第560話 「窮地」

 城内突入後の初戦は、ものの数分で終結した。刃とマナに討たれた敵が、白い砂へと果てていく。

 こうして戦闘が終わって急に静かになり、まずは互いの状況把握に移った。


 リッツさんがいない。


 彼以外の全員は、軽傷を負った方が数名いるものの、とりあえず無事ではあった。ただ、彼の姿だけが見当たらない。それらしい亡骸もない。私たちが眼前の敵にかかりきりになっている間、彼の身に何かがあった。

 彼が急にいなくなったことに、緊張が走る。私ほど強い動揺を見せる方はいないけど、それでも、知らない間に姿を消されたことは衝撃だった。

 すると、殿下が私に声をかけてくださった。


「アイリス」

「は、はい」


 自分の声が震えている。それを意識すると、体も震え出した。恐ろしいイメージが心中を占めて責めさいなんでくる。思わず膝を屈しそうになる。

 そこで、私は彼に持たされた、あるプレゼントのことを思い出した――外連環エクスブレスの試作品。互いの安否確認用というこの腕輪は、まさにこういう事態を見越したようで……。

 腕輪を見る前から、心臓が強く跳ね回る。「きっと」と「もしも」が混ざりあって、心を激しく揺らす。強く目を瞑り……私は腕輪を確認した。

 腕輪は……ほんのかすかにではあるけど、青緑の光がチカチカ明滅している。

 かろうじて生きている?うまくマナを送り出せない?

 わからない。でも、掻き消えそうな光でも、確かに彼のマナはここまで届いている。弱弱しくもまたたくその様に、″必死″という言葉が思い浮かんだ。どうなっているかもわからないけど、きっと彼が必死になってマナを送り、私を勇気づけようとしてくれている。

 そこで私は、ハッとした。腕輪にできる限りのマナを送り込み、彼のもとへ届くように祈りを捧げる。

 その返答に、明滅の頻度が増した。


 腕輪から顔を上げた私は、目元を拭って殿下に告げた。


「まだ、彼は生きていると思われます。ですが……どうなっているかは、不明です」

「……わかった」


 生きているとは思うけど、どこにいるのか、無事かどうかはわからない。私の言葉に、殿下は硬く沈鬱な表情になられた。

 この隊にリッツさんを組み込んだのは、私たちには即応しづらい変事への対応のためだった。そのまさに変事が起きて、彼がいなくなってしまった。この事実の重さは認めざるを得ない。この後の対応をめぐり、エントランスホールに暗雲が立ち込める。

 すると、この中でも落ち着きを保ってらっしゃるアシュフォード侯が、私に声を掛けてこられた。


透圏トランスフェアを頼めるだろうか?」

「かしこまりました」

「……すまない」


 謝罪のお言葉は、私の気持ちをおもんぱかってのことだと思う。同じ国の戦友が、いきなり消えてしまった後だから。

 それでも私は、自分の務めに専念した。床に刻み込んだ魔法陣から、城内の様子が明らかになる。

 各所の敵配置に、大きな動きは見受けられない。孤立している光点が気にかかるところだけど……赤紫の兵は、数名から20名までの塊で、城内各所に配置されている。

 すると、トリスト殿下が冷静な口調で仰った。


「隊を分割しよう」

「分割?」


 ここで部隊を分けることに、疑問の声が出た。

 幸い、周辺に敵の気配はない。これからの動きを検討するだけの余裕は、おそらくある。場の注目が集まる中、殿下は言葉を続けられた。


「固まって動いても、通路などで出くわしたら、数の利が出にくいと思ってね」

「そうは言うが……頭数が減れば、隙を突かれやすくなるのではないか?」


 実際、隊を分けて互いにフォローするのが難しくなれば、いつの間にかまた誰か消される……そういう事態に陥る可能性が高まると思う。

 同様の懸念は、隊の共通認識のようだった。ただ、殿下はその点を承知の上で、考えを述べられた。


「固まって動くのが正解に思えるけど、一方で誘われているようにも感じてね……僕らを一網打尽にする何かがあるのではないかと」

「罠や仕掛けか?」

「あるいは、そういう魔法を使える敵がいるのかもしれない」


 すると、空気が微妙に重くなったように感じられた。その理由はなんとなくわかる。得体のしれない相手に対抗するために、リッツさんが参加したはずだったから……。

 でも、空気が落ち込む中、トリスト殿下は暗さのない真剣な顔で仰った。


「今の戦いだけど、彼がうまく大師とやらをけん制してくれていた。彼がいなければ、もっと減らされていただろうね。そう考えれば、すでに一定の仕事をしてくれたと思う。後は、残った僕らが力を尽くす番だよ」


 この言葉に、私は励まされるような思いだった。そして……できることなら、本人に聞いてもらいたい。胸が締め付けられるようで、私は胸元をギュッと握った。


 殿下が提案された分割案は、最終的に可決された。透圏を頼りに、同フロアの敵を掃討していき、一階ずつ攻略していくことに。

 とりあえず、一階にはもう敵がいない。私たちはエントランス正面の階段を上り、ある程度上がったところで左右に分かれる階段に沿って、それぞれの道を行くことに。

 それぞれの隊の指揮官は、アルトリード殿下とトリスト殿下。あまり突っ込まない戦闘スタイルに加え、場の空気からそのように決まった。

 そして隊が分割される前、指揮官のお二方は言葉を交わされた。


「武運を」

「そちらも」


 短く言葉を交わし、それ以上に視線を交わし合ってから、私たちはそれぞれの道を登っていった。


 城の内部構造は、誰もわからない。ただ、道に迷うということはなさそう。作りを見たところ、構造上の複雑さは感じない。

 また、外層が白く麗しいこの城は、内装も同様だった。私が訪れたいずれの城にも劣らず、輝くような気品を備えている。天井までは高く、白い廊下は、一歩歩くごとに乾いた音が反響する。窓からは温かな日差しが差し込み、壁や床の白さを一層強調する。

 すると、アルトリード殿下が冗談交じりに仰った。


「清掃が行き届いているね」

「昨日慌てて掃除したとか?」


 冗談にかぶせるようなお言葉に、含み笑いの声が漏れる。でも、私は……彼のことを思うと、気が気じゃなかった。

 いえ、気持ちを切り替えなきゃ。この廊下を抜けた先に、どうも敵が待ち構えている――それも、単騎で。確認できた光点は赤紫。瘴気を植え付けられた者なのだろうけど、きっとただ者ではない。

 歩みを進めるごとにその時が近づき、一度ほぐれた空気にも緊張が戻る。


 廊下を抜けた先には、まばゆいまでの白さを放つ大広間があった。三方の大きな窓から取り込まれる日差しで、広間には光が満ちている。

 そして、その光差す中央に、私は良く知っている女の気配を感じた。とっさに体が動き、天文院で教えていただいた、あの魔法を自分へと撃ち込む。

 その女は、私を操っていた、カナリアという魔人だ。あの時、あの女の意識を通じて得たイメージと比べると、今目にしている女は少しやつれて、うらぶれた雰囲気がある。

 それでも、私の内に刻まれた何かが、アレを宿敵だと認めた。私は隊の方々に「精神操作の術者です」と告げた。


 この声が皮切りになって、隊が一斉に動き出す。奴を包囲するように駆け出し、マナのボルトの集中砲火を浴びせる。これに対し、奴は足さばきと魔法で攻勢をいなしていく。

 しかし、続けて攻撃に移ろうとするも、私は異変に気付いた。隊の半数近くが、体の自由を奪われたようになっている。初弾の後が続かず、膝から落ちる方が何人も。

 何かされた? でも、それらしい魔法は使われていないはず。目に入った魔法は、赤紫の光盾シールド泡膜バブルコートぐらい。

 にもかかわらず、こちらからの攻撃は、目に見えて勢いが衰えていく。隊の方々が次々と動けなくなり、くずおれて伏していく。

 そして、私も……あの女も。


 隊で最後まで残った私は、それでも結局、体に力が入らず屈してしまった。それとほぼ同じタイミングで、あの女も膝をつく。

 それから目が合った。虚ろな目をした女が、消え入りそうだけど、妙に内へ響いてくる声で話しかけてくる。


「久しぶりね」


 腹立たしかった。あの女も、雪辱を果たせないでいる自分自身も。

 震える体に言うことを聞かせるよう、私は四つん這いの状態からあの女に右腕を向けた。でも、絞り出すマナが形にならない。

 やがて私は力尽き、地に突っ伏した。そして、私の体で影になっている床を見て、私はすべてを理解した。

 影の中に、白く輝く魔方陣がある。こちらにも、あちらにも、どちらにも。日差しを受けて白く輝いていた、床一面に――もしかすると、壁にも――――白い魔法陣が刻まれていた。


 私たちは最初から無意識のうちに、あの女の魔法陣を目にしていた。最初から術中だった。それに気づいたのが最後、私の意識は暗い闇の中に落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る