第573話 「仕切り直し」

 豪商が果てて砂の塊と化し、辺りが静まり返る。

 城内に残る魔人は、もう聖女一人だけだ。念のために透圏トランスフェアで様子を探ってみると、相変わらず城の最上部付近に鎮座したまま。

 まさか、転移を使えないということもないだろう。豪商一人でもかなりの動員力があると考え、彼に任せっきりにしたという見方もできなくない。

 それでも、聖女がここまで何一つ動きを見せないことに、強い不穏さを覚えた。そんな不可解な魔人が、次の敵になる。半球上に輝く紫の光点をにらみつけていると、手に自然と力が入る。

 しかし、そこで殿下が口にされたのは、予想外のお言葉だった。


「一度退却しよう」


 一瞬驚いたものの、状況を考えれば納得のいくご提案だ。残る敵は動かないし、こちらはかなり消耗している。それに、窓の外にはちょうどいい足もある。

 殿下のご提案に対し、特に強い反論もなく、ひとまずはこの場を離れることに。そこで、城外で待機中の空中戦力に号令が放たれ、細長い隙間からゆるゆるとホウキの列が入り込んでくる。

 妙に久しぶりに感じられる仲間たちとの再会だけど、それを喜ぶにはまだ早い。俺たちはさっそく、離脱の準備を進めた。豪商の亡骸は、大きな布で丁寧に包まれ、数人がかりで搬送することに。

 すると、突入部隊の中から疑問の声が出た。


「大師とやらの亡骸は? 確か、ここに訪れたはずだが」


 言われてみれば。城外へ逃げ出したという情報はないから、ここで奴も最後を迎えたのだとは思うけど……その物証がない。

 ただ、奴がここで倒れたのだとして、その亡骸が無事に保全されていたとも考えにくい。床を埋め尽くす魔獣が、そういった気配りを見せたとは思えない。

 だから、いつの間にか逸失してしまったのだろう。確実に殺したという証拠がないことに、なんとも言えない粘つく不穏さは確かにある。それでも、この場はそういった解釈で納得することとなった。

 妙な雰囲気に、離脱準備が中断されたものの、すぐに気を取り直したかのように作業が進んで行く。そんな中、サニーが俺に話しかけてきた。


「リッツさんも、乗っていきますか?」

「俺が?」


 俺は俺で、折り畳み式のホウキを携帯している。自分だけ運ぶのであれば、これで十分だ。しかし、ウチの殿下はお考えが違う。


「君も載せて行ってもらえばいい。相当疲れただろう?」

「はい……仰せの通りです」


 まぁ、それを言うなら隊のみんなも相当頑張っていたんだろうけど……ついさっき、足元がふらついたことを思い出し、俺は素直に疲弊を認めた。


「俺も頼むよ。乗せてってくれ」

「はい」


 俺の言葉に、サニーが応えて後部座席を勧めてくる。そういえば、サニーに乗せてもらうのは初めての気がするけど……外は落ち着いているようだし、アクロバットはないだろう。


 実際、外に出てみると、戦場はかなり落ち着いた状態にあった。城の周囲では交戦が見られず、遠くの方で散発的な小競り合いがどうにか確認できるという程度。ナーシアス殿下のゴーレムもいない。もう引き払われたのだろうか。

 ただ、魔人の大多数を殲滅できた……というわけではないようだ。開戦直後よりもだいぶ数を減らしたように見えるけど、それでもそれなりの規模が残存している。眼下では、かなり距離を開けてにらみ合う両軍の様子が見える。

 とはいえ、戦闘の熱はすでに引いたようだ。お互い、機をうかがうための沈黙と警戒ではなく、仕掛けられた時のための構えを維持しているように感じられる。

 たぶん、相手側の戦意がなくなりつつあるんじゃないか? 状況の詳細がわからないながらも、俺はそんなことを考えた。


 ホウキの一群が城を離れ、連合軍本陣へ着くのに、時間はさほどかからなかった。これから軍議に入るとのことで、王侯貴族からなる突入部隊の中でも、さらに上寄りの方々がその場へと向かわれる。小休止と言うほどの時間もなかっただろうに。

 一方、軍議に参加しない俺は、多少落ち着ける時間を得た。

 とりあえずやるべきは……隊の状況把握だろう。俺がいない間、近衛部隊がどうだったのかが気になる。強い緊張を覚えながらも問いかけると、ラウルが答えてくれた。


「重傷者が三名。死ぬほどのもんじゃないが……当分は安静にしてもらわないと、ってところだ」

「そうか」


 戦場を飛び回って転戦しまくっただろうけど、誰も死んではいないらしい。それだけは安心した。

 しかし、胸のつっかえが解消されたところで、まだ残るものもある。つっても、済んだことだし大したものでもないけど……「外は、いつ終わったんだ?」と聞くと、隊のみんなが顔を見合わせ……いち早く何かに気付いたウィンが口を開いた。


「中にいて直接は見えなくて……聞かされてなかったってところか?」

「そんなとこだ」


 すると、アイリスさんが「でしたら」と口を挟んできた。

 突入部隊の中核であらせられた方々が軍議に出向かれた今、彼女が一番、当時の動きについて理解があることだろう。なんせ、透圏張りっぱなしで、城の内外に意識を向けていたんだから。

 彼女の話には、俺のみならず隊のみんな――に加え、軍議に参加されなかった貴族の方々も興味をお持ちらしい。にわかに注目を集める形になった中、アイリスさんは苦笑いしてから、事の顛末てんまつを話してくれた。

 最初に状況の変化が見られたのは、大師を倒してからとのことだ。


「その時、城の上に向かって天令セレスエディクトを使い、降伏勧告が行われたのですが」

「はい」


 彼女の言葉に返答したものの、それは俺だけじゃなかった。外にいたはずの仲間からも、返事があったように聞こえた。

 それで、当時何が起こっていたのか、おぼろげながらも掴めて来る。


「上にいる相手に向かっての天令でしたが、実際には外にも聞かせる規模のもので。ただ、勧告を向けられた豪商は、自身に向けたものと解したようでした」

「つまり、外に漏れているとは考えず、応答してきたと?」

「そのように思われます。加えて、マナの色と彼の役回りから、天令自体に不慣れさがあったのかもしれません。作った魔法陣と、それに対応する規模の感覚がなかったのではないかと」


 そういった状況が結果的にどうなったかというと……大師が倒されたという情報を含む降伏勧告が城外にも丸聞こえなのに、豪商はそれに気づかなかった。そして、城外の兵の士気を考慮すべき状況にもかかわらず、彼は対応できずに自身に向いた勧告に意識を割かれた――のではないかというわけだ。

 どこまで計算づくで、あの方々が勧告を仕掛けられたかはわからない。運に助けられた部分もきっとあるだろう。しかし、言葉のやり取り一つに老獪ろうかいな仕掛けを盛る巧みさに、感嘆のため息があちこちから漏れ出る。


「それで……外にも向けられた降伏勧告で、外の連中は不利を悟ったってところですか」

「はい。もっとも、憶測でしかないのですが……透圏を見た限りでは、あの勧告から徐々に交戦の手が緩む流れは感じ取れました」

「実際、そうなってから、こちらでも動きがありました」


 アイリスさんの言葉にウィンが続くと、場の注意がそちらへ集まる。すると、彼は少し照れるように苦笑いして言った。


「戦意が弱まりつつある流れを見て、ラックスから指示が。その時は隊が広域をカバーするように動いていたのですが、敵を刺激しないように注意の上で、隊を一か所にまとめようと」

「その理由について、彼女は何と?」

「……長いですが」


 断りを入れた彼は苦笑いしている。一方、アイリスさんは微笑んで「お願いします」と続きを求めた。


「確か……敵は全体ではなく、局所を見て戦意の拠り所にしている。だから、戦場が落ち着きつつある今のうちに集合して、城での戦闘に加勢できるよう備えよう。城内の流れ次第では、まだまだどのようにも転びえるから……といった感じのことを」


 話し終えてから、彼は仲間内をさりげなく見回した。その反応を見る限り、彼の記憶に間違いはなかったようだ。

 それから、ハリーが「共和国でも動きが」と口にした。確かに、加勢に来たのは近衛のみんなだけじゃなかった。見えていないところで何があったのか、アイリスさんも興味があるようで、彼女は目で先を促した。


「ラックスが連合軍本部で打診したようですが、空中からの射撃要員として、共和国の空中偵察部隊を動員できないかと」

「なるほど」


 それで、そういった外部の動きが知らない間に進み、殿下がいつの間にか連絡を取られ、タイミングを見計らって動かされたと。

 すると、ラウルが「本当に知らなかったのか?」と、心底不思議そうに聞いてきた。


「本当に知らんかった」

「へぇ……マジか」

「俺だけじゃないぞ、たぶん」


 実際、あの時城内にいらっしゃった方々の大半も、外で進行していた事態はお気づきでなかったようだ。

 でも、知らされていなかったことへの不満みたいなものはない。俺も、情報を伏せられた理由は、なんとなくわかる。「気取られないようにと、お考えになったのでしょう」とアイリスさん。それでラウルも合点がいったようだ。


「確かに、向こうも知っていれば、何か対応できたとは思います。我々が現地へ着いた時、誰も外に目を向けていなかったのが不思議でしたが、これで腑に落ちました」

「知らされていないということが、伏兵を動かす上では重要ということですね」


 このアイリスさんの言葉が、俺の心に軽く突き刺さる。

 大師に感付かれないようにと考え、俺は事前に情報共有しないで事を進めていた。そのおかげで、奴は俺が想定した動きをしてくれた。結果オーライではあるけど、意図的に心配かけてしまった罪悪感は、やっぱりある。

 彼女の発言は、俺をくさすつもりで口にしたわけじゃないだろうけど……後でちゃんと謝ろう。いや、彼女だけでなく隊の方々全員にも、改めてそうすべきだろうけど……。

――などと考えていると、立ち話の場に伝令らしき方が駆け込んできた。


「申し訳ございません、リッツ・アンダーソン殿はおられますでしょうか?


 ああ……軍議で何かあったんだな。先が読めない中、心がさざめき立つ。

 そうして導かれるまま軍議に向かおうとし、俺は最後に談笑の場を振り向いた。身分の上下の別なく、俺に向けられた視線には、温かなものや熱いものを感じられる。

 その中にはアイリスさんも。俺を励ますような微笑を向けてくれている。


 やっぱり、今日中に謝っとこう。

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