第572話 「魔獣の王④」

 扉越しの援護に加え、今度は窓の外からの射撃が魔獣の大群に襲いかかる。

 繰り出される射撃の雨は、総火力が瞬時にして数倍になったかと思わせるほどだ。床から打ち付ける青緑の槍、扉の向こうから注ぐ集束した散弾、上からは射撃の雨。逃げ場のない猛攻に、怪物たちが次々と打ち崩されていく。

 また、外部から攻め立てる新手の出現により、魔獣たちの対応に変化が生じた。床を埋める怪物の多くは、窓でホウキにまたがる新手に気を取られている。

 だが、細長い壁のスリット越しに攻撃を放っても、外の彼らに当たりはしない。窓は破られても、間の壁は健在、それが魔獣の知性にとっては大きな妨げになる。

 それに加え、城外で飛ぶ側はより広く空間を使える。それから、もう一つ。彼らは空を飛び回ることで飯を食っているのだ。


 外からの加勢が馳せ参じたことにより、この戦闘開始から初めて、回避に専念していた一行は行動の自由を得た。外側へ攻撃が散っている今、敵の本隊を狙うには絶好の機である。

 それでも最低限の警戒を絶やすことなく、彼らは今回初めて攻撃に移った。放たれたのは追光線チェイスレイ。豪商がばらまく硬貨、その軌跡を逆にたどり、彼がいるであろう箇所へと光線が飛来する。

 これまで攻められ続けたことへの意趣返しか、追光線は怒涛の連撃だ。それに加え、窓の外からの射撃も、床を覆っていた魔獣ではなく、豪商を守る魔獣を対象にしつつある。


 一度攻勢が始まると、一同が思っていたよりも早くに状況が動き出した。魔獣の物量が、部屋へと注ぐ火勢に抗しきれなくなっていく。

 そして、硬貨が宙に現れなくなった。次いで、展開されていた魔獣たちが、紫の霞へと変じていく。最後に残ったのは、床に伏して動かなくなった、一人の魔人だ。



 扉の向こうからの合図があり、どうやら戦いは終了したようだ。戦闘音が全くしないし、間違いないだろう。

 それにしても、急にガラスが大量に割れるような大音響に襲われた時には、全身が縮み上がるような心地だった。殿下のご様子から、空の増援が来ただけだとすぐに察しはついたけども。

 そういう手配については、まったく知らされていなかった――というか、こちらとあちらの殿下以外は、知らされていなかったように思われる。

 例外っぽいのはアイリスさんか。事前に知らされていたのか、あるいは透圏トランスフェアで察知していたのか。他の方のような驚きは、特に無さそうにしている。

 まぁ……いずれにしても、後で種明かししていただければいいか。


 扉を開けて向こうに合流しようという流れになり、俺は立ち上がろうとした。

 しかし、短時間に集中して精神力を酷使したせいか、足元がおぼつかない。そんな様子をアイリスさんに見られ……俺は何食わぬ顔で踏ん張った。気取られていなければいいんだけど。

 そうして俺は、微妙に不確かな足取りのまま、皆様方と一緒に扉の向こうへ立ち入った。


 ついさっきまで戦場だった部屋は、端的に言えば悲惨な有様だ。がらんどうな礼拝堂のように天井が高いその部屋は、床中にガラス片が飛び散っている。また、そのガラスを割ったと思われる者が、窓というか窓だった物の向こう側に見える。

 やはり、俺たちの近衛部隊が来ていたようだ――彼らばかりでなく、服装が違う方々も。

 おそらく、リーヴェルムの空中偵察部隊まで動員したのだろう。もともと銃士だった方々だから、飛び回りながらはともかく、ホウキにまたがりながら撃つことは容易だろうと。


 そして、部屋の奥に目を向けると、恰幅の良い男性が壁にもたれかかっていた。彼がいる周囲の床には、白くきらめく何かが見える。おそらくは砂だろう。彼が例の豪商であり、まさに今果てていく最中にあるのだと理解できた。

 矢面に立って交戦されていた方々は、彼を遠巻きに取り囲んでいる。いずれの方も剣を抜いておられるけど、構えまではしていない。もう決着がつき、彼の最期を待つばかりという状況だ。

 その輪の中に俺たちも静かに混ざると、朽ちかけの魔人は落ち着いた口調で言った。


「多勢に無勢とは申しませんよ。むしろ、あなた方が口にすべきでしょうか」


 擦り切れたような細い声でそう言って、彼は苦笑いした。これから朽ち果てることを粛々と受け入れているようで、妙に余裕があるようにすら感じる。

 そんな彼に対し、戦闘中は冷静であらせられたトリスト殿下が、やや逡巡しゅんじゅんするようなそぶりを見せてから仰った。


「貴殿に伺いたいことが」

「話せることであれば」

「なぜ、紫のマナで魔獣を作り出せる? それが可能なように、あの硬貨が作られているのか?」


 戦闘開始直後に沸いて、その後思考の外にしまい込んだ疑問を、殿下は真正面から問われた。紫のマナでも魔獣を作り出せる――そのことが意味する不穏さに、静かな戸惑いの輪が広がっていく。

 しかし、問われた当の本人は、「ああ、それは」と軽い口調で答えた。俺たちの気持ちを知ってか知らずか。


「もともと、貴族が操る手勢として、こうした魔道具を考案したという経緯がございまして」

「貴族が魔獣を使う?」

「ええ。敵国を攻めるにしても、魔人と戦うにしても、人を駆り出さずに済むのであれば人道的だと思いまして。もっとも、時の権力者には『邪悪だ、危険だ』と評されてご理解いただけず……失意の果ての末、魔人となったわけですが」


 何やらスケールの大きい話をされているという感じはある。耳にした言葉から理解へ至るまでに、俺は若干のタイムラグを感じた。

 とりあえずわかるのは、彼が相当昔の存在で、一人で魔獣というシステムを作り上げたようだということだ。今の人類からすれば邪悪としか言いようがない。

 そんな彼が、今度はこちらへ問いかけてくる。


「私が作り出した硬貨は、あなた方の手に渡って後、どのように扱われましたか?」

「全て鋳潰し、魔道具の素材としている」


 ウチの殿下が即答されたものの……問いかけてきた彼は「そう答えるでしょうな」と笑っている。


「しかし、全てが全てというわけでもありますまい。もし仮に、原形を留めているのだとすれば……あなた方にも使っていただければ幸いですな」

「今更か?」


 様々な含みを持たせたであろう言葉を、アシュフォード侯が放たれる。それに対し、豪商は苦笑いで返した。


「なるほど、仰る通り。本当に今更ですな。しかし……そのように気丈に跳ねのけられるものですかな? あなた方以外の指導者も、その子々孫々までもが?」

「そうまでして使ってほしいと?」

「それは当然でしょう。あなた方にしてみれば醜悪な存在だとしても、私にとっては人生を賭けた事業だったのですから」


 そして……彼の着想を受け入れた魔人たちに、彼は自身の品物を提供し続けたというわけだ。

 彼がやった事自体は、最初から人道的でもなんでもなかったと思う。それでも、彼の行動の根底にあるものに、俺は人間味のようなものを感じた。

 彼のしでかしたことは単にスケールが巨大過ぎる。しかし、それを抜きにすれば、彼みたいな人間はいくらでもいるんじゃないか?


 彼の述懐の後、重い沈黙が少し続いた。それから、彼は消え入りそうな声で言葉をつなげた。


「おそらく、私は史上もっとも多くの人命を損なった存在でしょう。ですが、その座が未来永劫に渡って私だけのものだと、あなた方は信じられますかな?」

「信じなければ、やっていけないだろう……」


 言葉を返されたのはウチの殿下だ。その声には、返答が難しい問いに対する悲痛な響きがある。それでも殿下は、まっすぐ問いの主を見据えておられる。

 そうした殿下の様子に、問答に向かい合う彼も彼で真摯な態度を示し、殿下の言葉を待っているように見える。すると、殿下は仰った。


「私たちは多くの血を流して、過去の清算にやってきた。それが果たされても、後の世がまた過ちを繰り返そうというのなら……本当に、やりきれないじゃないか」


 そのお言葉に、向かい合う魔人は悲哀のこもった表情を浮かべた。自身に待ち受ける滅びではなく、殿下――いや、同じ立場の方々へ、そうした感情を示すように。

 そして、彼の口から言葉が放たれることは、もうなかった。全ての色を失い、白い砂へと還っていく。

 彼が果てるまでの間、なんの音も生じなかった。ただただ静かだった。

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