第527話 「開戦前夜」

 運命の日が近づくにつれ、陣中は少しずつ静かになっていった。別に心配や不安でそうなっているわけじゃなく、熱意や戦意の高まりは確かにある。今はただ、静かに刃を研ぎ澄ませているような感じだ。大決戦を前に、好ましい状態ではあると思う。

 この状態は、アイリスさんたち貴族部隊の存在も大きいように感じられる。アイリスさんばかりでなく、他の方々も親しみやすいところがあって、異国の兵からも信頼を勝ち得ていた。

 もしかすると、彼女が共和国へ滞在していた時のことを念頭に入れ、彼女みたいなタイプの貴族の方に呼びかけて招聘しょうへいしていたのかもしれない。


 そんな中……俺たちの部隊に関して言えば、さすがの悪友連中も、陣中の空気を乱すのに抵抗を覚えたようではある。普段は猫をかぶったようにおとなしくしていた。

 ただ、俺たちだけで日課の空中偵察に出ると、いつもの砕けた調子になった。開戦まで後三日という今日も、空に上がると談笑ムードになる。

 別に敵を甘く見ているってわけじゃない。緩いのは自軍陣地周辺だけだ。敵陣へ近づくにつれ、みんな急に真面目になっていく。

 だから、陣地上空が一番のリラックス空間だ。気を張りすぎても疲れるだけだし、こういうのもアリかなとは思う。

 で、今日の議題はCランク魔導士試験についてだ。「まったく自信ない」という奴が、とんでもないことを口走った。


「今回の功績で、点数の代わりにできねえかな」

「できるわけないだろ」


 以前に比べるとだいぶ緩くなったとはいえ、こういうことで融通を利かせる魔法庁じゃない。いくら俺たちが頑張っても、点数に下駄を履かせることはないだろう。


「まぁ……魔人の″星"を落としたら、ちょっとは融通してくれるかもな」

「ああ、一つ落とすたびに何点とか?」

「何点か決めるだけで数か月かかるんじゃないか?」

「ありそ~」


 そんな他愛のない話を続け……気が付けば俺たちは静かになっていた。

 遠く地平を埋めつくす敵陣の陣容は、日増しに厚みを増している。遠く離れてもなお、個体として認識できる魔獣が、地平線に何体も何体も並んでいる。腐土竜モールドラゴンか、あるいは砦亀フォータスか、はたまた別の巨獣か……。

 敵陣上空を旋回する怪鳥も、日ごとにその数を増やしていっている。


「今のうちに、少しでも削っておかねえか?」

「来るたびに言ってない? それ」

「どうせ誘いだろ」


 仲間の発言に、みんなから一斉にツッコミが入る。最後にはウインの一言。


「点数にはならんぞ」

「そりゃあな!」


 みんなで声を上げて笑った。あの程度をぶっ倒して点数をもらってたら、俺たちはすでにBランク魔導士だ。

 まぁ、どうせここで撃ち倒しても、決戦日までには補充されるだろう。ラックスの言いつけ通り、偵察は深入りしない程度にとどめ、俺たちは陣地へと帰還した。



 開戦予定日前日の14日朝。フラウゼ軍の陣地中央にある陣幕にて、今から外連環エクスブレス接続の儀式を執り行う。

 外連環は、誰との通話状態か識別のために、個々人のマナの色を用いる。その都合上、あまり多くつなぎすぎると、個々の識別が困難になる。特に、似たような色が重なっている場合は。そのため、外連環を接続する場合、色を散らすのが好ましい。

 幸いにして、俺たちの集まりは、役回りと色がいい塩梅で別れている。今回、一つの輪につなぐのは、俺と殿下と将軍閣下、それにラックスとサニーとラウルだ。

 近衛部隊は基本的に二分割する。それぞれの部隊長をサニーとラウルが担当し、ラックスが全体の面倒を見る感じだ。俺は、個別に用事が発生するかもしれないということで、最初から部隊内での役職は外されている。隊員としてラウルの下で戦うことになる。

 サニーとラウルの二人は、これまでにも分隊長として動いたことがあるけど、今回ばかりは慣れよりも緊張が上回っているようだ。俺も含め、男子隊員三人でやや硬い表情になっていると、こういう面では明らかに先輩格のラックスが微笑みかけてくる。


 そうして、他の隊員や武官の方々が見守る中、接続の儀式に入った。まずは円陣を組んでそれぞれの腕輪を足元に置き、色が隣接する者同士で手をつなぐ。青緑の俺は、青系のサニーと黄色系のラウルと手をつないだ。

 使用者の輪ができ上がると、足元に白いマナの光が走った。それから、白い光による複雑な幾何模様と、色とりどりの文が地面に刻まれていく。

 やがて光が腕輪に刻み込まれ、俺たちは各自の腕輪を腕に通した。そして、代表として殿下が通話確認を開始される。一人ずつ順番に呼ばれ、呼びかけとともに腕輪が反応する。

 そして俺の番だ。腕輪の表面に赤い棒人間が浮かび上がり、腕輪越しの声と肉声両方で俺の名が呼ばれた。それに返答するように声を返すと、殿下の腕輪の方に青緑の光が現れ、向こうから自分の声が聞こえた。

 きちんと使えるらしい。そのことに、俺は安堵した。


 実を言うと、俺が持っている外連環は、ちょっと特殊な奴だ。国で管理している正規品ではなく、天文院から持たされている、特殊な品だ。

 普通の外連環では、一度に一通りの通話グループしか設定できない。つなぐ相手を変えたければ、一度初期化してつなぎ変えるしかない。

 また、つないでいる相手は、お互いに公開されているようなものだ。接続の儀式が、腕輪ごとの使用者を定める初期設定も兼ねている都合上、代役を立てるというのも難しい。

 つまり、直に会って手をつながなかった、外部の者との通話はできないわけだ――普通は。

 しかし、俺が託されたこの腕輪は特別で、今の儀式でつないだのとは別系統で、天文院の総帥閣下とつながっている。

 このことは、殿下と将軍閣下がご存じだ。精神操作の件もそうだけど、他にも不測の事態が起きないとは限らない。そういった天文院案件レベルの事態が生じた場合の初期対応のため、念のために持たされているわけだ。

 総帥閣下によれば、俺以外にもこういった形で現地へ送り込まれている方はいるそうだけど……そういう懸念が的中しなければと思わずにはいられない。



 そして、開戦予定日前夜。夜襲への警戒から、連合軍の兵の内、何割かは昼に睡眠をとっている。一方、般的な軍に収まらない部隊に関しては、普通に夜就寝することとなっている。精鋭は万全の体調でというわけだ。

 ここまでおとなしくしていた敵に対し、仕掛けてこないだろうという妙な信用はある。一方、そこを突いて仕掛けてくるのではないかという疑念も。

 ただ一つ確かなのは……変に心配にかられたのでは、休息の妨げになるだろうってことだ。開戦前夜、集合した部隊のみんなを前に、俺は告げた。


「今夜は余計なことを考えずに寝よう。思い悩むのは上の方に任せりゃいいから」

「ぶん投げたな、おい」

「ま、いいんじゃねーの。出された料理全部食うみたいな部隊だしよ」

「さすがに、今回ばかりは食べきれないと思うけどね」


 そんな感じで談笑していると、幕舎の入り口の方に目を向けた子が叫んだ。「アイリスさん!」

 俺もそちらへ目を向けると、少しおずおずとした感じの彼女が。「お邪魔ではないでしょうか」と遠慮がちな彼女に、隊員の子たちが「何言ってんですか~」と歩み寄り、だいぶ強引に中へ連れ込んでくる。

 そうしてみんなの前に引きずり出され、期せずして俺の隣に立った彼女は、どこか嬉しそうな口調で言った。


「いよいよ明日ですし、みなさんとお顔だけでもと」

「お顔だけだなんて、も~。今夜は語り明かしましょうよ!」

「はよ寝ろっての」


 俺がツッコミを入れ、みんなが笑う。

 それにしても、今まで別行動でやってきたということもあって、単独で動くアイリスさんは随分久しぶりだ。みんなも似たような感じだろう。ちょっと話が長くなりそうなので、円座になって歓談することになった。

 座ると早速、彼女へ質問が。「貴族部隊ってどんな感じですか」との問いに、アイリスさんは「いいところですよ」と答えた。


「話しやすい方ばかりですし……みなさんも、きっとすぐ仲良くなれると思います」

「お近づきになりたいもんです」

「ヤラシ~」


 冗談半分のやり取りに続き、今度は別の質問が。「誰が一番強いんですか?」という直球に、横のアイリスさんは困ったような微笑を浮かべた。


「私です! と言い張りたいんですけど……」

「言いたいんスか……」

「それはもちろん」


 普段は穏やかで優しい子だし、周囲に比較対象となる方が少ないのもあるけど……一方で彼女には、ものすごく強い負けん気と闘争心があると思う。今の状況は、周囲に腕利きが集まっているわけで、血が騒いでいるのかもしれない。

 というか、彼女の周りもそんな感じのようだ。苦笑いしながら、彼女は言葉を続けていく。


「実は、こちらの部隊でも、そういう話が持ち上がりまして……」

「持ち上がって?」

「……結局、何もしませんでした。一度本気になって火がつくと、後に響きそうでしたし……」

「血の気多いっスね」

「いえ、ちゃんと止めましたよ?」

「偉い偉い」


 はたから聞けば、とても貴族相手の会話じゃないだろうけど、俺たちの中じゃこんなもんだ。矛を収めた彼女の頭を撫でているのはどうかと思うけど……楽しそうだしいいか。

 それからも、だいぶ緩んで砕けた空気の中で、話は弾んだ。しかし、一応の部隊長としては、気にかかる部分もある。


「もうそろそろ、寝よう。な?」

「えー」


 女の子中心に不満の声が上がる。しかし、これは俺を困らせたいだけだ。今までの付き合いから分かる。「報告書に書くぞ~」と脅してやると、調子のいい子が「それだけは勘弁して~」と、わざとらしくすがり付いてきた。

 そんなムードメーカーの態度がスイッチになり、談笑はお開きムードに。まばらに立ち上がり、グダグダな空気で解散しかける中、不意にラックスが口を開いた。


「リッツとアイリスさん、ちょっと残ってもらえるかな?」


 彼女の声に、みんながこちらへ視線を向けてくる。すると彼女は「明日の動きで確認したいことがあるから」とだけ言った。

 まぁ、俺たちは過去の経緯――特に共和国の件から――何かと特別な立場にあるわけで、みんな配慮してくれた。細かいところを確認しようとはせず、みんなアイリスさんにペコリと頭を下げて立ち去っていく。


 そうして三人残る形になると、言い出したラックスは、ややためらいがちになって口を開いた。


「ああは言ったものの……実はウソでね」

「だろうと思った」

「……お節介だった?」


 複雑な微笑を浮かべ、彼女が問いかけてきた。それに俺は、首を横に振って答えた。アイリスさんも、余計なこととは思っていないように見える。

 ただ、ラックスは気まずそうに口を開いた。


「ここで私が外に出ると、かなり怪しいから……正直アレなんだけど」

「割と考えなしにやってない?」

「ちょっとね」


 そんなやり取りに、アイリスさんが含み笑いを漏らす。

 結局、ラックス立ち合いの元でイチャイチャすんのもなぁ……ということで、三人で今後の展望について話すことになった。まず、ラックスが真面目な口調で話す。


「ここで勝てば、人の世に余裕ができると思う。特定の家系に頼らざるを得ない状況も、いくらか緩和されるだろうし……」

「平民でも戦えるようにって備えてきた、その結果を世に示せるかもね」


 俺の指摘に、二人はうなずいた。

 平民と貴族の間の、超えられない壁の正体は、ほとんど瘴気だと思う。アレに巻かれると、高位の色のマナがなければ太刀打ちできない。瘴気それ自体で殺されはしなくても、動きが大きく鈍れば同じことだ。

 しかし、瘴気への対抗策として、今は浄化服ピュリファブがある。それに、ハリーとウィンが主軸になって、瘴気専用の反魔法アンチスペルを作ったということもある。

 平民でも瘴気に対抗できるとなれば、場合によっては魔人とやりあえる。少なくとも、平民でも数の利を活かす戦いができるようになる。その意識改革で、世は大きく変わるかもしれない。この戦いは、その試金石になり得るだろう。


「それに、平民出の精鋭部隊もいくつかあるしね。私たちもそうだけど、平民でも強い奴がいるってことを示せば……世の注目が集まる戦いだからこそ、大きな意味があると思う」

「ああ。頑張らないと」

「いや……リッツはほどほどでいいよ? これまでの働きでも、上層部には十分すぎるレベルで知られてるし」


 意気込みに対し、いきなり釘を刺された。強く心配されている感じではないけど……まぁ、今までのことを思えば、頑張りすぎないでほしいって気持ちはあるんだろう。内心、感謝の思いを抱きつつ、「そうだね」とだけ返した。


 そうして軽く言葉を交わしてから、俺たちは立ち上がった。「はよ寝ろ」と言った手前、長引かせるのは良くない。それに、久しぶりにアイリスさんと話せただけでも、気力をチャージできた。

 三人で立ち上がったところで、ラックスが少し早足気味に、俺たちの前に出た。俺たち二人に彼女が背を向ける格好になり――手でも握っちまおうかと、そんな考えが頭をもたげた。

 しかし、外から見られるとまずい。出るまでの短い間だけだとしても、出た時の顔で怪しまれる可能性はある。何しろ、みんなには真面目な話をしていると思われているんだから。

 こんな大事な時期に、スキャンダラスなことをするわけにはいかない。俺も彼女も、今や責任ある立場にあるんだから。後ろ髪を引かれる感覚にさいなまれつつ、俺は衝動を抑制した。

 横を向くと、彼女と目が合った。彼女も思うところあるのか、やや困り気味の微笑を返してくる。彼女の方から手を伸ばしてくることはない。二人の間で交わされる言葉もない。でも、たぶん同じようなことを考えているんだとは思う。そう感じられるだけで、十分だと思った。


 ラックスに続いてほぼ間を開けず、俺たちは天幕の外へ出た。周囲の張り詰めた雰囲気が、今までいた空間のそれとは大違いで、変な笑みがこぼれてしまう。

 そして……外に出てからほどなくして、空から冷たいしずくが垂れてきた。

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