第495話 「敬意はお互いに」

 俺に会いたいという方がいるということで、殿下からのご提案に従い、俺は首都の政庁官舎で待った。

 夕刻ともなると、さすがに外の人通りは少なくなってくる――というか、これでも平気で出歩いている人がそこそこいるのが信じられない。雪除けのアーケードが張られた大通りは、豊かな橙色のマナの光をたたえていて、見た目だけは本当に暖かそうなんだけど……。

 それでも、外の光景は寒々しい白色が目立つ。そうして外を眺めながらぼんやり待っていると、声を掛けられた。


「リッツ、お待たせしたね」

「いえ、単に暇でしたもので」


 殿下の声に振り向いて言葉を返す。すると、殿下は他に三人伴われていた。一人はラックス。なんというか、彼女はもう殿下の友人兼秘書官兼参謀みたいなポジションにある。

 他のお二方はいずれも男性で、俺よりも年上だ。30はいっていないぐらいだと思う。一方は、堂々としていて精悍な面構えのお方、もう一方は柔和たけど自信なさげな感じの方だ。

 ただ、お召し物の仕立て具合や、それの着こなし、全体に漂う気品から察するに、ご両名とも貴族の方なのだろう。殿下からのご紹介で顔を合わせるという事実からも、そのように考えられる。

 実際、その通りだった。俺の方から名乗って手を差し出すと、まずは堂々とした感じのお方が応じてくださった。


「アシュフォード侯ケヴィンだ。名前で呼んでいただいても構わない」

「いえ、それは……恐れ多いです」


 冗談のつもりであらせられたのかもしれないけど、一方で本気のようにも聞こえた。若干残念そうにしていらっしゃるあたり、応じていた方が良かったのだろうか……。

 侯爵の後、続いて控えめそうなお方と握手を交わした。


「僕はハーマン侯爵家の、スペンサー。お会いできて光栄だよ」

「いえ、そんな……過分なお言葉に存じます」


 さすがに、「私もお会いできて光栄です」とは返せなかった。お二方とお会いするのは初めてだけど、名前だけは知っていた。記憶が確かなら、このお二方は……。


 待ち合わせが済み、廊下でたむろしては迷惑だからと、俺たちはさっそく移動することに。先頭を行かれるのは侯爵閣下だ。

 閣下のエスコートで官舎の通路を歩いていき、結構進んだ先に、お客様向けの離れがあった。わざわざ寒空の下を歩かないでも済むよう、政治中枢から直結の通路で行けるように配慮しているらしい。大変卑近な例えで失礼なんだけど、こたつむり状態みたいに感じる。

 それはさておき、ここからはいわゆる迎賓館って奴だ。俺が殿下の添え物じゃないのは、もうなんとなくわかる。しかし、そういう自覚はあっても、さすがに緊張はするものだ。官舎とは打って変わって、白色が目立つ煌びやかな内装は、まさに社交界の舞台という感じがある。

 そんな中、近衛部隊の制服は、俺に気後れしない勇気を与えてくれた。胸の鼓動も、少しずつ落ち着きを取り戻していく。気が付けば結構図太くなった自分を、内心ありがたく思いながら、俺は別世界へと足を踏み入れた。


 侯爵閣下に案内されて着いたのは、レストラン……とでも言えばいいんだろうか? 完全に個室で区切られた、高級な会食の場だ。慣れない異空間に立ち入った気がして、不意に視線が泳いでしまう。一方で横にいるラックスは落ち着き払っていて、なんとも頼もしい。

 やや暗めでしっとりした空気の中、こちらの給仕の方々は、周囲に見劣りしない気品を持ちつつも、まったく自己主張せずにこの空間に溶け込んでいる。機能に徹しているとでも言うか。俺たち一行の身分とか当然理解しているだろうに、さして緊張する様子も見せず、給仕の方は恭しく案内してくださった。ホスピタリティってこういうものなのかと思う。


 最初に通された個室のテーブルは、長方形だった。すると、殿下が給仕の方に穏やかな口調で問われた。


「申し訳ないけど、円型のテーブル席はないかな?」

「よろしいのですか?」


 給仕の方に代わって仰ったのはアシュフォード侯だ。席次がない円卓だと、上下関係が曖昧になる。そのことについて遠慮なされているようだ。すると殿下は、少しイタズラっぽい口調で仰った。


「せめて旅先では、そういうものに煩わされずに在りたいと思ってね」


 もちろん、こちらへはご公務としていらっしゃっている。旅先という表現は、場を和ませようという冗談なのかと思う。

 結局、侯爵閣下は苦笑いして殿下のお言葉を受け入れ、スペンサー卿はかなり硬くなりつつも、侯爵閣下のご決断に倣われた。一行の決定を受け、給仕の方が改めて別の部屋へ案内してくださることに。

 そうして円卓の個室を案内していただくと、殿下は「ありがとう」と笑顔で仰った。そのお言葉に対し、これまで冷静な感じのあった給仕の方は、一瞬だけ顔に温かな変化を見せ、深く頭を下げた。

 その後、注文の代わりに苦手な食材はないかを問われた。ここに来てから日が浅いだけに、大丈夫と断言しづらい部分はある。知らない食材が出るかもしれないからだ。

 ただ、知らない食材に言及するのも無理がある話だ。皆様方をお待たせするわけにもいかず、問われてそう間を置かずに、俺は特に無い旨を伝えた。


 この質問が注文代わりだったのだろう。席についた俺たちに改めて深く頭を下げた後、給仕の方は立ち去っていった。それを見送ってから、殿下が口を開かれた。


「こちらの二人が、君に話があるのだと」

「はい。会議後に仰せられた件ですね」


 すると、殿下のジェスチャーで水を向けられ、侯爵閣下がやや苦く微笑まれた。


「実を言うと、私とこちらのスペンサー卿は、アイリス嬢の奪還に携わっていた。しかし、結局は二人がかりでも叶わなかったのだが……独力で成し遂げた貴殿に、一度会ってみたいと考えていたわけだ」


 俺以前の挑戦者について、実はあの当時から聞かされていた。戦闘の流れから結末に至るまで、誰が関わってどうなったのかまで。こちらの侯爵閣下は、あのとき失敗されたとはいえ、あと一歩まで詰め寄られたという。それも、彼女の体に、大した負傷を与えることもなく。

 侯爵閣下、そしてスペンサー卿と目が合うと、お二方はともに苦笑いなされた。侯爵閣下はわずかに自嘲の感がある表情、スペンサー卿は恥じ入られているように感じる。

 俺は、対応に困った。俺に先立ち、この国を代表して立ち向かわれたお二方を、うまくいかなかったからと侮ろうって気は毛頭ない。しかし……あんまり謙虚にしすぎるのも、こちらのお二方には、かえって重荷に思われるのではないかと思う。

 そうしてアレコレ考えた末、俺は口を開いた。


「お二方ともに、アイリス嬢の事を真摯に案じられて、戦いに向かわれたのだと理解しております。そのことは嬉しく思いますし……当時の私にとっても、遠く異郷の地に志を同じくする方がいらっしゃるという事実は、大きな励ましでした」


 実際、そういう感情はあった。口にすると、より鮮明に思い出せた。自身が傷つくのもいとわず、それでいて彼女の体を傷つけないように心を配る方々がいらっしゃる、そう知ったときの熱い戦意を。

 俺の言葉は、出任せのお世辞ではないと思っていただけたようだ。侯爵閣下は少し満足そうに目を閉じられ、「そうか」と静かに仰った。スペンサー卿は、俺に右手を差し出してこられた。その握手に応じる俺に、侯爵閣下が問いかけてこられる。


「……つまり、君は私たちの戦いぶりを知っていると?」

「はい」

「そうか……それは恥ずかしいな。君に比べれば、なんとも泥臭い醜態を晒したからな」


 そう仰って、侯爵閣下はどこか楽しそうに笑われた。

 まぁ、実戦の様子だけ比べれば、魔法一発で済ませた俺の方がスマートに見えるだろう。使った魔法だって、ベースは心徹の矢ハートブレイカーだから、目立った外傷は無いわけだし。

 しかし……解決策に至るまでの過程は、俺の方がよほど泥臭いのではないかと思う。無法地帯まで足を運んで人体実験したり、盗録レジスティール使用下でも戦えるよう竜退治で自分を鍛えたり……。

 そういった事情を明かすわけにもいかず、俺はただ苦笑いを返すことしかできなかった。


 それから少しして、俺たちの部屋に料理が運ばれてきた。なんというか、テリーヌって奴だろうか? パテと煮こごりを押し固めたみたいな前菜と、薄切りになった楕円のパンが運ばれてきた。やっぱりコース料理なんだろう。

 他国に来たばかりで、しかもこういう場に慣れていないため、マナーとかは自信がない。とりあえず様子をうかがっていると、殿下はテリーヌをナイフで薄く切り、パンの上に乗せられた。向かいのお二方もそのようにされている。

 そして、動いていないのは俺とラックスだけだった。彼女と目が合い、苦笑いとともに含み笑いが漏れる。すると、殿下が向かいのお二方に問われた。


「アイリス嬢の来訪に関し、そちら共和国の貴族社会は、どういった感触を得ただろうか?」


 割とぶっ込んだ問いのように聞こえる。スペンサー卿はやや戸惑われ、侯爵閣下は落ち着き払ってお答えになられた。


「概ね好感触を受けたように思われます。一方、新鮮に感じられる部分も、少なからず有ったかと」

「それは、異郷の人間だからかな?」

「より正確に表現するのであれば、我々共和国の貴族こそが、やや特殊なのかもしれません。上に戴く王族がいないためでしょうか、平民に対する威が、他国の貴族に比して少し強いようで」

「なるほど……そこへアイリス嬢が来るとなると」

「他国の貴族は、こうも違うのかと……本人の気質というのもあるのでしょうが」


 実際は、フラウゼにおいてもアイリスさんは少し特殊なんじゃないかと思う。きっと……あの閣下と奥様の愛娘だからだろう。そして、フラウゼ側にも俺たち平民に接点を持たない貴族の方は大勢いらっしゃって、俺たちが知らない世界で貴族社会を築いておられるのだろう。

 侯爵閣下のご返答は、殿下にとっても腑に落ちるもののようだった。しかし、殿下はさらにぶっ込んだ問いを放たれた。


「彼女に対し、我が伴侶にという声は無かったのかな?」


 そのお言葉に、スペンサー卿がむせられた。そのことに驚かれた殿下が、かなり素になって「ご、ごめん」と仰る。卿の背をラックスがさすり、そんな様子を眺めながら、侯爵閣下は苦笑いして仰った。


「思う所あるなら、君から言うか?」

「いや……君に任せるよ」

「仕方ないな」


 普段もいい友人同士であらせられるんだろう。気のおけない仲の言葉を交わされた後、侯爵閣下は殿下に向き直って仰った。


「もともと、そういった意図があっての招待でしたので……そういう視線で見るものも、少なからずいたものと思います。実際、貴族同士互いに牽制しつつも、彼女について口にし、耳にする機会は多くありました」

「なるほど……今は違うのかな?」

「はい。依然として魅力的な女性だという認識はあるようですが……かなり萎縮したようですね。もとより、騒いでいた者の多くが軽薄だったというのも一因でしょうが……例の事態を解決したのが、他国からやってきた平民だという噂を耳にするや、名乗りを挙げようという声はすっかり息を潜めた様子です」

「なるほどね」


 喜んでいいんだろうか? 俺にとっては……競合が減っていい話なんだけど。まぁ、一人で喜んでおくか。

 少しだけ殿下と目が合うと、殿下は俺に向かって不自然ではない程度に微笑まれた。お気遣いくださっているんだろう。


 その後、メインディッシュの肉や魚、それにサラダなどが運ばれてきた。さすがに文句ないおいしさだけど、でかい皿の中心に料理がちんまり乗っているようで、なんだかもったいなく感じてしまう。たぶん、この店に俺は不釣り合いな客なんだろう。


 それからの話題は、かなり他愛のないものだった。お二方からはフラウゼでの暮らしについて問われ、それに俺とラックスがお答えすると、「もしかすると、そちらへ厄介になるかもしれない」と返された。

 そこで思い出したのは、“次”への動きがすでに始まっているという話だ。この二カ国――だけじゃなかったな、他の国も巻き込み、反撃の機をうかがう流れがある。そうなると、転移門を介しての行き来も盛んになるんだろうか?



 会食の後、お二方とは握手をして別れた。しかし、帰り際に俺は、殿下に呼び止められた。


「少し、いいかな?」

「何でしょうか」

「いや、私に相談してくれたあの件だけど」


 まさか、やっぱり無理――って感じではなさそうだ。それにしても、少しためらい気味にされているのが、気にかかるところではあるけど……。

 やがて、殿下は俺に小声で仰った。


「次の相談相手、決まってなければ、私はウィンを勧めるよ。きっと君の――いや、私たちの仲間になると思う」

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