第569話 「魔獣の王①」

 突入部隊の約半数、豪商との戦闘に当たる者たちは、重厚な扉を開けて彼が待つ部屋へと足を踏み入れた。

 そこは、礼拝堂のようであった。やたら天井が高い部屋が多い城内にあって、多分に漏れず、この部屋も上までが遠い。室内の壮麗さも、他の部屋同様である。縦に長い窓がいくつも並び、陽光が部屋中に差して、白い床を広く照らし出す。

 その光の段の向こうに、一同は恰幅の良い男性の姿を見た。今のところは単独であり、静かにたたずんでいる。その姿を認めた後、何人かが動いて大扉をゆっくりと閉めた。

 一応、先に宣した降伏勧告の続きという名目で、一同はこの部屋に立ち入っている。その建前を全面的に信じたわけではあるまいが、彼らを迎える豪商の落ち着いた様子は、あまり魔人らしかぬところがある。

 とりあえず形ばかりでも話に応じようというのだろう。奇襲を警戒しつつも踏み入った一同は、わずかに困惑しつつ豪商に正対した。その中の一人が口を開く。


「貴殿の要求通り、降伏勧告のため直に参った次第である」

「ご足労いただき、痛み入ります」


 返された言葉は、魔人の口から放たれたものとは思えない。慇懃無礼という響きもなく、丁寧に頭を下げてみせさえするその所作に、一同の多くは不思議なものを目にするような顔になった。

 その中にあって、隊を率いる王子トリストは、別のことに注意を向けていた。本来であれば、隊の中核にある彼が対話するのが筋ではある。

 しかし、彼はその任を他の王族に任せ、自身は周囲の警戒に専念することとした。魔法王国の王子である彼ならば、秘された罠にも感付くであろうというわけである。

 だが、彼の鋭敏な感覚を以ってしても、部屋の中に怪しげな兆候は感じ取れなかった。仕掛けはどうやら無さそうである。そのことに、彼は安堵と、どことなく不穏な予感を覚えた。


 一方、形式的な降伏勧告は続いていく。内容は、大幹部二名の処刑を条件に、末端の魔人の助命を受け入れるというものである。

 一通り話を聞いた後、豪商は感情の動きをほぼ見せずに問いかけた。


「一つ伺いますが、私がその申し出を蹴ったとして、我々の配下に不都合が生じることは?」

「……そうだな。貴殿が抵抗したとして、我々の中に還らぬ者が出れば……貴殿に下々をおもんぱかる心があるとしても、その意に沿わぬ流れになるやもしれぬ。残る者に理性的な対応を願うばかりだが」

「つまるところ、私の抵抗がどうあれ、あなた方はすでに勝った気でいらっしゃると?」

「降伏勧告とはそう言ったものだろう? 我が方の言葉を疑うのなら、窓の外に目を向けるがいい」


 だが、豪商は外に目を向けるでもなく、その場で目を閉じた。ややあって、彼は神妙な表情で、静かに宣言した。


「すでに大勢は決しておりますが、私も戦うことといたしましょう」

「戦って、生き残れるとでも?」


 言葉を受けて構える一同を前に、豪商はわずかに体を震わせた。そうした自身の有り様に気づいたのか、彼は力なく笑って口を開く。


「あなた方から見れば、あの大師殿は卑劣の極みにあるでしょう。それでも、彼は最期まで戦い抜きました。今なお戦う、我らの民も。それなのに、私だけが戦いから逃げ、お上品な処刑を受け入れるわけにもいきますまい!」

「……見上げた心構えだ。魔人にもそのような仲間意識があったとはな」


 向けられた言葉には、素直な称賛の響きがあったが、豪商は「仲間?」と戸惑いを見せた。そして彼は、袖から無数の硬貨を、口からは朗々とした声を放った。


「仲間というよりは、お得意様ですな!」


 その動きに応じ、突入部隊の面々も即座に動き出す。硬貨もろとも攻撃せんとして、いくつもの魔力の火砲マナカノンが豪商の元へ向かう。


 しかし――魔人の国において、魔獣の核の造幣を一人取り仕切る男、単なる魔人の集団を軍勢なさしめてきたその男の能力は、非常識の域にあった。

 砲弾が届くよりも早く、彼は爆発的なマナの濁流を放ち、バラまいた硬貨にそれをまとわせていく。彼のマナ――紫のマナが、瞬く間に硬貨を包んで、魔獣の形を成していく。

 そうして瞬時に展開された異形の群れは、火砲カノンの斉射第一波をしのぎ、その上で後続を残すに十分な物量であった。計30発ほどは叩き込まれた火砲、その着弾により立ち込める爆風の中から、異様な形状の魔獣が姿を現す。


 そして、火砲による噴煙が止まぬうちから、その切れ目に次なる金色の硬貨の輝きを認め、突入部隊の一同は号令がかかるよりも早く空へと上がっていく。

 魔獣の展開速度は、彼らの想像を遥かに超えている。豪商が魔獣一体を作り出すのは、魔力の矢マナボルト一発放つ程度の気軽さに見える。それが同時に十数体も。

 しかし、隊員の一部を驚かせたのは、非常識なまでの展開速度だけではない。硬貨が魔獣になるにあたり、用いたマナの色は紫であった。魔獣を構成するマナの色と言えば赤紫である。その常識までも破られ、困惑を隠せないでいる者は、多少なりともいる。


 だが、そういった困惑はすぐさま鳴りを潜めた。見る見るうちにその勢力を拡大した魔獣の軍勢は、今や床を埋め尽くさんばかりである。そして、そのいずれもが、飛び道具を有しているようであった。

 背に針山を背負ったオオトカゲは、その針を宙へと飛ばしてくる。

 地を這い上に向いた口を持つ妖花は、長くしなる触手を宙に這わせ、触手の先端の口から酸の唾をまき散らしてくる。

 異形の怪物の中にあって肩身狭そうな、美しい見かけの狐は、その口から燃え盛るマナの炎を吐き散らしてくる。

 円形の鱗に覆われた大猿は、その鱗にいくつもの魔法陣を浮かばせ、宙へ向かって矢の雨を繰り出してくる。


 下方を埋め尽くす怪物の群れ、そこから放たれる多様な攻撃の嵐に、突入部隊の一同は防戦を強いられた。「どうする? 仕掛けるか?」との問いに、隊を仕切るトリストは、冷静ながらも早口で応じる。


「攻撃は中断。火砲の爆風などで、下の様子が見えなくなると困る。今は生存に専念するんだ」

「外からの応援は?」

「入ってきたところを狙われればどうしようもない。連中の攻撃はこちらで受ける」



 つなぎっぱなしの外連環エクスブレスから、トリスト殿下の声がこちらにも届く。あちらは防御に専念なさるとのこと。攻撃はこちらに託すというお考えなのだろう。

 こちら待機側も、対応が早い。いつのまにやら内側から施錠ロックの禁呪がかかった開かずの大扉に、扉が壊れきらない程度の間隔で、いくつか騎槍の矢ボルトランスが撃ち込まれた。

 そうしてできた即席の銃眼から、室内へと追光線チェイスレイが連射される。

 狙うべきは、宙にいる怪鳥どもだ。床を埋め尽くす怪物どもと違い、空の連中は光線一発で有効打になる。仮にバランスを崩させる攻撃にしかならなかったとしても、高度を落とせば、待っているのは床からの攻勢だ。同士討ちで始末してもらえる。

 外部からのこうした攻撃により、中で戦う方々は、まだ窮地に陥ってはいない。

 しかし、アイリスさんが展開し続ける透圏トランスフェアは、新手の出現を示し続けている。無尽蔵に増えていく、紫の光点。紫のマナから魔獣ができ上がるという事実に、うすら寒いものを感じる。


 ただ、そんなことに思いを巡らせている場合でもないのは確かだ。攻防の分業により、どうにか持ちこたえてはいる。しかし、乱雑に魔獣を繰り出しさえすればいい相手に対し、こちらは膠着こうちゃく状態を続けるのにも神経をすり減らしている。ジリ貧の解消に、何か有効な手立てを打たなくては。

 交戦が始まって一分も経っていないけど、同様の危機感は他の方々も抱いておられるようだ。こうして空気が張り詰める中、いくつもの光線を操りつつ、アシュフォード侯が殿下に向かって仰った。


「殿下、ご提言が」

「何か?」

「下の階から火砲を放ち、あの部屋の床を抜きましょう」


 なんとも大胆で、強引な手立てだ。しかし有用だろうとは思う。銃眼からのぞく向こうの様子は、床の上に埋め尽くされた魔獣が押し合いへし合いしているというもの。そこで床に穴が開けば、ある程度は交戦要員の負担を減らせるだろう。

……と思ったものの、現場の意見は違っていた。決断を下すよりも早く、トリスト殿下の冷静な口調で指摘が入る。


「多少の穴では、戦況は動かないだろう。かといって、穴が広がれば、敵側の鳥の比重が増えるだけだと思う」

「かえって不利になるか?」

「その辺りは微妙だけど、その微妙な有利のために君たちがリスクを負う必要はないと思う。穴を開けた時、崩落に巻き込まれては」


 あちらは交戦真っ最中だというのに、それを全く感じさせない落ち着きぶりが、何とも頼もしい。

 一方、あちらが冷静さを保っておられるからこそ、こちらでも有効な手立てを講じて見せなければとも思う。現状の膠着がいずれ崩れるのは、目に見えている。

 仮に、それぞれが決死の覚悟で事に臨まれているとしても……知恵を尽くさずに結果だけを受け入れるわけにはいかない。何か、この状況で俺にできることがあれば――。

 俺が打開策を見つけ、その結果次第で、誰か死なずに済むかもしれない。力及ばず、犠牲が出てしまうかもしれない。

 いずれにせよ、何か俺が申し出れば、扉一枚隔てた向こうの方々の命を負うことになる。それを嫌って、他の方が何か考えられるのに任せ、責任から逃げることはできる。場の流れに身を任せることも。

 でも、そういうのは俺のやることじゃない。俺の考えに人命がかかってることなんて、よくあることだ。今日一日でも、何回もそういう一幕があった。今も変わらない。


 こんな頭の悪いゴリ押しに、屈してたまるか。

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