第502話 「三度めの新年①」

 1月1日……多分朝。俺はいつものベッドで、ムクリと起き上がった。

 昨夜一仕事を終えてから、打ち上げで屋台を巡って酒場に入って……そこから今に至るまでの記憶があいまいだ。特に、ベッドに入った記憶が全くない。たぶん、寝落ちしていたんじゃないかと思う。ここに担ぎ込まれたのかと思うと、少し恥ずかしくなってくる。

 起きてみた感じでは、多少の疲れはまだ残っているものの、酔いが長引いている感じは全くない。おそらく、昨夜は少し飲んだ後に寝てしまったんだろう。飲んだくれて寝たわけではないはずで、それは不幸中の幸いだ。

 それでも、心身ともになんとな~く重苦しいものを感じながら、俺は身だしなみを整えて階下へ向かった。


 食堂には、宿のみなさんがいた。しかし、全員じゃない。まだ寝ている方もいるようだ。聞いてみると、昨夜はこちらの宿でも晩酌が長引いていたのだとか。それに、今日は仕事もないということで、ぐっすりしているんだろう。

 ただ、宿の主人であるお二人は、さすがに朝からしっかりしている。ほがらかに挨拶をしてくれるリリノーラさんに、俺は若干の気恥ずかしさを覚えつつ、口を開いた。


「実は、昨夜の記憶がなくて……寝たまま担ぎ込まれたんだと思いますけど……」

「はい! 友人の方々がリッツさんを担いでいらしました。昨日の演技、とても良かったですよ! お疲れさまでした!」


 そう言って満面の笑みを浮かべた彼女は、俺の前に程よい温度のお茶を出してくれた。小さく頭を下げてから軽く茶をすすり、それとなく視線を巡らしてみる。

 すると、リリノーラさんは言うまでもなく、他のみなさんも、あの演技がお気に召したようだ。口々に「良かった」「またやらない?」「お疲れ様!」と、称賛やねぎらいの言葉をいただけた。

 そういえば……デモンストレーションで関係者にはお披露目したものの、純粋な観客からの感想は――覚えている限りでは――これが初めてだ。もちろん嬉しいけど、集中砲火で褒めそやされると、照れ臭さも結構ある。

 そこで、ルディウスさんがいいタイミンクで助け舟を出してくれた。朝食ができ上がったようで、リリノーラさんに声が飛ぶ。


「リリー、できたよ」

「はいは~い。じゃ、寝てる方を起こしてきますね」


 正月ぐらい、ゆっくり寝かせても……と思わないでもないけど、朝食の後には恒例行事の種植えがある。寝たのを放置して勝手におっ始めるのも悪いだろう。

 程なくすると、眠そうにまぶたをこすりながら、同宿の方が二人降りてきた。ただ、俺の姿に気がつくと、夢見心地みたいなぼんやりした口調ではあるけど、「リッツ君、昨日の良かった~」とお褒めの言葉をいただけた。


 その後、全員そろってゆったりと朝食を楽しみ、恒例行事の種植えが始まった。外から持ってきた白いプランターに、等間隔で穴を掘っては、そこに種を入れていく。その穴の一つへ種を入れると、年上のお姉さんから「何お願いした?」と尋ねられた。


「魔導師のCランク試験に受かりますようにと」

「へえ~、リッツ君でもお願いするくらい、難しい試験なの?」

「ええ、まぁ……俺より頭いい子も普通に落ちるぐらいですし」


 そういう話は、意外にも皆さんの興味を惹いたようだ。それから、話はそれぞれの仕事と資格や試験へと展開し、大いに盛り上がった。

 俺たち冒険者以外にも、仕事で資格みたいなものが求められることは多いらしい。同宿のみなさんがてんでバラバラな仕事についているせいもあってか、話を聞いてもよくわからない部分はあったけど、それでも新鮮な話を聞けて楽しかった。

 しかし、みなさん俺の試験について興味を持ったというか、結構励ましてくれたけど……さすがに、今年も厳しいとは言えないな、コレ。



 翌日2日。今年も、朝は各公機関での種植えからだ。まずは魔法庁へ向かう。外へ出ると、街路には意外と人通りがあった。すれ違うたび、互いに手をこすり合わせながら会釈していく。

 数日間続いて、空は雲が覆っているけど、街の雰囲気には明るさがある。きっと、昨年の正月と比べているから、そう感じるんだろう。内戦下にあっての正月は、本当に寒々しい限りだった。

 それに比べれば、今年の雰囲気はかなり上向いている。クリーガとの仲が完全に修復されたとは言い難いけど、内戦終結後から互いに歩み寄ろうという姿勢は、今も継続されている。

 そういう前向きな変化に加え、最近ではアイリスさんの帰還もあった。実情は紆余曲折あったものの、一般には共和国での戦勝に貢献したとだけ伝えられている。加えて、殿下御自ら率いられた近衛部隊の活躍も。そういう明るい話題と、年末のアレの影響もあっての、街の雰囲気なのだろう。

 世の中が色々と動いている中、この先がどう転ぶかはわからないけど、この街がまた暗く沈むようなことがなければと思う。


 魔法庁の入り口が視界に入ると、敷地からやや離れたところにいる一団が目に入った。そのうちの一人が俺に気づき、声をかけてくる。


「リッツさん!」

「エメリアさん?」


 その集団は、共和国からいらっしゃっている方々だった。どうも、魔法庁へ年始の挨拶に伺おうとしたものの、入るに入りづらいらしい。


「なにしろ、こういう行事は初めてなもので、緊張してしまって。向こうにいるときも、魔法庁にはあまりお世話になりませんでしたし……」

「なるほど」


 それで尻込みしているわけだ。気持ちはよくわかる。今や魔法庁との利害関係者になった俺も、昔は色々あって敷居をまたぐのに難儀したもんだ――というか、そもそも冒険者と魔法庁の折り合いが悪いんだった。

 それが今では……入りづらそうにしている共和国の方々と軽く挨拶をかわしている間にも、「よう、お疲れさん」とこっちへ声をかけつつ、魔法庁へ入って行く仲間が何人かいた。そんな軽い調子で歩いていく彼らを見て、共和国の方々が目を丸くする。


「文化の違いでしょうか?」

「文化の違いというか、魔法庁が少し変わったというか……冒険者と色々仕事するようになって、付き合いが良くなったという面はありますね」


 たとえば、つい先日やったばかりの空描きエアペインター。アレは非常事態向けに魔法庁のバックアップがあった。その点について言及すると、共和国の方々は感嘆のため息を漏らした。


「……そういうわけで、締めるところはキッチリ締めてますけど、みなさんが思うよりもずっと柔らかいと思いますよ、こっちの魔法庁」

「そうですか」

「ほら、遠慮せずに」


 そう言って微笑み、みなさんを手招きすると、みなさんは互いに顔を見合わせた後、少し恐る恐るした感じではあるけど、一緒に魔法庁へ入ってくれた。


 共和国からの友人は、予想というか期待通り、すんなりと受け入れられた。ただ、共和国のみなさんは、それでもやっぱり気後れした感じがあった。

 もしかすると、お国柄から来るものなのかもしれない。というのも、あっちの国は魔法陣を書こうにも、寒さに指が震えて練習にならないのだとか。おかげで、手書きの魔法陣はあまり普及せず、魔道具の方が発達する感じになっている。そういった事情があって、魔法のエリートぞろいの魔法庁に対し、気後れしているのではないかと。口にすると失礼かと思って、そういう考えは胸に秘めておいたけど。

 ただ、長官からの挨拶の後、種を植える段に至ると、共和国の方々もリラックスしてくれたようだ。魔法庁の職員からも、庶務課を中心に彼らに声をかけて、談笑している姿が見える。

 それを見てホッと一息ついてから、俺は自分たちの花壇に目を向けた。仕事仲間が、「何お願いする?」と聞いてくる。


「ん~? やっぱ、Cランク受かりますように、かな」

「いや、ここは試験問題がヌルくなりますように、だぜ!」

「みんなでお願いすれば、効果が上がるかもね!」


 冗談交じりの提案に、すぐそばにいたネリーが乗っかると、工廠の子は笑い声を上げ、魔法庁の職員はひきつった笑みを浮かべた。


 魔法庁での種植えが終わり、次の会場へ行こうという流れになったところ、共和国側の集まりからエメリアさんが一人、俺の方へやってきた。


「よろしければ、午前一杯は私たちと一緒にいていただけませんか?」

「俺が、ですか?」

「はい。やっぱりちょっと、自分たちだけでは不案内で、心細いですし……」


 まぁ、そういう気持ちはよくわかる。俺だって、こちらへ来たばかりの時は心細いことがあったし……首都滞在中、エメリアさんにはお世話になったから、いい恩返しだとも思う。

 ただ、一つ気になることがある。


「アイリスさんも呼びましょうか?」

「い、いえ、それは大丈夫です」


 意外にも遠慮してきたエメリアさんだけど、後ろに控えるみなさんの方は、彼女よりもさらに恐縮した感じになった。そんなに遠慮しなくても……と思うけど、アウェーだと気が引けるってのはあるかもしれない。国を代表して、こちらまで来ているわけだし。

 ただ、エメリアさん個人としては、昼からアイリスさんと一緒に行動する予定のようだ。それを聞けて安心した。


 それで、なんだかツアーガイドみたいな感じになりながら、俺は共和国からのみなさんをご案内することになった。魔法庁を出た辺りで、俺に気づいたシルヴィアさんが「似合ってますよ」と微笑んでくる。

 ぶっちゃけ、シルヴィアさんの方が向いてるんじゃ……とは思ったものの、自分で請け負ったからと言葉を飲み込み、俺はただ彼女に苦笑いを返した。

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