第552話 「未踏地への進発①」

 思いがけない事態の発生に対し、各国の対応は、俺たちの予想を超えて早かった。この状況を好機と捉え、敵本拠地への進発の号令が出たのは、戦闘が終わって3日後の18日のことだった。

 各国上層部における討議、国をまたいでのやりとりがどのようなものであったのか、それはさすがにわからない。思っていたよりも話が早いことについて、隊内ばかりでなく他の部隊でも、不安に思う声もあった。


 ただ、ラックスや殿下によれば、そういった早期の決断を助ける要素は、確かにあったとのことだ。

 そういう要素の一つが、兵站だ。すでに一段落ついたこの戦いにおいて、各国はやや行き過ぎともいえるほどの力を、兵站面に注いでいたという。

 これは、各国の立場に立ってみれば、よくわかる話だ。まず、他国から兵や物資を招くマスキアにしてみれば、兵站網の不備や物資不足を起こすわけにはいかない。仮にそう言った不手際が生じれば、歴史に大きな汚点を残してしまうことだろう。

 マスキアに対し、手を貸す立場に近い諸国にとっても、物資の面へ注力する強い動機付けがあった。諸国の関心が集中するこの一戦において、自国がどれだけの貢献をなしたかというのは、国際社会において大きな意味合いを持つ。

 ただ、国としては大々的に協力したくとも、国民感情というものはある。人類全体のための戦いとはいっても、それが遠くの国における戦いであれば……自国民を送り出したくないというのは、正直な心情というものだろう。

 この連合軍に参画した国の多くは、供出した兵力が需要するよりも過大な物資を投入した。その背景には、送り出す兵数を抑えた上で、この戦いに貢献しているところを示したい――そういう各国の思惑があったというわけだ。


 また、この戦い自体、最初は長期戦を想定して準備なされたものでもあった。状況の流れ次第ではあるものの、自国の兵を減らすまいと、各軍が慎重になるのではないかという見立てもあったという。

 それに、状況次第では掃討戦や追撃戦など、次なる戦闘へと発展する可能性もあった。兵站の充実ぶりは、そういった今後の展開を見越してのものでもあったわけだ。

 その点を考慮に入れると、さらなる侵攻の判断を下すのは、俺たちが思うよりは妥当なものだったのかもしれない。


 とはいえ、気がかりなことがないでもない。大きな問題の一つは、士気だ。一戦終わったばかりだというのに、これから敵本拠地へ進軍しようという。遠距離走のゴール後に、追加で走らせようとするようなものだ。

 しかし、これに対する拒絶の声は、意外なほどに聞こえなかった。空気を読んだという可能性がないこともない。ただ、そういう空気ができ上がること自体、大多数が進撃を肯定的に受け止めている証拠だろう。

 こうした雰囲気の醸成には、もしかすると、この戦いの発端が大きな影響を与えているのかもしれない。

 というのも、敵総大将の申し入れの中で、今回の戦いは「種の存亡を賭けた世紀の一戦を」みたいな触れ込みだった。それを大勢が真に受け、本当に決着をつけに行こうという気勢が高まっているのではないかと。

 そして――こういった戦意の高まりまでも、彼は見越していたのかもしれない。



 進撃の決断がなされて2日後の朝、連合軍は再び動き出した。

 こちらの陣地には、マスキア軍の兵の一部と、負傷者を残す形になる。残した戦力で周辺一帯の安全を確保し、先への兵站線を確立する。

 また、各国が戦力の補充にも動くということで、この陣地が集積地点のような役目も果たす。そうした根拠地のバックアップを受け、俺たちは先ほどの戦場を超えて未踏の荒野へと足を踏み入れていく。

 これは、マスキア王国にしてみれば、相当しばらくぶりの領地拡大になるらしい。割と最近の出来事として、リーヴェルム共和国でも似たようなことがあった。規模こそ今回の方が大きいものの、人間側の連勝には違いない。

 そういう、流れが来ている実感があるのか、拠点を離れた際の戦意高揚は相当なものがあった。


 しかし……一度陣地を離れて、つい最近戦闘があったばかりの荒野に立ち入ると、大行軍はしめやかな雰囲気に包まれていった。

 今回の進撃でも、やはりマスキアの兵が大多数を占める。俺たちの部隊の周りも、彼の国の方々が多い。そして……彼らは行軍中、どこか伏し目がちだった。

 戦いが終わってから、連合軍全体で、できる限りの”回収作業”は実施した。弔うべきは弔った。それでも、荒野に刻まれた惨禍の後は生々しく、見るものの心を刺激する。地に穿たれた穴や亀裂は、そこにいた誰かの窮状を思わせた。

 それに、この地で戦いが生じたのは、今回だけじゃない。長年に渡って、人間と魔人とが繰り返し、この地で争い合っていた。だから……この国の方々にしてみれば、この地は自分に連なる血を持つ誰かが果てた場所なのかもしれない。


 そうして行軍の大行列は、しばらくの間、静かに歩を進めていった。無言の追悼が開け、意気の高揚が顔を出したのは、交戦した地帯を超えてのことだ。

 ただ、交戦した辺りを超えたと言っても、景色はそう変わりはない。一見すると後方と同じような、荒野が広がるばかりだ。

 しかし、こちらは戦禍に傷ついた様子はあまりない。植生も、交戦していた地域よりはまだマシで、いくらか元気があるように見える。少し歩いていくと、地面のひび割れも目立たなくなり、背丈の低い草に覆われる箇所も散見された。

 こうして歩くほどに、地面の様相が少しずつ変わっていくことが、一種の征服感や達成感になったのだろう。下向きがちだった方々も、いつの間にか前向きになって前進している。


 とはいえ、このまま歩き続けても、最終的に桃源郷へ着くわけじゃない。この近辺から敵本拠地までは、交通の便どころか、誰かが行き来したという情報や記録すら乏しい。それでもどうにか把握できた情報によれば、マスキア国境から敵本拠までは、徒歩で一月前後とのことだ。

 そして、行く先々の土地は、今いる辺りみたいな荒野か、荒野になりかけている草原が広がる程度。目を楽しませるような旅路ではないらしい。


 物憂げな雰囲気が去ってから少しすると、行軍しつつ話し声が聞こえるようになった。それに合わせるようにして、俺たちの仲間内でも雑談の声が聞こえるようになった。今までは周囲に遠慮していたのだろう。

 すると、仲間の一人が口を開いた。


「前の方、大丈夫かな?」

「あんま考えたくないな……」


 前の方ってのは……魔人の一団がいる。離反組と、裏切られた連中の混成部隊だ。

 当座の代表であるアディントン氏によれば、どうにか言うことを聞かせることには成功しているらしい。ただ、彼が俺たちに協力的なのはさておいても、主君の遺命が配下の中でどこまで生き続けるのかは不透明だ。裏切られた側をどこまで抑えられるかもわからない。

 とりあえず、彼らは先鋒の水先案内人のような扱いになっている。行軍の布陣としては、彼ら魔人の集団を先頭として円形にまとめ、連合軍の先端は彼らを半円状に包囲する形だ。ボールペンの先端みたいな形状というか。こうして警戒と威圧を行っている。

 これで問題なく、目的地まで着ければいいけど……着いてから、連中がどう動くか? これは、相当予想が難しい。一度火が着いた疑問に、みんながうんうん唸ってうなずく中、ラックスは一人平気なようだった。その様子に気づいたらしく、仲間が問いかける。


「ラックス、何か妙案でも?」

「いや、無いこともないけど……聞く?」


 彼女に対し、仲間が「もちろん!」と言わんばかりに首を振ると、彼女は苦笑いして端的に答えた。


「考えないようにするのが一番」

「いや、あの……そういうのじゃなくってさ」

「真面目な話だよ?」


 それが本題の前置きなのだろう。隊ばかりでなく、周囲の方々の注意まですっかり惹きつけた彼女は、涼しげな顔で講釈を始めた。


「前方の面々への対処は、軍事よりも政治寄りの案件になると思う。軍事力を発動するような事態になれば、次の作戦行動が難しくなるしね」

「つまり、今みたいな威嚇と牽制で済ませたい……というか、それで済ませるために、政治が手を貸すって?」

「たぶんね。それに、こうして軍が動き出したけど、目的地まではまだまだ時間がある。これは、出方を討議するための猶予になるね。色々決断が早かったのは、この行軍中の時間を当て込んでたってのもあると思う」

「じゃ、こういう話は、上の方々に投げるべきってことか?」

「ん。私たちの手で何かしようとして、連中を刺激するのは好ましくないしね。警戒しつつも、先を案じすぎないのがベターじゃないかな」


 彼女の講釈が終わると、慣れてないマスキアの方々からは、大層感心したような拍手の音が漏れ聞こえた。さすがに照れくさいのか、彼女の頬が少し朱に染まる。


「お?」

「うっさいな」


 茶化そうとする仲間に、苦笑いの彼女がすぐさま応じた。その様子を見て、周囲が和やかな雰囲気になっていく。

 話題が出始めた当初、今後のことを思って少し重たい空気が漂っていた。それに比べれば、今の感じの方がずっといいだろう。悩みすぎたって始まらない。

 それに……みんなには言えない案件を抱えている俺としては、どうしようもないことで頭を悩ませたくないってのが正直なところだった。


――とか思ってると、ホラ来た。右腕の外連環エクスブレスが、ひっそりとではあるものの、紫色の光を放ち始めた。

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