第567話 「運命の一刀」

 何もない空間の中、精神を研ぎ澄ましていた俺の耳に、ノイズ交じりのGoサインが届いた。一瞬にして心拍が跳ね上がり、全身が熱で満たされる。

 俺がどこへ行くべきか、その目的地は明白だ。前に現世へと飛ばされた時は、アイツの白いマナを辿って虚空を歩いた。あの時同様、今回は俺を飛ばしたあの野郎の、紫のマナを感じ取れる。

――そして、同じ空間にいるであろう、あの子のマナも。

 二つの道標が交わるその舞台を、見間違えるわけもなかった。マナの導きに確信を持ち、俺は虚空から向こうへ続く穴をこじ開けにかかった。異刻ゼノクロックを用い、できる限りの出力を短時間に凝縮する。

 ただ、今は様子見だ。穴の大きさは控えめでもいい。向こうの状況さえ把握できれば。


 幸い、向こう側へ続く穴は、遅滞した時間の中でも一瞬で開いた。

 もっとも、労せず開けられるだろうという見立てはあった。空間が歪みやすく、転移での行き来が容易だからこそ、あの城が魔人たちの拠点なのだろうと。

 開けた穴から様子をうかがうと、現場には間違いなくつながったようだ。しかし、魔人の兵たちが出現している穴からは、少し遠い。これは好ましくない。

 一方、この小さな穴は物陰に隠れ、大師の姿は見えない。お互いに視界が通らないのは好材料だ。まだ、俺の存在を明かしたくはない。


 そこで俺は、その穴をとりあえず維持しつつ、視覚情報を頼りに別の穴をこじ開けにかかった。座標という概念が意味を持たない虚空なら、こういうこともできる。今の自分ならやれる。自分の中にあるマナを十全に操れているという感覚を手に、俺は新たな穴をこじ開けた。

 そして、それは思い描いた通りの場所へ通じた。魔人が呼び寄せられている場所の近傍であって、その門の裏側。出てくる奴の視界には入っていない。

 ドンピシャの場所に通じた幸運を自信に置き換え、俺は最初の門を閉じた。二つ目の穴から、本格的な行動に移る。

 現場に通じる小さな穴から、俺は魔人が躍り出てくる門を――その外縁にある、赤紫の記述をにらみつけた。


 大師と俺はニ回ほど交戦した。その際になんとなくわかったことがある。奴は、魔法を出しっぱなしにすることを好まないということだ。特に、相手との距離が近い状態では。

 それに、撃たれた魔法を撃ち返すための門は、一瞬で描き上げて一瞬で消していた。布石や威嚇のために置きっぱなしにしていたことは、ほとんどなかったと思う。

 おそらく、どんな魔法を使っているのか、認識されたくなかったのだろう。加えて、奴が魔法を使う時、大体が赤紫に染まっていたように思う。


 虚空で要救助者を待つ一人ぼっちの時間、俺は奴を追い詰めて殺す方法について、色々と考えていた。

 そうしてたどり着いた結論は、奴が魔法を満足に使えるうちは、決して追い詰められないというものだ。いざとなれば転移で逃げればいい。

 そもそも、奴自身がものすごく追い込まれにくい奴でもある。転移で部下を呼び寄せるのは今やっている通りだし、転移に寄る魔法の撃ち返しは攻防一体で、手数上の有利は奴にある。

 奴が魔法を使えるうちは、どうしようもない。

 ならば、奴に魔法を使わせなければ? という話になる。異刻で記述のきわを見極め、色選器カラーセレクタで奴の色に合わせて、記述を乱してやれば?

 問題は、奴の色を探ろうにも、それが至難の業だってことだ。こちらの手元へ、奴のマナが届き得るような攻撃魔法は、奴の手から出ることがない。

 それに、奴が魔法を使えば、ご丁寧にも別の色に染めてやがって、しかも記述は一瞬で使えばすぐ消える。これでは、奴の色の探り様がない。


 いや、探り様がなかった。


 奴が自身の魔法を維持しかければならないシチュエーション、事前に想定し得たその一つが、今のこれだ。部下を大勢呼び寄せるために門を開けている間が、俺にとっても開かれた絶好の機になる。

 赤紫の霞漂う中、門の外殻を構成する赤紫の記述へ、俺は色選器経由で紫のマナを伸ばした。奴の生来の色であれば、記述に潜り込んで魔法陣を破壊できる。いくら染めようが、奴自身のマナが紫だってのは、今日何度も使われた透圏トランスフェアで把握済みだ。

 ただ、依然として奴の色が、正確にはどんな紫なのかという疑問は残る。


 しかし、総当り検索にかかる前に、俺はある程度の予想をつけていた。おそらく、染色型相当の、標準的な紫に近似しているんじゃないかと。

 というのも、奴は魔人の中でも相当な古株のようだ。そして、時代を遡れば、貴族はほとんど混血していなかっただろう。

 だから、奴は貴族が作られた当時の、純粋な紫に近いマナを持っているんじゃないかと思う。RGBで言えば128、0、128あたりか。


 推定しても、結局は正確な色を探し当てるまで、総当たりでやらなければならない。時の流れを限りなく押し留め、その中で色選器の針を小刻みに動かしまくる。

 気を抜けば意識を持っていかれそうになる中、どうにかこらえて、俺は精神を集中した。勘付かれ、奴が門を閉じれば、水の泡だ。同じ手口は通用しないだろう。

 しかし、俺だけの時間の流れを得るのも、紫のマナを偽造して手にするのも、いずれも凄まじい負荷だ。ここまで飲んできた霊薬がなければ、とても持たなかっただろう。遅滞した時空の中、目に見えるほどには動かないはずの右人差し指が、俺の目には震えて映る。


 そうして一人、カラーピッキングに心血を注いでいると、指に引っかかりを感じた。開かれた門の鍵に、指が届いたような感じが。そのマナの色を以って、俺はつながりを得た門の記述を掻き乱した。

 俺が得た色は、本当に正解だったようだ。奴と同じ色の侵入により、魔法陣はもはや門の役目をなさなくなり、赤紫のマナの粒子へ返還されていく。

 門を閉じることができた。この手に、奴の色がある。


 俺は一瞬だけ異刻を開放し、一度深呼吸をしてから、自分が開けている穴を大きく開いた。覚悟を決め、戦場へ殴り込みをかける。

 奴の門を閉じてから、ほとんど時間は経過していない。さっきまで門を通りかかっていた奴は、急に門が閉じたことで、半身を″食われた″ようだ。この世のものとは思えない絶叫を上げている。

 それに多少の同情を覚えつつ、俺はあの野郎の元へ駆けていく。

 戦場を見た限り、こちらの突入部隊の方が、有利に事を進められているようだった。大師が門を開けて部下を補充するのは、双方にとって織り込み済みでも、消されたこっち側がやり返すのは想定していなかったことだろう。それに、元の練度の差もあり、流れはこちらの手にある。

 後は、奴をこの場で仕留めることができれば。


 俺はリーフエッジを抜き放ち、自分の青緑で白刃を染めた。右手の人差し指を隠すように、剣を構えて駆け寄っていく。

 奴までの間にいる魔人は一体。それまで、予想外の新手に手を焼いていたのか、さらなる新手の俺を意識しきれていない。

 それに――駆けていく俺の後方から、いくつもの追光線チェイスレイが躍り出る。俺の意図や手口は不明でも、意志を組んでいただけているのだろう。言葉を交わさずとも、手を取り合えている。

 心強くも手厚い支援が、前方に立ちはだかる敵へ迫る。逆側からは大師の方へと光線が伸びるのが見える。奴に介入されないようにという事だろう。

 俺に注意を移しきれていない前方の魔人は、あらかじめ張っていた光盾シールド泡膜バブルコートを光線の雨に叩き割られた。それでも余る光線に身を撃たれ、衝撃にのけぞっている。

 そこへ俺は剣を振り、そいつの胴を横薙ぎに両断した。手にした剣に、かつてないほどのマナの凝集を感じる。宿敵を前に、血が昂ぶっているのがわかる。


 一刀のもとに敵を斬り伏せた。奴の前に立ちはだかる手勢は、もういない。室内に残る他の敵は、他の方に任せればいい。俺は奴の方へ、速度を緩めず駆けていく。

 それに対し、奴に動きは見られない。俺へのサポートとして、奴の身に迫る追光線は、例の転移で軽くいなしている。

 とはいえ、光線は飲まれる前に消えているようだ。光線による射撃戦は、お互いに手の内がわかっている攻防といったところ。俺のこの手と、奴の応じる手が、唯一のイレギュラーだ。


 そして、もう少しで刃が届くという間合いになって、俺は剣を中段に構えた。すると、緩やかな時の中で、様々な考えが渦を巻いて浮かんでくる。

 奴はどう動くつもりだ? ここに来るまでに俺は、奴の手口をいくつも考えてきた。見たことがあるものから、見たことがないものまで。

 一番ありえそうなのは、逃げの一手だ。一番シンプルで、しかし俺たちには腹立たしい。


――でも……それでも別にいいんじゃないか?


 脳裏をよぎったその考えは、別に弱気や諦めから来たものではない。俺の右手には、奴の色のマナがある。奴の魔法陣に対して使えば、記述を乱して無力化できる。

 奴が逃げたら、俺はどうする? 決まってる。奴の色がどんなのなのか、世に広めればいい。一度色の座標を得たのなら、再現は容易だ。水たまリングポンドリングに詰めて複製だってできる。奴の人相書きとともに、色を複製した指輪を世界中にばらまいてやればいい。

 その上、奴が逃げようと、転移による転出入は天文院監視下にある。言ってしまえば、指紋も血液も口座の暗証番号も逃走経路も……何もかも押さえられた国際指名手配犯みたいなもんだ。

 詰んでるんじゃねぇか、コイツ。

 そう思えば、わざと逃がしてやる方が安全で確実って気さえする。


 それでも俺は、自分を止められない。奴をこの場で倒さなければ。

 そうまでして俺を突き動かすのは、きっと、まだ戦いが終わってないからだ。奴以外にも大幹部が二人残っている。ここで奴を取り逃がせば、いつか追い詰められるとしても、次の戦いに差し支えるだろう。

 だから、どうにかこの場でケリをつけて、隊の方々に安心していただきたい。向けられた信頼の念に、応えたい。奴はもう俺の獲物みたいな空気になっているから、なおさらのことだ。


 それに……アイリスさんは、自分の手で宿敵を倒したんだ。だったら、俺もやってみせないと。

 思えばずっと、あの子に憧れを抱いていたと思う。少しでも力になれればと、背伸びを繰り返してきた。それが積もり積もって、こんなところに俺はいる。魔人の頂点にこの手が届く――奴をこの手にかけようとしている。

 奴らを取り逃がしたあの時、俺は空に向かって叫んだ。何を口走ったか、正確な言葉は覚えちゃいないけど、あの日叫んで自分に約した瞬間が、ここにある。


 だからもう、迷うことはない。ぶった斬ってやる。


 息が止まり、心臓が跳ね、血が猛り狂う。その中にあって、意識は妙に澄明だ。振りかざした刃が、奴に刻々と迫る。

 すると、奴が行動に移った。圧縮した時の中でもなお、奴の記述は驚くほどに速く、本当に瞬時にして魔法陣ができあがった。その速度に、言い知れない感嘆の念が起こる。紛れもなく、こいつも一つの道を極めた男なんだ。

 そして、目の前に赤紫の門が開き、俺は全てを理解した。いちいち後ろを向いて確かめるまでもない。このまま剣を振り抜けば、どうせ俺自身の背を斬る羽目になる。

 更に、奴が構えた門は、互いの上半身を覆い隠す絶妙な位置にあった。次の布石にってことだろう。刃はもうじき、門に触れる。本当に、抜け目のない野郎だ。


 でも、予想通りだ。


 まずは門の前を塞ぐように、俺は双盾ダブルシールドを展開した。そして、右人差し指にマナを集めていく。奴の色を盗んで以来、色選器を維持してきた指に。この紫のマナを、リーフエッジへ通していく。

 すると、瞬間的に甚大な苦痛が襲い掛かる。それが異刻で引き延ばされる。それでも俺は、こらえきって剣に意を通した。青緑のマナを与えていた刃は、今や紫の光を帯びている――奴のマナだ。

 これで門そのものを斬れるという保障なんてない。誰もやったことはないだろう。でも俺は、この直感を信じる。きっとやれる。奴のお得意を、この手で斬り裂いてやる。


 そして俺の刃が、目の前の門の外殻に触れ――門を支える記述が短絡ショートした。構造を維持できなくなった門が、赤紫の霞へと変わっていく。その霞を斬り裂いて、俺の剣が奴の左肩へ迫る。

 俺は奴の反応を漏らすまいと、霞の向こうを凝視した。

 一番警戒しているのは、転移で奴と誰かを入れ替える可能性だ。そんなことできるかどうかもわからないけど、できたっておかしくない。ここまで奴が温存している可能性も。

 もし、そういう手口で来られ、まかり間違ってこの手であの子を斬ったら――。


 奴に刃が届くまさにその時、俺は言い知れない感情に襲われた。何事もなく、このまま斬られてくれ――祈りを込めて柄を握りしめる。

 そして、奴の肩に――刃が入る、入っていく、入った。斬れる斬れる斬れる、全力で握りしめたこの剣が、他ならぬ奴の体を左肩から右腰の下へ、道なき道を行くように斬り抜けていく。

 手が震えているのがわかる。全精力を投じて、無理やり紫のマナを手にした代価だ。

 でも、コイツを殺しきるには十分だ。

 そして、この一刀が斬り抜けるその直前に、俺は奴の顔に変化を認めた。悔しそうな、人間味のある顔をしている。感情があったのなら、そういう顔にもなるだろう。ここまでやって、俺はやっと敵として認められたのかも知れない。


 そして、俺の剣は奴の体を両断し、役目を果たしたと言わんばかりに光を失っていく。同時に、こちらの意識も切れそうになる。

 もう限界だ。盾の構えはある。それでも、奴が最後に何をするか、選んだ手次第では相打ちになりかねない。途絶えそうな意識を気力だけでつなぎ止めつつ、俺は奴の動きを見張った。

 あの子の目の前で、死んでたまるか。

 異刻の影響下、奴の体だけでなく、自分の視野も下に引きずられるように力なく落ちていく。

 すると、奴の右手に紫の光を認めた。円の向きから、俺に向けた魔法ではない。見覚えのある記述速度のそれは、瞬時にしてできあがり、奴の上半身を呑み込んでいく。

 俺は無事だった。薄れて闇に包まれていく意識の中、安堵と同時に、懸念も湧き上がる。


 俺はまた、取り逃がしたのか?

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