第8章 決戦
第487話 「雪降る首都へ」
11月13日朝。俺は王都の転移門管理所へ足を向けた。リーヴェルムへ「お越しいただきたい」という感じの、
たぶん、ラックスや殿下からのお気遣いがあってか、俺は割と放っておかれた。例の魔法関係について、関連機関から接触を受けてもいない。そんな束の間の休暇が終わったわけだ。
アイリスさんが捕らわれた件については、民間に知られていないし、俺が砦にぶっ放した魔法のことは軍だって詳細は把握していない。ただ、明るみにすべきは公表しなければ、ということで俺が呼ばれたんだろう。他国からの戦力を招いておいての戦勝だけに、それぞれの戦果の主張が食い違うのでは国際問題になりかねない。そのすり合わせは必要だ。
俺が直接向こうの議会から名指しで呼ばれたという事実には、かなり強い緊張を覚える。しかし、招聘の文章を見た感じでは褒められる側だから……まぁ、大丈夫だろう。
転移門管理所に到着した俺は、中に入って控室へ向かった。そちらには……アイリスさんがいた。変装済みの彼女は、男物の服を着こんであちらでの街歩きに備えている。
彼女が、こちらへと帰国しているのは、あくまで一時的なものだ。共和国軍が本来の戦争目的を達した今、彼女が共和国首都へと帰還しないのでは、いらぬ混乱を招きかねない。
そういうわけで、体調も安定したことだし、彼女は再び共和国入りすることとなった。
依然として例の砦近辺には、周辺の安定を確保しようと共和国軍が展開されている。しかし、彼女は本来の滞在期間一杯まで、首都クリオグラスに滞在するという見通しだ。
彼女があっちへ行ったりこっちへ来たりするのは、専ら政治や外交、あるいは軍事的な思惑があってのことだ。それ自体は負担になることと思うけど……あちらでの生活自体は、大変エンジョイしていたようだ。転移門が動き始め、あちらへつながろうとしている間、彼女は心底楽しみといった感じの笑顔でその時を待っていた。
そして、門がつながり、俺たち二人は向こうへと足を踏み入れた。首都側の部屋は、意外なほど快適で、涼しい。警戒していたほどの寒さがないのは、どうも赤いマナを使う魔道具で暖気していただけたからのようだ。
「ただ、マナ食い虫ですので、快適なのはこの部屋までです」と、管理者さんは困ったように苦笑いしながら頭を下げた。
よく見ると、部屋の端の方にはコート掛けがあって、かなりモコモコしたものがかけてある。たぶん、来客の予定がない場合は、そういう暖房的な魔道具の使用許可が下りないのかもしれない。
大変な仕事だな~と思いつつ、軽い挨拶を交わして、俺たちは部屋の外に出た。
外の通路はクッソ寒かった。底冷えするような過酷な通路だけど、そちらには初めて見る女の子が控えていた。なんとなく、その正体に察しがつかないこともない。
すると、彼女は「アイリス様~」と泣いて喜びながら、アイリスさんに抱き着いた。
「エメリアさん!ごめんなさい、本当に、心配かけてしまって……」
「いえ、どうぞご無事で……再びお会いできただけで、もう、感無量ですっ」
なんか、俺が邪魔なんじゃないかという気がしてきた。すぐそこの部屋の方が、まだ温かだし……ちょっとお暇しようかとそちらのドアに視線を向けた。すると、俺の耳にエメリアさんの声が飛んで来る。
「リッツ・アンダーソン様ですね! お噂はかねがね伺っております!」
「そ、そっすか……」
涙ながらの再会を果たした後だというのに、彼女はハキハキとした声で俺に呼びかけ、俺の両手をギュッと握ってきた。その勢いに、少したじろいでしまう。
しかし……彼女の振る舞いから、アイリスさんのことを本気で案じていたのが伝わってきた。こっちでも、そういう友だちがちゃんといたんだと思うと、胸が温かくなる。
いや、それでも寒いな、ココ……。
若干身を縮める俺とアイリスさんを目にして、エメリアさんはやや恥ずかしそうに「ご案内します」と言った。この転移門は地下の施設らしく、上まで上がって地上の通路にまで到着すると、そちらはだいぶ暖かだった。官舎に直結ということで、十分に暖気が回っているのだろう。
一方、通路の窓からのぞく外の様子は、一面真っ白な銀世界で寒々しいばかりだ。ただ、それを見てワクワクする、ガキくさい自分も同時に感じた。アイリスさんも、どことなく楽しそうに見える。
エメリアさんについて外に出ると、やはりというべきか、強烈な寒気が襲い掛かってきた。彼女は平然としているあたり、育ちの差って奴だろうか。
再び首都入りしたアイリスさんだけど、病み上がりという配慮から、今日は単なる移動日で済ませる予定となっている。彼女とはわからないようにしている変装も、要はそういうことだろう。今日は別人としてまったり観光でも……ということだ。
やはりというべきか、彼女はそのつもりらしい。思えば、初雪以降、彼女が首都に入るのは初めてだ。前に見たのとはまた違う街並みに、興味を惹かれないわけがない。俺だって、こちらの街には興味がある。
そして、おあつらえ向けに案内係がいるのも、要はそういう事だろう。エメリアさんは朗らかな笑みを向けて、俺たちに言った。
「大変寒いとは思いますが、どうしましょう? よろしければ、初冬の首都をご案内いたしますが」
その申し出に俺とアイリスさんは一緒にうなずいた。示し合わせたわけでもないのに、息が合っていることに気づいて、少し顔が熱くなった。
こちらの街並みで、まず目についたのは、アーケードらしきものだ。主要な大通りの上には、アーチ状の構造物が結構細かな感覚で張り巡らされている。光沢があって白く細い骨組みのようなそれは、時折柔らかな朱色の光を放っている。
そのアーチの上には、どうやら透明な被膜が張られているようだ。その膜の上が濡れて見えるあたり、おそらくは骨組みにマナを通して熱を発生させ、雪を溶かして水に変え、どこかへ流しているのだろう。
エメリアさんの解説では、実際そんな感じになっているとのことだ。
「初雪を観測してからすぐに、それぞれの街区どうしで協力して、このアーケード網を準備しています。全ての通りに完備するとなると、コストがかかり過ぎるので、あくまで主要な通りだけですが」
そんな説明を受けてから少しして、ドサッと雪が落ちる音がした。そちらへ目を向けると、屋根の屋上に立つ青年が、屋上の除雪に
「あれは、除雪部隊ですね。各街区から有志を募って、屋上やアーケードがない街路の除雪を担当しています。結構、人気の仕事なんですよ?」
「そうなのですか?」
「ええ。みんなに感謝されますし、異性にもモテやすいとか……私も軍属になるまでは毎年やってました。結構危険な仕事なので、安全対策もしてますよ」
一番ヤバい事故が、足を滑らせての滑落だ。それを防ぐため、三角形の屋根のてっぺんには手すりみたいなレールがついていて、そこにカラビナで命綱をつけているのだとか。
この雪国では、魔法陣を書こうにも指が震えるということで、フラウゼに比べると魔法が普及していないとは聞いた。だから、除雪部隊は
街の外観の後、一通り首都の案内をしてもらった。アイリスさんが当初の滞在期間を満了するまで、俺も首都にいる予定で、そのための案内だ。
案内をしてくれている間、エメリアさんは俺たちについて突っ込んだ質問はしてこなかった。初対面の時こそ、かなり感情豊かに接してくれた彼女だけど、やはりそこは軍属の人間ということだろう。不用意な話題を持ち掛けてきたりはしない。
ただ、放っておくと街の設備や都市計画について、歴史的なことを話し出してくれて、なんというか歴女みたいな子だった。話自体はとても興味深かったし、親しみやすい性格もあって、かなり好ましい子だとは思う。
それから、一緒に昼食でホットワインを飲んだり、エメリアさんの口利きで、街路の除雪をちょっと手伝わせてもらったり、その時に野外でちょっとホットワインを舐めたり……首都見学を堪能している間に、少し日が傾いてきた。
首都を囲む門の前で、エメリアさんは名残惜しそうに微笑みながら、「今日はお別れですね」と言った。
「今日はありがとうございました。楽しかったですよ」
「私もです」
俺たちの言葉に、彼女は少し勢いよく腰から曲げて頭を下げ、立ち去っていった。
その後、俺たちは門衛の方に身分証と書類を提出した。俺たちが来るという旨は、すでに通達がいっていたらしい。若い門衛の方はかなり恐縮しながら「どうぞ、お通りください」と言った。
これから向かうのは、アイリスさんがお世話になっていたというウィンストン男爵家だ。つまり、共和国第三軍の将軍、メリル・ウィンストン閣下の邸宅だ。
もともとホームステイしていたアイリスさんが、再びそちらにお世話になるのに、なんら不自然なところはない。一方、俺は共和国への滞在中、観光も兼ねて宿をとっかえひっかえしようかと考えていた。
しかし、共和国への招聘の書類に紛れ、将軍閣下から直筆の「ぜひとも」みたいなお手紙をいただいていた。このご厚意を無視するわけにもいかず……というわけだ。
とはいえ……一面雪景色の中、アイリスさんと二人で歩きつつ、俺は思った。
なんというか、微妙な空気になるかもしれない。将軍閣下とアイリスさんは、互いに親しい仲のようだけど……俺と将軍閣下ではどうなることやら。アイリスさんがうまく取り持ってくれればいいけど――などとぼんやり考えていると、彼女が隣で小さく震えるのを感じた。
「寒いですか?」
「ええ。さすがに、着込んでも少し厳しいですね……」
そう言って彼女は、胸の前に両手を持ってきてニギニギし始めた。血行を良くしようとしているのだろう。彼女の手を見ていて、握ろうかどうか、俺は迷った。
告った後、お互いに落ち着いてから、俺たちは今後についてあの場で色々と相談した。その中で作った取り決めが、いくつかある。
まず、人前だろうとそうでなかろうと、べタベタしない。一般的な交友関係において妥当と認められる範囲に留めること。つまり、お互いに相手を特別扱いしない。
これは、ふとした拍子に油断して、関係が露見するのを防ぐための約束だ。なにしろ、俺たちの仲は、まだ世間一般に認められるものではないのだから。その用意が整うまで、不用意な摩擦は避けたい。
それと、この件について誰かに話を持ちかける際、まずは二人で事前に相談すること。自分たちの仲を打ち明けて、協力してもらえそうな相手かどうか。迷惑をかけることになっても、構わないかどうか。お互い、一人で突っ走りやすい性分があるだけに、相談相手を求めるにも、まずはお互い相談してからというわけだ。
つまり……俺たちは付き合おうと決めたわけじゃなくて、大手を振って付き合えるようになるまで、一緒に頑張ろうという合意に至っただけだ。
……ファーストキスは奪っちまったけども。
で、手を握ろうかどうか、今逡巡してるというわけだ。
こんなことにまでいちいち悩むあたり――俺らしいし、俺たちらしいのかもしれない。まぁ、悪い気はそんなにしない。
気局、俺は「手、つなぎます?」と聞いた。すると、彼女は少し間を置いてから、首を横に小さく振った。
「傍にいるだけで、十分ですよ」
「そうですか」
これ以上ない返答ではある。しかし……。
「必要以上にベタベタしないって話じゃないですか」
「はい。それが、何か?」
「恥ずかしいセリフって、どうなるんですかね……」
「それは……」
すっかり二の句を継げなくなった彼女は、顔を赤くして戸惑った。
「……二人の間でしか通用しない符丁でも考えます?」
「それはいい考えですね!」
変装好きの彼女は、俺の助け舟に勢いよく乗り込んできた。本当、この子は……。
そうして「月がきれいですね」とか「私死んでもいいわ」とか言って楽しんだ後……ふとした拍子に彼女は、真顔になった。
「リッツさん」
「はい」
「私のこと、アイリスさん、なんですよね?」
あー、あの日からも呼び方は今までのままだった。バレ防止のためでもあるんだけど……そんなのは、彼女も承知済みだろう。他に理由があれば、それを聞きたいんじゃないかと思う。
「ずっとアイリスさんって呼んでましたから、今から変えると……違和感が凄まじいなって」
「そうですか? でも、私もあなたのこと、リッツって呼ぶと……」
そう言って彼女は、口を閉ざして目を伏せた。なんだか、すごく照れ臭そうではあるけど……彼女はすぐ、楽しそうに笑って話しかけてきた。
「私は、あなたのこと、リッツって今呼びましたよ? ほら、二回も。あなたも、どうですか?」
「え~」
「早く早く」
「……ア、アイリス……」
顔が熱くなって恥ずかしさに堪えられなくなった俺は、つい最後に「さん」と付け足してしまった。すると、彼女の肘が俺の腰にチョンと触れる。
それから少しして、彼女は真顔になって尋ねてきた。
「本当に、あなたと結ばれても……私は”アイリスさん”ですか?」
「それは……」
たぶん、そう呼ぶことになると思う。だけど、その理由を言ってしまっていいものか……。いや、彼女が気に病むようであれば、フォローいれればいいだけの話か。
意を決した俺は、心中を打ち明けた。
「そこまで深い理由じゃないんですけどね……両親がお互いのこと、名前に”さん”付けて呼んでたんです。でも、よそよそしさはなくて……なんていうんでしょうか、お互いのこと愛し合って尊重してたんだな~って……今でもそう思います。それで、夫婦ってそういうもんなのかな~って、小さい頃からなんとなく」
「そ、そうでしたか……」
案の定、彼女は少し陰がある顔でうつむいた。やっぱりだ。俺に昔のことを――家族のことを――口にさせたことで、申し訳なく思っている。
そんな彼女の腰を、俺は肘でつついてやって、驚いているその顔に言ってやった。
「あなたと家族になれれば、それで満足なんです。そんな顔しないで、頑張りましょうよ」
「……そうですね」
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