第574話 「あと一人」
軍議に呼ばれた俺は、案内に従ってその場へ足を踏み入れた。回数を重ねるごとに慣れたような感じはあるものの、場違い感も依然としてある。
ただ、俺が入るなり浴びせられた言葉は、称賛だった。総司令閣下が「城内での戦闘において、多大な貢献があったと」と仰る。
実際、それだけのことはしたと思う。変に恐縮して謙遜するのは、かえって失礼だろう。俺は頭を下げて答えた。
「ご期待に沿える働きをできたように思い、大変嬉しく思います」
しかし、総司令閣下からのお言葉がない。顔を上げてみると、少し気まずそうに苦笑いなさっている。そして、閣下は口を開かれた。
「大仕事を成したばかりの貴殿に、また難題を押し付けるようで申し訳ないのですが……」
「いえ、それは承知の上です」
すると、年配の将官の方が、「それはそうか!」と、快活に笑われた。他の方々も、微妙に表情が緩んでいる。
しかし、居並ぶ方々の中には、真新しい戦傷を負われている方が、何人か見受けられる。そういった方々の笑みに、何とも言えない気持ちが沸き上がる。
それから、話は本題に移った。城に残る魔人は聖女一人。天文院とのつながりを表沙汰にしておられるトリスト殿下が、そのことを請け負ってくださった。
その聖女を、いかにして倒すか。
降伏勧告には応じないだろう。形式的にとはいえ言葉を交わしてくれた豪商も、結局はそれに応じずに抗戦を選んだ。同胞が次々と散る中、聖女はそれでも頑として動かない。そんな女が、自身の処刑を条件とする降伏を飲むだろうか? どんな勧告だって、結局はこちらの独り言に終わりそうである。
そうした認識は、場の皆様方が共有しておられるようだ。話し合いでは解決できそうにない。かといって、見逃してやるわけにもいかない。それも共通認識だ。
なにしろ、聖女には常人を魔人へと変える力があるという。いわば、単独で魔人という種の集団を確立する力だ。放っておけば、またそういう国ができ上がりかねない。
しかし、肝心の倒し方が……それを話し合う段に至り、場の緊張感が強まる。まず口を開かれたのは、アシュフォード侯だ。
「前の戦いにおいて、敵方の総大将であった皇子が反旗を翻した。貴殿も覚えていることと思うが」
「はい」
「その皇子が、挑みかかった聖女には、手も足も出なかったそうだ」
つまり……あの城に残る聖女は、皇子よりもはるかに強い。あの戦いにおいて、皇子が戦場で干戈を交えたのは、ごく短い時間だった。その時の当事者であらせられる閣下からすれば、皇子を遥かに上回るであろう聖女の実力は、想像もつかないとのことだ。
「数で押せばとも思うが……それさえ、希望的観測に過ぎるのかもしれない」
閣下の重い口調に続く言葉はなく、静けさがのしかかる。次いで、話は俺の役回りに移った。ウチの殿下がお考えを口にされる。
「可能な限り、直接戦闘は避けたい。もっとも、転移の技量次第で、相手に選択権があるようなものだけど……できれば、直に会わずに始末したい」
「……例の攻城魔法で、ですか?」
「申し訳ないけど、その通りだ」
大師の手で妨害が入ったアレを、今度は聖女一人撃ち倒すために使えというわけだ。
一応、大師の不在以外にも、あの
「周辺の兵は、すでに両軍とも引き払っています。倒壊に巻き込まれる危険はないでしょう」
「それに」
口を挟まれたのはナーシアス殿下だ。こちらをまっすぐ見据えながら仰る。
「脅しではない一発を本当に直撃させることで、敵軍の戦意を完全に消し飛ばせるかもしれない」
そうだ、戦闘はまだ終わっちゃいない。散発的ではあっても、今もなお戦う方々がまだいる。本当に戦いを終わらせるためならば、やる価値はあると思った。
一方で、懸念がないわけでもない。聖女が何ら干渉手段を持たないと決まったわけではない。あまりに動きを見せないものだから、何もしてこないと決めてかかる空気が、もしかしたら……?
でも、実際のところ、この場の方々が案じておられるのは、もう少し別のことだ。総司令閣下が難しい表情で仰る。
「あの攻城魔法を直撃させたとして、それでも倒しきれない敵だという可能性が……否定はできません」
認めたくはないけど、ありえなくはない話だと思った。ついさっきまで、常識を外れた連中と戦ってきたばかりだ。息をするように空間に穴を開けて転移する奴、瞬く間に魔獣の大群を繰り出してくる奴……残る聖女も、そういう何かを極めたような連中のお仲間だとすれば――。
いや、それ以上の何かでさえあるかもしれない。
すると、トリスト殿下がテーブルの上に腕を置き、袖をまくられた。その腕には
もはや隠し立てしないという覚悟の表れか、殿下は良く通る声で「総帥」と声をかけられた。それに少し遅れ、腕輪から例の声が響く。
「あまり公になると困るとはいえ、そういう状況でもないか」
「ええ。できる限りの情報をいただければと」
しかし、続く「聖女について、何か情報は?」という問いに、総帥閣下は
「情報を出し渋っているわけじゃないけど、詳細な情報はないんだ」
「まったく?」
「憶測ぐらいは聞かせられると思う」
少しでも情報が欲しい俺たちにとっては、それでもありがたい申し出だった。場を代表して殿下が「頼みます」と仰ると、総帥閣下はそれに応えられた。
「貴族という種を人工的に作る技法は、軍事機密の最たるものだった。そうした機密が、歴史を断絶する大戦に巻き込まれて逸失した。魔人側の大幹部の何人かは、その大戦に前後して作られた存在だと思われる」
「想像を絶する話ですな」
将官の方から、重い口調で合いの手が入る。こちらにおられる方々にしてみれば、貴族が作られたうんぬんという話は、決して愉快なものじゃないだろう。ド平民の俺ですら、当時の連中に対して、腹立たしく思っているのだから。
やはり、気分を害されている方もおられるように見える。それでも、誰も離席なさらなかった。そして、総帥閣下のお言葉が続く。
「天文院ができたのは、先に話した大戦が終わった後でね。当時の状況は、詳しくはわからない。ただ、人から魔人を作り出す最初期の試みに、あの聖女が関わっている可能性は高い。というより……」
一度区切られたお言葉に対し、先を促す言葉が放たれない。重苦しい沈黙に場が支配される。その沈黙を打ち破るのもまた、陰鬱なお言葉だった。
「あの聖女とやらが、魔人の原型なのかもしれない」
☆
軍議の後、いくらか休憩の時間をいただき……ついにその時がやってきた。これから、城に向かって玉龍矢をぶっ放す。
幸いだったのは俺の疲労が、短時間のうちにいくつもの魔法を操るところからくる、一種の気疲れみたいなものだったことだ。マナを使いまくったわけじゃない――というか、豪商との戦いでは、他人のマナでドンパチやったようなものだ。
そういうわけで、マナを使い果たすよりはよほど早く回復できたというわけだ。念のためにと、上物の霊薬もいただけたから、これで万全だ。
今から砲撃に入るということで、まずは最終確認を。
「おそらく、城の最上層にいます。玉座のようなところでしょうか」
「玉座ですか」
なんとなく、狙うべき場所がわからないでもない。しかし、きちんと正確に狙わなければ、とも思う。城の上部構造自体を破壊して、崩落に巻き込むという手もアリなんだろうけど……。
すると、アイリスさんは「私も行きましょうか?」と申し出てきた。
「私が、狙うべき箇所をマナで示しますから、その道に乗せるように撃ってもらえればと」
「なるほど、それがいいね」
アイリスさんの提言に、殿下が反応なさった。確かに、すぐそばでガイドしてもらえるのなら心強い。
トリスト殿下が念のため、天文院へこの件を打診してくださったけど、総帥閣下から否定的なお言葉はなかった。状況が状況だし、俺たちに向けた信頼の念もあるのだろう。
そういうわけで、俺たち二人が城への砲撃を担当。何らかの干渉があった場合に備え、俺たちの周りに、貴族の方々が控えるというフォーメーションを組むことになった。ほとんど、開戦前の時と同じだ。
段取りが決まったところで、俺たちは
そして、十分に地面から離れ、他の方々とも距離があることを確認して、俺はアイリスさんに小声で切り出した。
「実は、謝りたいことが」
「何かありました?」
「いえ、虚空に飛ばされた時のことですけど……そうなる可能性を知っていながら、相手に気取られないように隠していたので。それで、心配させてしまったんじゃないかと」
「そうですね……心配しましたよ、とっても」
しかし、こちらを責める言葉選びに反し、怒気の響きは感じられない。真剣な表情でこちらを見つめながら、彼女は続けた。
「ウォーレンさんから借りた、外連環の試作品ですが……今日の戦いを見越して、調達しました?」
「まぁ……今日みたいなことが、いつかあるだろうとは」
「それで……あなたも、勝ったんですね」
その時、俺は左手をそっと握られる感触を得て、心臓が一瞬はねた。変に騒げば、周囲に気づかれる。平静を装いつつ、俺たちはそのまま高度を上げていく。
すると、アイリスさんが控えめな声で話しかけてきた。
「私も、勝ちましたよ」
「ええ、知ってます」
「いえ、細かい部分とか、話してなかったですよね?」
「それは、まだ」
「落ち着いたら、いっぱい話しましょうね」
「はい」
「絶対ですよ」
そう言って彼女は、俺の手を握る力を、ほんの少し強めた。でも、すぐに力が弱まり、最終的には手を離された。これで、約束を交わしたとでも言うように。
やがて、俺たちは所定の高度に着いた。これから魔法の準備に入る。すぐ近くに彼女がいることを感じながら、俺は複製の展開に入った。
俺を静かに見守る、温かな視線を感じる。なんか、変な感じだ。ちょっとした緊張と、それによる萎縮がある。この手に多くがかかっているという、多大な責任の実感も。その一方で、強い高揚感も。色々な感情が渦巻いている。
しかし、胸中が思い思いに騒ぐ中、指先は正確に求める魔法陣を刻んでいく。結局の所、ここまでやってきた自分自身への自負と信頼が、心のざわつきに取って代わった。
そして、俺は玉龍矢を二発こしらえた。撃ち返しはないだろうけど、念のためだ。ここまで来て、変に手を抜いたばかりに失敗したくはない。
準備が整い、俺は横にいるアイリスさんに目を向けた。すると、彼女が我に返るような反応をしたのに気づいた。
「何か、考え事でもしてました?」
「いえ、そういうわけでも……」
「ま、しっかりしてくださいね……先生」
いつぶりになることか、彼女のことをそう呼ぶと、その顔ににこやかな笑みが浮かぶ。それは一瞬のことで、彼女はすぐに真剣な顔を標的に向けたけど、一瞬の笑顔で気力が湧いてくるのを感じた。
俺が単純にできていて、本当に良かった。そうじゃなきゃ――こんな引き金は引けなかっただろう。
いよいよ照準合わせの段に入り、彼女はいくつもの
こうして、狙うべき道が整った。後は、この手で引き金を引くだけだ。
そして――暴力的なマナを抑え込んでいた外殻が爆ぜ、周囲一帯がマナの光りに包まれる。
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