第551話 「残る星々」

 連合軍勝利の報と、それに関する様々な情報は、その日のうちに各国上層部のみならず、関係者の耳にも届けられた。

 6月15日夕方、フラウゼ王国領内アスファレート伯爵の邸宅にもまた、国からの遣いがそういった情報をもたらした。使者から書簡を受け取った使用人が、すぐさま主人のもとへ足を運んでいく。

 そして彼は、伯爵の書斎の前についた。「閣下」と呼びかけると、すぐさま「どうぞ」との返答が。使用人が中へ立ち入ると、伯爵は緊張で硬くなった様子であった。

 彼は、今回の戦闘に直接の関与はない。しかしながら、かつては魔人側最高幹部であった一人を匿っている。そういった特殊な事情を持つ彼は、今日という日の特別さを、戦いには関与せずとも十分に理解していた。

 そこで使用人は、「戦勝についての報です」と言って、受け取った書簡を手渡した。彼自身、使者から聞かされたのは、彼が今口にしたことだけである。

 伯爵は、受け取った書簡に目を走らせた。この間、使用人は身動き一つせず、その場に立ち続けて主人の反応を待った。


 彼にとっては幸いというべきか、文量はさほどでもなかったようだ。ひとしきり読み終えたと見える伯爵は書簡を閉じ、普段あまり見せない物憂げな表情で、机の上に視線を巡らせた。

 そこで使用人は「お客様をお呼びしましょうか」と尋ねた。あえて名前を出さずとも、この文脈であれば十分に伝わる。察しの良い部下に、伯爵は苦笑いして答えた。


「ああ、ユリウスをこちらへ」

「かしこまりました」


 それからすぐ、伯爵の書斎にユリウスがやってきた。彼を連れてきた使用人と伯爵は、無言で目配せし、使用人が音もなく立ち去っていく。

 こうして二人になったところで、伯爵はさっそく本題を告げた。


「今日の戦闘は、連合軍側が勝利した」

「そうか……そうだろうとは思った」

「というと?」

「君があまり深刻ではないから」


 あまり――ということは、少しはそういう感じを気取られているということか。意図せずに感情が漏れ出ていたこと、それを察知されたことに、伯爵は困り気味の笑みを浮かべた。

 そして、彼は話の核心へと入っていく。


「これは……私にも信じがたい話なんだけど、今回の戦いで魔人を率いていた皇子なる者が、反旗を翻したと」


 すると、話を聞かされたユリウスは、目を見開いた。落ち着いているというよりは、淡白と言ってもいい彼が、そのような反応を示すのは中々ないことであった。

 それから、伯爵は緊張を新たにしながらも、話を続けていった。離反が生じて以降の事の流れと、皇子が死に際に話した内容を。

 最初、驚きを以って話を聞いていたユリウスは、話が進むにつれて沈鬱な表情になっていった。そういった反応を、伯爵は自然なものとして受け入れることができた。これまでユリウスの口から、かつての友として、皇子や軍師のことを聞かされていたからだ。

 話を終えると、伯爵は書簡をユリウスの方に差し出した。「良いのか?」と、わずかに戸惑いながら尋ねる彼に、伯爵は苦笑いしながらうなずく。


「君に読まれて困ることは書いてない。それに、そもそも君に宛てられたものじゃないかとも思う」

「……そうか」


 ユリウスは手渡された書簡に、目を通し始めた。その間、互いに交わす言葉はなく、書斎を静寂が満たした。外から吹く風が、窓をかすかに揺らして音を立てる程度である。

 しかし、読み終えるのに十分と思われる時間が過ぎてなお、ユリウスは書簡から顔を上げなかった。その表情に悲哀の色を認め、伯爵もまた感傷的な気分を覚えた。


 彼ら二人は、この戦闘に関与はしていない。そこへ、戦勝の報のみならず、ユリウスに宛てられたかつての友人の遺言とでもいうべきものが届いた。それが意味するところは、決して人道的配慮だけではない――伯爵はそのように感じ取った。

 にわかにもたらされた勝利に対し、国も軍も、それを信じきれないでいる。ネックになっているのは、皇子の言葉をどこまで信じられるかだろう。現場にいた者とそうでない者とで、受け取り方には温度差がある。

 そこで……皇子の言の真偽を確かめようと動くのは、自然な流れである。ユリウスにまで即日で情報が届けられたのは、事実関係を把握するための一つの情報源とするためであろう――。

 軍務・国政からは距離を置く伯爵も、社交界においては大変に顔が利く名士である。難物との人付き合いを幾度も重ねてきた彼は、現状における自身の立ち位置と役回りをそのように理解した。


 そうして少し沈黙が続いてから、ユリウスは口を開いた。


「信じがたい……とは思ったが、少しずつ腹に落ちる感じはある」

「私は虚報かと思ったけど。君からすれば、有り得る話だと?」

「ああ」

「……君の友人が遺したという言葉も、彼なら言いそうなものだったと?」


 この問に、ユリウスは少し間をおいてから「ああ」と答えた。


「魔人も決して、一枚岩ではない。端的に言えば寄り合い所帯みたいなものだ。人間を共通の敵としているから、協力し合っているに過ぎない。私はともかく……同僚たちは、いずれも重大な隠し事を秘めているようだった」

「君が追放されたのも、つまりは?」

「邪魔だったのだろうね。親しい者にとっても、そうでない者にとっても」


 その後少し間をおいて、ユリウスは表情を多少柔らかくして言った。


「君には感謝している」

「なんだい、いきなり」

「いや、今の私でも話し相手がいることを……ありがたく感じたんだ」


 そして――彼が手にした書簡が、一雫に濡れた。



 同日夕刻、リーヴェルム共和国にて。首都クリオグラスから、馬を走らせて一時間ほどのところに森と、その前に一軒の家があった。周囲に他の建物はなく、ポツンと寂しく立っている。

 その家は、こぢんまりとしていて、品のいい作りをしている。そこへ足を運んだのは、共和国第三軍の武官スタンリーだ。通された居間に座る彼に、家の主は茶を出した。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 頭を下げる彼の対面に座ったのは――先の戦いで捕虜となった、軍師である。

 彼女の立ち位置は、ユリウスに輪をかけて複雑であった。彼は特に縁もない国に流れ着き、第一発見者の機転と誠意により、さほどの混乱なく身を寄せる幸運に恵まれた。彼自身、人間に対して戦意も敵意も見せなかったことも大きい。

 一方、軍師――ルーシア・ウィンストンの場合、状況は大きく異なっていた。共和国に身柄を確保されたのは、まさに彼女が軍を率いて対立していたからであり、紛れもなく敵ではあった。

 しかし、事をより複雑にしたのは、彼女と国の関わりである。かつて国の謀略に巻き込まれて失墜した、”生前”の彼女の名誉を回復しようという流れの中、魔人と化した彼女が奇しくも生国と矛を交えた。国としては、この件に関する全てを明るみにすれば、大きな混乱がもたらされかねない。

 ただ、彼女を処刑しようという声は、軍においても議会においても上がらなかった。情報源としての価値もあろうが……都合の悪い存在を消そうというやり口に、かつての国の非道を重ね合わせた面も多分にある。

 そういった事情に加え、国際的に協力し合おうという昨今の流れが、彼女の処遇を先送りにする動機を与えた。つまるところ、いつか向き合わざるを得ないと感じていながらも、今はその時ではないと、権力者たちが暗黙のうちに認めあったというわけである。


 そんな中にあって、共和国最高議長のように、「向き合おう」とする者も少ないながらいる。スタンリーもまた、そういった一人だ。彼は時折この家に訪れては、ルーシアと言葉を交わしていた。取るに足らない雑談で終わる日もままある。

 しかし……今日、彼が携えた情報は、大きな意味合いを持つものであった。物怖じしない彼が珍しく緊張しているのを認め、ルーシアもやや警戒心をあらわにした。


「今日は……あまり楽しい話ではなさそうですね」

「いつもは楽しいのですか?」


 口を開くや、間を置かずに返された言葉に、ルーシアは一瞬だけ真顔になってから表情を綻ばせた。それを受け、スタンリーも少しだけ表情を柔らかくし……手にした書簡を差し出した。


「この度の戦いにおいて、連合軍が勝利しました。その際に、かなり特殊な状況が発生したとのことで……」

「拝見します」


 手渡された書簡を両手で持ち、ルーシアは視線を走らせていった。しかし、読み進めるにつれ、持つ手に震えが生じ、抑えきれなくなっていく。

 それでも、どうにか読み切った彼女は……テーブルの上に両肘を置き、顔を手で覆った。そんな彼女に、スタンリーが向ける視線は、どこか哀しげだ。

 そうして少ししてから、ルーシアはわずかに声を震わせて言った。


「ごめんなさい。取り乱してしまって」

「いえ……ご心中はお察するにも余りあるものと存じます」


 それからまた間をおいて、やや落ち着いたと見えるルーシアは、静かに話しだした。


「あなたにも話したことがあると思いますが、私は……人と魔人が、本当の殺し合いにまで発展しない、儀礼的な戦いで終わる世界を目指していました」

「はい、以前お話していただきました」

「その是非は、この際は置いておきましょう。私は私なりに、この世のことを考えていたつもりです。ですが、“彼”もまた、世のあり方について……真剣に向き合っていたのですね。嬉しいやら、悲しいやら、情けないやら……」


 そして、彼女は潤んだ目元を、指でそっと拭った。ややあって、彼女はスタンリーをまっすぐ見据え、静かに口を開いた。


「議長殿に、私にできることがあれば協力する意志があると、そう伝えてください」

「……よろしいのですか?」

「あなたはどう思うのですか?」


 問い返されたスタンリーは、即答できなかった。議会においては論敵相手に即応する彼だが、この問題は相当にデリケートだ。即応せず、一度胸の中で考えるのが、ルーシアに対する彼なりの誠実さであった。


「私たちに……この国に、あなたを扱うだけの度量があるかどうか、未知数ではあります。ですが、あなたが問われるのならば、私たちはそれに応えなければならないとも感じます。そうやって、過去と未来に向き合わねばならないと」

「そうですか」


 回答に気を良くしたのか、ルーシアは少し顔を柔らかくして微笑んだ。そして、彼女は言った。


「私が人だった頃、あなたみたいな方がいればと思います」

「いえ……居ても大したことはできなかったでしょう。私みたいなのを育み、その発言を許すまでに、この国は進歩したのだと思います。しかし……」

「何か?」

「まぁ、同じ時代に生きていれば……もう少しうまいこと生きて、一緒に死ねたかも知れませんが」


 そんなことをサラリと口にする彼に、ルーシアは温かな笑みを浮かべ「そうね」と応じた。



 一方、時は遡り――皇子が手傷を負って離脱した頃。愛用の書を破壊された聖女は、散らばった断片に目を向けた後、大きな塊二つだけを手にして生誕の間を後にした。

 そして、彼女は自室を出て廊下に立ち入った。すると、戦いがあったことを察知したのだろうか。廊下の向こうから、大師と豪商が聖女の方へ近づいてきた。

 恰幅の良い豪商は、駆け足気味で歩を進めている。しかし、動きは少し重く、速歩きの大師とほぼ変わらない。ただ、豪商の方がずっと、聖女に対して気遣わしげな様子だ。

 そうして二人が聖女の前に立つと、衣装が傷だらけになっている事を認め、豪商は狼狽もあらわに口を開いた。


「せ、聖女様! 一体何が?」

「皇子が裏切りました」


 端的に答えた聖女は、一層混乱した様子の豪商に対し、軽くため息をついた。それから、やや気だるそうに事のあらましを伝えていく。

 ひとしきりの情報共有が終わると、豪商はいくらかの落ち着きを取り戻した。しかし……とっさに冷たい殺気のようなものを感じ、彼は硬直した。

 彼が目にしたのは、冷たい目で大師を見つめる聖女の姿だ。その凍てつくような視線に、大師がわずかにではあるが気圧されているように、豪商は感じた。そして、静かではあるが強い威圧感を以って、聖女は口を開いた。


「大師、あなたは何を考えているのですか?」

「といいますと?」


 はぐらかし、間を置くような物言いは、普段の大師のそれであった。

 しかし、普段と違うのは、今の聖女である。彼女が放つ静かで雄弁な怒気に、大気が鳴動するかのようであった。その力の差を感じ、脅しと取ったのか、大師は観念して口を開いた。


「私は力を求めております」

「その先を話しなさい」

「……一介の魔導師、一介の魔人では、到達できる力に限度があるのではないか。私はそのように考え、力を外に求めようとしました。策謀により、他国を手中に収められるのなら、それは私の力であると」


 しかし、問いを発した聖女は、大した感心を持っていないようであった。冷ややかな目でただ大師を見つめている。

 すると、大師は聖女に尋ねた。


「聖女殿、そちらの書は、この後どのようになさるおつもりで?」

「直すよりは新しく作った方が早いでしょう。それでも、使い物になるまで数年かかるでしょうが。今のところは、ないより良いというところですか」

「もしよろしければ……私にいただければと」


 思いがけない言葉に、聖女は真顔になった。そして、言葉への答えとして、彼女は愛用の書をその場に放り捨てた。「好きになさい」と言い放ち、書にも残る二人にも関心を持たず、彼女はその場を立ち去っていく。

 それから、彼女は振り向きもせずに言った。


「早晩、人間どもがこちらへ攻めに来ることでしょう。適当にあしらいなさい。それができなければ、勝手に落ち延びるがいいでしょう」

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