第530話 「終わらない第一波」
雨雲を一刀両断するという、敵軍総大将の開戦の儀に対し、連合軍は奇襲で以って返答とした。ここに戦いの火蓋は完全に切って落とされ、両軍が動き始めた。戦場上空にいても伝わってくるほどの大気の揺れと熱気に、今まで空を覆っていた雨雲が、恐れをなしたかのように退いていく。
そうして光差す道が開け、同時に敵陣の陣容も白日の元に明らかになっていく。
ここから俺たちの仕事だ。まずは空から様子をうかがい、敵の兵の動きを連合軍中枢に伝える。
俺が所属する隊は、ラウルの指揮の元に戦場中央を偵察。サニー率いる別動隊は右翼上空から、左翼に関してはリーヴェルム共和国の飛行部隊が担当する。
地を揺るがすような大軍に先駆け、俺たちは空を駆けた。まだまだ間合いは遠いものの、敵軍の先発は個体としてではなく、群れとしてであれば視認できる。空からは怪鳥の編隊が、陸からは比較的小型な魔獣の群れが迫ってきている。
こういった機動力に長ける魔獣の群れを先にぶつけようというのは、事前に想定で来ていた流れだ。ラウルは目にした通りの光景を、端的に報告した。それに対し、殿下の声が腕輪越しに響く。
『わかった。状況に変化があるまで、少しずつ退きながら待機』
「かしこまりました」
殿下とのやり取りが終わると、ラウルは緊張した顔で俺たちに合図した。
ここで迎撃に動いて、陸での戦いを有利にすることはできる。しかし、それは俺たちが先行して大きなリスクを取ることを意味している。他にできない動きがあるこの部隊にとって、早々と不用意にリスクを負うことはできない。
つまり……下で両軍がぶつかり合うことを承知の上、俺たちはまだ観察に徹することしかできないというわけだ。
押し寄せる敵軍に対し、俺たちは後退した。敵の動きに大きな変化は見られない。
一方、連合軍の戦列は、少しずつ前進のペースを緩めていった。最前列に並ぶマスキア国軍の兵は、盾を構え始めた。第一波の勢いを盾で受け止め、後続の弓兵や魔導師、横合いから飛び出る騎兵で掃討しようという構えだ。
やがて、連合軍の前線が完全に止まり、不意に喚声が止んだ。音を立てるのは、怒り狂ったような魔獣の咆哮と、行進の地鳴りだけだ。
思わず身震いさせる陸の軍勢ばかりではなく、空の脅威も刻々と近づいている。過ぎ去っていく雨雲に取って代わるように、
しかし、見たところ不審な動きはない。ただ、正面から力押しでぶつかり合うだけだ。
そこで、殿下の指示により、偵察は一時切り上げることになった。念のため隊員二人を残し、上空から監視を継続。俺含むそれ以外は高度を落とし、前線部隊の中ほどの上空を取って迎撃に入る。
空同士でぶつかり合う分には、敵の鳥は弱兵だ。俺たちのように飛んでいる相手に対し、自重を活かした急降下はできない。突撃しようにも、速度はだいぶ落ちる。
となると、まず間違いなく、怪鳥どもは陸の兵を狙う。そっちの方が、陸にいる魔獣との連携も期待できる。
一方、俺たちとしては、陸へと急降下する敵を狙うのに、あまり高度を上げていては狙いをつけにくい。できれば、狙われる側と同じぐらいの目線に近づけたい。そのための位置取りだ。
高度を落として迎撃の構えを取ると、戦場の熱と緊張がより強く伝わってきた。轟音とともにこちらへ殺到する、異形の見た目をした猛獣の群れ。天地が震えているのか、俺が身震いしているのか、わからなくなる。
そして――誰かが「来るぞ!」と鋭い叫びを挙げた。
前方の空に布陣した怪鳥どもは、前線部隊目掛けて急降下してきた。その群れの形状は、槍ではなく面だった。塗りつぶされた空が、こちらへ落ちてくる。ところどころで金属的な光沢が、威圧的にちらつく。
俺たちは、吊り天井のようなそれらを撃退するため、上空に攻撃を開始した。俺たちばかりでなく、隊列の中ほどにある魔法使いの部隊からも、
迎撃の最中、陸からは兵と魔獣がぶつかり合う音が聞こえた。盾に魔獣が突っ込んだと思われる、鈍い衝突音。雄叫び、悲鳴、絶叫……痛ましい響きに胸が締め付けられる。しかし、そちらにかかずらっていられる場合でもない。嫌な汗が噴き出るのを感じながら、俺は空の敵へと
落ちてくる一面の大群は、陸からの矢の嵐で、次々と赤紫の雲へと変じていく。敵の密度は相当なものだったのだろう。青い晴天の一角が、濃い赤紫で完全に染まっている。今見えるのは、その瘴気だけだ。
そんな中、俺たちの部隊と、陸のごく一部は矢を放ち続け――大多数は迎撃をやめた。しかし、上空から偵察要員の「撃ち方継続!」という鋭い声が響く。
やや遅れて、瘴気の中からギラつくものが見えた。大方予想通りの第二波だ。上からの声のおかげで、一度手仕舞いした方々の対応は早く、陸からの号令も続いた。
問題は、敵の物量だ。殺せば殺すほどに赤紫の瘴気が空に立ち込め、後続にとっては都合のいい隠れ
そして……かなり離れたところから、鋭い悲鳴が聞こえた。迎撃をかいくぐって到達した奴がいるんだろう。これでこちらの戦意が崩れたりはしない。しかし、未だに陸同士のぶつかり合いも続いている。そちらに加勢したいという思いが、気持ちを急き立てる。
そして、俺たちの正面でも、ギリギリまで迫ったという敵が現れ始めた。
一度崩れると押し込まれる。今もまた、こちらへ迫ってきている敵の姿を認め、俺は
――すんでのところまで迫りつつある敵は三体。迎え撃つ矢が飛んでいるかどうか、この時間感覚の中でも確認する余裕はない。少しずつでも確実に、そいつらが誰かの破滅に向かって動いている。その中には、俺の仲間もいる。
俺は、迫りくる怪鳥の迎撃にと、魔法陣を描いた。普通の感覚からすれば、本当に刹那の間に描き上げたそれは、俺の仲間を狙う奴に照準を定めている。そのことに、書き上げてから気付いた。
決してランダムに決めたわけじゃない。無意識に、助けたい相手を定めて動いている。遅れさせた時の中、周囲から響く低い悲鳴が、まとわりつく
――それがどうした。個人的な順番なんて、あって当然だろうが。
一人だけ時間に余裕がある中だからって、こんなことで悩んでも仕方ない。他の二人も助けりゃいいだけの話だ。コマ送りで進む世界の中、俺は二つ目の魔法陣を書いた。弾道予想までやる余裕はない。これまでの経験を信じる。
すると、俺の胸中で冷めた声が響くのを感じた。
「こんな序盤から消耗してどうする? どうせ、手が届かないところで大勢死ぬんだ」
そんな声が言いたいことを言い終わる前に、俺は三つ目を書き終えていた。
ああ、今日は絶好調だ。考える時間を与えると、途端に迷いや悩みが浮かび上がってくる。それは止められないけど、そいつらも俺を止められない。消耗は懸念材料だけど……俺が使ったマナ以上に頑張ってもらえれば、それで済む話じゃないか。
時の流れを元に戻すと、俺が撃ち込んだ三本の矢に、敵が吸い込まれるように近づいていって果てた。戦友は、弾道から俺の仕業だと感じたようだ。「すまん、リッツ! 助かった!」と、こちらも見ずに空へ矢を放ち続けている。
当座の急場はどうにかしたものの、これでは防戦一方だ。いつまで続くかもわからない敵の攻勢は、軍全体の士気にも関わるだろう。
いや、しかし――こんなにも敵が最初からいたか? 迎撃しつつ、敵の物量に不自然さを覚えたところ、ラウルの腕輪から声が響いた。怒声飛び交う中、その声は判然としない。
ややあって、通話が終了した彼は、俺に向かって叫んだ。
「リッツ! あの瘴気を晴らせないか!? あの中に転移門を仕込まれているかもしれん!」
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