第509話 「国際協調④」

 2月1日朝。俺は王都北区の転移門管理所へ向かった。今日こちらへいらっしゃるスペンサー卿のお出迎えのためだ。知らぬ仲ではないとはいえ、そう親しいわけでもなく、しかも他国からの賓客とあっては緊張する。

 ただ、卿のお立場からしても、こちらには親しい人間がいるわけでもない。例外はアイリスさんだけど……まぁ、何かと気を遣う部分はあるだろう。そういう意味では、卿もこちらへいらっしゃるにあたって、心配や不安を感じられているかもしれない。

 実際、予定時刻通りにいらっしゃった卿は、相当落ち着かない様子で管理所から出てこられた。それが、俺の顔を見るなり安心した表情になったものだから、こちらも自然と微笑んでしまった。こう言うと失礼かもしれないけど、あまり貴族らしい感じがないお方だ。そういうところが逆に親近感が湧いてくる。

 それから、俺の前までやや小走り気味になって来られた卿は、少しため息をつかれて仰った。


「希望が通って良かったよ。でも、こんなこと頼んで、迷惑じゃなかったかな?」

「いえ、そのようなことは」


 慣用句のごとく「光栄に思います」とも言おうかとも思ったけど……それは世辞のように取られそうなのでやめておいた。


 軽く挨拶を済ませた後、俺たちは管理所を後にした。北区から例の宿へ向け、俺がほんの少し前に立って先導する。

 卿はスーツケースみたいなカバンを手で引いておられる。そこで「お持ちしましょうか」と尋ねたら、「これくらいは」と笑顔で断られた。あまり差し出がましいことはしない方がいいかもしれない。

 卿の服装は、仕立てが良くて上品な見た目だけど、きらびやかさとかいかめしい感じはない。なんなら、富裕な平民が着ていそうな服だ。それに、周囲の国民とさほど変わりないくらいに厚着でいらっしゃる。卿の素性がこちらでは知られていないことも合わせれば、この街に十分溶け込めている感じだ。

 むしろ、俺の方が顔が売れて注目されるぐらいかもしれない。となると……俺は小声で「あまりかしこまらない方が良いですか?」と尋ねた。

 すると、卿は急に話しかけられたことに驚かれたようで、ビクッと体を震わせられた。それから、卿のお顔がやや気恥ずかしそうな感じになっていく。


「その方が、僕の素性を悟られにくいよね?」

「そう思われます」

「だったら……そうだね。その方が助かるし、なんなら、もう少し気楽に構えてもらっても全然構わないよ。僕は君が思うほど、大した人物じゃないからね」

「それはそれで難しい注文ですが……ほどほどに崩させてもらいます」


 とりあえず、貴族という身分は伏せて対応するにしても、他国から招いたお客様には違いない。事情を知らない人向けの説明では、共和国首都からやって来られた、工廠の主任研究員ってことになっていることだし。ただ、ご自分からああ仰るだけあって、自然と肩肘張ってしまうような圧がないのは助かる。


 そうして俺たちは王都でも老舗中の老舗であるホテルについた。卿よりもむしろこっちの方が厳かな感じがある。

 しかし、外見こそ威厳や風格に満ちているものの、中に入ると居心地の良さがそれらを軽く上回る。ここに勤められる方々の、柔和な態度と懇切丁寧な対応も、そういう雰囲気の一因となっているんだろう。

 俺たちのことについては、国からすでに話がいっている。俺の顔がすでに知れているということもあって話は早く、みなさんの動きは丁寧でありながらも迅速かつ流麗だった。敷居をまたぐなり、卿の上着から手荷物まで、スタッフの方々が代わりに手に持ち始める。それが彼らの仕事ということもあってか、卿が拒んだり遠慮なさったりというようなことは特になかった。

 それから、こちらの支配人である初老の紳士が、俺たちの前に恭しく歩み出て一礼。次いで俺たちを上階へと案内してくださった。


 王都の建物は基本的に高さ制限がある。景観条例みたいなもんだけど、一部の公機関施設のような例外もある。この宿もそういう例外の一つだ。民営ではあるものの、他国からの重要なお客様を招くこともあって、国としても大切な地位を占めているのだろう。

 上へ上へと上がる階段は、いつしか他の建物たちの背を追い越した。落ち着いた色合いの階段に、特に飾り気はない。しかし、窓から見える景色は、他の建物では望めないものだ。並ぶ建物がほとんどないこの眺めこそが、もしかすると一番の贅沢なのかもしれない。


 そして、俺たちは最上階に案内された――「ここが最上階です」とは言われなかったけど、上に続く階段がなかったから、たぶんそうだろう。

 最上階に泊まるとは聞いていない。卿も、今ここで初めて知ったと言わんばかりの顔をなされている。そんな卿が「何かの手違いでは?」と聞かれたのには正直同感しつつも驚いたし、案内してくださった支配人さんの微妙な笑みも随分と印象的だった。


「いえ、こちらにお泊りいただくようにと、国より仰せつかっております」

「そ、そうですか。しかし……」


 恭しくも堂々とした支配人さんに対し、卿はだいぶ困惑された様子でいらっしゃる。こういうところには共感できるけど……俺は卿に向いて口を開いた。


「せっかくですので、私はこちらに泊まります。これも良い人生経験になると思われますし。卿もいかがでしょうか?」

「う、う~ん。では、ご厚意に甘えさせていただきます」


 そう仰ると、卿は支配人さんにペコリと軽く頭を下げた。堅苦しさはない素朴な感謝に、支配人さんはやや驚きつつも表情を綻ばせている。


 支配人さんが立ち去ると、俺たちはそれぞれの部屋に向かい、ドアノブに手をかけた。しかし、ドアが見た目よりもずっしりと重い。俺が緊張して変に身構えているだけかもしれないけど。

 あてがわれた部屋に入ると、一瞬だけ殿下の居室を想起した。あのお部屋ほどの広さはないけど、それでも一人で泊まるには広すぎる部屋だ。調度品とかはあまりないものの、据え付けの家具は歴史の重みを感じさせる色合いで、値打ちものなんだろうなと思わされる。

 そして、なんといっても開放感がすごい。部屋の入り口から直進したところにある壁は、窓がものすごく大きく、王都の町並みがよく見える。


 俺が生まれた世界に比べれば、この建物はまだまだ背が低い部類に入る。しかし、こういうのはきっと相対性なんだと思う。この建物が、王城を除けば他より圧倒的に高いという事実が、この景色となんとも言えない感覚を生み出している。

 タワーマンションとか高層ビルのてっぺんに住みたがる人種のことを、俺は今まで理解できないでいたけど、これでなんとなくわかった気がする。たぶん、こういう部屋にいるってだけで強烈な優劣感とか達成感、あるいは支配欲を満たせるんだろう。夜景だ何だってのは、そういう感覚を増長させるオマケでしかないんじゃなかろうか。

 落ち着かない感覚ではあるけど、いい経験だとも思った。有事の際に稼いだ蓄えのおかげで、その気になればここに泊まることは余裕でできる。でも、それは背伸びとか奮発とか、そういう言葉が似合う散財にしかならないだろう。決して身の丈にあった住まいではない。

 そう思えば、こういう仕事の役得として楽しむぐらいの気持ちが、一番自分に合っている気がする。


 そうして少しだけ、身に余るラグジュアリーな感じを味わってから、俺は卿のお部屋に向かった。

 卿の方はというと、俺みたいに割り切った楽しみ方は中々できない様子だ。本当に、身に余ると感じておいでらしい。


「僕なんかが、いいのかな……?」

「両国が認めたわけですし、自信を持ってはいかがですか?」

「それが過大評価なんじゃないかって……」


 しかし、そう仰った卿は、ハッと何かに気づかれたようだ。その後、ご自身の顔を両手で叩かれた。


「結局、自分でも決めたことだし、あまりネガティブになっちゃいけないよね」

「……そうですね。この案件がうまくいってほしいと思いますし……みなさん共和国で良くしてくださいましたから、卿にもこちらでの滞在を楽しんでいただければ、嬉しく思います」

「そうだね」


 少し自信なさげな感じのあった顔から一変し、卿は明るい感じの笑みを浮かべられた。

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