第488話 「将軍閣下との面会」

 将軍閣下のお宅は――なんという事のない一軒家だった。ここが貴族の邸宅と言われても、にわかには信じがたい。いや、一般庶民基準であれば、普通にしっかりした作りの、住み心地が良さそうな家だけど……。

 男爵位というのがどれほどのものか、未だに把握しかねている部分はある。それでも、平民の家と見まがうこの家は、少し異様なのではないかと感じた。

 一方、アイリスさんは家に対しては慣れっこのようだ。ただ、ここの敷居をまたいで訪問することに、ためらっているように感じられる。なにしろ、救助の後かなりドタバタしたもので、こちらには訪れていない。いなくなってから初の訪問……というかホームステイ先への帰宅だ。そりゃ、迷いもするだろう。


 しかし、寒い外に立ちっぱというのもアレなわけで、結局彼女は意を決してドアに手をかけた。そして、「ただいま~」と微妙に尻ぼみな感じで、彼女は声を出した。少し恐る恐るとした様子で、中をうかがうように進んでいく。

 すると、奥からトタトタと音を立てて、小柄な女性がやって来られた。おそらくは男爵夫人だろう。将軍閣下のご生母でもあらせられる方だ。そのご夫人は、心からの安堵に顔を歪め、アイリスさんの前に立たれた。


「アイリスさん! ご無事で、何より……」

「ご心配おかけいたしまして」


 彼女の肉声を聞くと、耐えられなくなったように、ご夫人はアイリスさんの発言を遮るように抱き着かれた。アイリスさんは少し驚いたようだけど、すごく神妙な顔つきで抱き返している。

 そんな中、俺は外で待ってようかと思ったけど……ドアを開け閉めするのもすごい野暮な気がして、俺は息を潜めて時が経つのをじっと待った。

 やがて、ご夫人はアイリスさんから身を離すと、俺に向かって深く頭を下げられた。


「リッツ・アンダーソン殿ですね。娘からお話は伺っております。そのご尽力で我が国、我が家をお助けいただきましたこと、誠にありがたく存じます」

「恐縮です……」


 いいことをしたとは思っているけど、それでも、この真摯な礼には驚いてしまった。そうしてたじろいでいる俺に、アイリスさんは微笑みかけた後、ご夫人に何やら耳打ちを始めた。時折お二方がチラチラこちらを見てくる。

 それから、ご夫人は少しためらいがちに口を開かれた。


「あの……リッツさんとお呼びした方が?」

「ええ、まぁ……そちらのお嬢様と同じように扱っていただければ」


 ちょっと大それた提案のような気もするけど……前からアイリスさんに聞かせてもらった情報と、今の調子を踏まえると、あのお二人の仲は結構砕けたものだったらしい。だったら、俺もそれに倣う感じの方が……と思う。ご夫人にしてみれば、ちょっと精神的な努力が必要になるかもしれないけど。

 すると、俺の申し出に加勢するように、またアイリスさんが耳打ちを始めた。何を言っているのか、気になるところではあるけど……いい感じに取りなしてくれているようだ。


 そうして結局、ご夫人は少し硬いところはあるものの、最初のご挨拶よりはよほど打ち解けた感じで、接してくださるようになった。

 その後、三人でテーブルを囲んで静かに茶を飲んだ。濃い茶色の液体で、強い香ばしさの中に複雑な甘味や苦みがある。どうも、穀物を炒ったものを煮出しているらしい。麦をコーヒーみたいに淹れた感じなんだろう、たぶん。


 日が沈んでもまったり過ごしていると、将軍閣下がご帰宅された。ご夫人は「おかえり」と何でもないかのように声を掛けられたけど、俺の方を見て「しまった」という顔になられた。

 気になさらなくてもと思うけど……そうもいかないだろう。ご夫人がああいう状態であらせられたということは、将軍閣下もそういうことだと思われる。

 実際、将軍閣下は俺に対して神妙な表情を向けられ、その後深く頭を下げられた。ご母堂と同じことをされているけど……国の要職にあるせいか、閣下からの陳謝の方がずっと重く感じられる。


「リッツ・アンダーソン殿。この度は急なお話にも関わらず、お越しいただき光栄に存じます」

「い、いえ……お気になさらず」

「何もない粗末な家ですが……」

「いや、あったかいですよ」


 ちょっとでも場をほぐそうと、口から適当なことを言うと、将軍閣下はほんの少しだけ表情を緩めてくださった。


 しかしそれでも、真剣な表情に差した影は晴れない。閣下は「お手数ですが」と仰って、俺を応接室へ案内された。

 リビングやダイニングに比べると、応接室はさすがに貴族の住まわれる邸宅相応のものに感じられる。あるいは、ここだけは、そのように整えなければならないのかもしれない。そういう場に招かれたことと、将軍閣下の雰囲気に、俺は緊張した。

 低いテーブルを挟んで相対すると、まず閣下は再び深く頭を下げてこられた。


「アイリス嬢を救い出せぬままでは、この命を以ってしても拭い切れない汚点を、我が国の歴史に残すところでした。当作戦の成功で以ってすすげる恥ではございませんが……ご令嬢を敵の魔の手から救い出していただきましたこと、重ね重ね御礼申し上げます」

「いや、そんな……私が間に合ったのも、閣下が兵を良くまとめて戦線を支えてくださったものと理解しておりますから、過分な陳謝は、その……なんですか、その、身に余ると申しますか」


 実際、フォークリッジ伯爵閣下から教えていただいた話では、こちらの将軍閣下がいらっしゃらなければ、時間稼ぎが成ったかどうか怪しいとのことだ。

 義憤だけでは、軍を支えられない。動かない状況に対し、兵が損耗すれば、決壊は一気にやってくる。そうならないよう、士気を高めつつも手綱を握り続け、効果的な戦術と指揮によって戦線を支え続けなければならない。

 また、派手な戦果を挙げることに比べれば、内から崩れないように支え続けるのは、目立ちはしない。しかし、追い込まれた時には一番重要になる。そして、共和国軍が置かれた状況を踏まえれば、戦線を死守できたのは、生半可な将器ではない。

……といった感じで、伯爵閣下はこちらの将軍閣下をベタ褒めであらせられた。

 同情心もあったのかもしれない。第三軍においてはトップだけど、実際には軍を統制する議会政府が上にあるわけで、壮大な中間管理職みたいなものだ。今回の戦いに際し、政治外交的な思惑から、様々な不確定要素までねじ込まれていたというのもあるし……。


 そういった旨の話をすると、将軍閣下は顔をうつむかせてかすかに震えられた。その後、閣下は目元を指で軽く拭って、「ありがとうごさいます」と仰った。

 今のお顔に、曇った感じはない。きっと、自責の念に苦しめられていらっしゃったのだと思う。俺の言葉で完全に払拭できたとも思えないけど……少なくとも、多少は荷を軽くできたのではないと思う。

 そして、ご自分を低くに、俺を上に置かれていたからこその、先ほどのご様子だったのだろう。それでもなお、将軍閣下は俺をご自身よりも上に置かれているみたいだった。


「国でも有数の勇士、それも侯爵位にある御方ですら成しえなかった偉業を遂げられましたから……立場上としても個人的にも、敬意を抱かずにはいられません」

「それは大変光栄な話ですが……もう少し砕けた感じで接していただけた方が……恐縮ですが、私もアイリス嬢も、お互いに敬意を持ってはいますが、かなり親しくさせていただいておりますし」


 いやしかし、自分で「かなり親しく」って言うのは、色々とキツいな。

 それはともかく、将軍閣下としては思い当たる節があったようだ。アイリスさんが閣下に色々とお話ししていたそうだから、なんとなく俺たちの仲をイメージしていただけているのかもしれない。

 すると、将軍閣下は微妙に困った感じで微笑みながら仰った。


「でしたら……私たちが変に恐縮し合っていると、彼女にはそれが窮屈かもしれませんね」

「そう思われます」


 そういうわけで、最終的に俺は将軍閣下をメリルさんと呼び、メリルさんは俺をリッツさんと呼んで下さる――いや、呼んでくれることになった。呼び方を変えただけで互いへの敬意やなんやかんやは変わらないだろうけど。


 お互いの呼び方が定まったところで、メリルさんは書類を取り出し、テーブルの上にそっと差し出してきた。「リッツさんの予定表です」とのことだ。続いて差し出された書類は、アイリスさんのものらしい。

 二つの書類を見比べて、俺は驚いた。俺の方が何だか忙しい。というか、アイリスさんが割と暇に見える。


「公的には、支障なく軍事作戦を終えられたものとしていますから……アイリスさんについても、何事もなかったとすることで、両国上層部の同意が取れています。水面下では各種調整を行いますが……彼女自身については、普通の首都暮らしに戻ってもらった方が、不要な嫌疑を抱かれずに済むと」

「なるほど……」


 その、水面下での各種調整の節目で、彼女が呼び出しを受けて説明が行われるってことだろう。こちらには殿下がおられることだし、戦勝におけるフラウゼ側の貢献を考えれば、交渉事は有利だとは思うけど。

 気になるのは、俺のスケジュールだ。毎日朝夕までとは言わないけど、平民とは思えないくらいに色々な場所へ顔を出すことになっている。


「リッツさんについては……軍内で広く知れ渡っているわけではありませんが、まずは功労者を知らせるべきかどうかというところで、議論がなされています。将官が目を光らせてはいますが、戦勝の陽気に当てられて妙な噂が流れないとも限りませんので……あの時何が起こったのか、そのシナリオを練る上で、ご協力願う形になるかと思います」

「……そう言えば」

「何でしょうか?」

「あの砦は、もともと共和国の領地にあった、共和国の軍事施設と聞きましたが」

「はい」

「……毀損してしまい、申し訳ございませんでした」


 あの時、誰の許可も得ることなく、つい勢いでやってしまった。そのことについて、さすがに申し訳なくなって頭を下げると……メリルさんに含み笑いを漏らされた。


「老朽化が進んでいた部分が多いですから、お気になさらず。今の所の”説明”では、魔力の火砲マナカノンを撃ち込んだら、連鎖的に破損したということになっています。それに、あの一撃のおかげで敵の撤退ペースが早まったということで、軍内の見解は一致しています。むしろ、お礼を言わなければというところです」

「そ、そうですか……」

「はい」


 俺をまっすぐ見据えて話すメリルさんを見る限り、単なる気遣いとかじゃなくて、軍では本当にそういう認識なんだろう。まぁ、領地を取り返すのが目的なわけだったから、とっとと逃げてもらった方が好都合だったってことだろう。

 それでもまぁ……確認不足でやっちまった事実は否めない。とはいえ、蒸し返すのも逆にメリルさんからすれば面倒くさいかと思って、俺はバツの悪さを胸にしまい込んだ。


 それから、俺は改めてスケジュール表を見返した。最初に目に入ったのは予定の密度だったけど、まずは明日の予定だ。すると、そちらは空欄になっていた。一方、アイリスさんは学校へ通う事になっている。


「一緒に通いますか?」

「えっ?」


 冗談めいた提案に、俺は固まった。さすがにちょっと……という感じではある。20日にも満たない編入なんて、学校側にしてみればいい迷惑だろうし。

 結局俺は、「もう少し若かったら」と返した。その答えに、メリルさんはただ笑っていた。



 翌日。今日は暇な日ということで、朝食の後のんびりしていた。アイリスさんは学校へ、メリルさんは戦況が落ち着いた今、首都で会議詰めの毎日。俺はどうしようかと、窓の外の真っ白な世界を眺めていた。


「お寒いのは苦手でしょうか?」

ぬくい方が好きですね」


 男爵夫人――改め、カレナさんは、俺の前にちょうどいい温度の茶を出してくれた。一息で飲み干すのは若干キツいぐらいの温度だ。小さく頭を下げて感謝しつつ、俺は茶に口をつけた。


 そうしてぬくぬくしていると、ドアがノックされた。カレナさんは少し驚いている。「忘れ物かしら?」と言っているけど……娘さんはああ見えて、普段はそそっかしいんだろうか? などと思った。

 カレナさんがドアを開けてみると、外にいたのはコートを着込んだ若い男性だった。コートの下の服を見る限り、どこかの役所の職員っぽい感じで……フラウゼの魔法庁に近い服装だ。

 実際、かなり腰が低い態度の彼は、カレナさんに身分証を提示しつつ、自身の所属を首都魔法庁の者だと述べた。


「急なご訪問、申し訳ございません。こちらにリッツ・アンダーソン殿がご逗留であると伺い、参りました。いきなりの話ではございますが、首都魔法庁までお越し願えますでしょうか?」


 申し出に対し、カレナさんはやや戸惑い気味に、俺の方へ顔を向けてきた。こちらの家に魔法庁の方が来るのは、あまりないことなんだろう。

 その一方、俺は召し出されるのに心当たりがありすぎた。ただ、予定にない急な話で、少し疑問に思う部分もある。

 そこで、失礼とは思いつつ、俺は職員の方の身分証を見せていただいた。すると、彼は気を悪くした様子も見せず、笑顔で応じてくれた。この身分証が偽造かどうかなんてわからないけど……この態度を見る限り、うさんくさい感じはない――というか、俺の存在が一番うさんくさい気がしてきた。

 身分証を返した俺は「失礼しました」と軽く頭を下げた後、カレナさんと挨拶を交わして外に出た。


 身を切るような寒さの中、俺たちは首都へと歩いた。道中、特に会話はない。まぁ、外で話せるような用件でもないのだろう。職員の方は物腰穏やかな感じではあったけど、無駄話はせず、ただただ静かだ。

 首都の門に到着し、俺たちは身分証を提示した。ここでも特につっかえたりはせず、俺たちは普通に通過できた。つまり、やっぱり正規の身分証なんだろう。アイリスさんがああいう目にあって、さほど日が経ってないせいか、少し疑心暗鬼になっている自分を感じた。


 それから、真っ白な首都を、やはり静かに歩いていって……俺たちは町の中央にある官舎に到着した。

――ここに魔法庁が接続されてたっけ? なんか違った気がするけど……疑問に思う俺をよそに、職員の方は淡々と進んでいく。

 そして、俺たちはやたら細長い通路に差し掛かった。転移門へ続く、例の通路だ。誰もいない通路を歩き、半ばほどまで進んだところで、職員の方は申し訳無さそうな顔になって話しかけてきた。


「実を申し上げますと、私は首都魔法庁に在籍中の、天文院関係者です」

「ああ、なるほど……今から、天文院へというわけですね?」

「はい。私はあくまで案内係ですので、門のところで待つようにと。急な話で恐縮ですが、お一人でお願いいたします」


 あそこに、一人でか……俺が名指しで天文院へ。そう思うと、妙に緊張してきた。

 まぁ、用件はわかりきっている。作ってしまった魔法のことだろう。誰にも言えない魔法だけど、天文院相手には隠し通せない。

――いや、むしろ俺は、説明の機会を望んでいたのかも知れない。こんな重荷を、責任のある誰かに持ってもらいたい――そういう気持ちを、心の奥底に確かに感じた。

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