第563話 「消された先に待つもの」

 仇敵の最期を看取り、私は数秒ほど立ち尽くしていた。何か、益体もない思いに囚われていたかもしれない。

 それからすぐ、私はハッと我に返った。戦っていたのは私だけじゃない。他の方々が大丈夫か、確認しなくては。

 耳をすませばかすかな息遣いが、この静かな広間のそこかしこから聞こえてくる。命に別状はないのだろうけど、皆様方が起きられた後のことを思うと、強い不安が胸を占める。私は間に合ったのか、そうではないのか、これから明らかになる。

 とりあえず、私は動ける人員を確保することを先決した。すぐそばに倒れている方を起こしに向かい、片膝をついて肩を揺する。すると、煩悶しているようなお顔から、小さなうめき声が漏れ出た。

 そして、そのお顔を見て私は――こんな状況下で変な話だけど――妙な安堵を覚えた。私と同じ目に遭われているという確証こそないけど、その可能性は高いと思う。きっと、あの自分が誰かもわからなくなるような、甘く優しい空間の中に囚われておられる。そして、全てを投げ出したくなるような安らぎに包まれてなお、ご自分を保とうと尽力されているのだと。

 私が抱いていた懸念とは裏腹に、意識を取り戻されるのは早かった。肩を揺すり始めて数回で目と口を開かれた。


「アイリス嬢?」

「はい!」


 ただ自分の名前を呼ばれただけのことを、こんなに嬉しく思ったのはかなり久しぶりで、私は思わず大きな声で返事をした。

 でも、喜んでばかりもいられない。他の方々も早く起こさなければ。

 前後の記憶が未だ判然としない状況に思われるものの、状況の異様さと危険については、すぐにご理解いただけたように見える。私と言葉を交わすまでもなく、次の方を起こしに向かっていただけた。

 そうして、起こされた方が別の方を起こしに向かい……戦いが終わって一分強といったところで、この場の全員が目を覚ますことができた。

 問題は、記憶がどうなっているか、自己認識がどうなっているか。そこで、点呼も兼ねて各自の名前と出身国を名乗っていくことに。分割した隊の、暫定的な隊長ということで、アルトリード殿下から点呼が始まった。


「私は、フラウゼ王国王太子、アルトリード・フラウゼだ」


 殿下のご様子を見る限り、記憶があやふやな感じはない。ただ、殿下ご自身は、向けられる視線にどこか不安を覚えていらっしゃるように見える。

 名乗られた後、殿下は普段滅多に見られないほど、心配そうに口を開かれた。


「合ってる……よね?」

「問題ないが、どうした?」

「いや……私が私のことを思い出せたのはともかくとして、この中に私のことがわからなくなっている者がいたらと」


 実際、そこまで確かめるための点呼でもある。ご自身の名乗りに対し、他の方々の反応の薄さに、強い不安を抱かれたのかもしれない。

 ただ、そういった懸念は、結局のところ取り越し苦労に終わった。いずれも自分とお互いのことをしっかりと思い出せた。この城へ乗り込んだ経緯と、あの女の術中にはまる直前までのことも。

 それ以外の、各自の記憶について、細かいところがどうなっているかはわからない。でも、殿下はさっぱりした様子で仰った。


「気が付けば思い出せなくなっていることなんて、普通にあるだろう。今日は、それが少し増やされたと思うしかないかな」

「……そうですね」


 とりあえず、今後の戦いを続けるにあたり支障はないと思う。主要な魔法が書けなくなっているということもない。


 そうして各自の状況を把握したところで、私は透圏トランスフェアを使った。同じフロアに残敵はない。

 ただ――トリスト殿下が率いておられる別動隊は、光点がいくつか減っているように見える。それが意味するところを、わざわざ口にする方はいらっしゃらないけど、場の空気は重く冷たいものになった。

 向こうの部隊はこちらへ合流しようという考えのようで、こちらへ近づいてきている。本当に減らされたのかどうか、直に会えば明らかになる。


 そうして場の緊張感が高まる中、私は自分の腕を見た。正確には、彼とつながっているはずの、例の腕輪を。

 いなくなってしまったリッツさんは……恐怖と希望の板挟みになりながらも、私は腕輪にマナを込めた。

 でも……反応はない。急に自分の体が冷たくなったような気がする。凍った体の中、悲鳴を上げるように心臓が騒いでいる。

 祈るようにマナを捧げ続け、返答があったのは数十秒経ってからのこと。かすかだけど、しきりに明滅する青緑の光を見て、永遠に続くような心痛が報われた。

 そして……それと同時に、「もしかしたら邪魔をしてしまったのでは」という疑念も沸き上がった。どこかへ飛ばされた彼が、見えないところで必死に何かしているのではないかと。そこへ、私が何も考えずにマナを送り、返答を求めてしまったのではないかと。

 そんな思いを抱いて少し後――急にいなくなった彼が、きっと何かしているということを、さほど疑うことなく信じている自分に気づいた。今まで理不尽をはねのけてきた彼に向ける、私の信頼の念が、ここまで膨れ上がっている。

 もしも――暗い予感が頭をもたげたその時、殿下が私の肩に手を置いてくださった。


「彼は、たぶん大丈夫だ。きっと戻ってくる……信じよう」

「……はい」


 かけられたお声に震えはなく、殿下は私をまっすぐ見据えておられる。

 でも、真剣なお顔の中に、私は悲壮感と不安のようなものを感じた。気づいても、お互い何も言えなかった。


 それから、別動隊の方々がこちらに合流し――やはり、"消された"ことが判明した。

 しかし、隊率いるトリスト殿下は、強い意志を感じさせる表情で状況を話してくださった。


「こちらは小規模な敵部隊と三回ほど交戦した。戦傷はごく軽微だが……五名ほど、初戦同様に姿を消された」

「そうか……」

「そちらは?」


 こちらの状況を問われ、隊を代表して私がお話しすることに。受けた魔法は私が打開したということで、その理解も、私が一番深いだろうから。隊の皆様方に任され、私は先の戦いにおける推移をお話しした。

 まず、交戦直後に異変が生じ、戦闘続行がままならなくなったこと。あの女も同様に動けなくなり、おそらく同室の全員が同じ空間に精神を閉じ込められたこと。

 そして……おそらく、個々人の意識と記憶を切り刻んでかき混ぜ、自己を喪失させるのが狙いの魔法だったのではないかということ。


 私の見解に対し、別動隊の方々は信じられないという表情をされる方が多かった。

 ただ、その中にあってトリスト殿下は、依然として落ち着いた様子を保たれている。殿下は黙考された後、静かに口を開かれた。


「ある程度の人数を対象としなければ、効果を発揮しづらい魔法だったのかもしれない」

「その可能性は……そうですね、仰る通りだと思われます」


 自分一人だけが対象となったなら、あるいは自分と似ても似つかない人物と一緒にあの魔法を受けたのなら、かき混ぜられても自己を混濁しなかったかもしれない。

 でも、対象が多くなってしまったなら、似たような私たちの中に、自分が埋没してしまうかもしれない。あの女を倒した今、考えても仕方のないことではあるけど……部隊を分けたのは正解だったと思う。それに……。


「動けなくなっていたところを、同フロアの敵に打たれていては、ひとたまりもなかった」

「確かに」


 そういうわけで、隊を分ける選択は、私たちの側においては正解だったと思われた。

 一方、別動隊の側では少し状況が違う。やや精神的に疲弊した感じのある方が、向こうの戦いについて述べられた。


「頭数が少なくなると、やはり……隙を突かれやすくなる。一人ずつではあるが、確実に減らされている」

「では、ここからは一緒に動くか?」


 という意見は出たものの、ジレンマではあった。運良く乗り切れたとはいえ、あの女が仕掛けてきた魔法は、確かに大勢を一網打尽にし得る危険なものだった。そういう罠みたいなものが、さっきの一回で終わりなのか、今後も仕掛けられているのか。判断を誤れば、全滅は避けられない。

 すると、アルトリード殿下が静かながら力を感じさせる声音で仰った。


「人数をならして再度分けよう」

「つまり……多少の犠牲には目をつむると?」

「ああ。最初から、私たちはそのつもりだったはずだ……そうじゃないか?」


 殿下が隊の全員に問われ、すかさずトリスト殿下がお応えになる。


「仮に、この城の中にいる全てを瞬時に抹殺する魔法があったなら、私はまばたきもせずにそれを使うよ」

「君なら本当にやりかねんな~」


 他国の王子の軽口に、殿下は苦笑いをなさって受け流し、言葉を続けられる。


「私たちにとっての最悪は、次につなげないまま全滅することだ。一箇所に固めるリスクは負えない。やはり、分散して攻めていこう」


 それに対する反論は、特にはなかった。それぞれの隊の人数を均し、私たちは次の階へと向かった。

 そして、訪れた分かれ道。これが最後になるかもと、互いの顔を見つめ合い、私たちはそれぞれの道へと歩んでいく。



 分割案が功を奏したかどうか、主観的にも客観的にも評価が難しいところではある。

 しかし、各々が覚悟した通りの状況にはなった。城内各所へ分散された敵勢力と交戦するたび、虚をついて大師が出現し、一人また一人と消されていく。

 そうして人員を消されはしたものの、それ以外での戦力の喪失は一切なかった。巧みな連携と超人的な反射による防御を打ち崩すことは難しく、魔人側から与えられた手傷はわずかなものだ。

 だが、隊を率いる二人の王族の目には、魔人側の攻め方に変化が現れたようにも映った。直接戦闘での殺傷は難しいと踏んだのか、大師による抹消を狙っているのではないかと。


 そしてまた一人、何処ともしれない場所へ飛ばされていく――。



 突如として姿を表した大師に背後を取られ、振り向きざまに斬撃を繰り出そうと青年は動いた。

 しかし、高めの横薙ぎに振った剣は、大師の首筋を捉えつつも、至ること無く止まってしまった。身を包み込む赤紫の魔法陣の中、悪態をつく程度の自由も許されず、青年は身動きを取れなくなっていく。

 その彼の目に映るのは、世界が急激に輪郭と色を失っていく様であった。あらゆる事物が闇に溶けるように消えていき、最後に暗い灰色だけが残る。


 すると、彼は急に落下する感覚に襲われた。先ほどまで確かに存在していたはずの地面が、今や存在しない。

 咄嗟とっさのことではあったが、彼はすぐさま空歩エアロステップを用いて事なきを得た。

――いや、事なきなどとは程遠い。見渡す限り暗い灰色に塗りつぶされた空間の中、落ちるも何も意味を成すものか。

 そして彼は、自身の体からかすかにではあるものの、マナが溶出していく感覚を抱いた。このままここに留まっていれば力を失う。もっとすると、さらに悪いことになるかもしれない。

 これが消されたものの末路かと、彼は暗澹あんたんとした思いに囚われた。温度を感じさせない空間の中、身の内から起こる悪寒に、体を震わせる。

 しかし、彼は座して死を待つのを良しとしなかった。先に飛ばされた皆は、同じようにここへ飛ばされたのかもしれない。知恵と力を合わせれば――か細い望みであることを自覚し、自嘲気味に笑いながらも、彼は虚無の中で歩を進めていく。


 すると、虚無の向こうに、彼はごくごく小さな人影を見た。だが、その人物は、彼が想定していた者とは大きく違っていた。

 彼の元へ、人影が近づいてくる。その速度は、走るよりもずっと速い。その理由は程なくして判明した――ホウキに乗ってやってきたからだ。

 予想外が連なって困惑する青年だが、ホウキに乗る人物には見覚えがあった。というより、特徴的でかなり覚えやすい人物だった。

――なにしろ、王侯貴族に混じって戦おうという平民なのだから。

 平民を前に困惑している自分に気づいたものの、青年は今更威儀を正すのも間が抜けていると思い、あまり気負いのない感じで尋ねた。


「君は……リッツ・アンダーソンか?」


「はい」

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