第575話 「闇の中の聖女」
辺りを染めつくした閃光の向こうへ、俺が放った矢が飛んでいく。第二の矢を構えつつ、俺は向こうの様子に注意を傾けた。引き延ばされた時の流れの中、矢が城へ近づいていく。
何事もなく、食らって早く終わってくれ。高鳴り続ける鼓動を感じながら、俺はひたすらに祈った。
そして――第二の閃光が、辺りを一色に染め上げる。轟音が大気を震わせる。まるで地上に太陽が現れたような光の洪水に、目を開けるのが難しい。
白い砂の海は閃光を浴びて青緑に染まり、炸裂した爆風を受けてさざ波が立つ。一瞬だけ、本当の海になったように。
光の波が去った直後は、本来の晴天を暗く感じるほどだった。やがてその錯覚も落ち着き、元の視界が戻ってくる。
矢が直撃した箇所には、粉塵と青緑の濃い煙が立ち上っている。狙い通りのコースをたどったあの矢は、城の最上部あたりに炸裂した。城全体を崩壊させるような一撃にはならなかったけど、最上層のあたりは原形を留めていない。これで倒せれば――。
しかし、第二の矢を構える両手の震えに、俺は気づいた。自分が放った威力に、恐怖を抱いているというだけじゃない。まだ、標的は健在なんじゃないか。直感じみた何かが脳裏を占め、前方に目が釘付けになる。
殺せたかどうかの確認をどう行うかと言えば、結局は
しかし、現実は違った。俺の腕の
「動きがあった。着弾後に転移が」
「どちらへ?」
そう尋ねてみたものの、その必要はなかった。腕から返答が聞こえるのとほぼ同時に、周囲から切迫感がある鋭い声が聞こえた。
「城外の前方に人影が!」
さっきまで誰もいなかったところに、ポツリと一つの人影が。それが聖女なのだと、疑いの余地なく感じられる。
俺たちがその姿を視認してからすぐ、天地がかすかに揺れ始めた。地の底から響くような低い鳴動が辺りを満たし、強い緊迫感に包まれる。
変化が起こっているのは、この辺りだけじゃない。空中から見渡す限り、城を取り囲む白い砂の海全てに波紋が走っている。その波紋の中心に、あの人影がある。
そして、大砂海に赤い魔法陣が浮かび上がった。何度か見たことのあるそれが、術者の声を周囲に響かせる。
「私を殺せば、世の中が正しい方向へ進むとでも? 何と哀れな。お前たち人間が、私に一体何をしたのか、今ここで思い出すがいい」
その声は冷徹で落ち着いたものだ。しかし、抑えきれない憤怒と殺意が溢れ出すように、眼下の海が揺らいでいく。立ち昇る赤いマナの輝きがいや増し、女の声を轟かせる。
「この世が憎しみに溺れぬのなら、私の国がここで
すると、声が止んで
そして――砂の海の中央にいる聖女の周りが、今や塗りつぶされたような闇に覆われた。半径1キロはあるように思える、漆黒の半球だ。
心なしか、俺たちがいるあたりも少し薄暗く感じる。天頂に日が昇っているはずなのに、
失われた光は、奴の足元へと吸われていくようだった。砂の海の一部が、白くまばゆい光を放つ。暗闇の中で、巨大な白い円が輝き、そこから七本の太い道が外へと走っている。
すると、その光が地面から盛り上がっていく。光の円の中央にあった女は、その中に呑み込まれ、一体化したようだ。暗闇の中、身震いさせるような轟音とともに、白く輝く砂が形を成していく。
やがてでき上がったのは、城に勝るとも劣らないように見えるほど、威圧的な巨躯を持つ怪物だ。胴体、あるいは基部と言うべき部位から、七本の首が伸びている。
いや、首と言うべきか、触手と言うべきか、あるいは枝か。
どんな魔獣も取るに足らない小物に見えるほどの、圧倒的な存在感の前に、周囲は完全に静まり返った。
ただ、体感ほどに長く沈黙は続かなかっただろう。下の方ではすぐに動きがあった。あの怪物目掛けて、兵の一団が動こうとしている。
すると、空中にいる俺たちの中でも、彼らの援護に向かおうという気配を感じた。しかし、いくつかの腕輪から、それを制止する声が響く。
「君たちは様子見を。まずは、彼らを繰り出して反応を見る」
「し、しかし!」
「わかってくれ」
腕輪から響く苦しそうな声に、反論の声はなくなった。
あの怪物へと歩を進める彼らは、決死隊そのものだろう。殺されることまでが任務で、俺たちはそれを観察しなければならない。
まだ見ぬ滲状を脳裏に描き、手が震えた――
「殿下! もう一発あります!」
これが効くかどうかなんてわからない。でも、このまま見ているだけってわけにはいかなかった。少しでも奴の情報が必要なら、まずはこれを様子見にでも使えれば。
俺の提案に対し、少し空けて殿下がお答えになった。
「何があるかわからない。二射目の準備をしてから、撃ってみてくれ」
「はい!」
「頼むよ」
情感のこもったお声をいただき、俺は一発分維持したまま、次弾の準備に取り掛かった。身の丈を超える魔法の制御に、若干のふらつきを覚える。しかし、強い気持ちが俺を支えて突き動かすのも、同時に感じられる。
そうして次弾ができ上がると、俺は構えていた二発目を化け物目掛けてぶっ放した。再び視界が青緑に染まる。その閃光の向こうに目を凝らし、俺は状況の把握に精神を研ぎ澄ませた。
すると、奴に迫る青緑の矢から、二本のマナの流れができるのが見えた。一本は青色、一本は緑色。矢から漏出するような二本の流れは、それぞれ別の首だか触手へと注ぎ込むようだ。
そして、矢が首の一本に炸裂した。暗闇の向こうで青緑の閃光が走り――それがすぐに静まってしまう。
もしかして、マナを食われているんじゃないか? 矢からマナを吸われているように見えたし、炸裂後の閃光も、城に当てた時より弱かった。矢が直撃した首はというと、長い首のほんの先ぐらいしか削れていない。全部倒しきるまでに何発いることか、見当もつかない。
それに、傷口から再生できないわけがない。普通の魔人だって、それぐらいのことはやるんだ。化け物の親玉ができなくてどうする。
あまり期待していなかったとは自分でも思う。それでも、実際にあまり効いて無さそうなのを目の当たりにして、全身に嫌な汗をかくのを感じた。
とりあえず外連環で、俺は見たままのことをお伝えした。撃った矢からマナの流れが見えたこと、着弾後の閃光が早くに消えたこと。着弾時のダメージ等々。
報告を受けた殿下は、少し間を開けた後に「現場にも通達する」と仰った。とりあえず、三射目は不要とのことで、俺は用意した魔法を解いた。魔法を構える負担が解けても、身が軽くなった感じはまったくない。
殿下との連絡が終わってから程なくして、俺たちの方にも情報が上がってきた。
「マナを吸われるというのは、間違いないみたいだ」
「現場でも、そういう現象が?」
「ああ。暗闇の中で魔法陣を書こうとしても、記述に失敗するそうだ。そればかりか、近寄るだけでも妙な倦怠感に襲われると。外から射撃しても、奴には届かずに途中で消えたとのことだ」
相手に動きは見られない。それだけは救いだけど……その必要がないから、おとなしくしているのかもしれない。
報告をいただいてから少しすると、前よりも暗い口調で、殿下が仰った。
「闇の領域が、少しずつ広がっているようだ」
「本当ですか?」
「ああ。現場の兵が、境界線に印をつけて様子を見たところ……わずかにではあるものの、確かに広がっていると」
そのお言葉を聞いて、俺はあの女の言葉を思い出した。「全て闇に沈め」だのなんだのといったアレは、本当に言葉通りなのかもしれない。
――全ての光とマナを食いつくし、世界を闇の中に沈めようと。
そうこうしているうちに、俺が撃った首の傷口から再生が始まった。傷口から伸びたワイヤーフレームみたいなマナの枠組みに沿って、新たな肉が隙間を埋めていく。
この再生速度では……俺が玉龍矢一発を準備して撃つまでよりも、奴の再生の方が速い。
不幸中の幸いと言えるのは、決死隊の方々が殺されていないことか。しかしそれは、命の取り合いになる領域まで、足を踏み込めていないというだけのことだ。少しずつ闇の領域を広げる奴に対し、俺たちは……。
すると、腕輪から声がした。総帥閣下からだ。俺がつながっていることは秘密のはずだけど、この際お構いなしだ。通話状態にして、俺は閣下に呼びかけた。
「何が御用でしょうか?」
「色々考えたけど、僕も戦うべきだと思ってね」
「閣下が? こちらに来られるのですか?」
「そういうわけじゃないけど、少し魔法をね。ちょっとキツいのを使うから……当分会話もままならなくなるかも知れない」
そして最後に、閣下は「後は頼んだよ」と言葉を結ばれた。
しかし、俺はなんというか――このまま総帥閣下"だけ"に動かれることに、なんとも言えない抵抗感を覚えた。ご自身も戦うと仰るなら……俺は思ったことを口にした。
「一緒に策を考えませんか?」
「僕が?」
「ここまで来たら、きっと同志ですよ。力を合わせて勝ちましょう」
俺の提案に、閣下は少し間を置いて、「そうだね」と答えてくださった。
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