第489話 「はじめてのオリジナル禁呪」

 俺は転移門を通って、天文院がある孤島についた。どこにあるかもわからないこの島は、四方が海に囲まれていて、絶え間なく波の音が響く。

 そして、暑い。雪国向けの服装だからだろうけど、中に熱がこもって仕方ない。とりあえず、上のコートやジャケットを脱げるだけ脱いでいく。ヤシらしき木が見えて、さらにこの暑さだ。たぶん、赤道近くの常夏の島なんだろう。

――この島が実在するとしての話、だけど。なんとなく、天文院の建物ばかりでなくこの島も、一種の超常的な空間にある気がしてきた。


 上着を脱ぎ終えた俺は、左腕で服を抱えるようにして天文院の建物へ歩いた。上半身はマシになったものの、下半身はじっとりして不快だ。脚に生地がまとわりつく感覚にうんざりしながら、俺は歩いた。

 幸いというべきか、建物までは本当にすぐだった。飾り気のない建物の前につき、恐る恐るドアを開く。すると、前方一面に真っ暗な空間が広がった。差し込む陽光が一切先へ進めない、漆黒の闇だ。

 あの時はウィルさんが一緒にいたけど、今回は一人だ。さすがに緊張してくる。本能的な恐怖すら呼び起こすようでもある、その真っ暗な空間を前に、俺は一度深く息を吸い込んでから一歩を踏み出した。


 中は、かなり快適だった。暑苦しさはなく、涼しさすらある。そして、闇の中には薄い灰色の道が足元で淡い光を放っていて……まっすぐ進んだところに、さっそく紫の大きな球体が見えた。

 こちらの総帥閣下だろう。見上げるようにたたずむ俺に、声変わり前の少年みたいな声が届いた。


「いやぁ、急ですまないね。何分、割と急ぎの用件なものだから」

「はい、承知しています」


 関係する諸機関全てに、このまま知らせないでいるというわけにはいかないだろう。俺は総帥の元へと歩いていった。球体の間近に控える形になったところで、総帥のお声が。


「ではさっそくだけど、聞かせてもらえるかな。どうやって、精神操作を打破したんだい?」

「はい」


 俺は着想から口にし、実際に組み上げた魔法陣の構造について説明し、そこに至るまでの過程に触れ、実戦での流れについて言及した。俺が話している間、閣下はずっと静かであらせられた。これまで言葉を交わした印象では、砕けていて陽気なところのあるお方のように感じられたけど……それほどの案件なのだろう。

 ひとしきりの説明が済むと、閣下はため息のような声の後に「なるほどね~」と、いたく感心したような声を出された。


「マナを取り出せなくした結果、相手の術者が逃げた……いや、接続が切れたのかな?」

「……おそらく、後者かと」

「へえ?」


 俺の返答に、閣下は興味ありげな声で応じられた。

 下手な憶測を語ることになるかもしれないけど……精神操作への対抗策自体、こちらでも把握していないように思われる。だとしたら、推論を交わすのも重要なことだろう。俺は自分が体験したものと、それについての考えを口にした。


「術者らしき女と対峙した際、それらしい魔法を使われましたが、私の中へと侵食してくる感覚はありませんでした」

「……なるほどね。魔法陣に組み込まれていない、フリーのマナに働きかける系統かな。その時に使われた魔法は、どんな感じだった?」

「それが……特に効果を発揮することもなく、その場に魔法陣として留まり続けただけでした。文も、見慣れない文字を使っていて、何の魔法だったのか確証は持てません。ですが、あの時の状況や相手の反応から、私も精神操作系の魔法を使われたのではないかと……」

「なるほど」


 その後、閣下は静かになされた。ただ、静かってのは、あくまで声を出されなくなったというだけのことだ。紫の球体には光の線や粒子が迷走しているように見え、何やら悩まれているように感じられる。

 やがて、閣下は決心なされたのか、光が落ち着いた後に「君ならいいか」と仰った。


「対象の"本体"に働きかけるタイプの禁呪に、相手に魔法陣を見せてやる系統のものがあるんだ」

「見せることが使用条件なのですか?」

「そうそう。普通、継続型でもなければ、書きかけすら見せないように一気に書ききるだろ? 継続型だって、見られたくない奴なら回転型を合わせるって手法をとるしね。君も、そういうことする人種だろ~?」

「ええ、まぁ……」

「見せるタイプの魔法陣は、そこを逆手に取ってるのさ。何か魔法陣を見せられた時、目を凝らして確認するのが、魔法使いの基本であって習性だからね。で、見ちゃった相手の脳裏に同じイメージを書かせて、被害者の内側で魔法陣を機能させる系統の魔法がある。精神操作も、そういう魔法じゃないかな」


 なるほど。だとしたら、俺に見せるだけで何もしてこなかったというのも腑に落ちる話だ。でも、俺に効かなかった理由は何だろう?

 それについても、閣下にはお考えがあるようだ。


「君の中のマナが食いつぶされていたから、君の中に書かせられなかったんじゃないかな。あるいは、救い出せた状況を考慮すると、無抵抗の相手に対する支配力はあっても、競合には弱いのかもしれない。君の中で無意識に書かせることには成功しても、すぐに追い出されたのかもね」

「なるほど」

「ま……危ない橋を渡ったと思うよ、キミ~。その先で重要な知見を得たのは確かだけどね」


 たしなめるようでいて褒めるようでもあるお言葉に、俺はひきつった笑みを返した。

 その後、閣下は俺に問いかけてこられた。


「君のそれ、厳密には心徹の矢ハートブレイカーの派生ということになるだろうけど……さすがに別物扱いするべきだね。何か名前とか考えてないのかな?」

「名前ですか?」

「無いと扱いに困るだろ~? ウチでアレとかソレと例のとか言い出したら、会話になんないんだよ~」


 まぁ、そういう機関だろうとは思う。例外扱いせず、どんな禁呪でも呼称を与えて管理していらっしゃるんだろう。


 で、俺の魔法をどうするかって話だ。アイリスさんを無事に救い出せたこともあってか、あの魔法に対する嫌悪感は、だいぶ薄れている。術後の回復を見たところ、人体への悪影響も一時的なものなのだろう。


――ヤバそうなのは長期連用した時ぐらいだ。


 そういうわけで、当初考えていたのよりはだいぶマシな魔法だと思う。そういった印象を踏まえて、どのような名前を付けるか。

 マナを食いつぶす魔法と説明はしたものの、実態はだいぶ違う。魔法を解いてやれば、割と早期にマナを使えるようになるからだ。対象の体内にあるマナを、一時的に取り出せなくしているだけで。

 そう考えると……感覚としては、銀行口座やアカウントを無理やりロックするようなもんだろうか。マナを預金と見立てた場合、俺の魔法はあくまで引き落としを強力に妨害しているに過ぎない。俺の金としてコントロールしているわけではなく、資産の所有権は移っていない。

 いや、それでも大概ロクでもない非道だな、コレ……その辺を踏まえて名付けるとなると……。


「……盗録レジスティールってところで……」

「了解。ま、僕と君ぐらいしか使わない名称だろうけどね」


 そのお言葉の後、話が途切れて急に静かになった。天文院の内部ですら、軽々しく広められはしない魔法なんだろう。そもそも、他の職員の方々が知る必要があるかどうかって感じだけど……。

 静かになって少ししてから、閣下が俺に問われた。


「君は、その盗録を、また使いたいと思うかな?」

「いえ……」

「それは、なぜかな?」

「直接命を脅かすような魔法ではありませんが、相手の人権や尊厳を大きく侵害する魔法ですし……魔人相手の使用にも、慎重を期すべきかと」

「それはそうだね。そもそも、相手の色を盗むのが前提だから、何度も使える手口ではなさそうだしね」

「それもありますが……相手の色をまねる手法自体、魔人側に認識されるべきではないと思います。ですから、使う機会は選ぶべきかと」


 すると、閣下は嬉しそうに「なるほどね~」と仰った。


「今まで自分で魔法を考えつつ、魔人とバチバチやりあっただけはあるね。危なっかしいところはあるけど、心構えはできているみたいだ」

「きょ、恐縮です……」

「ん? ああ、危なっかしいっていうのも、別に笑ってるわけじゃないんだ。未知の領域に突っ込めるのって、結局はそういう人材だしね」


 そう仰って、俺のことを認めていただけているみたいだけど……この盗録は、相手のマナに色を合わせるという前提こそ必要なものの、悪用すれば社会一般に脅威となりかねない。

「特に、封印とか、なさらないのですか?」と俺は尋ねた。そういう事ができるのかどうかもわからないけど。

 すると、閣下は静かに悩まれた後、「ま、いっか」と仰った。それから、右手に続く無限の暗闇の中に、大きな紫の光球が一つ現れた。その傍らに、こちらの職員らしき方が座っているのも見える。


「アレね、この星の上で使われる魔法を検出しているんだ」

「そ、そんなことが」

「ま、全部拾ってるとキリがないから、禁呪だけに絞ってるけどね」


 その後、右手の光景が再び闇に戻った。続けて閣下が仰る。


「特定の魔法を封じる儀式ってのもある。ただ、さっきの検出も、封印の儀の方も、魔法文をベースにしててね。君の盗録を監視したり封じたりするとなると、心徹の矢を対象にすることになるんだけど、それもどうかって感じだし」

「そうですか……」

「それに、僕らって即応性に欠ける組織ではあるから。下手に封印してしまうより、君を信じて必要に合わせた対応を取ってもらう方が、望ましいように思う。迷惑だろうけどね」

「そ、そんなことは……」

「ま、僕らの心情としても、君が必死で編み出した魔法を頭ごなしに封じたり取り上げることに、強い抵抗があるわけさ。事なかれ主義とはちょっと違うけど……一介の魔法使いとして、そういう気持ちはあるんだよ」


 その後、閣下は少し沈黙を続けられた後、静かな口調で問われた。


「僕らのこと、軽蔑してないかな?」

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