総帥閣下曰く、これから使う魔法は失伝したものの再現版だそうだし、奴は奴で、あの姿になったことは早々ないだろう。もしかしたら、これが初陣でさえあるかも知れない。
結局の所、やる前からあまり悲観的になることもない。ここまで来たら、先が読めないなりに力を尽くすしかない。
状況に対して気後れしないようにと努めた俺だけど、幸いにして他の方々も同様だった。軍本陣の外、陽動部隊に選出された方々の元へたどり着くと、暗い絶望感は微塵も感じられなかった。かといって、ヤケクソという感じも――それほどは――ない。
どうやら、俺が最後にやってきた感じだ。視線が集中して、少し恥ずかしくなる。しかし、陽動部隊に選出された面々に目を向け、俺は驚いた。
城に突入した方々は、やはり連戦による無理が祟ったのだろう。幾人かは、話によれば包囲射撃の方に参加する形となったそうだ。
まぁ、それはいいとして……抜けた貴族の方々の代わりに、埋め合わせが必要になるわけだ。その中に、見知った顔がいる。
「ハリー、お前も?」
「ああ」
フラウゼの近衛部隊からは、彼が一人だけ陽動に参加している。この辺の事情については、陽動全体を指揮してくれるラックスが教えてくれた。
「あなたたち……いえ、あなた方」
「別に言い直さなくても」
俺以外は王侯貴族からなる突入部隊だから言い直したのだろうけど……敬語の対象となる方々は、ほとんど気にしていないようだった。口にしたラックスは、ちょっと肩透かし感を覚えたのか、力なく笑って言葉を続ける。
「城内での戦闘に並行して、外でも連戦しててね。陸戦担当では、ハリーがまだまだいけそうだから……本人の意志もあって、こちらに」
「ウィンは?」
「悔しがってたけど『無理はしない』って」
「『俺の分も頑張ってくれ』とも」
「なるほど」
二人とも無茶するタイプではないし、下手に消耗するような戦い方はしないけど、単純に体力面でハリーが上回ったってところか。
しかし……ハリーも陽動に加わるってのは、少し複雑な気分だ。心強いし、腕前を心配するわけじゃないけど、ネリーのことを思うとちょっとなぁって感じだ。
とはいえ、彼自身も思うところはあるだろう。その上で決断したというのなら、俺が思い留まらせることはない。無言で彼に拳を向けると、彼もそれに応じて拳を当ててくれた。
これから俺とアイリスさんは、
まず、各員が配置についたのを確認した後、天文院から標的に対して魔法が放たれる。総帥閣下に確認したところ、殺傷範囲はあの闇の領域を出るものではないとのことだ。
その初撃の後、包囲による射撃部隊と陽動部隊が動き出す。射撃は主に首狙いで、撃滅できればベスト。それが成らなくても、陸から攻め寄せる陽動の助けになれば……といったところ。
陽動の方は、ある程度までマナなしの状態で動く。盗録で先に慣れておけば、闇の領域内でのマナ切れ状態でも、ある程度の運動はできるとのことだ。
そして、奴の首の動きを見て、盗録を一斉解除。マナ切れから来る消耗感を一時的に緩和。後は本当にマナを切らされる前に、陽動が機能している内に、俺が上から攻めて奴を撃滅する。
「もちろん、いずれかの段階で事が済むなら、それに越したことはない。ただ、勝利のその時を迎えるまでは、自分の出番が必ず回ってくる、あるいは自分の働きで勝利に貢献する。そういった心構えで望んでほしい」
締めの訓示に、各々が戦意に満ちた視線を殿下に向ける。
すると、殿下は表情を崩し、俺の方に目を向けて仰った。
「今回の作戦は、大略をこちらのリッツ・アンダーソン氏が考えてね」
「えっ!?」
そこまでは聞かされていなかったであろう貴族の方々から、驚きの声が上がった。そして、「信じられない」という面持ちが、俺を包囲する。
「彼が、我々みたいなのを陽動に使う策を考えたと?」
「ああ。私たちみたいなのを囮とし、自身も危険極まりない役を買ってね」
「なんとまぁ……」
王侯貴族を陽動に使うという、政治的に問題あるであろう策の考案者と露見したものの……嫌悪感を示されはしなかった。たぶん、もう戦友として見ていただけているのだろう。
すると、トリスト殿下とナーシアス殿下が、俺に対して複雑な表情を向けてこられた。トリスト殿下は魔法の腕前を活かすため、包囲射撃の方に回られる。ナーシアス殿下は、陽動部隊の助けのため、闇の領域外からゴーレムを操ることに。
つまり、お二方はともに、比較的安全なところからこの戦いに関与される。そうしたお立場から、俺たちを見送る苦悩のようなものを感じた。
いや、お二方だけじゃない。ウチの殿下も、俺に対して思うところ有りげな視線を向けておられる。そして、殿下は静かに仰った。
「リッツ」
「はい」
「おそらく、君のポジションが一番危険だ」
「はい」
「……まったく」
この短い一言に、色々なものが詰まっているように感じた。しかし、感傷に浸る暇もなく、今度はナーシアス殿下が話しかけてこられた。平素の殿下を思わせる、明るい口調で。
「リッツ~、君の無事と武運を祈って、ちょっとしたおまじないでもしようか?」
「おまじないですか?」
「良く効くヨ~、国に伝わる格式ある奴でネ~」
こうして勧めてくる笑顔が、あまりにもニッコニコなので、俺は怪しみつつも断りづらくなった。「お願いします」と伝えると、殿下は表情を引き締めて仰った。
「じゃ、目を閉じて」
「はい」
言われるがままに、俺は目を閉じた。しかし、次のお言葉がない。周囲で何か、それらしい動きをしている気配もない。
――いや、周囲がほんの少しざわついてる? すると、両の頬をそっと触れられ……。
心臓が跳ね上がって、俺は目を見開いた。視界いっぱいに、アイリスさんがいる。彼女と唇が触れ合っている。それも、こんなに大勢の前で。唇に伝わる感覚は幸福でしかないけど、頭と胸はパニックだった。
ただ……目を閉じている彼女の顔を見ていると――思いつめたような切ない顔を見ていると、慌てふためく気にもならなくなってくる。困惑がすぐに鎮火し、彼女の気持ちをただ受け入れることにした。
後はもう、成るように成れだ。
見られっぱなしのキスは、たぶん10秒もしなかったと思う。彼女は目を開け、俺からゆっくりと離れていった。こんな状況だってのに、俺は名残惜しさを感じた。それはきっと、彼女の方も。暮れなずむ茜を背に、頬が朱に染まっている。
その後、俺は彼女から視線を外し、ナーシアス殿下に向かって口を開いた。
「お国に伝わるおまじないとのことですが」
「各国共通かもね」
悪びれもなく、殿下はお答えになった。食えないお方だ。しかし、にこやかな笑顔を急に引き締め、殿下は仰った。
「これで、死ねなくなったんじゃないかな?」
「そうですね」
すると、今度はウチの殿下が口を挟まれる。
「泣かせないようにね」
「はい」
「君たちの仲については、この場の全員が証人だ」
「はい……はい?」
言われてみれば、そういうことになるんだろうけど……いや、しかし。いっぺん押さえつけた困惑が、意地悪く再浮上して頭を占める。
周囲の方を見たところ、突入部隊として同行された方々は、さほど驚いた様子はない。というか、温かな視線を向けていらっしゃる。
なんというか、俺たちの間柄について、ある程度は事前に知ってたというか――「バレバレだったよ」と、親切な方が教えてくださった。
「細かい所作に、そういう気配がアリアリと」
「さ、左様でしたか」
ただ、恥ずかしい思いはしたものの、俺たちの関係について強い協力者を多く得たのは間違いなさそうだ。
というより、こちらの方々にとっても、俺たちのことは他人事ではない。皆様方の自由恋愛を実現するために、俺たちがその先駆けになれば……みたいなお考えがあるとのことだ。
なんとなく振り回された感はあるものの、自分の気持ちは再確認できたように思う。死にかけても、戻ってくる最後の力を振り絞れるだろう。
短い間、修学旅行の夜みたいな空気になった。ただ、いつまでも続くわけもなく、少しずつ真面目な雰囲気が戻ってくる。仕掛けてきたナーシアス殿下も、これ以上のサプライズはないようだ。
すると、今度はアシュフォード侯が歩み出られ、俺に話しかけてこられた。その手には、中国の武将が持ってそうな、いわゆる戟が握られている。それに俺は、見覚えがあった。
「閣下、そちらは?」
「前の戦いで、敵方の皇子殿が使っていたものだ。あの戦いの後、接収して軍が保管していたが……使ってやってくれないか?」
そう仰って、閣下は俺に武器を手渡された。意外にも、見た目ほど重量感はないけど、物質的なものではない重みを感じる。責任だとか、そういうのとはまた違う重みが。
「我々にとっては、彼も結局は敵でしかないが……彼がいなければ、今日のこの日はなかっただろう。その彼の刃で全てを終わらせられるのなら、本望かと思う」
「そうですね……仰るとおりです」
彼は彼で、宿願を果たすために人間を大勢その手にかけてきたという。その罪は洗い流せるものでもないけど……少なくとも、この戦いにおいては同志だろう。
しかし、使うにあたって試すべきことがある。手にした戟の刃を上に向け、端は地に。そして俺は、
「なるほど、使えますね」
「これからの戦いで、そういった手法が必要に?」
「はい。最初はリーフエッジを使うつもりでしたが……こちらを使わせていただきます」
「そうしてくれ。君が何をするかは気になるところだが……夜明けにでも聞こうか」
「……話せる内容であれば良いのですが」
俺の返答に、閣下を含む大勢が含み笑いを漏らされた。何をするかわからないなりに、信頼を向けてもらえているのはわかる。
いや、この場にいる方々だけじゃない。軍の本営にいらっしゃる方々、奴を包囲している方々、負傷して報を待つ方々、国に残してきたみんな……大勢の期待と信頼を背負って、俺たちはここにいる。
そして、この手には彼の武器も。道は違っても、結局は同じところを目指したのだろう。
もうじき、運命が決する時が来る。敵味方の別なく背負った全ての思いを、この刃に託して奴に叩きつけてやる。
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