第546話 「星が一つ落ちる日」
どうも、リーヴェルムの方々は、俺たちの予想を超えて修練していたようだ。超特急でホウキを飛ばしたらしく、十分もしない内に将官の方々がやってこられた――それも、思っていたより大所帯で。
こうして大急ぎでやってきたおかげで、どうにか間に合いはしたようだ。残された時間がないという総大将は、待っている間にも、色白の肌が少しずつ純白に近づいていた。それでも、彼はまだ存命のようではある。連合軍中枢から将官の多くがやってきたことで、彼は安堵の笑みを浮かべた。
一同が揃ったところで、両腕のない魔人は、ゆっくりと腰を地面に下ろした。下肢のない総大将を気遣うように、ゆっくりゆっくりと。
そうして静かに総大将を地に下ろすと、彼はこちらに向かって深々と頭を下げ、何も言わずに距離を取っていった。こちらを警戒させまいとしているのだろう。前線からも完全に離れ、二人の魔人は孤立する形になった。
まぁ――ここから仕掛けられる罠も、あり得るのかもしれない。策謀担当の魔人が水面下で動いている可能性はある。
しかし、この場に集った方々は、そういうリスクを承知の上でやってこられたのだろう。即応できるように構えつつも、皆様方から敵意のようなものは、特には感じられなかった。
辺りが静まり返り、相手の言葉を待つばかりになる。すると、総大将が口を開いた。死にかけだからか息は荒いものの、どことなく気力は感じさせる声だ。
「あまりに急な事態で、信じられないかもしれないが……まぁ、聞いてくれ。あなた方も知っていようが、魔人の最高幹部は星と呼ばれ、その中に聖女というのがいる」
「人を魔人に作り変えると聞いたが?」
少し年が行っている将の方が口を挟むと、総大将は「話が早い」と笑った。
聖女というのは、俺も聞いたことがある。
しかし、約束はしたものの、いつの話になるかという感じだったのは確かだ。それが急に差し迫った話になったように感じられる。俺は思わず息を呑み、総大将の言葉に耳を傾けた。
「その女は、魔人を作る儀式に、一冊の書物を用いている。詳細は知らんが、魔導書というよりは魔道具だな。儀式によって、相手に赤紫のマナを種として分け与え……その者が滅べば、死に際の激情とともにマナを回収している。これを繰り返し、強靭かつ凶猛な魔人を作ったというわけだ」
すると、彼はそこで息を整え始めた。下肢の断面から、体が少しずつ崩れて砂になっていく。彼がここで果てる身だというのは明らかだ。その残った気力を絞り出すように、彼は言葉を続けた。
「手勢が死ねば、マナが書へ還る。この勢いを強めれば、許容量を超える力を与えて、その書を破壊できるのではないかと思ってな……あなた方の軍の動きに合わせ、魔人同士殺し合わせたわけだ」
「そ、それは本当か?」
さすがに信じられない方もおられるようで、困惑を隠しきれない声が上がった。そこへ、「信憑性は高いと思います」との声が。その声の方を向くと、メガネを掛けた長身の青年がいた。
後から聞いた話では、そちらの方は魔法王国スフェンディアの第二王子トリスト殿下で、熟達の魔法使いだそうだ。体の弱い兄君に代わり、現場に立っておられるのだとか。
場の視線を集めたトリスト殿下は、静かに右腕を上げられた。その腕には、外連環がついている。
「実を言うと、転移の反応があったとの報が、天文院から。そこの彼が、一度戦場を離れて居城へ戻ったようです。その際に何らかの戦闘があったと見れば、辻褄は通ります」
「で、ですが……」
どうも、俺以外に殿下にも、天文院の息がかかっていたらしい。俺は現場寄り、殿下は中枢寄りにという役割分担なのだろう。
それはさておき……殿下が仰るとおり、話の筋はそれで通る。それでもなお、話を受け入れにくいのは、そうするだけの理由が見えてこないからだ。おそらく、あの彼の下半身がないのは、話に出た書物を破壊に向かった際の戦傷だろう。「なぜ、そうまでして」というのは、自然な疑問だった。
そうした疑問が渦巻いているのは、目に見えて明らかだったようで、彼は問われる前に口を開いた。
「いずれの魔人も、最初は人として生を受ける。私もそうだ。そして……私が生まれる遥か前から、あの聖女は魔人だった。私は人として生まれ、魔人と戦い……肉親に裏切られ、魔人になった。あの女が魔人を作らなければ、こうはならなかっただろう」
「……復讐したかったと?」
俺たちの王太子殿下が落ち着いた口調で問われると、総大将は「それもあるな」と冷めた笑みを浮かべた。
「魔人になった直後は、さすがに肉親を恨んだよ。ただ……私の生涯の何もかもが、結局はあの女の手の上にあるのではないかと、ある時考えたんだ。私は、そこから脱却したかった。あの女が際限なく植え付けていく、憎悪の輪廻を断ち切りたかった。それが、いつまでも続く戦乱の世への、私なりの勝利だと信じた」
そこまで言った彼は、「結果はご覧のとおりだが」と笑った。「例の書物は?」と尋ねる声には、「どうにかな」と、少し弱々しく答えた。
「破壊はしたものの、あの女に手ひどくやられてな。それに……もはや書は満足に使えないだろうが、この世の始まりからあの書があったわけではないだろう。あの女ならば、作り直せるのではないかと思う。それがどれだけかかるのか、私は知らない。ただ、当分は魔人を効率よく増やせはしないものと思う。それに……今日一日で大勢亡くなった」
「これが好機と?」
連合軍の総司令閣下が問いかけると、総大将は「好きにすればいい」と答えた。
「我が方の残った兵は、大多数が私の手勢だ。あなた方から特に申し出がなければ、近い内に居城へ向かって反旗を翻し、勝手に戦って玉砕することだろう。この動きを、当面の脅威が去ると見て静観するも良し、聖女を始めとする最高幹部を追い詰めるのに利用するも良し」
「……あなたの配下までもが、同じ思いであると?」
「一口に魔人と言っても、全てが悪辣なわけでないさ。与えられた力を奮って弱者を虐げることに、空虚を覚えるものもいる。きっと、人だった頃の記憶が、消えていないのだろうな。そういった連中に、私は意味のある最期を与えてやりたかったんだ。それに呼応してくれた者が、今日ここに立っている」
彼はそこで言葉を切り、辺りは静まり返った。ここだけじゃない。先程まで戦闘していたとは思えないくらい、戦場全体が静かだった。
視線を前方に向けると、相変わらず腕の先がない魔人が、真剣な面持ちでこちらを見ている。その背後の戦列に、離反者たちがいる。彼らはきっと、魔人の側には戻れないだろう。もちろん、人の側にも。落ち着く先は、おそらく死地にしか無い。
今日この場で果てようとしている、あの魔人の言が、どこまで真実なのかはわからない。でも、信じさせるだけの迫真性はあった。そう感じているのは、俺だけじゃないと思う。人の上に立つ立場の方々も、彼の言には耳を傾けている。
少しの間、沈黙が続いた。そうこうしている間にも、彼の体からは色が失われ、少しずつ最期へと近づいていく。すると、総司令閣下が静かに仰った。
「あなたの配下をどのように扱うか、我々がこの後どのように動くか、結論を出すには時間がかかる。おそらく、あなたの耳に入ることはないでしょう」
「ああ、それでいい。正しい判断を下してくれ」
その返答の声は、これまでの声よりも弱く、か細いものだった。いよいよ死期を悟ったのか、彼は諦観のある表情になって口を開いた。
「いくつかお願いがあるのだが……」
「聞くだけ聞きましょう」
「ありがたい……この中にリーヴェルムの者は?」
彼が消え入りそうな声で尋ねると、メリルさんが「はい」と声を上げた。そうして前に歩み出た彼女に何を思ったのか、彼の表情に寂しさと優しさが浮き上がる。
「貴国は、軍師殿……いや、ルーシア嬢を捕らえただろう?」
「はい」
「処刑したか?」
「……いえ」
もしかすると国家機密かもしれないけど、メリルさんは少しだけ間を開けて言葉を濁さずに答えた。すると、彼は「意外だな」と言って笑った。
「もし良ければ、
「……わかりました。機会があれば」
「ありがとう」
続いて彼は、誰に向けるでもなく、この場の一同に向かって口を開いた。
「ユリウスという青年の面倒を見ている国があれば……特に伝言などはないが、この戦いの
「案外多いな」
口を挟んだのはアシュフォード侯爵閣下だ。開戦の折に切り結んだ相手に対し、総大将は「すまんすまん」と軽い調子で言った。
「ただ、これは重要な話なんだが……私の思惑や行動は、兵卒や民草には伝えないで欲しい」
「何か理由が?」
「彼らには憎むべき相手が必要だろう? そもそも、私はあなた方の世を思って行動したわけではない。本質的には私憤のためだ。自分の宿願を果たそうと、この地位に上り詰めるため、これまでに多くの人間をこの手にかけた。今日もそうだ。人と魔人とを問わず、多くを犠牲にして、私は本懐を遂げた」
そこで彼は言葉を切り、浅い息を繰り返した。彼に返る言葉はなく、静けさの中にか細い息遣いだけが寂しく響く。やがて、彼は消え入りそうな声で言った。
「巻き込んで、すまなかった」
最期にそれだけ言い残し、彼の体から全ての色が失われた。荒野を撫でるように一陣の風が吹き、徐々に崩れる砂をさらっていく。
そうして、一つの戦いが終わった。
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