第529話 「互いの第一手」

 さて、お膳立ては済ませてやった。これで決戦日和になる。

 しかし……張り切りすぎたかもしれない、と思った。彼らを煽り立てようという考えはあったのだが……思っていたよりもずっと、司令官たちは冷静なようだ。高まった士気に任せ、駆け出そうとしない。そればかりか、逆に陣を固くしているようにすら感じる。


 だが……何も仕掛けてこなかった、というわけではないようだ。上空から刺すような鋭い殺気を感じ、思わず頬が緩む。上方へ素早く視線を向けると、退いていく雨雲の中に紛れている、かすかな人影を見た。

 そして――差し込む陽光とともに、きらめく白刃が降りかかる。私は大きく後ろに退き、ほんの僅かに遅れて、私が立っていた地面がえぐられた。

 しかし、仕掛けてきた者以外にも、上空にはまだ気配がある。日が差すこちら側からでは、雨中の彼らの存在はかろうじて感じられるものの、動きを完全に把握するのは困難だ。これを利用しての奇襲ということか。なかなかやる。

 無論、油断できないのは空ばかりではない。私と同じく長物を構える青年が、こちらへ真っ直ぐに突撃してくる。その後ろには、別の青年二人が降り立った。主攻の一人を支援しようというのだろうか。

 向かってくる一人に対し、私は魔法陣を刻んだ。まずは火砲カノンだ。彼は光盾シールド泡膜バブルコートも張っていない。直撃すれば即死だろうが……そのような凡百でもないだろう。まずはお手並み拝見だ。


 私が狙いを定めた彼は、しかし、私のマナを視認しているだろうに、そのまま突っ込んでくる。代わりに後ろの二人が、私の手から魔法が離れるや否や反応を示した。砲弾と前衛の間に割って入るように、山吹色と濃い青色の魔法陣が現れる。

 なるほど、うまいものだ。私が知らない魔法陣は、二つの色が重なり合って、かなり不明瞭だ。これで、火砲を防ごうというのだろう。見慣れない魔法陣が何を成すやら。私は強く興味を惹かれた。

 そして、前衛の彼は、構えた武器を真っ直ぐに突いた。その刃と砲弾が、あの二つの魔法陣の元で直撃する。

 すると、マナの爆風が生じた――が、弱い。とても彼を殺し切るような威力ではない。あの魔法陣で威力を減退させられたのだろうか?


 だが、幸か不幸か、考える暇を与えてくれるような相手ではないようだ。急激に飛散した赤い爆風の中、白く輝く刃を認め、私は自分の得物を構えて腰を落とした。

 おそらく、彼は火砲による爆風を生かしたのだろう。生じた衝撃を回転運動に取り込んだと思われる薙ぎ払いは、鋭く重い。私が構えた刃に沿って彼の刃が頭上を駆け抜け、擦れ合う刃から火花が散る。一手遅ければ最初の骸になっていたところだ。

 そして……上空から殺気を覚えた。未だ雨天の闇に潜む彼らに対し、目視しての対応は難しく、一方的に狙われる位置関係だ。

 そこで私は、突っ込んできた彼の足元めがけて火砲を放った。今度は、あの魔法陣を使われることは無かった。彼は自前の光盾と泡膜で身を守り、少し間を取って構えている。

 一方、私は爆破の衝撃を空歩エアロステップで”踏みつけ”、後ろに大きく退いた。わずかに遅れ、上空から私がいたところへ魔力の矢マナボルトが降り注ぐ。


 この短い間のやり取りで、まず長刀使いが貴族だというのは判明した。わざわざ紫に染めたということはないだろう。他に貴族は使っていないようだ。

 また、服装と肌の白さから、おそらくは寒冷な国の生まれだと思われる。ここまでやってきたのは箒によるものだろうが……フラウゼの人間ではないだろう。

 つまり、この場にいる人間の大半はフラウゼの者であり、主攻たる彼だけが異国の貴族だと私は考えた。それでも、急場ながらの連携は見事だが……地の利がある上空からの攻めが、やや手ぬるいように思う。これを異国の貴族に対する、誤射への警戒や遠慮と見れば、私の見立てを裏付けるように思われる。


 連携において、より警戒すべきは陸にいる支援役の二人だ。彼らは少し角度を開け、散開していく。私を挟もうというのだろう。今は貴人を守ることに徹するのではなく、むしろ彼を餌にしているようにすら感じる。私は背筋を這うような、強い緊張と興奮を得た。

 一方、一人になった彼は、長刀を構えつつ追光線チェイスレイを放ってきた。すぐに私の視界の外へ消えたそれは、大回りして死角から狙おうという意図があるのだろう。前と横、上ばかりでなく、後ろからの攻撃にも気を配らねばならないわけだ。ああ、これで上からの攻撃も活きてくる――まったく。


 さて……どうしたものか。空からの脅威を思えば、貴族の彼に詰め寄って近接戦闘へ持ち込むべきだ。いくら狙いに自信があろうと、誤射の危険は拭えない。火勢は弱まることだろう。

 しかし、距離を詰めようと、陸には二人の手練がいる。火砲への反応速度に加え、二人で魔法陣を重ね合わせる手腕を見る限り、相当な修練を積んでいるように感じられる。退きながら私が魔法を撃っても、彼らは牽制とフェイントに掛かりはしなかった。

 考えながら、私は後ろへ下がり続けた。断続的に降り注ぐ矢が地を穿うがち、かと思えば横から撃たれた矢が目の前を交差する。最後にやってきた正面からの矢で泡膜を破られ――私は反射的に、背中の方へ光盾を張った。一瞬遅れ、それがすぐさまマナへと還る。私じゃなければ死んでいたな。


 応酬の間にも、ここ戦場の中央へ、地を揺るがすような怒涛の行進が近寄っている。我が方からも、彼らの方も。その気になれば、あの貴族だけでも殺せないことはないが、そうすれば私も殺られる可能性が高い。それだけの凄みを、彼らには感じる。

 私の役割は、あくまで戦端を開くことだ。そして……この戦いの真意を考えると、不用意なリスクを負ってまで目先の戦功を追う必要はない。貴族一人殺したところで、この戦場においては些末なことだ。人間側も、そういう覚悟を以ってこの戦いに臨んでいるのだろう。


 身の守りを固めつつ、私は後ろに退き続けた。あわよくば深追いさせようとも考え、転移は用いないでおいたのだが……彼らは拍子抜けするほどにあっさりと、奇襲を手仕舞いした。

 かろうじてマナの矢が届く程度の間合いまで離れ、貴族の彼と視線が合った。静かで涼しさすら感じる顔だ。好機を逸したという悔しさは、微塵も感じない。単に抑え込んでいるだけかもしれないが……。

 しかし、迫りくる戦線こそが、おそらくは彼らの望んだものではないかと思う。私に動かされるのではなく、彼らの奇襲を契機に軍を動かし、心理的な主導権を取り戻したかったのではないかと。


 もっとも……それを確認するための機会は、決して訪れないだろうが。



 敵軍の総大将と思しき男が引き下がり、一方で両軍が戦場中央へ迫ってくる。今回の奇襲を指揮したアシュフォード候は、これ以上の交戦を無益と捉え、友好国の精兵たちに合図を飛ばした。

 彼の合図を受け、敵の横手へと回したハリーとウィンが、彼の元へ馳せ参じた。敵との距離は開きつつあるが、未だ交戦中の間合いではある。二人は前方の敵を警戒し、侯爵の前に立った。

 だが、敵にこれ以上の交戦の意はないようだ。彼我の距離が十分に離れるや、彼は転移を使うでもなく、駆け足で立ち去った。その姿を見ながら、ハリーが口を開く。


「ご無事で何よりです」

「ああ。君たちのおかげだ。私が一人目の犠牲にならず、ホッとしているよ」


 軽口のような返事に、付き従う二人は含み笑いを漏らした。

 しかし、地平を埋めるかのような大軍勢が、前方から迫ってきている。この戦場の空から引き下がりつつある雨雲のベールが剥がれるとともに、その陣容が明るみになっていく。遠く離れてもなお、かすかに地鳴りを伝えるほどの敵勢に、さすがの二人の表情も硬くなる。

「下がりましょうか」とウィンが尋ねると、侯爵は「そうだな」と答えた。


 彼らの目的は、魔人側の総大将――すなわち皇子――の見立て通りのものだ。雨雲を立ち退かせるという彼の業を目の当たりにし、人間側は戸惑いと高揚の只中にあった。

 そこで、彼らは晴れ間と雨の間からの奇襲を敢行した。それで殺せるならばよし。殺せずとも、機先を制して動いた自分たちの後に、主力である兵卒が続けば良い。そういった考えがあっての挙である。


 上空にいる戦友たちに、「帰るぞ」とウィンが告げた。すると、少しだけ遅れて返事代わりに、ホウキが二本空から落ちてきた。それを受け取るハリーとウィン。「シエラが見たらキレるな」とウィンがつぶやくと、ハリーは苦笑を返した。

 その後、ハリーは自身のホウキの先端に詰め、侯爵に同乗を促した。ここに来た人間の内、侯爵だけがホウキを使えない。にも関わらずの抜擢は、直接的な戦闘力のみを考慮してのことである。

 実際、奇襲という優位性はあったものの、彼の役回りが一番危険だった。それでも無傷で済ませた彼の顔に、ウィンは汗が流れるのを認めた。自身もそれに気づいたらしく、袖で無造作に拭う。


「さすがに、これは汗をかくな」

「貴国に比べますれば。加え、雨上がりでは蒸しますので」


 気温や気候を云々しての発言ではないのだが……わかって空とぼけるようなウィンに、侯爵は微笑みを返した。

――いや、実際に熱い。冷静に抑えたつもりでも、内側では沸き立つような戦意がほとばしっている。

 そして、その熱はまだまだこれから、さらなる高まりを見せるところだ。差し迫る衝突を前にして、侯爵率いる一同は、一度自軍へと引き返した。

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