第491話 「身の処し方②」

 禁呪の報告から始まり、魔人についての話になり、なぜか恋バナになって……心温まる激励をいただけて俺は何よりだったけど、その後、閣下は少し申し訳なさそうな感じになって、声をかけてこられた。


「念のため、同意を取りたいんだけど……もし仮に、例の精神操作を使われたと疑いがある案件が浮上した場合、応援要請を出しても構わないかな? 実際には、該当国家の魔法庁から僕ら天文院を経由して、最終的にはフラウゼ魔法庁から君へ要請って形になるだろうけど」

「それは……盗録レジスティールの使用を容認していただけて、私の上の方々の同意も取れるのであれば」

「魔法は大丈夫。後は、魔法庁と関連諸機関の政治力次第だね。ただ、こういうのって実働担当が一番のネックになると思うからさ、念のために尋ねてみたんだ」


 請け負うことで面倒に巻き込まれる可能性はあるだろう。しかし、一度作り出してしまった禁呪が人の役に立つのなら……そういう罪滅ぼしみたいな感情はある。

 それに、取り逃がしたあの女が、また暗躍しようというのなら、今度こそは……とも思う。

 ただ、閣下は先ほど「念のため」と仰ったように、そうなる可能性についてはかなり低く見られているようだ。


「一度破られた魔法を使うかどうかは、少し怪しいね。国をまたいでの作戦を展開したことは、魔人側だって知っているはず。この件に、世界各国の視線が集まっていたってこともね。その上で、君の介入を考慮せず、犯行に及ぶような短慮を起こすとは考えにくいかな。秘密裏に動いていたであろう存在なら、なおさらね」

「では……魔人側でも相当な術者だったとは聞きましたが、今後はどのように?」

「どーだろね。あまりなさそうな話ではあるけど、次にその小娘が人の前に姿を現したのなら……たぶん、今まで以上に、どこか壊れているんじゃないかな」



 奪還された砦に対し、ささやかな嫌がらせは続けたものの、現場の指揮統制を失っては、さほどの効果を上げられなかったようだ。仕舞いには、出方を完全に読まれて、いいように撃退されたとも。

 そうして、これ以上の戦果を上げられないと判断し、駐屯していた者共は完全に帰還した。そして、砦と近隣一帯は、完全に共和国側の領土となった。数十年間にわたる戦いの末、国境線が動いたわけだ。この勢いがここで止まるものかどうか。


 私は卓を囲む面々に視線を向けた。軍師殿がいなくなり、代わりのつもりであったろうカナリアも、今はすっかり悄然しょうぜんとして自室にこもっているという。

 魔人は今や四星だ。まぁ、内務担当の三星が生きていれば、どうということもない話ではあるか……しかし、今の人の世の勢いが加速すれば、もしかすると私以外の席までも危うくなるかもしれない。

 そこで、今や使い捨ての星筆頭となった私は、大師殿に今回の戦いについて尋ねた。


「珍しくも裏目に出たように見えるが、そなたは如何に考える?」

「領土をいくらか切り取られた……以上の物だとは、認識しております」


 感情のゆらぎがないいつもの彼だが、状況の悪化は素直に認めた。しかし、「軍師殿を見殺しにすることもなかったのでは?」という私の問いに対して、彼は違う考えを抱いているようだ。


「確かに、想定していたほどの混乱をもたらすことは叶いませんでした。しかし、世の動きが加速する中、彼女のような”手堅すぎる”将帥を上に置くことが、理に沿ったものとは」

「場を整えてやり過ごすという意味はあろう?」

「これはこれは……勇猛果敢で鳴らされた、皇子殿とも思えぬお言葉」

「余に面倒が降るのではないかと、危惧しておるだけだ。そなたらは、軍配を握ろうとはせぬであろうからな」


 私がそれぞれに目を向けると、まず豪商殿は申し訳なさそうに頭を下げた。まぁ、彼はいい。本当に、軍の指揮は不得手だからな。

 続いて、大師殿は「他に適した者に任せます」と答えた。それ自体は謙虚に聞こえないこともないが……軍権を持つ者よりも、彼自身を上に置いているのではないか?

 最後に聖女殿は、私に興味なさそうな目をくれた後、何事もなかったように視線を伏せた。まぁ、期待するだけ無駄か。

 つまり、何かしら軍事的な問題が降って湧いた場合、私が音頭を取ることになる可能性が高いというわけだ。それも、この面々に何か働きかけるような形で。

 悪い冗談だな。


「次の黒い月の夜は、どのような考えだ?これまでは軍師殿が総指揮権を持っていたであろう?」

「皇子殿は?」

「やってやらぬこともないが、全方位の面倒など見れぬ。局所的に戦果が上がって、他は惨憺さんたんたる結果となるであろうな」


 正直に、私が多方面の防戦に不向きであることを伝えた。そもそも、そのようなことは百も承知だろうが。

 すると、彼はわずかに表情を動かし、困ったような苦笑いを作った。


「各方面の将を互いに競わせましょう。それで上に躍り出た者を、次なる星と定めれば」

「それは構わんが……」


 しかし、無理に競わせることで、各戦線に綻びが出るのではないかという憂慮がある。なにしろ、今までは軍師殿の采配により、いずれの人間国家に対しても安定した攻防を繰り広げていたのだ。軍師殿の薫陶を受けた将とはいえ、彼女亡き今、その教えに忠実でいられるだろうか?

 まぁ……後で各将に顔を出してやるか。こんなところで大崩れしてしまっては、軍師殿に笑われてしまうからな。


 それにしても、この集まりが四星だと息が詰まる。大師殿が閉会を宣言した時には、思わずため息が出そうになった。

 ああ……ユリウスと軍師殿が去って、大師殿と聖女が残っているとは。逆ならと思わずにはいられない。


 ようやく会議が終わり、私はさっさと外に出ようとドアに手をかけた。

 すると、外にはカナリアが突っ立っていた。私と目が合うなり、彼女の顔が怯えて歪む。息を呑むような甲高い音を喉から出した彼女は、壁に張り付くように後ずさった。

 相変わらず、見た目だけは美しさを保っているが、一度敗れただけでこうも惨めな様子になるとは……。正直気に入らない小娘ではあるが、さすがに哀れに思って微笑んでやると、彼女は私の笑みを逆に恐ろしく覚えたようだ。声も上げられず、うろたえている。

 まぁ……いいか。放っておけば、今後は私の視界に入らなさそうではある。


 しかし、”こんなところ”で待っていたからには、相応の用があるのだろう。それは容易に察しがついた。問題は、この娘にそれが成しえるかどうかだが……。

 私から少し遅れて大師殿が部屋から出てくると――彼はカナリアを、単に無視した。壁についたシミぐらいの認識に見える。

 さすがの私も、これには同情した。この娘の失墜も、大師の教育力のなさが原因であろうに……いや、私とて、この娘をまともに教育しようなどとは思わないが。無視された哀れな娘の顔には、絶望の色が浮かび上がる。

 しかし彼女は、無言で歩いていく師に追いすがり、しがみついた。


「お願い……お願いします。どうか、どうか捨てないでください。言うこと聞きます、いい子にします。だから、もう捨てないで……」


 かつての生意気さを毛ほども感じさせない、心からの嘆願に対し、彼女を見つめる大師の目はあくまで冷ややかだ。彼は冷徹な無表情で、自身の弟子に抑揚のない声を放つ。


「思い違いだ」

「えっ?」

「お前に必要なのは、捨てられない努力ではない。拾われる努力だ。その内容まで、私に考えさせようというのか?」


 大師が振り払うまでもなく、娘の手から力が抜け落ち、彼女はその場にくずおれた。何事もなかったかのように去っていく大師。聖女の姿はすでになく、後は心配そうに見守っていた豪商殿だけ。

 正直、苦手な娘ではあるが……放っておくと何をしでかすかわからんな。泣いているのを無視するのも、極まりが悪い。

 そして、どうやら豪商殿も、同じ気持ちのようだ。目配せして、どちらが動くか譲り合った結果……。


「カナリア」


 私が声をかけることになった。まぁ、いいか……。静かにさめざめと泣く彼女に声をかけたものの、目立った反応はない。

 どうして私がこんなことをと、内心疑問に思い始めながらも、私は泣きじゃくる娘に声をかけ続けた。そして、廊下の向こうへと消えていく大師の背中を眺めて、私は思った。


 この娘、大師に懸想を抱いているように見えなくもないが……いや、そこまで趣味が悪いはずもないか。

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