第490話 「身の処し方①」
「軽蔑?」
思わぬ問いに、俺はそのまま問い返してしまった。すると、閣下の静かな声が響き渡る。
「今回の件で、特に役には立たなかったからさ。仕事しろよとか、思ったんじゃないかってね」
「それは、特には……彼女を操ることが天文院への"釣り″だとしたら、それこそ最悪ですし」
「ま、そういう事情はあったさ。でも、そもそも僕らは、今回の事態をそこまで重要視はしていなかったんだ。貴族社会への痛打になりえる事象だと認識はしたけど、それが人間社会全般への一撃になるかと言うと、大きく揺らぎはしても持ちこたえるだろうとね。だから、僕らの存在が露見するリスクを踏まえると、情報提供が関の山かと思った。そうは言っても、大した情報はなかったけどね」
閣下はこちらの事情について、包み隠さず仰った。話が終わって、場がまた静まり返る。閣下を見る限り、今は落ち着き払っていらっしゃるようだ。紫の光球の中は、規則正しい光の運行が見える。
――揺れているのは俺の方だ。事情があるとはいえ、天文院はアイリスさん一人に拘泥する組織ではないと宣言されたようなものだ。それを耳にして、心が揺さぶられる感じは確かにある。
しかし……それぞれに果たすべき役割があって、それに向かい合っていただけなのだろう。それに、組織としてはともかく、閣下一個人として、あの事態に心を痛められなかったというわけじゃないと思う。
だから、こちらの天文院は、俺が思う以上に多方面の厄介事に直面せざるを得なくて……俺はただ、アイリスさんのためだけに動いていた。そういうことだろう。そもそも、ここが不注意で陥落すれば、国家間の連携が危ぶまれるほどの要所だし。
そして……彼女自身、こちらの天文院のことを知っていれば、リスクと引き換えに彼女を助けようという動きに「No」と言うのではないかと思う。あの子はそういう子だから。
だったら……軽蔑なんて、筋違いだ。「お互いの使命を果たそうとしていただけだと、そう思います」と言うと、閣下は少し安心したような声音で「そっか」と仰った。
「しかし、君には色々お世話になってしまったね。代わりと言っちゃなんだけど、何か質問とかないかな?」「質問ですか……ここの外では、私や禁呪の扱いはどうなりますか?」
「各国の魔法庁に布令を出すよ。ただ、これは要相談なんだけど……公的には、天文院が抑えていた精神操作への対抗策を、職員と縁故がある当事者の君に伝えたとするのが、君への面倒は少ないかと思う。魔法を作った手柄を横取りする形になるけど……」
「いえ……あんなのを作ったことは、あまり名誉とも思えませんし……魔法の出所が天文院とすれば、追及も避けられて、こちらとしても好都合です」
「では、そういう方向性で調整しよう。細かいところは、魔法庁長官やその補佐と詰めてほしい」
「はい」
魔法庁から天文院がどう思われているかは定かじゃないけど……疑問の矛先を買って出てくださるというのなら、ここは甘えるべきだと思った。俺よりもずっと尻尾を出しにくいだろうし。
その後、閣下は「他にないかな」と問われた。
「他、ですか……」
「そう頻繁に呼ぶわけでもないからね。この機に聞きたいことがあれば」
聞きたいことは色々あるけど……ここがどこにあるのかなんて、教えてもらえるとは思えない。ダメもとで聞くのも、なんかはばかられる。そこで、俺は何か気になっていることを探した。
……少し重いのが、あるにはある。打ち明けるには、ちょうどいいお方かもしれない。俺は意を決して口を開いた。
「魔人とは、何でしょうか」
「ずいぶんと抽象的な問いだね。魔人の、何を知りたいのかな」
「……魔人を魔人たらしめるものは、なんでしょうか」
すると、閣下は紫の光を静かに漂わせ、黙考を始められた。そして……。
「魔人の本質は、マナと命の垣根を破ることにある。その二つの区別が無くなって一緒くたになり、その上に精神が存在するのが魔人なんだ。連中は、マナを操るのと同様に、自身の生命力も意のままに操る。斬られても再生するのは、心が思い描く自分を、マナで再現しようとしているからなんだ。そして、心が死ねば、体の全てが耐えられなくなる」
つまり……普通の人間にとっては、マナと生命力は同じものじゃない。そう簡単に、相互に行き来したりはしない。その当たり前の形態を、奥様は何らかの形で破れるお方で……ご自分に対し、そのようにしてしまわれたのだろうか。
そして……。
「リッツ」
「は、はい!」
「
「……はい」
「それも、結構長い期間、連続して」
重苦しい雰囲気が漂う。何か、勘付かれたのかもしれない。射すくめられるような威圧感はない。ただ、俺が自分自身について、受け入れがたい感覚を覚えているだけだ。
少しして、俺は閣下の問いかけに「はい」と答えた。すると、閣下は長いため息をつかれた後、困った奴を諭すような優しい声を出された。
「普通、人間はマナを使い切ると、それを補充しようとして体が頑張って……体力がマナに置換されるとでも言えばいいのかな? 体内の諸器官がどう動いているのかわからないけど、ともかくそういう反応を示す。君の場合、体内は四六時中、そんな感じになってたわけだ」
「……はい」
「違和感は?」
「体は疲れているのに、意識は妙に澄明になって……依然としてマナは出せない状態でしたが、体の中で新たなものが湧出する、奔流のようなものを感じていました。疲労感に慣れると、逆に……意のままにならない力の胎動を覚えることも」
「なるほどね~」
俺が内心で抱える不安とは裏腹に、閣下は軽い調子で仰った。早計かもしれないけど、それだけで妙に心が軽くなってしまう。
実際、閣下は俺が求めていた言葉をくださった。
「その程度で、君が人間でいられなくなるってことはないよ。魔法使いとして、より強くマナを使えるようになったって程度だね」
「そうですか、安心しました……」
「た・だ・し!」
たしなめるような強い口調で俺を牽制された後、閣下は穏やかな口調で仰った。
「内在する魔法陣の効果、それを操る感覚を磨き続けることで、君が命とマナを隔てる扉の鍵を見つけてしまう恐れはある……っていうか、君の場合は冗談抜きで結構心配だね」
「き、肝に銘じます……」
「一応、補足説明が必要かな? 君って、天文院で扱ってる禁呪の分類、知ってる?」
「それは……」
魔法庁管轄下にある禁呪は、第三種~第一種で分類されている。それ以外の、存在すら認知されることがはばかられる禁呪は系外禁呪と呼ばれ、こちらの天文院で扱っている。以前そんな話を、ウィルさんにしてもらった。
そして、系外禁呪は七系統に分類されるって話だ。今閣下に問われているのはそれだけど……。
「前にウィルさんに教えていただいて……七つに分類されるというところまでは覚えていますが、その詳細が……」
「ま、ぜひとも覚えてほしいって話じゃないからね、気にしなくていいよ。それで、禁呪七区分のうち、『人体に直接作用するもの』っていうカテゴリーがある」
言われて心臓が止まるかと思った。俺が作った盗録は、まさにそれに抵触しそうだし……今までの話から、その区分が禁呪とされる理由にも思い至ってしまった。
「そういった魔法を使っていると、いずれ魔人になってしまう可能性が?」
「理論上、そういう危険があるからと監視しているんだ。幸いにして、そういう術者が魔人になったという実例はないけどね。後、君の盗録がこの区分にピッタリ入るかは、ちょっと怪しい。働きかけているのは、人体ではなくて、そこに包まれているマナだからね」
「……
「いや、異刻は別区分で、精神操作系に属する禁呪なんだ。こっちは、他人に干渉する魔法へ派生されると最悪だからっていうことで、禁呪指定してる。術者への負荷も応分にある、割とハードな魔法だしね~」
その説明を受け、俺はほっと胸をなでおろした。今まで使いまくってる異刻だけど、そのことで俺がおかしくなってしまうことはないようだ。
ただ、閣下は明るい口調で「ムリし過ぎないようにね~」と仰った。
「はい……」
「別に、禁呪を全く使うなって言ってるわけじゃないんだ。そんなのナンセンスだからね。禁呪に頼らずとも魔人に張り合う
「……大丈夫でしょうか。そのうち魔人になってしまうようなことは……」
「僕の感覚だけど、君の場合は危険な魔人にはならないと思うよ? ただ、他の人と一緒の時間を生きられなくなるだけさ。僕みたいに死に損なうのも、それはそれでって感じだけどね~」
そう仰って閣下は楽しそうに笑われた。柔らかな光がゆらゆらしているあたり、ご自身のありようについて、本当に肯定的に受け止められているらしい。
さりとて、俺自身はそれにどう返したものか……少し戸惑っていると、閣下がだしぬけに問いかけてこられた。
「君、好きな人っている? あ~、今スゴイ若返った気がするな、ホント」
そうして楽しそうにしておられる閣下に、俺は胸を張って「いますよ」と答えた。
「だったらね、迷っちゃだめだ。君は人として生きて人として死ねばいい。それで、好きな人と墓まで一緒になるんだ」
「はい」
「……好きな人って、
「んな!?」
思わず驚いてしまう俺に、閣下は「なんとなく、カマかけただけだったんだけど」と、愉快そうに仰った。
どうも油断していたというか……まさか天文院でこういう話になるとは、思ってもみなかった。いかに外界とは隔絶された環境とはいえ、俺の不注意でバレてしまって、彼女には申し訳なく思った。誰かに例の話を持ち掛けようってときは、事前に相談しようって約束をしていたのに。
幸いだったのは、閣下が単に俺達の仲を応援してくださるってことだ。介入するでもなく、助言するでもなく、閣下はただ温かな激励をくださった。
「頑張ってね~……人間が作った身分差なら、超えるのだって人間のはずさ」
「……はい!」
歴史の暗部を知るお方からの、このお言葉に、俺は体が少し熱くなるのを感じた。
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