第494話 「人生相談」

 魔法についての話が済むと、それぞれの手が動き始めた。この話のために一席設けられたのだろうか?

 それから、モクモクと料理を口に運びつつ、俺は考えた。アイリスさんとのことを、話すべきかどうか。今忙しいのはわかる。

 しかし……忙しくない日なんてのが来るのかどうか、それは怪しいところだ。事態の収束に向けた動きばかりじゃなく、何か別件が動いているんじゃないかという予感もある。なんなら、さっきの会議だって、何らかの「次」を見越した上での話だったように思われる。

 だったら……今言うべきなんじゃないか。俺は覚悟を決め、口を開いた。


「殿下、折り入って相談が」

「何かな? やっぱり、勲章が欲しいとか?」

「いえ、そういうことではなく……」


 答えてから、これはこれで失礼な物言いのようにも感じたけど……まぁ、いいか。


「その相談事というのが、殿下のお立場からすれば面倒なものに思われますので、現状で打ち明けることに、はばかられるものもあります。この先、状況が落ち着いて余裕が出た頃に、日を改めてとも思いますが……」


 殿下の様子を探るように話していくと、殿下は「フッ」と微笑まれた。


「君がタイミングを見計らってると、いつのことになるかもわからないだろうね。もっと遠慮しなくていいんだ、君は」

「……では」


 ひょっとすると、さっきの会議よりも強い緊張を覚えながら、俺はアイリスさんとのことを打ち明けた。彼女との仲を公式に認められるように動くつもりであること、しかし、そのための具体的な行動については、まだ見当もついていないことを。

 俺が話している間、殿下もラックスも神妙な顔つきだった。真摯に受け止めてもらえている。それだけで、少し嬉しく思った。

 その後、話し終えてから少しの間、卓が静かになった。息を呑んで待つ俺に、ラックスは温かな笑みを向けてから、殿下に真剣な表情で向き直る。


「殿下」

「何かな?」

「私は……個人的には、この二人の味方でありたいと思います。そのために協力できれば、とも」


 思えば、彼女は俺たちの仲について、かなり理解を示してくれていたというか……イイ感じになるよう、陰ながら背を押してくれていた気がする。

 ただ、これまではアイリスさんの言っていた「幸せな夢」を、彼女に見せるための手助けだったのかもしれない。その夢を超えてなお、今も手を差し伸べてくれるラックスに、俺は深い感謝を覚えた。

 一方、殿下はラックスに対して苦笑いした。


「私だって、協力したいと思うよ。ただ、そうは簡単に事が運ばないのは、君だって重々承知しているだろう?」

「はい」

「だから、まずは一つ一つ話を進めていこう」


……つまり、殿下も……ってことだろうか? 思わず頭を下げる俺に、殿下は「気が早いよ」と困ったように笑われた。


「最初に言っておくけど、君たちの仲を後押ししようという者は、たぶん君の想像以上にいる。おそらく、君たち両方に親しい者や、君の軍功を知るものであれば、君が彼女に相応しい男だと認めるのは、やぶさかではないだろう」

「……問題は、そうではない方々ですね?」

「そういうことだね。君たちを知らない者であれば、君たちの仲を認めることで、貴族社会という構造が損なわれることを憂慮するだろう。一度例外を認めれば、徐々に紫のマナは薄まって平民へ近づいていく。そして、そういうことに強い懸念を抱く者が、この人間社会の大多数を占めているんだ」


 それは俺も理解している話だ。魔人相手に真正面からやりあえる貴族の存在が、民衆の心のよりどころになっている。連綿と続く確かな家系と、施された教育が、政治において確固たる柱石となっている。

 自分で言うのもなんだけど、そういった貴族の血のプールに俺の血を混ぜるのは、ワインを水道水で薄めるようなもんだろう。俺たちに無関係な方々が容認するとは思えない。

 しかし……殿下は、「目はあるよ」と仰った。


「もとはというと、アイリスがこちらへ遣わされたのだって、国家を超えた婚姻政策の模索のためだった。貴族社会を存続させるためにね。少なくとも、今の状態を続けられるものではないというのは、いずれの国も認めているところだ。問題は、その解決に至るまでのアプローチの違いにあると思う」

「アプローチの違いですか?」

「端的に言えば、国家間で貴族の家系を結び付ける形で、この社会構造を存続させようという一派と、貴族に頼らないで済む社会を築こうという一派がある。君も、そういうのは知っているんじゃないかな?」

「はい」


 後者の、貴族に頼らなくても……というのは、まさに″閣下″が目指されている社会だ。そちらが実現しさえすればと思う。

 ただ、殿下の口ぶりからすると、そういう俺たちの仲を認めていただけそうな一派は少数派なのだろう。殿下はやや重い口調で仰った。


「君たちの仲を認めるかどうかというのは、それだけの問題に留まらないと思う。貴族社会の存続を望む集団と、そこから脱却しようという集団の間における、政治闘争の火種になりえるだろう。それで君たちは、そうなってでも……というわけじゃないよね?」

「はい」


 俺たちの仲のために、世の中をぶっ壊すわけにはいかない。反対派をも納得させることができれば……というのが、俺たちの考えだ。

 すると、殿下は難しそうな表情になられた。


「正直に言うと、今は君たちの件に対して行動できない状況にある。というのも、各国で足並みを揃え、魔人の国へ侵攻しようという流れがあってね」

「……私が聞いてしまっても構わない話ですか?」

「君だから言うよ。先の戦いで、実は敵側の指導者の一人を、共和国軍が捕虜にしていてね。君の手で策謀が打ち砕かれた今、反攻を仕掛けるには好機と考えられている。そこで、次の黒い月の夜の出方をうかがった上で、大規模な連合軍を組織し、攻勢をかけようという話が進んでいるんだ」


 色々と初耳の話だ。これまでにないスケール感の話を聞かされ、理解が追い付くのに少し手間取る。つまり、今の人間社会にとっての分水嶺になりえる戦いが、そう遠くないうちにあるってことだ。

 そして、殿下は長い溜息の後、申し訳なさそうな感じで口を開かれた。


「その戦いにおいて、たぶん私はフラウゼ側から参戦することになるだろう。王都は父に任せるとしても、王族の一人も寄こさないのでは申し訳が立たないからね。その時には、君にも帯同願うことになると思う」

「それはもちろんですが……」

「いいように使う形になって申し訳ないね。ただ、その決戦で、本当に貴族がいらない社会になれば……あるいは、そういう社会の実現に近づけることができれば、と思う。平民が大きく活躍できるよう、事前に備えておくことで、大勢の意識を変えられるかもしれないしね。ただ……」


 そこで言葉を切られた殿下は、真剣な眼差しで俺をまっすぐ見据えられた。


「少なくとも、その一戦を迎えるまでの間、各国で一丸となって事を進める必要がある。君たちのために動くことはできない。できることといえば、君が活躍できそうな場をあつらえて、彼女に相応しい男だという説得力を重ねてもらうぐらいしかない」

「いえ、それで大丈夫です。望むところです」

「本当に……済まないね。いつもいいように使ってばかりで」


 そう仰って、殿下は珍しく弱気なお顔で頭を下げられた。こうまでされると、逆に悪い気がしてくる。殿下のお立場を考えれば、俺たち二人にばかり構ってられなくて当然だろうに。

「お気持ちだけでも嬉しいですよ」と、少し砕けた感じで話しかけると、殿下はいくらか安心したように表情を崩された。


「代わりと言っては何だけど、アイリスに何かしらの縁談が持ち上がりかけたら、宰相と協力して握り潰すよ」

「あ、ありがとうございます……」

「せめて、それくらいはね」


 とは仰るものの、それはそれで相当な強権を用いられているんじゃないかと思う。それと、さらっと宰相閣下のことを口にされた。気になって尋ねてみたところ……。


「彼も、貴族に依存しない社会を目指す一員でね。外面上は中立派を装っているけど」

「そうでしたか」

「他には、言うまでもないけどフォークリッジ伯、それにエトワルド侯が中核的なメンバーだね。現ロキシア公も、たぶんこちらに転ぶと思う。先代は宰相の説得で仲間入りしたし……」


 全体からすれば、まだまだの勢力なんだろうけど……それでもそうそうたる顔ぶれというか。この場で口にされなかっただけで、それぞれの有力者の下にも賛同者が付いているのかと思う。

 その一派が発足した経緯についてお尋ねすると、発端はもちろんフォークリッジ伯で、閣下がエトワルド侯に働きかけをされたらしい。もともと在野の人材を発掘、登用することで気が合うお二方だったせいか、侯爵閣下はすんなり協力者になられたのだとか。

 こうして話に上がった方々は、俺が功績を上げた時に世話になったり、認めてくださった方々だ。お近づきになれたのは、皆様方が目指されていた目的もあったのかな、と思う。

 で、知らないうちに、その仲間入りみたいなことになっているわけだ。


 話が一段落したところで、また昼食を再開した。しかし、殿下の食の進みが微妙に遅く感じられる。「もしかして、気にされてますか」とお尋ねすると、少し間を開けてから「それは、ね」と返された。


「ただ、そういう身分差がない社会になれば……私としても幸せだよ。好きになった人と結ばれたいしね」


 すると、ラックスが驚きのあまり軽くむせこんだ。「大丈夫?」と彼女の背をさすってやると、顔を赤くした彼女はむせながら「ごめん」と返してきた。まぁ、驚くのも無理はないというか……ラックスを見て逆に冷静になってしまっただけで、俺だって驚かなかったわけじゃない。

……もしかして、すでにそういうお相手とかいらっしゃるんだろうか? 不意にラックスと目が合い、二人無言で殿下に目を向けた。

 すると殿下は真顔で口を開かれた。


「アーチェだよ」


 殿下のお言葉に対し、むせこんだりはしないけど、俺たちは驚いて口を利けなくなった。

 正直……マジかって感じだ。いや、何度かお目通りしたときには、丁寧に接してもらえたし、控えめで奥ゆかしい素敵な方だとは思っていたけど。

 想い人を堂々と告げられた殿下は、色白の肌に一切朱が差さない。照れも恥ずかしがりもしないその様には、妙な羨望と崇拝の念を覚えた。

 いろいろな意味で、俺とはスケールが違う。

 未だにアーチェさんの出自を明らかにできない以上、殿下と彼女が結ばれるには、俺たち以上の障害があると思う。

 しかし、お二人の境遇を思えば……どうか、幸せになってほしいと思う。


 衝撃の告白の後、ようやく口を利けるようになったラックスは、照れ隠し気味に咳払いしてから、気持ち小さな声で言った。


「なんだか、私だけ安易な生き方をしている気がしてきました」

「比べる相手が悪いって」

「そうだね」


 三人で少し笑ってから、俺たちはややぬるくなってきた料理に手を付けた。

 それから少しして、何か思い出したように、ラックスが問いかけてきた。


「今の話、他には誰に?」

「とりあえず、お屋敷の方々に」


 答えながら俺は、あの日のことを思い出した。

 二人で相談した後、俺の口から打ち明けて……閣下には大いに喜ばれた。奥様とマリーさんには、泣くほど喜んでもらえた。レティシアさんは、一人だけ微妙に浮く形になって少し戸惑っていたけど……それでも快く応援してくれた。

 それから、彼女だけ置いてきぼりにしたみたいな空気に気づいて、みんなで気まずそうに笑ったりして……。


 もう、俺たちだけの問題じゃないんだ。

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