第554話 「未踏地への進発③」
行軍の道のりは、本当に代わり映えというものがなかった。荒野と草地が入れ替わることはあったものの、色合いは寂しい。目に入る光景が茶色メインか、枯れたような緑がメインかという程度の違いだ。
また、道中の高低差というのも、ほとんどなかった。まぁ、これは好都合ではある。なだらかな丘陵だとか、ちょっと低めの山はあったものの、進軍の妨げになるほどのものではなかった。行軍の足が止まらなかったばかりでなく、視界が利くおかげで伏兵の懸念がなかったのも大きい。
おかげで、地形に苦しめられることなく、俺たちは前に進んで行くことができた。
ただし、道程が敵にならなかった一方で、気がかりなものは確かに存在した。隊列の最前にある魔人たちだ。連中がどのように動くかについては、気を揉む様子の方が多かった。
かといって、軍全体が露骨に心配したのでは、連中に変な刺激となりかねない。大っぴらに不信を表明する声はなかったものの、水面下では言い知れない不安がはびこっていたように思う。
そうした状況への対応として、俺たち近衛部隊やリーヴェルムの空中偵察部隊は、ローテーションを組んで空から様子を見張った。
ただ、特に不穏な動きは見受けられなかった。強いて言えば、あの先頭集団に向かって、こちら側から伝令らしき方々が度々動いていったというぐらい。
しかし、それは連中に対して、こちらから働きかけているということで……その内容はわからないまでも、上の方からのアプローチがあるということには安心した。
そうした動きが見られ始めてから数日もすると、軍全体に一つの情報が伝わった。諸国連合からの条件提示を、投降者たちが受諾したというものだ。その条件とやらの詳細までは教えられなかったものの、どうも終戦後の講和みたいな感じらしい。
この情報に関しては、連合軍に帯同される王侯の方々が、正式なものとしてお認めになっている。だから、本当のことなんだろう。
しかし、そういった情報が触れ回っても、空中からの偵察は継続された。地形的に、空から見るべき伏兵などはなく、依然として監視対象は前方だ。
これは、兵を安心させるための処置だったのだろう。俺たちが空から見張っていれば、軍全体が即応できる。そうすれば、連中も変な気は起こさないだろうってわけだ。
それに、監視の目があるからこそ、身の潔白を証明できるということもある。魔人という一言でくくれるほど、連中も単純な存在ではないだろう。その胸中がどのようなものか、誰にもわからなかったけど、彼らが醸し出す雰囲気に不穏なものは、結局感じられなかった。
☆
行軍を始めて四週間ほど経った日の朝。テントから這い出て空を見上げると、数日間空を覆っていた雲が立ち去り、日差しが地に差し込んでいた。
そして、俺は空よりも地面の方に、大きな変化を感じ取った。これまでの道中において、地面は変化に乏しく、初めて踏み入れる地でありながら見飽きるくらいだった。
しかし、今日は少し様子が違う。地面そのものは、相変わらず水分が少ない荒れ野だけど、その表面のあちこちが微妙にキラキラと輝いている。久しぶりの晴れ間にこうして気付けただけであって、もしかするともっと前から、地面には変化があったのかもしれない。
ただ、この変化が意味するものは、すぐにはわからなかった。特段、害はなさそうではある。それでも、原因がわからない地面のきらめきに、周囲の大勢も戸惑いを隠せないようだ。
まぁ……寝起きの当初はそうして困惑したものの、すぐに「進めばわかるだろう」という雰囲気になっていった。行軍が再開され、前へ進んでいく。すると、この地面のきらめきは徐々に強くなっていった。
そして、昼過ぎごろ。隊列前方の方から、波打つざわめきが伝播して、俺たちは地面の変化の正体を知った。これは、白い砂だ。
謎が判明すると、隊の仲間がハッとした様子で声を上げる。
「大砂海だ」
「なんだそりゃ?」
問い返した仲間だけでなく、俺もその言葉は聞き覚えがない。というか、周囲でそれを知っているのは、声を上げた一人だけだった。
すると、彼は「詳しくは知らないけどさ」と前置きして、語り始めた。
「大昔、人間と魔人で凄まじい戦いが起きたらしくて……その戦いの舞台は、光り輝く白い砂の海なんだってさ」
「それが、大砂海って奴か?」
「ああ。そういう伝承があって、どうやらマジっぽいな」
彼が口にした言い伝えは、歩を進めるごとに真実味を増していった。前に進むほどに、荒れ野に混ざる砂の割合が増していく。おそらく、その大砂海とやらから、風で飛ばされてきているのだろう。
そして夕方ごろ。俺たちは、その伝説の海を目の当たりにした。ただの砂漠とは色味がまるで違う、本当に白い砂の海が広がっている。
この光景を眺めて、俺の脳裏では地を覆う砂と、この先に魔人側の本拠地があるということ、そして連中が死ぬとき砂の塊になるということが結びついた。これらが示唆するものに、体の芯から震えだす。
きっと……この地で想像を絶する戦闘があったのだろう。それこそ、魔人の遺骸で地を埋め尽くすような。
この地の有様に、みんなも何か思うところはあるようだ。退屈な光景から一変しても、そこに興奮する様子はまるでない。俺たちの側の変化と言えば、より緊張が強まったぐらいだ。
もうじき、伝承の地に足を踏み入れ、俺たちは決戦を始める。多くがこの地の、砂へと還る。
☆
「敵軍が砂海に差し掛かりました」と緊張した面持ちの魔人が告げ、彼を豪商は「お疲れさまです」と
かつて、この部屋の円卓に座していた魔人も、今は二人しかいない。聖女は健在ながら席を外しており、事の対応は大師と豪商の手に委ねられている。落日・凋落という単語を思わせる場の雰囲気に、遣いの魔人の表情は暗く険しい。
しかし、事を委ねられた二人は、普段と変わりない様子ではあった。下の者がいるからこその態度なのかもしれないが。
やがて、遣いの者が退出すると、豪商は長く息を吐きだした。続けて、「やぁ、大変なことになりましたな」と話し出すが、大師は陰気に考え事を続けたままだ。
豪商も口を閉ざし、そうして沈黙がいくらか続いた後、大師は口を開いた。
「私は遊撃に回りましょう。豪商殿は、城で構えて守兵になっていただければ」
「つまり、大師殿が打って出られると?」
「残った人員としては、私が一番機動力があるでしょう」
それが意味するところを思い、豪商は苦笑いした。彼と聖女は、城の外に出るようなタイプではなく、フットワークには縁遠い。それに比べれば、普段は部下を動かすタイプではあっても、転移に長けた大師は機動性に富む戦力ではある。
ただ、豪商には一つ、気がかりなことがあった。
「カナリア嬢はどうなされるおつもりで?」
「なぜ私に聞かれるのですか?」
問い返す大師は、何か悪感情があってそうしているのではなく、ただ単にこの話題への興味が欠落しているようだ。無表情でいる大師に、魔人としては比較的温情的な豪商は、閉口した。
「何か?」
「いえ……そうですな。私が城に残って守兵となるならば、彼女とも連携を取る事があろうかと。そこで、何か助言でもいただければと考えたのですが」
「なるほど」
こうして策に絡めると、大師の頭は働き出すようだ。彼は少し考え込んだ後、簡潔に言い放った。
「捨て置かれるのがよろしいかと」
「は?」
思いがけない回答ではあるが、バカにしているのではないだろう。そういった雰囲気はない。豪商は、もしかすると自分の物分りが悪いのではないかと心配しながら、続く言葉を待った。
すると、彼の考えが通じたのか、大師は言葉を補足した。
「あの者は、自分のやり方で功を上げ、それを認めてもらいたいだけです」
「ほ、ほう……」
つまり、そこまでわかっていながら……自身の方針とは相容れないがゆえに、彼女を冷たく突き放しているというわけだ。ある意味では徹底して自分の価値観に従っている。誰かの上に立つ自覚の無さと、自身のあり方への妥協の無さ、両方を彼に対して感じ取り、豪商の胸中に呆れと感嘆が交錯する。
そうして反応に困り、沈黙している豪商に、大師はやや改まった様子で話しかけた。
「折り入って相談が」
「私にできることであれば」
「では。私が者共に討たれた場合、後事をお願いしたく」
「後事? 何か、具体的な心配事でも?」
「いえ……葬礼のようなものでも、お願いできればと。当日までに、その準備は済ませますので」
この予想外の依頼に、豪商は呆気に取られた後……破顔した。
「あなたも、そういったことは気にされるのですな!」
「ふむ……私も、豪商殿の口から皮肉を聞く日が来るとは、思いもしませんでしたな」
「おっと、失敬」
そうして口をつぐんでから、豪商は快活に笑った。それに釣られたのか、大師も唇の端を軽く釣り上げた。
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