第580話 「最後の作戦⑤」

 軍議が終わってからの行動は迅速だ。指揮系統の上から下へと、伝令が動いて指示が伝達される。別に作戦の全てを伝える必要はなく、一般の兵に対して必要なのは、「白色の染色型を習得せよ」という命令とその意図だけだ。

 これが連合軍の行動の主流となる一方、俺たちは傍流として別行動に移る。陽動部隊の確保と、盗録レジスティールの検証だ。どこまで多くの人間に、アレを撃ち込んで維持できるか?


 とりあえず、陽動部隊の正式なメンバー選定の前に、例の突入部隊の方々を呼び戻す事になった。メンバー的には重複する部分が多いことだろう。使う魔法の機密ということを考え、集合場所は軍本陣からだいぶ離れた場所へ。

 そうして隊の方々が集まると、殿下の口から当作戦について語られた。「一緒に地獄を見に行こう」みたいな勧誘だけど、やや怖じる感じの方が数名いらっしゃっても、拒否感を示されることはない。それを受けて、殿下が呆れたように仰る。


「もう少しこう……自分の身を大切にしても」

「殿下がそれを仰るのですか?」

「それは、私が言い出したことだから……」


 まぁ、もうそういうことは、言いっこなしって感じなのだろう。こちらの方々が秘めておられるノブレス・オブリージュからすれば、戦友を死地に追いやって自身は見守るだけなどというのは、きっとありえないのだと思う。

 ただ……こういう方々に俺は盗録をブチ込むわけで、とんでもない大罪を犯す気分だ。中には、興味有りげな視線でワクワクしているように見える方もおられるけど。

 とりあえず、言い出しっぺということで、殿下から被験者になっていただくことに。信頼していただけているようではあるものの、皆様方にとっては初出の魔法だけに、安全性を見ていただく意味もある。

 そこで、俺は殿下に水たまリングポンドリングをお渡しした。殿下のマナを確保するためだけど、これだけでも何らかの法に抵触するんじゃねえかって感じだ。


「リッツ、何か?」

「いえ……とんでもない罪を犯しているような気がしまして」

「……今更じゃないかなぁ」


 だいぶ軽い感じで殿下が口にされ、場に笑いが満ちる。仰ることはごもっともで、今日一日で俺がやらかした超法規的行為は、もう数え役満って感じだろう。報告書を作る時には乾いた笑いしかでないだろうけど、もうこの際は気にしないことにしよう。

 殿下のマナを指輪に込めていただき、俺は右の人差し指にそれを通した。罪を犯すことは別に気にしない。それでも、この方に指を向け、魔法を放つという行為に、俺は強い抵抗感を覚えた。指が向かう先は、注射みたいに右腕。攻撃とはわけが違う。それでも、だ。

 幸い、ためらいはそう長くは続かなかった。2、3秒ってところか。指の震えが落ち着いたのを認め、俺は殿下に盗録を放った。少し刺すような感じはあるようで、殿下のお顔に若干の反応があった。


「お加減は?」

「今の所は、特に変わりないかな」

「少しずつ変化が現れるはずです。その都度、口に出していただければ」

「わかった」


 殿下にお願いした後、俺はお体に忍び込ませた物に意識を集中させた。

 やはり、マナの色のみならず、その量というか密度というべきものも遺伝の影響が色濃いようだ。俺が自分に撃ち込むのと比べると、全てのマナを捕捉して取り込むまでに時間がかかる感触がある。殿下に反応が現れるまでの時間も、俺の時よりは長い。変化も緩やかなのだろう。それでも確実に影響が出ている。

 そして数分後……俺のイメージが確かなら、殿下のマナを全て捕らえきった。


「いかがですか?」

「少し、ふらつくね。こういうのは初めてだ」

「試しに、マナを出してみただけますか?」


 しかし、殿下の指から、赤いマナが出てこない。そこでナーシアス殿下が一言。


「芝居じゃないよね?」

「疑うなら、次は君がやってもらえばいい」


 すると、ナーシアス殿下は「我が意を得たり」と言わんばかりに微笑まれた。体験してみたくて仕方がなかったようだ。

 そこで、二人目に盗録を施そうと俺が動いたところ、アイリスさんが口を開いた。どことなく逡巡しゅんじゅんした様子で。


「今リッツさんが使っている魔法ですが、私も使ってもらったことがある、あの魔法ですよね?」

「ええ、まぁ……」


 彼女の立場とか体面とか色々あって、この場では名前とかなんやかんやをはぐらしているものの、さすがに彼女は感づいている。認めるだけであれば問題ないかと思い、俺は肯定した。

 すると、彼女の口から、思いがけない言葉が飛び出した。


「私も、実は使えます」

「えっ!? いや、まさか……」

「一連の戦いに備えるためにと、習得する機会がありまして」


 そこで俺は、記憶をたどった。

 思い当たるフシがないこともない。彼女は、カナリアを自身の手で倒したという話だった。その詳細までは聞けていないけど、一度操られたことがあるアイリスさんが、アレに狙われていた可能性は高い。というか、彼女がそのように考えて準備してきたというのは、きっと妥当な想定だ。

 で、誰が彼女に盗録を教えたかって話だけど……まぁ、総帥閣下だろう。俺とは別にお呼び出しして、事前の備えとして託されたのだと思われる。

 そして、俺はそのことを知らなかったわけだ。ただ、俺に知らせないようにする意味はあったのだろう。結局の所、俺だって大勢に色々隠し事をした上で、大師の転移への対策を練っていたわけだから。


 理屈では納得した。そもそも、彼女が嘘を言っているとは思わない。それに、彼女のことだから、俺が使うのと同じ精度で使えるだろう。それでも……やっぱり、「マジで?」という感じはある。

 ただ、真偽を確かめるためだけに、彼女にアレを撃たせたくはない。必要のない一発だとは思うし。

 そこで俺は、彼女に話を持ちかけた。


「文抜きで、一度作ってみてもらえます? すぐに判別しますから」

「わかりました」


 俺が疑っていると考えても差し支えない状況だけど、彼女は特に気を悪くした様子もなく――というより、微笑んでさえいる。

 そして合図の後、彼女が刻んでいく紫のマナを、俺は異刻ゼノクロックの力で追いかけた。

――やけに速いな。一瞬の内に宙へ刻み込まれていくそれは、紛れもなく盗録そのものだった。禁呪インチキなしでの、この記述速度。相当練習を繰り返したのだと思う。

「もう大丈夫です」と彼女に告げ、俺は異刻を解いた。彼女の方は、ドヤ顔ではないけど、満足げではある。

 それにしても、この習熟ぶりに驚かされた。ただ、自然と合点がいくものでもあった。きっと……奴が現れても即応できるように、誰にも迷惑をかけないように、雪辱を果たせるように、一心に頑張ってきたのだろう。

 そう思って見てみると、彼女の顔が一層愛おしく映った。最初は俺が教わる立場だったけど、今は俺が作った魔法で彼女が事を成した。なんというか……教え子の成長を見るのって、こういう気分なのかと思う。


 しかし、いつまでも感慨に浸ってはいられない。俺は気持ちを切り替え、殿下に向かって話した。


「使い手が倍増しましたので、陽動に多くの人員を確保できるかと」

「それは心強いね」

「おそらく、私一人の時の三倍近くいけるでしょう」


 まぁ、三倍は言い過ぎかもしれない。いくら彼女でも、俺の倍は使えないだろう……たぶん。

 そこで、中断していた体験会を再開させ、どこまで人員を確保できるか試してみることになった。指輪に高貴なマナを込めていただいては、次々と毒牙にかけていく。

 しかし、腹をくくっているものの、俺としてはやっぱり気が気じゃない。アイリスさんも似たような気持ちなのだろう。横目でチラリと見てみると、やや気まずそうな感じがある。

 一方、被験者になっている方々はというと……どうも変な感じだ。マナを使えないことからくる、強い倦怠感を訴えつつも、それを楽しんでいる方が少なくない。

 聞いてみると、「こういうのは初めて」とのことだ。ご自身のマナを使い切るほどに追い込まれることがなかったそうだし、お立場柄、マナ切れみたいな状態になるわけにはいかないという事情も。

 軽く煩悶はんもんしながら盗録を使っていた俺は、次第に「なんだかなぁ~」という気になってきた。拒絶されるよりは余程いいんだけど……横を向くと彼女と目が合い、俺たちは思わず苦笑いした。


 いくらか検証してみたところ、陽動として動員できそうなのは25人ぐらいだと判明した。俺とアイリスさんを合わせると、それだけの人数に盗録を仕込んで維持できるってわけだ。もっとも、それだけに全精力を傾けることになるけど。

 意外だったのは、俺と彼女で、維持できる人数に差がほとんどなかったことだ。おそらく、”似たような魔法を大量に用意して維持する”という特殊なケースにおいて、俺は結構な技量があるらしい。

 これは、端的に言えば、複製術のやりすぎだと思う。トリスト殿下も、それを認められた。


「おそらく、今生きている中では、君が一番使い倒しているんじゃないかな……」

「まさか」

「いや、複製術って基本的に、然るべき場所で然るべき管理下のもとに使われるからね。据え付けに近いと言ってもいいかな。君みたいに様々な現場で使うのは、相当なレアケースだと思ってた」


 まぁ、主たる用途が魔導書やらなんやらの複製だっていうんだから、それはそうか。

 ともあれ、想定外の用法に血道を上げてきたおかげで、今こうして一つの作戦ができたわけだ。


 盗録展開数の確認が済み、俺たちは別の行動に移ることに。闇の領域内における各種検証だ。盗録があればおそらくはマナを吸い出されないものと思うけど、念のために確認したい。それに、マナ切れでもこちらの方々がどれだけ動けるか、事前に知る意味もある。

 そうして場所を移そうと動き出したところ、アイリスさんが口を開いた。


「リッツさんは、上から仕掛けるための準備があると聞きましたけど……」

「準備というか、練習ですね。本当にあの中で動けるかとか、その検証も」

「では……」


 そう口にしたアイリスさんは、少し悩む様子を見せてから言った。


「こちらのことは、私に任せてもらえませんか?」

「つまり、陽動関係の検証を?」

「その方が、リッツさんはご自分のことに専念できると思いますし」


 確かに、俺がアレやコレやと動き回るよりは、その方が捗るだろう。一人の方が集中して取り組めるとも思う。

 彼女の提案を、皆様も認められた。もうお任せしてしまっても大丈夫だろう。幸い外連環エクスブレスもあることだし、何かあれば呼び出してもらえばいい。

 そこで、俺は別行動を取って、空から仕掛けるための練習に入ることになった。

 他の方々はと言うと、陽動作戦にあたっての各種検証と、陽動に関わる人員の検討を並行して進められる。全員が万全であればベストメンバーだろうけど……やはり、度重なる連戦がたたっている部分はある。軍本部とも連携し、人員を見直す必要はあるだろう。


 今後の方針が定まり、俺は皆様と別れて一人動き出した。

 最後の一手が成立するかどうか、日没までの短い時間にかかっている。多くがかかった一撃を担うことに、強いプレッシャーを今のうちから感じる。

 しかし、一人になって動き出しても、孤独は全く感じなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る