第566話 「虚空の渡し守③」

 とりあえず目的地に着いたことだし、バーナード卿には降りていただいた。ただ、その足取りがおぼつかない。

 まぁ、無理のないことだとは思う。この天文院は、名前こそ知られていても実在性が疑われるレベルの秘密組織だし……フィオさんみたいな霊に会われたこともないだろう。

 すでに救助済みの方々も、新たにやってきた同胞に対しては、共感するような目を向けておられる。

 それで、当然の権利のごとく、バーナード卿はフィオさんに名を尋ねられた。しかし、彼女のフィオリア・エルミナスという名乗りを受け、卿は大いに驚かれた。知っておいででなければ出ない反応だろう。

「ご存じなのですか?」と問うと、やや間を置いた後に答えをいただけた。


「あ、ああ……母国の英雄だ。ご活躍なされたのは相当昔だが、我が国で魔法を志そうという者なら、多くがその名を知っている」


 なるほど。これまでに救助した中で、フィオさんの故郷であるエーベル王国の方はいらっしゃらなくて、卿が初めてってことだ。

 すると、フィオさんがいかなる存在なのか、場に集う王侯貴族の方々の好奇心が刺激されたようだ。言葉には出ないものの、興味ありげな視線が投げかけられる。当のフィオさん本人は、だいぶ照れくさそうにしているけど。


 ただ、話し込んでいる場合でもない。まずは、状況確認だ。断続的で断片的ながらも、総帥閣下の元へと多少の情報は届くようになっている。

 というのも、トリスト殿下が何食わぬ顔で、あちらの会話を外連環エクスブレスから流してくださっているからだ。この働きがなければ、こっちから戦力を送り返すタイミングを図るのが難しい。

 それで、現状がどうなっているか確認しようとしたところ、閣下は思い出したように「あっ!」と声を上げられた。


「どうかなさいましたか?」

「いや、例のカナリアとかいう小娘だけど、アイリスが倒したんだって。バタバタしてたから、言いそびれちゃった」

「ほ、本当ですか!?」


 朗報につい驚きと喜びを示すと、閣下のみならず、それまで現場におられた方々が本当のことだと請け負ってくださった。

 なんとも言えない感情が、胸に広がっていく。ただ、浸っているわけにもいかない。変に思われそうだし、状況を把握しないと。気持ちを切り替え、俺は尋ねた。


「現状はどのような感じでしょうか?」

「今は小休止ってところだね。残存勢力は三か所に展開。一つは、紫の光点を含む魔人の集団」

「そちらに大師がいそうですね」

「みんなそう思ってるよ。裏をかいてくるかな? 個人的には、それはなさそうだけど」


 閣下のお言葉に、皆様もうなずいて賛意を示された。

 これまでの動きから、奴が配下をうまく使って立ち回っているのは、見なくても把握できる。あえて別の幹部を出すという局面でもないだろう。

――奴自身、まだ隠し玉を持っているのではないかという疑いもある。

 奴について話題に上がると、場には渋面の割合が増した。飛ばされてしまった側として、ご心中は穏やかならぬものがあるのだろう。ひりつくような緊張感が漂い始めた中、閣下は言葉を続けられる。


「その集団よりも上層に、紫の光点が二つ。それぞれ孤立しているね」

「温存しているのでしょうか?」

「かなぁ? 少なくとも、非戦闘員ではないと思う。たぶん、待ち構えて戦うつもりなんじゃないかな」


 すると、「横合いから介入しようというのでは?」という疑問が投げかけられた。それに対し、「今の君みたいにか?」という軽口が飛んで、場の空気がほぐれる。

 そうして少しの間大勢で笑ってから、現場にいた方の意見が出た。


「横から干渉しようというのなら、今までそういう機会がいくらでもあった。次でいきなりそうする意味はあるだろうか?」

「あり得るのでは? 敵戦力を順調に減らせているのは確かだが、希望を持たせたところで急襲する意味はあるだろう」

「う~む……」


 相手の出方について悩ましいところではある。ただ、俺は一つ、あり得そうな展開をすでに考えていた。


「目立った敵集団は、あと一つとのことですが」

「ああ、そうだな」

「その戦いの最中で、城外から補充しようと動くのでは?」

「なるほど。大いに考えられることだ」


 今までの突入部隊の動きは、城外から敵を増やされないというのが前提のものだった。それが急に覆されれば、場の流れ次第では壊滅的な状況に陥りかねない。混乱に乗じ、大師による転移での抹消も活きてくるだろう。

 そんなことを考えていると、総帥閣下が俺に声をかけてこられた。


「考えはある?」

「ないこともないですが……」

「相談が必要な奴かな?」

「いえ……その時が来た場合、閣下から合図を送っていただければ、こちらでできる限りの対応をします」


 奴が手勢の補充に動いた際、対応の手は考えてあるものの、うまくいく保証はない。勘定に入れていただくわけにもいかないギャンブルなので、俺は言葉を濁した。口にすると色々と不都合なネタだってこともある。

 そんな歯切れの悪い言葉を残したせいか、俺に向けられる目が気になる。期待と不安が入り混じるような……。

 いや、次に控えた戦闘が山場だと、いずれのお方も感じ取っておられるのだろう。緊張の高まりが感じられる。

 すると、俺の方にフィオさんが小さな薬瓶を手渡してくれた。


「どうぞ。疲れたでしょう?」

「ありがとうございます」


 今日一日で五本ぐらい空けている、この栄養ドリンクみたいな霊薬は、最高級の品だそうだ。天文院謹製というわけじゃなく、市販の備品らしいけど。

 さっそく開けて喉に流し込むと、ひんやりするほのかな甘味が駆け抜け、すぐに自分の中にマナとして取り込まれていく感覚がある。そうして取りこまれたのが、すぐさま盗録レジスティールで置換されるわけだけと。

 こうして一本飲み干した後、フィオさんと目が合った。


「何かしら? もう一本飲む?」

「いえ……」

「遠慮せずに」


 別の方が口を挟んでこられ、俺は苦笑いでもって返答。場は軽めの笑い声で満ちる。

 しかし……少ししてから、俺は真面目な顔で切り出した。


「フィオさん」

「なに?」

「もし良ければ……俺のこと、皆様に話してもらえませんか?」


“俺のこと“なんていう漠然とした表現だけど、意味は通じたというか、察していただけているようだ。フィオさんの優しげな顔に、ちょっとした戸惑いが浮かんで混ざる。


「いいの?」

「はい。今日の一件切り出しても、色々と疑問に思われてそうですし。それに……いい機会かと思いまして」「……わかったわ」


 請け負ってくれたフィオさんの微笑に、俺も笑みで返し……それから、機をうかがうため、それぞれの準備に入っていく。次の衝突は、突入作戦における一つの山場となるだろう。外すわけにはいかない。

 俺は皆様方と、ひとまずの別れを交わした。そして、天文院とつながる空間の穴を閉じ、俺は虚空の中で一人になった。



 天文院からの連絡を、さも連合軍本部からのものであるかのように装い、魔法大国の王子トリストは場の面々に告げた。


「″外″の推移は、今のところ問題なさそうだ。僕らは僕らの仕事をしよう」


……とは言ったものの、彼が聞かされた情報は、「飛ばされた人員は遺漏なく確保できている」という程度のものだ。それと、「機を見て送り返す」とも。

 ただ、彼自身は無事な仲間を目にしていない。最低限の安心感を与えるための情報でしかなく、絶望させないための気休めという可能性すらある。

 もっとも、「何が起きても驚かないように」と言い含められていることから、本当にやるのだろうとは感じているが。


 ともあれ、彼は不安定な土台に立つことを自覚しつつ、非凡なリーダーシップを発揮した。また、自身よりも情報が少ないはずの友人、アルトが気丈に振る舞っているという事実が、彼の戦意と使命感を支えた。

 そんな彼に、突入部隊一同は強い信望の念を寄せている。

 しかし、この先の動きを考えるに当たり、いずれの目にも確たる正解は見当たらない。焦燥感漂う中、疑問の声が上がる。


「目立った敵集団は、次の一つだ。どうする? ここは、全員で向かうか?」


 全滅を避けたいという意図から、これまでは隊を分けていた。しかし、次なる集団に対して隊を分ければ、消されるペースが増すことだろう。ここで全員を投入するのが妥当ではないか……そういった意見が大勢である。

 一人だけ、若干の別視点を有するトリストも、全員でかかる案を肯定した。

 仮に全滅したとしても、それが通常の戦闘による結果ではなく、相手に奥の手を出させてのものであれば……すでに消された人員は、隊の三割強ほどある。天文院の言を信じるならば、無事回収できたという彼らが、全滅した自分たちに成り代わればいい。

 そういった送り返しがうまくいくかどうか、不明ではある。しかし、絶対に信頼性のある策など無い。それに……現場の自分たちですら、天文院の助勢は予想外だ。それこそが、相手の裏をかく秘策になる。

 彼の脳裏で巡った思考は、結局のところ仲間たちに漏らせるものではない。そのことにいくらか罪悪感を覚えつつ、「終わったら話せばいいか」と彼は考えた。


 結果的に、分割案を強く推すだけの理由は出ず、突入部隊は全戦力を次の戦いに投ずることになった。



 城内に残る、唯一と言ってもいい敵集団との交戦が始まり、突入部隊の王侯貴族たちは、正しい決断をしたと早々に感じ取った。

 大師とともに待ち構えていた敵は、いずれもこれまでの守備兵力に増して手練れだ。それでも、サシならば負けはしないという自負は各々にある。だが、連戦による疲弊は多少なりともある。

 人数においては敵がやや有利、しかし連携の精度では突入部隊が大きく有利、総合すれば多少優勢といったところか。


 一面純白でまばゆいばかりの大ホールを、三色のマナが激しく行き交う。入り乱れるマナの乱舞の間を縫うように、ところどころで白刃がきらめく。怒涛の連携に、防御の手が間に合わす、魔人が一人ずつ討たれて砂へと変じていく。

 分割案を採用していれば、立場は逆転していたことたろう。


 しかし、この優勢が見せかけばかりのものであると、隊の中核にある二人の王族は感じ取っていた。

 この戦場だけを切り出してみれば、魔人側は確かに押し込まれつつある。遠近問わない巧みな連携に、魔人側の対応は追いついていない。一人討たれるたび、残る者への負担が増し、戻れない坂道を転げ落ちつつある。


 だが――落ち着いて頭数を数えられるほどに、敵がその数を減らした時、状況が一変した。突入部隊と魔人が対峙する大ホール、その左手の方に、赤紫の門が生じた。おどろおどろしい空間の歪みから、敵が補充されていく。

 そして――逆サイドには、紫の門が生じた。そこから姿を表したのは、大師によって消されたはずの者たちである。


 二つの予想外が重なり合い、魔人の兵たちは泡を食った。

 一方、突入部隊の勇士たちに、さほどの驚きはない。「何があっても驚くな」と言い含められていたということもあるし……友の無事を、心の底から信じ、祈念していたのだろう。かすかな驚きを、喜びと気力が塗りつぶした。

 そして、この絶好の援軍の登場に、二人の王族は同時に強気な笑みを浮かべた。依然として命がけの戦闘ではあるが、緊張感の中に興奮と期待感が確かにある。


――あの平民の彼は、未だに姿を表していない。最初に消された彼が。まさか、自分だけ犠牲になったなんてことはないだろう。では……どう出るんだ?

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