第501話 「夜空をキャンバスに」
一年最後の日の夜、俺たちは王都南門の前に集合した。
天候次第では日程をずらし、新年祝いの催しにするつもりではあったけど、幸いにして今夜は雨が降らなかった。夜空を雲が覆っていて、星はあまり見えない。賑やかしには欠けるけど、その分だけ俺たちが頑張ればいいだけの話だ。
夜空から視線を下ろし、俺はみんなの方へ目を向けた。これから一緒に飛びに行く仲間、ラックスを始めとする陸のサポート要員、そして落下時のための魔法庁の職員さん方……。
これまでの練習では、結局一度も落下事故は発生しなかった。しかし、本番ゆえの緊張で、練習どおりに動けないということはあるだろう。みんなからは高揚感と一緒に緊張感も見てとれた。
もうじき空へ飛びあがって、演技を始めることになる。そこで、本番を前に何か一言をという流れになり……みんなの目が殿下に向く。
しかし、殿下は苦笑いして仰った。
「ここはリッツに譲ろうと思う。実質的には君がリーダーだから」
「いえ、殿下からのお声がけあっての企画ですし……」
「君が何か言った方が、場の空気もいい感じでほぐれると思うけど」
それはそうかもしれないけど、今の殿下であれば、別に堅苦しい空気にはならないのではないかと思う。
とはいえ、殿下から譲られたのをお返しするのも、ちょっとどうなんだって気はする。微妙に気が進まない感じを覚えつつ、俺はみんなに向き直って言った。
「今日も安全第一で。多少のミスぐらいは絵の味わいと思って、気楽にやろう」
「うい~」
誰かが気の抜けた返事をした後、俺は手を叩いて「じゃ、配置について」と言った。みんなの動きはキビキビとしたもので、ぎこちない硬さはあまり感じられない。
これならきっと大丈夫だろう。俺もホウキを携え、自分の配置へと向かった。
今夜の人員配置は、花ひとつ描くのに4~5人割り当てる。花びら担当と、茎・葉の担当で班を半分に分けるぐらいの感じだ。つまり、花びら担当と茎・葉の担当で、それぞれペアかトリオができる。
で、俺とペアになるのは……。
「よろしくお願いしますね」
「……はい」
アイリスさんだ。仲間内で他に彼女のペアで名乗り出る声があれば競争するつもりだったけど、結局のところ競合はなかった。そして、俺自身の力量はというと、彼女と組んでもやっていけるだろうとみんなが判断し、アイリスさんの相方として認められたわけだ。
他に名乗りが出なかったことについては……やはり、マナの色に関する尻込みがあったのではないかと思う。ラックスが裏で動いて、立候補者を思い留めさせた……ってことはないだろう。何かと気を利かせてくれる子だけど、そういうことする感じではないと思う。
それにしても、彼女の落ち着いた微笑を見ていると、逆に緊張してきた。共同作業とか言う単語が頭に沸いてくる。ちょっと舞い上がり過ぎているのかもしれない。冬の空気を目いっぱい胸に取り込むように、俺は深呼吸をした。
「……リッツさん」
「なんです?」
「ありがとうこざいます」
急に礼を言われて、俺は少し戸惑った。何に対する礼なんだろう? 俺は彼女に尋ねた。
「何か、礼を言われるようなことが?」
「今回、シエラと一緒に誘ってくれたことですよ。今年の正月、みなさんと一緒に空を飛べたらって、お願いしましたから」
「ああ、そういえば……ギリギリ間に合いましたね」
「ふふ……夢を来年に持ち越さずに済みました」
そういってにこやかに笑う彼女は、俺と一緒に飛ぶことがどうこうというわけじゃなくて、みんなと一緒に一つのことに取り組めることを喜んでいるようだ。それはそれで、とても良いことだと思う。今まで色々あったけど、みんなと輪をつないでこそのアイリスさんだ。
全員が配置につき準備が整うと、俺たちの背の方――王都とは逆の南側――から、合図の光が見えた。それを確認し、一斉に空へ舞い上がっていく。
演技開始前は、まだホウキ内臓の
一番明るいのは中央広場だ。そこから東西の大通りと南の大通りへ、光り輝く道が続いている。今日のために屋台が開かれているって話だ。終わったらみんなで行くか。
さらに、普段は見られない光景として、城壁の上が光り輝く弧のようになっている。普段は関係者以外立ち入り禁止だけど、今夜は特別に観覧席として使用されている。まぁ、特等席扱いになるから、俺たちの関係者優先で使わせてもらってて、一般客からは金取ってるそうだけど。
その特等席には、孤児院の子たちがいる。俺たち飛行部隊の仲間も割と顔を出していて、馴染みの仲だからだ。今夜の演技が、いい思い出になればと思う。
そして、特等席には、お屋敷のみなさんもいらっしゃる。負傷を理由に、閣下をこちらへ引き止めることに成功したそうで、ご夫妻揃って観覧されているはずだ。それに、マリーさんとレティシアさんも。俺とアイリスさんがペアってのはきっと知ってるだろうから、後で茶化されるかな。
眼下の街の様子を見ていると、急に冷たい風が吹き付けてきた。こんなクソ寒い中、町の方々は俺たちの演技を心待ちにしている。街に灯る無数の暖かな光を見ていると、緊張に取って代わって、ヤル気が溢れ出してくる。みんなもきっと同じような気持ちだろう。距離が離れていても、それを信じられる。
そんな、内から温まる強い気持ちを覚えてから少しして、陸から演技開始の合図が出た。
☆
今回の
しかし、単に花を描き続けるだけでは芸がない。そこでリッツたちは一計を案じた。演技が始まってすぐ、柔らかな色彩の筆が空を踊り、真っ暗なキャンバスを少しずつ花が埋めていく。
そして……そこかしこに花壇がある花の都の住人たちは、空に描かれているその花々が、いずれ訪れる春を先取りしたものであることに気がついた。少しずつ、ささやかではあるものの、それでも確かに花開いていく。そんな空の花々に、王都の民は暖かな視線を向け、喝采を送った。
やがて真っ黒なキャンバスをパステルカラーの花が埋めると、程なくして花弁が散るように光が消えていく。それに遅れ、緑色の茎と葉も光を失った。風にさらわれるかのようなあっけない幕切れに、王都のそこかしこから嘆息が漏れ出る。
当然、これで終わりではない。柔らかな色彩はよりビビッドな色合いへと変わり、空を塗りつけるホウキの動きも、躍動感のあるものになっていく。空に訪れたのは、夏だ。少し控えめで可愛らしい春の花とは打って変わって、少し雑で大味な感じもある、元気で愛らしい花が空を埋めていく。
「はぁ、なるほど」と、年中花に親しんでいる王都の民は、感心して膝を打った。色合いの変化ばかりでなく、筆のタッチでも季節感を演出しようというのだろう。そうして描かれていく力強い夏の花は、王都の民の審美眼を、十分に満足させる出来栄えだった。
しかし、夏もやがて終わりが来る。奔放に咲き誇った花々も、見えない風にさらわれるかのようにして姿を消した。その代わりに躍り出るのは秋の花々だ。少し落ち着いた色合いで、春の花にも似た可憐な花が、空を彩っていく。
すると、空にはちょっとしたサプライズがあった。花ばかりでなく、風に舞う木の葉が現れたのだ。物寂しくはあるものの、それでいて目を楽しませてくれる風物詩でもある。黄色、橙、そして赤い木の葉に、王都の民は感嘆の声を上げた。
秋の花々と木の葉が空を埋め……やがて、それらが少しずつ消えていく。空の一年も一巡し、今に近づいていく。空のお祭り騒ぎも終りが近い。誰ともなく、物寂しい最後を悟り、王都の町並みは少しずつ静かになっていく。
そして、真っ暗になった空に最後に描かれたのは……種と、そこから芽吹く若葉であった。
☆
締めくくりの絵が終わると、王都中から大喝采が聞こえた。正直、今寝ている人には申し訳ないと思う。まぁ、どうか許してもらえれば……って感じだ。
それにしても、しんどい。やり遂げた達成感に張り合うように、強烈な疲労感が俺を襲う。さすがに、アイリスさんのペアをやりきるのは、相当の重労働だ。
しかし、それでもどうにか、俺はやり遂げた。陸からの監視・号令係の様子を見る限り、俺がトチった様子はない。
練習から今に至るまで、アイリスさんはあまり遠慮してこなかった。空中戦ならどっこいどっこいだと思うけど、ホウキに与えられるパワーの面では大きな隔たりがある。しかし、彼女は俺の方に合わせようとはしなかった。
それが、嬉しかった。
陸へゆるゆると戻っていく最中、彼女がすぐ近くまで寄ってきた。「やりましたね」と満面の笑みで話しかけてくる。それだけで、少し疲労が飛びそうに――って感じでもないな。やっぱりしんどい。
「正直、今すぐにでも寝たい気分ですが……まぁ、打ち上げ優先ですね」
「無理しなくてもいいんですよ?」
「みんなが騒いでる中、一人で寝るかもしれません」
すると、彼女はほんの少しだけホウキを幅寄せし、「お疲れ様」と言ってきた。ああ……なんか、格別の響きがある。
しかしまぁ、なんだ……同じようなことをやってたはずなのに、大して疲れを見せない彼女を見ていると、打ち上げで一人寝るのもどうなんだという気がしてくる。
今夜は頑張って、明日はぐったりしよう。そうしよう。
陸に降りた瞬間、膝が笑うような感覚に襲われた。ガクンとなると、さすがに恥ずかしい。それに気を遣わせるのも嫌だから、体に言うことを聞かせ、俺は踏ん張った。
みんなも陸に降り立ち、全員が一箇所に集まってくる。陸上班からの合図では、誰も空から落ちなかったはずだけど、やっぱり心配になって目で探してしまう。すると……。
「リッツ発見~!」
「落ちなかったね、エラいぞ~」
「あのなぁ……」
悪友たちが茶化してくる。まぁ、俺が割と背伸びしているのは事実だったし、それを気取られていたんだろう。あまり心配は、してなかった感じだけど。
その後、念のために点呼を取ることになった。まぁ、大丈夫なのはみんなを見ればわかりきったことだけど……しきたりというか、儀式みたいなもんだ。咳払いをして、俺は一人目を呼んだ。
「……王太子殿下」
「はいっ!」
「……これはこれでやり辛いッスね」
大変元気の良いお返事は、きっとツッコミ待ちだったのではないかと思う。そこで砕けた言葉を返すと、そこかしこから含み笑いが漏れ聞こえた。こういう空気に慣れていない魔法庁の職員さんたちは、だいぶ固まっているけど……。
「いや、私も呼ばれる側に回ってみたかったものだから、つい」
「まぁ、楽しそうで何よりです……次、アイリス嬢」
「はいっ!」
殿下のお返事とあまり変わらない、元気いっぱいの声が帰ってきて、また笑い声が漏れた。楽しそうで何よりだ。みんなも、殿下も、もちろん彼女も。
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